「光とは何か」という話をする時にぜひとも取り上げたいのが、西室泰三氏だ。西室さんは、大手エレクトロニクスメーカーの東芝で数々の業績を残し、同社の社長、会長を歴任した後、2005年6月から昨年6月まで東京証券取引所の会長を務めた。
数年前に西室さんにインタビューさせていただいたのだが、その時の感動がいまだに薄れることなく残っている。しかも時間がたって私自身も年を重ねてくると、インタビューさせていただいた時に抱いた見方とは一味違ったとらえ方を、西室さんが語った一語一句に対してできるようになった。
というわけで、以前に本コラムでも取り上げさせていただいたことがあるのだが、いま一度紹介させていただく(同氏が患った病気の詳しい経過などは以前のコラム:死を宣告された男が、仕事に見た“夢”をご覧ください)。
西室氏は就職して間もない時に「余命5年」という宣告を受けた経験を持つ。原因不明の筋肉が衰えていく病に侵され、医師から「足から始まっている筋肉の衰えが、次第に身体の上部に移っていき、最後に心臓までいったら終わりです」と診断され、25歳という若さで余命を告げられたのだ。
とはいえ、その若さで「あと5年」と言われても、これっぽっちも実感がわかない。何せ余命を告げられたところで、いつも通り息をしていれば、いつも通り会社だって行ける。友達とだって話せるし、お酒だって飲める。確かに足の調子は悪いけれど、足以外は何も日常に変化がなかったのだから。
「余命宣告は何かの間違いだ」と信じた西室さんは、半年以上もの間、複数の医師に診察してもらった。ところが、何度検査しても、何度先生に問い詰めても、答えは同じ。すべての先生は一様に「原因不明。余命5年」と宣告したのである。
「自分はいなくなるのか? 本当にあと5年で、たった5年で自分はいなくなるのか?」
答えのない問いばかりが脳裏をよぎる。
繰り返される余命宣告に、西室さんは、「死」が何を意味しているのかさえも、分からなくなった。ただ、ひたすら恐怖心だけが募っていったという。
仕事に“逃避”した末に訪れた変化
その恐怖は想像もできないほど激しいもので、自分を見失いそうになったこともあったそうだ。そこで、西室さんは、とにかく頭からその恐怖を遠ざけようと、がむしゃらに働いた。
頭の中を仕事で埋め尽くせば、恐怖を忘れることができる──。がむしゃらに仕事に励むことで、“現実”から逃げようとしたのである。
ところが、である。がむしゃらに働き続ける西室さんの気持ちに、ある時、変化が起きる。「あと5年しかない」という残された時間を、「まだ5年もある」と思えるようになったのだ。
そのきっかけとなったのが、母親の存在だった。西室さんは当時、会社には病気であることを隠していた。病気だと知られれば、どんな処遇が下されるか分からない。そこで、身体がどんなにしんどくても隠し続けた。
「誰かに頼りたい」。そんな思いに駆られることもあった。でも、誰にも言えなかった。恋人にすら嘘をつき続け、しんどさは増すばかり。そんな西室さんの唯一の心の支えが、母親だった。
唯一無二の存在である母親は、息子の身を案じ、お茶断ちをし、毎日お百度参りをし、ひたすら回復を祈ったという。そんな母親の姿を目の当たりにした西室さんは「残された時間で価値ある生き方をしないと母に申し訳ない」と思い始める。そして何度も何度も、「価値ある生き方とはどんな生き方か」と自問した。
「何回も何回も自分で考えるうちにね、5年もあれば何か自分でできると思ったんです。それだけの時間があれば、たぶんみんなが覚えていてくれるだけの仕事はやれると思えるようになった。そう、5年もあるってね」
「自分がいなくなった後でも、『あの人がここにいてくれればな』と思ってくれるような生き方をすればいい。自分のモニュメントを東芝に作ろう。そう思うようになった」
西室さんは当時の心境をこう語っていた。
“5年しかない”と思っていた余命が、“5年もある”と思えた。5年もある。そう考えた途端、余命に光が灯ったのだ。極度の恐怖心に苛まれ、絶望の淵に立たされていた西室さんが、5年という余命に、光を見いだしたのである。
光を見いだすとは、つまりは、こういうことなのだと思う。
光を見いだすきっかけになった他者の存在
迫りくる死を受け入れるなど、そうそうできることではない。つらいし、しんどいし、逃げたくもなる。でも、西室さんはその恐怖から逃げ続けようとはせず、違う方向から自分と向き合ってみたのである。
自分の死を一番悲しむのは母だ。その母のために、今の自分ができることは何か? それが「価値ある生き方」を残された時間ですることであり、価値ある生き方とは身体はなくなっても、みんなの心の中に生き続けることだ、と考えた。
人間にはどんな苦しい状況でも生きなきゃいけない時、光を見いだす内的な力があるとされている。西室さんの場合、その力を「母親」の存在が発揮させたのだ。
「光」の存在は、「ホープ(HOPE)」という概念で説明され、近年欧米を中心に注目を集め、いかなる人もホープを持ち続け、あるいは再び持つことの重要性が叫ばれている。
明るくたくましく生きることを可能にする内的な力
ホープは直訳すると希望だが、希望とは若干ニュアンスが異なる。
「希望がある」というと、「頑張れば必ず報われる」とか、「未来に良いことがある」といった具合に、ポジティブな未来が待ち受けているような期待感や可能性を示す使われ方をする場合が多い。
これに対してホープ、すなわち「光」は、「逆境やストレスフルな状況にあっても、明るくたくましく生きていくことを可能にする内的な力」を指す。
そして、その「光=ホープ」は他者との関係性、大切な家族、友人、異性といった、自分を大切に思ってくれる人、自分自身が大切に思う人など、他者の存在とのかかわりの中で見いだされると考えられている。
私たちの研究室(東京大学大学院医学系研究科健康社会学教室)で5年前、一般の成人男女300人を対象に、ホープに関する調査を行ったことがある。その結果は、配偶者のいる人、子供のいる人、互いに信頼し合える人がいる人ほどホープが高かった。
この調査では、「人間がどんな苦しい状況でも生きなきゃいけない時、光を見いだす内的な力がある」という考えに基づき、ホープが逆境や困難の経験によって形成されるかどうかについても検討した。その結果、単に困難に遭遇するだけでなく、そこに「信頼できる人」がいることで、ホープが強まる傾向にあることが認められた。
まさしく西室さんが余命宣告という想像を絶する困難に遭遇しながらも、母親の「思い」を知り、光に向かって生きようとする力がかき立てられたように、光を見いだすには大切な他者が必要なのだ。
少しばかり言い過ぎかもしれないけれど、いわゆる「希望」が環境で作ることができるものであるとするならば、「光」は自分で見いだすしかない。
どんなに景気が良くなろうとも、希望のある社会を政府が作ってくれようとも、そこにいる人が、「光」を見いだす努力をしない限り、明るくたくましく前に進むことはできない。そして、そこにかかわる「大切な」人がいて初めて、光が灯る。
ひょっとすると、今の日本に光が感じられないのは、人とのかかわりが希薄になり、大切な人を思いやる気持ちがおろそかになっていることなども関係しているのかもしれない、などと思ったりもする。
今だからこそ必要な人とのかかわり
かつての日本では、光を見いだす努力をわざわざしなくとも、光は当然のようにあった。いや、この場合は光というより、むしろ「希望」に近いかもしれない。
「もっと稼げる」「もっといい仕事ができる」「もっと出世できる」と自然と思えたし、「これからが人生の本番だ!」とばかりに、明るい未来が容易に想像できた。
自分自身が「成長できている」という実感や、「頑張った分だけ報われる」という希望の持てる社会では、他者の存在がなくとも光を見いだすことが比較的可能なのだ。
ところが時代は変わり、「頑張った分だけ報われる社会」でなくなり、自分の成長を実感できる機会も激減した。
でも、だからこそ、そんな世の中だからこそ、光を見いだす努力が必要で、そのためには人とのかかわりが大切なのではないだろうか。
光とは、すなわち、本気で自分がいる意味を問い、価値ある自分になろうともがき続けること。
家族のため、子供のため、好きな人のため、後輩のため、部下のため、はたまた社会のため……。そんな気持ちを持つことができた時、どんなに厳しい状況の中でも光を見いだし、前に進む勇気を持てるのではないだろうか。
失われた光を取り戻すには
当然ながら光を見いだしたからといって不安がなくなるわけではない。でも、少なくとも“今”を意味あるものにすることはできるし、精一杯生きるエネルギーだってわいてくる。
人生に光を見いだせない限り、精一杯生きることなどできないのかもしれない。だからこそ生きている以上、光を見いだすことが大切なのだ。
前述したホープに関する調査では、非常に興味深い結果も得られている。ホープは、経済的ゆとりや時間的ゆとりとは関連をほとんど見いだすことはできなかったが、精神的なゆとりとは強い関連が認められたのだ。
精神的なゆとりのない時って、他人に優しくできないばかりか、相手の優しさや思いやりに気がつかなかったりする。
失われた光を取り戻すには、他者を大切に思う気持ち、相手のその気持ちを素直に受け入れる心の余裕を持つしかないのだろう。
2011年は、開国ならぬ開心で、ココロを開いて他者を受け入れ、他者を思いやる年にすることができれば、自ずと光が灯る。
そして、ゆっくりであれ何であれ、半歩でも4分の1歩でも前に進めば、必ずや今とは違う自分に出会えるはずだ。
光を見いだすことは、変わること。少しだけ良い自分、少しだけ良い世の中に変わるためにも、大いに他者とかかわり、大切な人と出会いたいものである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110104/217806/?P=1
数年前に西室さんにインタビューさせていただいたのだが、その時の感動がいまだに薄れることなく残っている。しかも時間がたって私自身も年を重ねてくると、インタビューさせていただいた時に抱いた見方とは一味違ったとらえ方を、西室さんが語った一語一句に対してできるようになった。
というわけで、以前に本コラムでも取り上げさせていただいたことがあるのだが、いま一度紹介させていただく(同氏が患った病気の詳しい経過などは以前のコラム:死を宣告された男が、仕事に見た“夢”をご覧ください)。
西室氏は就職して間もない時に「余命5年」という宣告を受けた経験を持つ。原因不明の筋肉が衰えていく病に侵され、医師から「足から始まっている筋肉の衰えが、次第に身体の上部に移っていき、最後に心臓までいったら終わりです」と診断され、25歳という若さで余命を告げられたのだ。
とはいえ、その若さで「あと5年」と言われても、これっぽっちも実感がわかない。何せ余命を告げられたところで、いつも通り息をしていれば、いつも通り会社だって行ける。友達とだって話せるし、お酒だって飲める。確かに足の調子は悪いけれど、足以外は何も日常に変化がなかったのだから。
「余命宣告は何かの間違いだ」と信じた西室さんは、半年以上もの間、複数の医師に診察してもらった。ところが、何度検査しても、何度先生に問い詰めても、答えは同じ。すべての先生は一様に「原因不明。余命5年」と宣告したのである。
「自分はいなくなるのか? 本当にあと5年で、たった5年で自分はいなくなるのか?」
答えのない問いばかりが脳裏をよぎる。
繰り返される余命宣告に、西室さんは、「死」が何を意味しているのかさえも、分からなくなった。ただ、ひたすら恐怖心だけが募っていったという。
仕事に“逃避”した末に訪れた変化
その恐怖は想像もできないほど激しいもので、自分を見失いそうになったこともあったそうだ。そこで、西室さんは、とにかく頭からその恐怖を遠ざけようと、がむしゃらに働いた。
頭の中を仕事で埋め尽くせば、恐怖を忘れることができる──。がむしゃらに仕事に励むことで、“現実”から逃げようとしたのである。
ところが、である。がむしゃらに働き続ける西室さんの気持ちに、ある時、変化が起きる。「あと5年しかない」という残された時間を、「まだ5年もある」と思えるようになったのだ。
そのきっかけとなったのが、母親の存在だった。西室さんは当時、会社には病気であることを隠していた。病気だと知られれば、どんな処遇が下されるか分からない。そこで、身体がどんなにしんどくても隠し続けた。
「誰かに頼りたい」。そんな思いに駆られることもあった。でも、誰にも言えなかった。恋人にすら嘘をつき続け、しんどさは増すばかり。そんな西室さんの唯一の心の支えが、母親だった。
唯一無二の存在である母親は、息子の身を案じ、お茶断ちをし、毎日お百度参りをし、ひたすら回復を祈ったという。そんな母親の姿を目の当たりにした西室さんは「残された時間で価値ある生き方をしないと母に申し訳ない」と思い始める。そして何度も何度も、「価値ある生き方とはどんな生き方か」と自問した。
「何回も何回も自分で考えるうちにね、5年もあれば何か自分でできると思ったんです。それだけの時間があれば、たぶんみんなが覚えていてくれるだけの仕事はやれると思えるようになった。そう、5年もあるってね」
「自分がいなくなった後でも、『あの人がここにいてくれればな』と思ってくれるような生き方をすればいい。自分のモニュメントを東芝に作ろう。そう思うようになった」
西室さんは当時の心境をこう語っていた。
“5年しかない”と思っていた余命が、“5年もある”と思えた。5年もある。そう考えた途端、余命に光が灯ったのだ。極度の恐怖心に苛まれ、絶望の淵に立たされていた西室さんが、5年という余命に、光を見いだしたのである。
光を見いだすとは、つまりは、こういうことなのだと思う。
光を見いだすきっかけになった他者の存在
迫りくる死を受け入れるなど、そうそうできることではない。つらいし、しんどいし、逃げたくもなる。でも、西室さんはその恐怖から逃げ続けようとはせず、違う方向から自分と向き合ってみたのである。
自分の死を一番悲しむのは母だ。その母のために、今の自分ができることは何か? それが「価値ある生き方」を残された時間ですることであり、価値ある生き方とは身体はなくなっても、みんなの心の中に生き続けることだ、と考えた。
人間にはどんな苦しい状況でも生きなきゃいけない時、光を見いだす内的な力があるとされている。西室さんの場合、その力を「母親」の存在が発揮させたのだ。
「光」の存在は、「ホープ(HOPE)」という概念で説明され、近年欧米を中心に注目を集め、いかなる人もホープを持ち続け、あるいは再び持つことの重要性が叫ばれている。
明るくたくましく生きることを可能にする内的な力
ホープは直訳すると希望だが、希望とは若干ニュアンスが異なる。
「希望がある」というと、「頑張れば必ず報われる」とか、「未来に良いことがある」といった具合に、ポジティブな未来が待ち受けているような期待感や可能性を示す使われ方をする場合が多い。
これに対してホープ、すなわち「光」は、「逆境やストレスフルな状況にあっても、明るくたくましく生きていくことを可能にする内的な力」を指す。
そして、その「光=ホープ」は他者との関係性、大切な家族、友人、異性といった、自分を大切に思ってくれる人、自分自身が大切に思う人など、他者の存在とのかかわりの中で見いだされると考えられている。
私たちの研究室(東京大学大学院医学系研究科健康社会学教室)で5年前、一般の成人男女300人を対象に、ホープに関する調査を行ったことがある。その結果は、配偶者のいる人、子供のいる人、互いに信頼し合える人がいる人ほどホープが高かった。
この調査では、「人間がどんな苦しい状況でも生きなきゃいけない時、光を見いだす内的な力がある」という考えに基づき、ホープが逆境や困難の経験によって形成されるかどうかについても検討した。その結果、単に困難に遭遇するだけでなく、そこに「信頼できる人」がいることで、ホープが強まる傾向にあることが認められた。
まさしく西室さんが余命宣告という想像を絶する困難に遭遇しながらも、母親の「思い」を知り、光に向かって生きようとする力がかき立てられたように、光を見いだすには大切な他者が必要なのだ。
少しばかり言い過ぎかもしれないけれど、いわゆる「希望」が環境で作ることができるものであるとするならば、「光」は自分で見いだすしかない。
どんなに景気が良くなろうとも、希望のある社会を政府が作ってくれようとも、そこにいる人が、「光」を見いだす努力をしない限り、明るくたくましく前に進むことはできない。そして、そこにかかわる「大切な」人がいて初めて、光が灯る。
ひょっとすると、今の日本に光が感じられないのは、人とのかかわりが希薄になり、大切な人を思いやる気持ちがおろそかになっていることなども関係しているのかもしれない、などと思ったりもする。
今だからこそ必要な人とのかかわり
かつての日本では、光を見いだす努力をわざわざしなくとも、光は当然のようにあった。いや、この場合は光というより、むしろ「希望」に近いかもしれない。
「もっと稼げる」「もっといい仕事ができる」「もっと出世できる」と自然と思えたし、「これからが人生の本番だ!」とばかりに、明るい未来が容易に想像できた。
自分自身が「成長できている」という実感や、「頑張った分だけ報われる」という希望の持てる社会では、他者の存在がなくとも光を見いだすことが比較的可能なのだ。
ところが時代は変わり、「頑張った分だけ報われる社会」でなくなり、自分の成長を実感できる機会も激減した。
でも、だからこそ、そんな世の中だからこそ、光を見いだす努力が必要で、そのためには人とのかかわりが大切なのではないだろうか。
光とは、すなわち、本気で自分がいる意味を問い、価値ある自分になろうともがき続けること。
家族のため、子供のため、好きな人のため、後輩のため、部下のため、はたまた社会のため……。そんな気持ちを持つことができた時、どんなに厳しい状況の中でも光を見いだし、前に進む勇気を持てるのではないだろうか。
失われた光を取り戻すには
当然ながら光を見いだしたからといって不安がなくなるわけではない。でも、少なくとも“今”を意味あるものにすることはできるし、精一杯生きるエネルギーだってわいてくる。
人生に光を見いだせない限り、精一杯生きることなどできないのかもしれない。だからこそ生きている以上、光を見いだすことが大切なのだ。
前述したホープに関する調査では、非常に興味深い結果も得られている。ホープは、経済的ゆとりや時間的ゆとりとは関連をほとんど見いだすことはできなかったが、精神的なゆとりとは強い関連が認められたのだ。
精神的なゆとりのない時って、他人に優しくできないばかりか、相手の優しさや思いやりに気がつかなかったりする。
失われた光を取り戻すには、他者を大切に思う気持ち、相手のその気持ちを素直に受け入れる心の余裕を持つしかないのだろう。
2011年は、開国ならぬ開心で、ココロを開いて他者を受け入れ、他者を思いやる年にすることができれば、自ずと光が灯る。
そして、ゆっくりであれ何であれ、半歩でも4分の1歩でも前に進めば、必ずや今とは違う自分に出会えるはずだ。
光を見いだすことは、変わること。少しだけ良い自分、少しだけ良い世の中に変わるためにも、大いに他者とかかわり、大切な人と出会いたいものである。
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