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唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

神様は見ている?。

2019-06-27 13:56:55 | インポート

 神様が見ているのかいないのか、、、そんな事は解らない、、し、、

  神様がいるのかいないのかさえ知らない。


 不祥事が見つかって、、、

それが、
 過去の極悪な生き方が発覚しただけで、その後、反省も、チャレンジもせずにそのまま消えてく人生ならば、
  罰が当たったのだと思われる。
 
それが、
  たまたま知らないうちに巻き込まれたもので、、、、、その後、反省し、謙虚に芸を磨き復活したとすれば、
   それは、更なる飛躍の為に神様が与えた試練などと言われる。

 
 神様なんている訳ないと無いとふてくされようが、

  神様を信じて復活する努力をしようが、、、、、、、他人のことなどどうでもいいが、、

 何かに見守られ、それを裏切ってはいけないという感情をもてるのであれば、、、
  それがたまたま神様であったとしても、いいのではないのかなと、思う。
 
 そして、神様を敬い、尊敬し、畏敬の念を抱く事でそういう感情が芽生え、洗練され、、、
  他人に対しても同じような感情を抱けるようになれば、、、、、、
  
   その人はとてもお得な人生を送れるのではないか。。


 
 神様がいるのかいないのか、、それは知らないが、、

  「天網恢恢疎にして漏らさず。。。。」


 誰かの目があると思って生活するのと、、

  誰も見ていないから、、解らないから不正してもいいと思う生き方では、、

    人生が全く違うし、人間性も全く違ってくしまうのだ。。。。


 目先の利益を求めて得した気分になっていたが、、、、
  実は最悪の事をしていたなんていう事にならないように。。。

  自戒、自戒。。。
 
 
 生きている事とは自由でいいのだが、、
    自由の裏腹で、、一つ間違えばとても恐ろしい事になる、、世界にいるのだ。

  
 


 
 

 
 
 

 

   


礼儀。作法。

2019-06-25 08:10:23 | インポート

 頻繁にこちらに静養にやってくる東京のご夫婦さん、、
  今回も3週間程度滞在してお帰りになって行きました。

 ある時、帰られる時にタイミングよく車で通りかかったので、ついでに駅までお送りしたら、
 それから色々とお世話になることになった。

 何度もお菓子や惣菜の差し入れを戴いて、こちらがほんのお返しをすると、また頂き物をして、行って来いになってしまう。  

 でも、この感覚は全く田舎の付き合い方で、自分が育った環境と一緒だと気が付く、だから落ち着くのか。

 昔は、そう言う礼儀正しく、律儀な人がほとんどで、それでみんなが気持ちよく過ごせていた。

 「自分さえ良ければそれでいい。」では、周りも幸せにならないし、自分も幸せになれない。

 そう言う事が感覚で解っているから、、、、
 別に見返りを求める訳でなし、世間体を気にする訳でなく、純粋な気持ちでそれが行動できるのだと思う。

 
 目先のことだけ考える利己では幸せには遠い。 のだ。

  都会の人間関係で育つとそれさえ学ぶ機会も与えられないのでしょう。。。。
 

 子供の頃から勉強だけをして、テストの順番だけが評価の基準で、サラリーマンになれば、他を蹴落として初めて出世する。。。パイの奪い合いの、

世界の人と、

 ドジョウが取れたからとお裾分けすると、お返しに筍が帰ってくる。みたいな、みんなで助けあう、分かち合う世界。は真逆。


 全く逆の世界で育てば、価値観や人間性、行動も逆になる。。 

都会の感覚と、田舎の感覚の違い。なのです。
基準が違うから、生き方が違って当たり前なのです。

都会では、礼儀や、義理に重きをおく必要がないのでしょう。 その代わり、上司や利害に関係ある人には、必要以上に気を使うのでしょう。


 子供の頃から感じていた事。
  真逆の価値観。

  

 
 


厳しく。

2019-06-24 12:54:35 | インポート
 

 自分に厳しいのは自分の勝手だからどうでもいいのだが、
  それを周りに強いて要求してたのだから、周りはたまったものではなかっただろう。

 だから、周りの一般人と合うはずはなかったのだが、、それはそれで良かったのだ。 大正解だったのに。。。
 

 それが、徹底できなかった、特に社会人としてサラリーマンとして働く様になってから、
   自分を曲げて周りの人間に合わせてしまったところに問題が出てきたのだ。

 周りに合わせて優しそうで、迎合主義で、角が立たないように生きる事に少しずつ少しずつよってしまったのだ。

 自分でも気がつかないうちに、いい人、いいサラリーマンに寄ってしまったのだ。

  折角、銀行員らしくない珍しい人が来たと、多くの方に評価してもらっていたのに、、、
   もう少し、生き方、自分らしさによく気がつくべきだった。

 皆に合わせることなど必要ないのだ、 合わない人間と無理に付き合うこともないのだ。

 自分の好きに生きて、それで合う人間が自然と残り、合わない人間はどんどん離れていく。

 自分が自然に生きていれば、自然と生き易い環境に整えられるのに、、、、 
  おかしな気遣いや、相手への憐れみに似た思いやりなどをしていたから付き合いがおかしくもなったのだ。


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大学4年の就職活動時期、
 周りが春先から必死に活動を始めている中、5月、6月、7月と立て続けに試合に出て、全く活動をしない俺は、、
  
 「あいつは馬鹿か?」 とあきれられていいた。

 しかし、おれの内心は、、、、、

  中身のない人間がいくら一生懸命に企業を回っても仕方が無いでしょう。 まずは中身がないと評価されないでしょうに。

 中身がしっかりしていれば、後から行っても評価されるのだ、 

  採用期間が終わっていても、  採用人数が埋まっていても、、、

 採りたい人間は採るでしょう。

 それが出来ないような会社はダメ会社でしょうから、、、行く必要なし。


 自分の価値も見極められない会社は、大した会社じゃないでしょう、、、、、
   こちらから願い下げなんですよ、、、、自分が落ちるのはダメ会社だから問題なし、、簡単な事でしょう。
 
 それでも、自分の価値がわかってもらえなければ、、、それだけの人間だと言う事だ。 
  修行し出直すしかない、、、などと思っていた。

   (今にして思えば、師範との縁を続けなかった事が一番の就職活動の失敗、後悔なのだが、その後、サラリーマンとして色々と経験させてもらえた事を考えるとそれはそれで自分の人生だったのだろうと思う。)
 

サラリーマン時代も、特長、持ち味、だったのは他人とはちがう事だったのに。 変える必要など無かったのに。

 「君は気合が違うからな」  「規格外だね」 「そんなに遠慮した物言いは君らしくないね」
 「サラリーマン金太郎、君みたいだね」  「私が居なかったら、判子無しでやっていいよ」(エエッ------)
  「信用しているから好きにやってください」  「野武士のような男だな」
 「あんたとは取引したいけど、あんたの会社とは取引したくないから、、、所で、今度自宅に遊びに来いよ。」 
 「空手をやるとみんな君みたいになるの?」
 「やりたいんならやれ、、、回収できなかったら退職金で払えばいいよ」

 などと言われていたのはほめ言葉だったのに。 
 

生きる環境で自然と出来上がった、、、仕方なくそうしてきた生き方、「自分に厳しく」生きる事。
  

 周りに関係なく 我道を行くでOK。

  周りが淘汰され、一番信じてくれる人達が残っていく。。。
   周りに残る皆さんも「自分に厳しい」方々。 でも方々は、俺とは違って「他人に優しい」。。。 

 
 人のレベルの問題。。。。

 
 

 




叔母との電話、つづき。

2019-06-22 18:18:08 | インポート

 

 叔母との電話での会話。 


 「大変な状況なのに、何でも独りでやりながら生活していて偉いね。 精神力が強いからだよ。」

 「いいえ、色々な方にお世話になりながらただ生きているだけで、何も偉い事なんて無いんですよ。 一つ残念だと思う事があるとすれば、このまま、何も成さないで人生を終える事が残念です。 何も成してないですから。。」

 と言うと。

 「大変な状況でも自分ひとりで生活する事は大変な事なんだから、そうやって独りで生活する事を見せるだけでも大切な事をしているんだよ。」 と、言われた。

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 障害者となり、トイレへ行くのも辛くベットの上で過ごし、尿瓶まで使っていたのに、良くここまで回復したと思う。

 しかし、子供の頃の虐待に較べれば大したことは無いのだ。
  4歳児が母親に裸にされ棒切れで思いっきり打たれる時の感情を知る人は少ないでしょう。
  胸が張り裂ける感覚、真っ暗な空間に独り取り残される感覚。  よく耐えた。そしてその後の人生も。よく耐えた。

 長距離をやっていた中学、高校では毎日厳しい練習で精神的に追い込まれていた。
 高校時、休息は日曜日の午後2時から夕方のみで後は全く休みが無かったがそれが当たり前だった。
 極真空手を始めれば、好きでやっていたのだがそれはそれは毎日大変だったと思う。
  特に試合の前、当日、試合後の激痛。 
 そして毎日の下痢だからそれは一般的には大変なことだったのでしょう。

 社会人になってからは、畑違いの世界にいきなり飛び込みそれはそれはアホ上司に追い詰められたり、ノルマに追われて結果を残す生活でストレスフルだった。そして毎日の深夜までの飲み。好きでやっていた事だが楽しくもキツイ日々だった。

 こんな経験をしながら少しずつ少しずつ強くなっていたのでしょう。。。

 今の生活に耐えられる自分を創って来たのでしょう。

 自分から苦しい世界に飛び込んでそれを楽しんで生きて来たことが今の自分を助けてくれている。

 
 そして、そんな自分を知っていてくれて助けてくれる周りの人に支えられているから折れないのだ。

  俺は折れないのだ。。。。
 
 これでもかと言うような強力な周りのサポートで折れないのだ。
 

  周りの方々に心から感謝。  ご先祖様からのご縁ご恩に感謝。  天に感謝。


   感謝の足りない自分、、、、感謝を知りなさい。

  
 
 

 
 
 

 

 
 


新潟 山形 地震、から、。

2019-06-22 15:53:11 | インポート

 
 村上で大きな地震があり、、、自分にも心配しての連絡があった。
  どれも、地震で心配してと言うよりはしばらく連絡をしなかったから気にして頂いて連絡を頂いたもの。

 一夜明けた朝の忙しい時間に状況確認の電話を頂いたり、、、昼過ぎに頂いた電話は繋がらずに3度目だと言っていた。
  改めて、色々な方に連絡を頂いて一人で生きているのに孤独を全く感じないありがたさの根本を感じる。

 心から心配されているという安心感を与えて貰っているから自分はは孤独を感じないのだ。
  そして、絶対的な肯定感を与えてもらっているのだ。

  親、兄弟には全く感じない私への愛情や尊重を、、、
   他の方から頂いて私の絶対的な安心感が生まれているのだ。

 病気で社会から離れた生活を強いられ始めた時期からずっと支援をされ続け、周りに暖かく接してもらったお陰で、
 自分の中の不安感はどんどん薄れて行き、代わりに守られている安心感、安堵感が増して来ていることを強く感じる。



 叔母から貰った電話では暫く会ってなかったので長く話したが、勇気付けられるような話が多かった。

  「何であなた一人にばかり次々と大変な事が起こるんだろうね。」

  「大変なのに独りで何でもやりながら生活しているから偉いね。」

  「誰にでもできる事じゃないよ。 強い精神力があるから出来ているんだよ。」

  「思い出すとそっちも頑張っているんだから、こっちも頑張らないといけないと思うよ。」
 

 周りの人間全ての面倒も見るような、全てにおいてすばらしく、自分など足元にも及ばない叔母から、そのような言葉を貰うとは思いもしなかった。
 

 確かに自分でも「良く生きている」なと思う事はあるのだが、他の人には関係のないことだからそんな事を深く気にしてくれる人はいない。
 挨拶程度に「何かあったら言ってね。」などと言われる事とは全く別次元なのだ。

 冬場は部屋にこもっているから、動いて苦しいのは心肺だけでなく足腰が弱くなっている可能性もあると思うので足腰を鍛えないといけないと思う、などと言うと、

 すかさず、
 「心臓に負担をかけないように筋肉鍛えないといけないから 難しい事だね。 やりすぎると逆効果になるし。」 
  全く、全部お見通しなのだ。
 

 普通の人に、「身体が訛るから動いたほうがいいよ。」などと無責任に言われて酷くストレスをかけられるのとは全く違うのだ。
    
  
 想像してくれる事、気がついてくれる事、伝えてくれる事、実際に手を差し伸べてくれる事。

それらがこちらの想像を超えているから力強い安堵感を覚えるのだろう。

 色々と話していると、自分の思いも整理されてくる。

  余り小さな力では変わらないから自分の場合は強い力が必要なのでしょう。 だからここまで来たのでしょう。

 でもそのお陰で、
  いい時には気がつかなかった事が今の大変な状況で解った事は多いと思います。 などと話していた。

 どの道に行っても、内面に問題を抱えている事で茨の道になったと思う。 自分でそうしてしまったと思う。
 今となっては、それに気がつけた今の人生以外で無くて良かった気持ちが強い。


 命の淵ギリギリまで経験させて貰えて、それでも周りには愛情深く支える事を当たり前のように出来る人が采配され生かしてもらえる人生を有り難いと、この上ない人生だと、思う。
 

 健康でまともなサラリーマン人生では今の自分は無かった。
  そこで止まって何も知らない自分では嫌だった。


 叔父さんには大変なお世話になり、
  叔母さんには大変なお世話になっているのだが、、ご本人には「何も出来ないでごめんね。」 と、言われる。
  これ以上ないと言うほどお世話になっているのだが、こういう人は本当に謙虚なのだ。

 
  「何事も人に愛で貴まるるの兆しなれば、かりそめにもわたくし心なく、親切を旨とすべし。」 
  
  お手本を見習い、少しでも近づくべく、実践するべし。  


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  「色々な方にお世話になりながらただ生きているだけで、何も偉い事なんて無いんですよ。 一つ残念だと思う事があるとすれば、このまま、何も成さないで人生を終える事が残念です。 何も成してないですから。。」

 と言うと。

 「大変な状況でも自分ひとりで生活する事は大変な事なんだから、そうやって独りで生活する事を見せるだけでも大切な事をしているんだよ。」 と、言われた。