origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

佐藤優『国家と神とマルクス 「自由主義的保守主義者」かく語りき』(太陽企画出版)

2008-12-10 21:27:39 | Weblog
絶対的なものは複数あると主張し、キリスト教プロテスタント神学、ヘーゲル弁証法、マルクスの資本主義批判に耽溺する著者の思想を明らかにした著作。無頼漢を気取ってはいるものの、「国家の本質は暴力にある」「国家は悪かもしれないが、アナーキズムよりマシである」など、常識的な発言が多い。
日本のマルクス主義者としては宇野と廣松渉を高く評価しているようだ。前者を労農派=世界システム的な思想家だと論じ、後者を講座派=一国社会主義的思想家だと論じている。

2008年に読んだ本ベスト20

2008-12-10 00:29:21 | Weblog
少し早いけれども。
1スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来 進化論への招待』
2ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』
3高橋保行『ギリシャ正教』
4森三樹三郎『老子・荘士』
5D・P・ウォーカー『古代神学 15-18世紀のキリスト教プラトン主義研究』
6亀山郁夫『ドストエフスキー 謎とちから』
7リチャード・ドーキンス『虹の解体 いかにして科学は驚異への扉を開いたか』
8河合祥一郎『謎ときシェイクスピア』
9エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』
10森安達也『近代国家とキリスト教』
11ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊 滅亡と存続を分けるもの』
12村上陽一郎『科学史の逆遠近法 ルネサンスの再評価』
13アントニオ・ネグリ『ネグリ 生政治(ビオポリティーク)的自伝―帰還』
14西原稔『ピアノの誕生 楽器の向こうに「近代」が見える』
15佐々木毅『プラトンの呪縛』
16ジャン=ピエール・トレル『カトリック神学入門』
17三島憲一『戦後ドイツ その知的遺産』
18四方田犬彦『ハイスクール1968』
19木田元『ハイデガーの思想』
20クシシトフ・ポミアン『ヨーロッパとは何か 分裂と統合の1500年』
1はダーウィニストである著者が、ダーウィン思想の本質と誤解について論じたもの。文系でも読みやすく書かれているが、内容は奥深い。長きに渡るキリスト教人間中心主義の批判者としてのダーウィンの姿が浮かび上がってくる。
2は「なぜ近代、ヨーロッパが他の地域に比べて文明的に発達したのか」という問いに対する一つの優れた回答となっている。銃・病原菌・鉄という3つのキーワードを挙げながら、「文明的に発達した地域」と「文明的に発達しなかった地域」の差異を明らかにしようとしている。

四方田犬彦『人間を守る読書』(文春新書)

2008-12-08 23:50:25 | Weblog
四方田犬彦によるブックガイド。サイード、W村上、黒田硫黄、ジャック・デリダ、吉増剛造、エミール・ハビービー、ナボコフ、現代音楽の秋山邦晴(高橋アキの夫!)、マルクス・アウレリウス、ダンテ、ヨナ書、フローベルと古今東西の書物について語っている。タイトルはジョージ・スタイナー『言語と沈黙』より。
私が特に印象に残ったのはイ・ソンチャンの『オマエラ軍隊シッテイルカ』。韓国の青年たちにトラウマを残している軍隊制の問題について切り込んだ本である。韓国でカレー店が流行らないのは、軍隊を経験した青年たちがカレーで当時の生活を思い出してしまうから、という。軍隊時代の青年たちの自殺率の高さは話に聞いているし、軍隊制こそが現代日本と現代韓国を隔てるものなのかもしれない。
古代ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウスの著作は素晴らしく、私も生きる力を貰ったが、著者もこの帝王の哲学を高く評価している。しかし70年代を生き抜くのには、別のマルクス(マルクス兄弟)が必要だったという。マルクス兄弟に対する著者の思いは熱く、晩年のデリダをハーポ・マルクスと比較(!)して語っている。
吉田健一とホーレス・ウォルポールを比較したエッセイは、著者の比較文学者としてのセンスが効いている。吉田茂の息子である健一は、イギリス初代首相の息子である彼の小説をどう読んだか。やや論理展開に強引さがあるものの、着眼点が面白い。
フローベールについても語っているが、『ボヴァリー夫人』や『感傷教育』ではなく、『プヴァールとペキシェ』である。愚直に物事を綴る行為を繰り返す書記。しかし物を書くという行為は、思考すること以上に、ただ手の運動として文章を綴ることなのではないか。著者は「プヴァールとペキシェは私だ」(もちろん、ボヴァリー夫人は私だ、のパロディ)と宣言する。

アルフレッド・W・クロスビー『数量化革命』(紀伊国屋書店)

2008-12-06 21:01:00 | Weblog
原題は『現実の計測 計量化と西洋社会、1250年から1600年まで』本書の扱う期間は、中世後期からルネッサンスまで、である。
著者の主張するところによると17世紀の科学革命の前には数量化革命があったという。分刻みの時間、音楽(アルス・ノヴァ)、アルベルティらの遠近法、簿記、会計、インドに由来しているゼロ数字など、中世からルネッサンスにかけてヨーロッパの人々は様々な事物の数量化を試みた。中世後期からルネッサンスにかけてプラトンのロゴス的精密さとアリストテレスの自然世界を考察する思想が結合したところに、科学の精神が生まれ始めたのである。本書では抽象性に彩られた中世が、やがて精密性を重視する近代へと進んでいった過程が多面的に描かれている。
中世中期までは時間とはゆるやかに流れるものであり、一分の違いなどは問題にならなかった。しかし14世紀に機械時計が誕生し、時間というものが精密に計測可能なものだという認識が広がっていく。14世紀の機械時計は15世紀以降の大航海時代を用意した。このような「現実の計測」こそが西ヨーロッパの発展をもたらした、と著者は説く。
数量化革命の代表的人物たるケプラーが惑星は音楽のようだ、と評しているのは初めて知った。彼もまたアルス・ノヴァの数学的音楽に魅せられた一人だった。

J.M.シング『アラン島』(みすず書房)

2008-12-06 20:53:06 | Weblog
ジョン・ミリントン・シングは1871年生まれ、1909年没。イェイツやレディ・グレゴリーとともにアイルランド文芸復興運動の代表的文学者として知られている。
本書は20代後半のシングが、パリ遊学から帰り、アイルランド西方のアラン島を訪れ、書いたエッセイである。新訳であり、意図的に古い日本語や方言が用いられている。パリでうだつのあがらない生活を続けていた20代後半のシングは、西のアラン島に赴くことで、アイルランド文芸復興運動の立役者としての地位を得るに至った。アラン島の生活を理想化している辺りは批判的に読まなければならないが、シングが学のない青年と深い交流を行う辺りは清清しい印象を読者に与えるだろう。
後書きによるとシングは一見鈍い人物だったという。イェイツという天才の影に隠れがちだが、ジョイスからも絶賛された詩人としてもっと評価されても良い存在だと思う。劇作である『西の国の名物男』『海に乗り出す人々』などが彼の代表作である。

川本三郎『アカデミー賞 ーオスカーをめぐる26のエピソード』(中公新書)

2008-12-02 23:06:57 | Weblog
川本三郎は1944年生まれ。近代日本文学や映画に関する著作で有名である。ドイツ文学者の川村二郎とたまにごっちゃになる。
(1990年の出版当時に)60年の歴史を持つアカデミー賞に纏わる悲喜こもごもを描いた新書である。アカデミー賞に取り付かれたヘンリー・フォンダ、意外とアカデミー賞を取っていない名匠フランク・キャプラ、『痴人の愛』の名演技が認められずセルズニックに嫌われた名演ベティ・デイヴィス、エンターテイメント性が高すぎたためになかなかアカデミー賞を取れなかったスティーヴン・スピルバーグ、アカデミー賞に恵まれなかったチャップリン、バスター・キートンらの喜劇俳優、アカデミー外国語映画賞に輝いたヨーロッパの名監督たち(デ・シーカ、フェリーニ、ベルイマン、トリュフォー)や黒澤・溝口……。
著者はアカデミー賞の偏向ぶりを批判的にとらえてはいるが、全体的にはアカデミー賞という制度を映画振興に帰するものとして評価している。そしてアカデミー賞に纏わるゴシップは映画ファンとして見逃せないことは疑い得ない。

ドストエフスキーのメモ(ネタバレ含む)

2008-11-30 16:38:00 | Weblog
『罪と罰』
ラスコーリニコフ
アリョーナ 金貸しの老婆
リザヴェーダ その妹
マルメラードフ 飲んだくれの元役人
ソーニャ マルメラードフの娘で娼婦
ポルフィーリー 予審判事
ドーニャ ラスコーリニコフの妹
スヴィドリガイロフ ドーニャに恋をするが、自殺する
マルファ 彼の妻
『白痴』
ムイシュキン公爵
ロゴージン 三船
エバンチン将軍 志村喬
ナスターシャ 物語のヒロイン。24・25歳。
ガーニャ ナスターシャの縁談の相手
トーツキー ナスターシャの養父。彼女を犯す
アグラーヤ エパンチン将軍の末娘
『悪霊』
ステパン ピョートルの父親。喜劇的人物
ピョートル・ヴェルホンスキー 革命家
ニコライ・スタヴローキン 超人的な人物。主人公的存在
ワルワーラ夫人 ステパンの世話をしている女性
ダーシャ ワルワーラ夫人の養女でシャートフの妹。ニコライが心許した女性
マリヤ シャートフの妻だが、ニコライに奪われる
シャートフ 革命グループの一人。五人組の仲間に殺害される
ガガーノフ 町の有力者
キリーロフ 革命グループの一人。最後は自殺する
レビャートキン大尉 マリヤの兄 
フォン・レンプケ 新しい県知事
ユリア夫人 県知事の妻
カルマジーノフ 無神論の小説家
リーザ 若い娘
スタヴローキン、マリヤ、シャートフ、キリーロフ、レビャートキン、リーザと多くの登場人物が死に至る。
『カラマーゾフの兄弟』
フョードル・カラマーゾフ
ドミートリー・カラマーゾフ
イワン・カラマーゾフ
アリョーシャ・カラマーゾフ
スメルジャコフ
グルーシェニカ ファム・ファタル
リーザ アリョーシャの婚約者
スネギリョフ 
ゾシマ 長老
カテリーナ ドミートリーの婚約者
イリューシャ スネギリョフの息子。病弱

アンジェイ・ワイダの『悪霊』

2008-11-27 00:18:45 | Weblog
ワイダはポーランド出身で、『灰とダイアモンド』の監督として有名である。大学の図書館では彼が監督した『悪霊』のVHSが置いてあり、気になってはいたのだが、結局見ることはなかった。1988年に公開されたこの映画は、ピョートル・ヴェルホンスキーやニコライ・スタヴローキンではなく、無神論の集団に粛清されるシャートフを主人公にしているという。この小説は実際に無神論者が殺害されたネチャーエフ事件をもとにしているので、この小説におけるネチャーエフ事件的なものをクローズアップすれば、シャートフを主人公の一人と呼ぶことも可能であろう。

ボブ・ディラン

2008-11-26 23:13:53 | Weblog
彼の"Hurricane"を聞いていた。
私はDylanの良いファンとは言えない。フォーク・ロック・シンガーとしてはNeil Youngの方が好きだし、"Mr. Tambourine Man"や"My Back Pages"はThe Byrdsのカヴァーの方が好きだ。けれども定期的にあのしゃがれた声が、上手いのか上手くないのかわからないあの声が、懐かしくなる。
村上春樹「ハードボイルド・ワンダーランド」の女の子は言う。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」
映画『アイム・ノット・ゼア』を見ようかどうか迷っている。

最近見た映画6

2008-11-21 23:53:05 | Weblog
「太陽と月に背いて」
ディカプリオがランボーを演じた映画。19世紀のパリの雰囲気が再現されていたのは良かったのだけど、筋書きはイマイチだった。フランス文学史に屹立する大詩人であるヴェルレーヌがまるで凡庸な男のように描かれていたのはちょっと気になる。ただ、若きディカプリオは思った以上に美しかったので、そこを楽しめる人であれば良い映画なのかもしれない。
「僕らのミライへ逆回転」
映画館で見た。ジャック・ブラック主演のコメディ。レンタルビデオ屋の店員とその友人が、店内のビデオが壊れたのを機に、自分で人気映画(ゴーストバスターズ、ロボコップなど)のパロディーを次々と製作していってしまうという内容だが、有名作無名作を問わず映画作品への愛が感じられて面白かった。ブラックのコメディアンとしての優秀さは特筆すべきものがある。『エイリアン』のシガニー・ウィーバーが脇役を演じていた。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」
良い意味でも悪い意味でも期待を裏切らない続編。前作品に比べて淳之介があまり目立っていないような気がしたのだが、もしかすると俳優の須賀健太が成長し過ぎたせいだろうか(勘繰り過ぎか)。
「ONCE ダブリンの街角で」
ダブリンのグラフトン・ストリートで演奏を行うストリートミュージシャンを主人公としたドキュメンタリー・タッチの映画。主人公の歌う曲がColdplayのようで、なかなか格好良かった。アレンジも上手いし。低予算でも良い映画はつくれるということの見本だ。