唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

来るべき時が来たか?

2010-05-10 23:02:23 | インポート
 大学時代に大変お世話になった師範が、一時心停止状態になった。

 会にいたのは、随分と昔の事で、今、支部との接点はほとんど無い。

 師範が十数年前に倒れられたから、尚更連絡はしていない。

 しかし、不思議な事に、つい最近、大学のOB会を地元でやろうという事で、先輩方が計画し、自分が支部や、大学への連絡をしていたので接点が出来ていた。

 そんな中、もしや、師範、危篤なのではとの確認の電話が来た。 そして、支部に確認ができた。

 連絡をくれたのは昔の先輩で、今は、館の支部長。

 骨折して入院中に心筋梗塞をおこし、急遽 心臓の専門病院へ移送されたという。

 一旦は落ち着いたが、数日後、再度心筋梗塞。

  心停止状態で、電気ショックと、心臓マッサージで、やっと一命を取り留めたという。

 師範の内縁の奥さん、名前も知らないが、事務局長と呼んでいる。

その方から、状況を聞いているうちに全身が萎縮してきた。

 精神的な、ショックが肉体にも出てしまうのだ。

潰瘍性大腸炎になってから、胃が痛む事があるようになったが、 今回も胃が痛んできた。

 

 自分を可愛がってくれ、 大学二年時、緑帯、3級で全日本に出せてもらい、その後も全日本ウエイト制、全日本は全て代表にしてもらった。

 卒業し、引退して稽古をしてなかったが、 北海道でアジア大会があると、師範が代表権を勝手に持ってきて、予選も開かずに、自分をエントリーした。

 招待試合で、金はかからないから、旅行だと思っていけば良い。 そう言われた。 

 流石に断ったが、すでにエントリー済みだった。

 学生時代に一生懸命頑張った褒美だよ。  そういって自分に代表権を与えてくれた。

 夜中に急に呼び出されたり、 東京のやくざの事務所に付いて行かされたり、 かなり無茶な事もあったが、それ以上にお世話になった。

 夏休みなどほとんど自宅でお世話になっていた。

 
 卒業後、8年経った時に学内戦があり、オープンで出て優勝した時は、
倒れられて、半身が不自由な状態だったが、  自分に「岩崎は俺の宝だよ。」と、言ってくれた。

 転勤で離れる事になり挨拶に行った時は、 涙が止まらなかった。

 師範の事を考えると気持ちが重い。

 もう一度戻ってほしい。