冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

その憂うつな気持ち

2020年07月31日 | 生活
私の知り合いの息子さん(17歳)、ちょっとした冗談も入っている投稿をSNSにしたことから、警察が来るという事態が起きた。
いきなり家に警察官が3人やってきて、息子はいるかという、いると答えると、ちょっと会っていいかなといって、続々と家に入ってきた。しかも土足。こういうとき彼らは靴なんか脱いでくれないのである。
え!なにやらかしたの?!とお母さんはパニック。
そのうちに警察官がもう1人やってきて、もちろん土足でどかどか入って来た。

警察4人もやってきて何事か・・・!?と思ったら、息子くんがSNSに「死にたい」と投稿したのを見た人が警察に相談したということらしい。その相談した人は誰なのかは結局分らなかったらしいのだが、警察官の話によると、どうも息子くんの学校の人らしい。うちの16歳の息子も落ちこぼれで特殊学校に通っていたが、この息子くんもそういった学校に行った。クラスの人数も少なく、いわゆる問題児が入っているような学校なので、先生たちはその動向を結構細かくチェックしているのかもしれない。自殺されたりしたら大変、というのもあるだろうし、なにかしらの犯罪に関わるということもあるかもしれず、未然に防ぎたいとの思いだろう。

警察官のうち2人くらいが息子くんといろいろと話し、あとの2人は様子を見ているか、お母さんと話したりしていたらしい。その後、警察官が「彼は病院に行って精神科の医者に診てもらった方がいいと思う。うつ病かもしれないので」と言われたそうな。今から我々が病院のER(救急病棟)へ連れていく、という。「明日、私が連れていくっていうのではだめですか?」とお母さんが聞いたら、「すぐの方がいいと思う」と。言い方は丁寧だけど有無を言わさずといった感じで、結局息子くんはパトカーに乗せられて病院に連れていかれてしまった。連れていく病院の名前を告げられ、「終わったら迎えに行ってもらわないといけないと思うんで」と言われ、警察官(と息子くん)たちは去っていった。

その時、お母さんが使える車が家に無く、どうやって迎えに行くか思案したりしていたが(バスに乗って行くしかないかなぁ・・とか)、連れて行かれてから2時間ほど後に、病院の医者から電話がかかってきたそうだ。いわく、うつっぽい感じだけど、うつ病というわけではないようだ、でもカウンセリングを受けたほうがいいと思う、必要ならカウンセリングの紹介をするといったことを言われた。それで迎えなんですけど・・・と切り出すと、医者が「警察の人に連絡して、息子くんを送り届けるように言っておきますよ」とのこと。え!!親切!
結局、息子くんは警察官(今度は1人)につれられて帰ってきたそうだ。
あとから考えてみると、もし自分で息子くんを病院に連れて行ったらこんなに早く診てもらうことはなかっただろう。救急の場合、自力でERに行く方法と救急車を呼ぶ方法があり、前者だとお金はかからないが救急車を要請するとお金を取られる。が、救急車で運ばれる方が早く診てもらえる可能性が高い。救急車に乗っている救命士たちは、患者を運ぶとその患者が医者に診てもらうまでその場に残る必要があるらしい。その間、ほかの出動命令に応じることが出来なくなる。そんなことから優先される傾向があるみたいだ。だから、救急車を呼んでもすごく緊急性が高くない場合は、救命士の方から「自分で病院に行った方がいいんじゃないかな」と言われたりすることもあるらしい。
この息子くんの場合も似たようなもんで、警察に連れてこられたから緊急性が高いとみなされて、早く診てもらえたとお母さんは考えている。しかも、帰りも送ってくれたのは助かったようだし(そうじゃなきゃ、バスだもんね)。

息子くんは確かにその時、気分がくさくさしていたらしい。思う通りに行かなくてイライラとか、思うようなことができずに落ち込んだりとか、いわゆる思春期にはよくありそうな感情だ。しかし、死にたい・・とか投稿したりすると、かなり大事になるのだということが分かった。警察官も「我々はこういうことは軽視してはいけないと思っている」と言っていたそうだし。本人もそんな気持ちが全くなかったわけではないだろうけど、本気で死を考えているほどではなかっただろうと思われる。ちょっと軽い気持ちでそんなことをしたのだろうけど、そういうことはしてはいけないということを息子くんも学んだと思いたい。
後日談として、警察来訪から1週間くらいして、息子くんは直接そのときの警察官の1人から連絡を受け、アイスキャップ飲みに行こう!と誘われたそうな。アイスキャップとはカナダのドーナツチェーン、ティムホートンズの飲み物。コーヒー牛乳のようで私も好き。で、警察の人が迎えに来てくれて一緒に出掛けて行ったそうな。制服着た警察官とパトカーでティムに行って・・・なんかすごいなぁ・・・。これはその後息子くんが元気にしているか様子を見に来たということらしい。

この話を聞くと、カナダではそういうことに素早く対応してくれるんだ、すごいな、と思う半面、おそらくこれは未成年までかなとも思う。未成年者に対する保護はかなりしっかりやってくれるという印象は昔からあった。だけど、19歳(BC州では19歳が成人)または義務教育である高校を卒業する18歳となると、その篤い保護はいきなりなくなる。
例えば、ネグレクトや虐待などで実の親と暮らせなくなった子どもは養親のところに保護されたりする(その養親と暮らすことが幸せにつながるかどうかはまた別問題だけど)。18歳になるとそれが終了して、子どもはいきなり社会に放り出されるという。18歳でいきなり放り出されても仕事もすぐに見つからなかったり、住むところが見つからなかったりなどで、ホームレスになったり、精神に問題をきたすといったことが起きることも。

また少し前に、精神的に不安定になっている女性(多分大学生)について彼氏が警察に「心配だから健康面のチェックをしてほしい」とお願いしたところ、やってきた女性警官がその女性に殴る蹴るの暴行を働いたという。どうしてそうなったんだかわからないんだけど。大人になると、精神的不安とか、うつとかは「甘えてんじゃないよ」的反応になってしまうんだろうか。恐ろしい・・・

この息子くんのケースは、深刻な事態にはならずに済んだのでまだ良かったといえる。
日本の知り合いの娘さんは中学生のとき、自死した。夏休み明けの学校初日、家を出たその足で、自宅マンションから飛び降りたという。
みずから死を選ぶことを選択するまで思いつめられた気持ち、その気持ちの底知れぬような深さを思う時、胸がつぶれそうな気がする。「死ぬしかない」、そんな思いに駆られるというのは、どんなにか絶望した気持ちだったろうかと思うと、涙が出る。

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足の怪我

2020年07月25日 | 生活
約1か月前、お風呂に入ろうとしてバスタブの中に足を入れようとしたとき、左の2番目の指をバスタブにぶつけた。足がよく上がっていなかったようだ(年取るってこういうこと?)。バスタブというのは陶器であるから固い。そこにしたたかにぶつけたので、思わず悲鳴が出る痛さだった。涙も出ちゃうくらい、すっごく痛い!
翌日は、その指と足の甲の一部まで青あざができてなかなか痛ましい。実際とても痛かった。
もしや指の骨折またはひびが入っていたりしないかなと不安になった。そうなると面倒くさいなぁ、医者に行かなきゃいけないし、ギプスとかテーピングとかすることになるかもしれないし、普通の靴が履けなくなるだろうし・・・。そんなことを考えて、やっぱり面倒くさいので様子を見ることにした。
もし骨折してたりしたら、何もしてない時でもすっごく痛いらしい。痛いことは痛いが、これはそこまでひどくない気もするしねってことで。

そして1カ月近くが過ぎ、足の甲のあざは無くなったが、指はまだ少し腫れていて痣も残っている。
普通にしているとそれほど痛くはないが、力が入ったりしたら痛い。夜はずきずき痛むこともあったりしたが、歩くのは特に問題なくできる(力が入らないようにすれば)。靴下を履いていると他の指が2番目の指を圧迫するようで痛いので、家では靴下無しで過ごした。
まだちょっと痛いんだよなぁとぶつぶつ言っていると、子供たちは「医者に行った方がいいんじゃない?」という。うーん、面倒くさいなぁ。いま、コロナの影響でファミリードクターのオフィスも開いてるか分かんないし。
しかしだんなまで「医者に行った方がいいんじゃない」と言い出した。この人は滅多なことでは医者に行かない人で、私がちょっと具合悪かったりして「医者に行くか・・」なんて言っていると、「また大げさな!」と一蹴するのが常である。
そんな人がいうのだから、行っておくか、一応・・となった。

ファミリードクターはいまは電話でしか診察しないという。電話じゃ診察にならんなぁ・・と思い、ウォークインクリニックに行くことにした。予約も取れるというので(診察する医者は特定できない)、オンラインで予約をして翌日行ってきた。いつもは混雑している待合室には誰もいなかった。みんな予約を取っているのか、それともコロナが心配で行かないようにしているのかはわからない。熱が無いかとかコロナっぽい症状が出てないかなどといった質問をされ(コンピュータ上で)、すぐに診察室に入れた。通常は、診察室に入ってからも長々と待つのだが、すぐに医者もやってきた。誰もいないんだもん、当たり前か。

思っていた通りだが、レントゲンを撮りましょうということになった。レントゲンは別の場所に行かなくてはならない。レントゲンや超音波検査だけをやっているクリニックに予約を取ることになる。
医者が言うには、もし骨折とかひびが入っているなら、ギプスみたいなのかテーピングをすることになりますとのこと。レントゲン検査をしたら、その翌日には医者から連絡があるという。で、もし骨折ではなかったら、ひどい捻挫ってことになるのでその場合は、治療の必要が無いので電話しませんと言われた。
こちらでは検査は医者のいるクリニックではやらず、検査専門の場所に行ってやってもらうのだが、異常がない場合は結果を知らせてこないのが普通である。
捻挫ってことであってもテーピングをすることも可能ではあるが、特に治療しなくてもいいということで、治るのを待つしかないとのこと。

レントゲン検査は、診察してもらった数日後に予約が取れた。それほど待たずに呼ばれてレントゲンを撮る部屋へ。何枚か撮られたが、一枚は足の指を離して撮りたかったらしく、私が手で他の指を離した状態で押さえて撮ることになった。これって私の手も一緒にレントゲン照射されてるってことか?
レントゲンも無事終了、翌日医者からの電話は無かった。ということで、ただの捻挫ということになる。まぁ、そうだろうなとは思ったんだけど。骨折していたらもっと痛いだろうから、この程度の痛みならそこまでにはなっていないだろうとは思っていた。まぁともかく、おおごとじゃなかったってことが分かって、それはそれで医者に診てもらったのは良かったと思おう。


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ジェットストリーム・・・海外に思いをはせて

2020年07月18日 | 日本のこと
ラジオ番組のジェットストリーム、今年の春から私の好きな福山雅治さんが機長(パーソナリティ)を務めているということである。
YouTubeにあがっていたものを聴いてみた(最近はこういうものをあげてくれる人がいてほんとにありがたい。そうでなければ海外から聞いたりできないものね・・・)
最初のナレーション部分は昔からのものと変わってないみたいだ。
ずっと昔、日本で聴いたことがあるそのナレーションと同じ、またはほぼ同じ?だと思う。
「・・・夜のしじまのなんと饒舌なことでしょう」という部分を覚えている。その部分が特に気に入っていたから、記憶に残っているのだと思う。

日本航空がスポンサーであるから、随所に空港の音だとかが入ってきている。私はカナダに来てから20年、ほぼ1年に1度のペースで飛行機に乗り日本とカナダを往復している。その間に、飛行機に乗ることが好きでなくなっていった。空港も好きではない。飛行機に乗らずに日本に行くことは出来ないので乗るのであるが、好きではない。だから空港の音が流れてくると、はぁ~~と重いタメイキが出そうになる。

若い時に何カ国か旅したことがある。一番最初の海外旅行は18歳くらいのとき、短大の先生が企画してくれたイギリスでの短期ホームステイと語学学校に通うというもの。ロンドンの郊外リッチモンドという市に滞在した。この旅行にはイギリスの後、フランスのパリ、スイスのチューリッヒ、オーストリアのウィーンにも行くというおまけがついてきた。
翌年、リッチモンドに再びホームステイし、この時は学校にも行かず遊んでいた。短大を出て就職、その仕事を辞めて、イギリスの南の都市ボーンマスへ9か月の短期留学をすることに。ホームステイ先にも恵まれて楽しかったが、一般的にイギリスの人は閉鎖的で差別的でもあったことを、この時に知るようになっていった。日本人の友達2,3人と一緒にバス停に立っていたら、そばを通っていった車から若い男が私たちに生卵を投げつけてきたり、ファーストフード店で店員からずっと無視されたりといったことを経験した。いまから30年近く前のことだ。いまも変わらずそんな差別的なことがおこなわれているのだろうか。
この短期留学のあと、ヨーロッパを旅した。日本から来る妹とパリの空港で待ち合せて、パリ、スペインのマドリード、バルセロナ、イビザ島、それからイタリアのローマ、バチカン、ベネチア・・・電車で旅していった。その数年後、再び妹とイギリスへ旅行した。その時は湖水地方を中心に回った。

結婚してシンガポールに住むことになり、そこでの2年間の滞在中も近隣を旅した。一番気軽に行けたのは隣国マレーシアで、日帰りでジョホールバルに買い物に行くなんていうことも。その他、マレーシアのティオマン島やインドネシアのビンタン島、タイのサムイ島、いろんなところに行ったなぁ。ベタだけど、バリは楽しかった。さすが観光立国だわと思ったものだ。
若いころは飛行機に乗るのも苦ではなかった。
だんなの故郷がカナダの東部なので一緒に里帰りのついでに、ハワイ、ニューヨーク、ボストンなどに行ったこともある。
カナダに移住してからはサンディエゴに行ったくらいで、あとは海外旅行と言えばもっぱら日本のみとなってしまった。

年を取るにつれ、もうこの先行けるところも少なくなってしまったなぁと思う。いままで行ったことのあるところを思い出して、あそこもあそこも、もう行くことはないんだなぁと思う。
もう一度行けるならば行ってみたいなと思うのは、ハワイとパリかなぁ。若いころはイギリスが好きで、何回か行っているし、イギリス国内もスコットランドにウェールズ、ニューキャッスル、オックスフォード、コッツウォルズ、湖水地方、などなどいろんなところを回った。もういろんなところに行ったし、上記したような閉鎖的な雰囲気を考えるとまた行きたいなと思えない。
フランス人も意地悪だと思うが、あの人たちは誰にでも意地悪な感じで、もはやどうしようもない気がする。それを無視することができれば、食べ物がおいしいとか、美術館を見たいなとか、もう一度(パリは何回か行ったことあるけど)行きたい気がするのだ。
ハワイは2回行ったことがあり、それまでは日本人ばっかりがいくとこでしょ、みたいなバカにしていたところがあるけど、行ってみたら、好きな人が多いのも分かるわ!と納得した。
朝のさわやかな気候の中、泊まったホテルのすぐ隣にあるお店でフルーツ盛り合わせを買ってきて、部屋のバルコニーで食べた幸せ、ドライブの途中立ち寄ったゴルフコースのレストランで、気持ちのいい風が窓から入ってくるなか食事をした時の幸せ、夕暮れ迫る中、パティオでゆったりとドリンクを楽しむ幸せ、夜のとばりがおりたころ、街をそぞろ歩く幸せ。そんな「なんかいいんだよねー」という感じをもう一度味わいたいかも。とはいえ、物価も高いし、意外とカナダからも遠い(日本から行くのとあまり変わりなし)のもあり、行けないだろうなと思う。それはパリも同じかも。
そして年を取った今、同じ場所に行ったとしても、あのころ感じた「なんかいいんだよねー」というような気持を、再び感じることが出来るだろうかと思うと、それははなはだ心もとない気もする。


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エコバッグ

2020年07月11日 | 生活
日本では7月1日からレジ袋が有料化となったということである。今年の初めの計画では6月末から7月初めまで日本に行くつもりだったのだが、コロナの影響でそれもなくなった。ほんとなら、日本でレジ袋有料化になったんだねぇってのを、自分でも体験する予定だったんだが。
今までもレジ袋いりませんと言えば、2円か3円くらい引いてくれるというスーパーなんかがあった。私の実家の近くの店はそうだった。もう1つの近くのスーパーでは、レジ袋がいるというと1枚3円くらいがチャージされたような気がする(それほどそこで買い物しないのでよくわからない)。

こちらではレジ袋に関しては店によってさまざまである。私が行く店に限っていってもいろんなパターンがある。
週1くらいで行くスーパーは前からずっとレジ袋は無料でくれるし、袋詰めもお店の人がしてくれる。ただし、セルフレジでは当然自分で袋詰め。だけどレジ袋はもちろん無料。
やはり週1くらいで行く八百屋は、無料でくれるが大抵「レジ袋いる?」と聞かれるので、なるべくならマイバッグを持って来てほしいらしい。ので、私は大抵マイバッグ持参。
ドラッグストアは大体、レジ袋有料。1枚5セント(日本円なら4円くらい?)だ。セルフレジでは「袋は何枚必要ですか」と機械が聞いてくる。例えば1枚と入力したら、どこからか1枚だけ袋が出てくるっていうわけではなく、袋はすでに設置されている。1枚と入力して2枚持っていっちゃっても分からないともいえる。ここで正直に枚数を入れるかどうかはその人の正直度にかかっている・・気がする。

月1で行くコストコは昔から袋など存在していない。自分でカゴなりケースなり持っていって入れるか、お店で品出し後の空き箱をもらってそれに入れるか、そのままむき出しで持って帰るか、である。
これまた月1の買い出しで行くスーパーは、レジ袋は1枚5セント。たくさん買うので袋もたくさんになるから、私も毎回マイバッグ持参だ。そして店の人は商品をスキャンすると横のベルトコンベヤーみたいな部分にどんどんおいていく。それを客が自分で袋詰めする。日本のようなサッカー台はないので、その場でやる。あんまりのんびり詰めていると、次の人の会計が始まったりしてプレッシャーがかかる・・・
マイバッグはいろんなところに置かれたり持っていったりされているということから、ウイルスがどこかでついてきてるかもしれない、ってことで敬遠される傾向が出てきた。実際、これまで袋有料だった店も一時的に無料になっていた(けど、6月の終わりくらいから有料に戻っていった)。上記の月1で行くスーパーでは、マイバッグ持参OKだけど、そのマイバッグをベルトコンベヤー部分に置いちゃダメと言われる。ということで自分の手で袋を持ちながら商品を入れたり、カートに袋を置いてそこに詰めていく感じ。これ、最初は難しかったけど、慣れてくるとなんとかなるもんである。

ところで数日前に、コロナ騒ぎが始まって以来初めて、イケアに行った。混んでいるらしいという話は聞いていたけど、月曜日の昼間ならそうでもないんじゃない?などと思いながら行ったが、やっぱり混んでいて、結構暇な人が多いんだね(自分もそうだが)と思った。入り口前には行列をつくるスペースもあり、ディズニーランドのライド乗り場みたい。さすがに月曜日の昼はそこに並ぶほどの人はいなかったが、入り口で人数をカウントする人がいて、ちょうど私の後の人が「あ、ちょっと待って」と止められていた。おー、ぎりぎりセーフ。
中に入ったらもうソーシャルディスタンスはほとんど関係なくなっていた。というか、取りようがない。通路がそれほど広いわけでもないし、一方通行にするわけにもいかないような陳列になっているし。ざっと見たところ、マスクをしている人が意外と少ない。そして、マスクをしているのはアジア人が多いなという感じだった。
イケアの人たちは、イケアのロゴに使われている青色のマスクをしていた。会社から支給されているのかしらね。

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今年のカナダデー

2020年07月03日 | バンクーバーとその周辺
7月1日はカナダの建国記念日、カナダデーである。
例年カナダデーには各地で記念行事やらファミリー向けイベントやらがおこなわれる。バンクーバー周辺なら一番盛大なのは、ダウンタウンのパレードかな。私の住む市には歴史村があるが、そこでもイベントがおこなわれる。その他、地域のコミュニティーや教会なんかがイベントをおこなったりというのもある。我が家も子どもが小さい頃はこうしたイベントに行った。大抵、子ども向けのアクティビティーやゲームがあったり、ケーキ(もちろんカナダの国旗を模したデザイン)を無料で配ってくれたりする。建国記念日であるからして誕生日みたいなもんだから、バースデーケーキがふるまわれるというわけ。

が、今年はコロナの影響でそういったイベントは中止。なんにもないカナダデーとなった。
人が集まってはいけないからなのであり、集まらないでお祝いできるなら大丈夫ってことで、どこもバーチャルでお祝いするってことになったらしい。大体どの市でもSNSやYouTubeなんかを使って、ミュージシャンによる演奏だとか、子ども向けショーだとかを流したりしたらしい。カナダ全土としても、オンラインコンサートが流されたようだ。
そして仕上げは、バーチャル花火。カナダデーは花火で締めくくりっていうのがお決まりである。日が長い季節なので暗くなるのを待ってから上げるので、10時ごろになる。バーチャル花火もやっぱりそれくらいの時間にやる。バーチャル花火って・・・結局過去にあった花火を写すってことだよね・・?それともどっかで密かにあげて(笑)それをライブ中継しているとか?(これを見るためには、アプリをダウンロードする必要があったため、面倒くさいので見なかった。)
これもそうだけど、イベントってのはその場に行って、人がワイワイ集まってる雰囲気を楽しむというのもあるのだから、やっぱりバーチャルは盛り上がらないよなぁ。
今年の初めごろは、まさか今年のカナダデーをこんな風に祝うことになるとは、だれも予想しなかったに違いない。

夏はもともとイベントが多い季節であり、太陽を楽しみ(でも湿度が低いので不快なこともなく)、つかの間の開放感(夏は短いんでね)を楽しむ季節なのに、今年はその楽しみが激減だ。寂しい限り。私は特にイベントにいろいろ行く方ではないので、ハッキリいって私の生活に変わりはないのだが、夏ならではの、みんなが醸し出す開放的な雰囲気?というのを感じられないというのもつまらない。なんというか夏らしくなくて寂しい。

バンクーバー交響楽団がトランペットやトロンボーンなど金管楽器の奏者6~7人で、カナダの国歌「O Canada」を演奏する短いクリップを配信していた。撮影場所は、カナダデーのイベントが通常行われるあたりのカナダプレース。
うんうん、いいね、とそのまま、他の動画も見てみた。←今年のものではなくて過去のものばかりだが。
そしたら、O Canadaには4番まであるということを初めて知った。ビックリ。歌われるときは当然ながら1番しか歌われないので、それしかないと思っていた。というか4番まで作る必要ってある?
カナダの国歌は建国当初は、オリジナルが無くてイギリスの国歌を使っており、その後、Maple Leaf Foreverなる曲が作られたらしいが、どうしてか知らないけどそれも止めよう~ってことになって、今の曲に最終的に落ち着いたらしい。
カナダは英語とフランス語が公用語なので、国歌ももちろんフランス語バージョンがある。フレンチイマージョンの学校ではフランス語バージョンも練習する。学校で式典・集会などある時は、国歌を歌うが、英語とフランス語と両方とも歌うと長くなるので、うちの子たちが通っていた学校では1番の中に両方混ぜて歌ったりしていた。
私はこちらに住んで20年以上になるが、いまだに歌詞を全部覚えられないでいるので、みんなと一緒に歌えず口パクをしてごまかしている。

バーチャルで祝うカナダデーであったが、毎夏フェスティバルを開くPNEでは、リバースパレードなるものがおこなわれたそうだ。通常、パレードというのは観客は道路わきに座ったりして、その前をパレード参加者が練り歩いていくわけだが、その反対(リバース)で、観客が車に乗ってパレードルートを回っていくということだそうだ。パレードルート(主に屋内)にはダンサーとか大道芸の人なんかがいてパフォーマンスを披露して、観客は車で回りながらそれを見るってことらしい。車を飾ったり、カナダを象徴する赤や白のコスチュームを着て来てくださいと宣伝していた。今日は天気も悪くて車から出ずに楽しめたので、ちょうど良かったみたい。
カナダデーを祝わないデモというのが開催されたらしい。カナダはもともと先住民が住む土地だったところに、イギリスやフランスから人が来て占領していった、ということで、カナダは今も先住民が(主に)白人を侵略者として考えていたり、先住民を白人化しようとする試みやらあったりしたこともあり、いまも差別されていると主張する。こうした過去を踏まえて、先住民の人に対しては税金や土地の優遇やらがあるのだが、この両者のあいだの溝はなかなか深く、もうずっとこの先も解消されないのかなぁという気もするくらい。
で、カナダデーは自分たちにとっては祝う日ではないと先住民の人たちがデモを行ったということだ。私の知る限りこうしたデモは今年初めてだと思う(だんなに言わせると、前からやってるんじゃない、ってことだが、カナダデーにおこなうのは聞いた記憶が私にはない)。今まで何度もカナダデーは来ていたのだけど、なぜ今年なのか。おそらくアメリカで端を発した人種差別に抗議するデモに触発されたのではないかと思う。また、今年はイベントの類は出来ないが、デモは容認されているので、やるなら今、ということになったのかもしれない。
バンクーバーでは数百人規模の集まりになったらしい。トロントなどの他都市でも行われたらしいが、黒人の人への差別撤廃を訴えるデモに比べれば小規模のようだ。

いつもカナダデーの当日は、よく晴れて暑い日が多いのだが、今年は雨模様で終日薄暗く、7月とは思えないくらい肌寒かった。ニュースのお天気担当の人によると、観測史上3番目に寒い7月1日だったらしい。



カップケーキなど作ってみました。トッピングを赤またはクリームにも赤を入れたりすれば、もっとそれらしかったのだろうけど、無かったのでこういう仕上がりに。
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