origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

立川武蔵『空の思想史』(講談社学術文庫)

2008-12-25 00:31:30 | Weblog
すべてのものは空である。ナーガールジュナによって大成され、中観派によって継承された空の思想。それは唯識論のように認識のみを実在とすることなく、認識含めるすべてのものを、超越的存在さえも、空として捉える思想である。著者はインド哲学が専門だが、本書はチベット・中国・日本で空の思想がどのように継承されたかについても述べられている。インド・チベット・日本の大乗仏教の格好の入門書ともなっている。特に代表的な大乗仏教国であるチベットの仏教に関してはわからないことが多かったので(映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を見たときに気にはなっていたが)、勉強になった。
本書の末尾では、著者によるキリスト教批判が展開されている。現代には、長らくキリスト教文明であった国々でも、仏教への関心が深まりを見せた。著者はこのことを興味深いと感じ、仏教的な智慧が閉塞する現代文明への救いとして機能し得るのではないかと考察している。

T・G・ゲオルギアーデス『音楽と言語』(講談社学術文庫)

2008-12-24 22:51:45 | Weblog
グレゴリオ聖歌においては、音楽とは言葉に従属するものであった。音楽とはミサの言葉を際立たせるために存在するものであり、音楽が言語を上回ることはなかった。グレゴリオ聖歌からロマン派まで、音楽と言語の位相を探った著作である。著者はハイデガーの現象学から影響を受けているという。翻訳者の精神科医・木村敏は、ドイツ留学中にゲオルギアーデスの講義を実際に受け、感銘を受けたという。
パレストリーナは言語を構造として捉え、音楽の中に取り入れたという点で同時代のルネッサンス作曲家と比べても異色の存在であったという。革新的な作曲家のモンテヴェルディでさえもその点では、パレストリーナよりも保守的であった。彼の教会音楽は、従来のミサ曲と同じように、言語そのものが持つ韻律を重視していたからである。
音楽がどのような言語によって成り立っているか、というのは重要な問題だ。長い歴史の中でラテン語こそが音楽の言語だった。「音楽と言語」という点で革新性があったのは、バロック期のドイツの作曲家たちである。プロテスタント(主にルーテル派)であるゆえに、ラテン語を用いる必要がなかったハインリヒ・シュッツやJ・S・バッハはドイツ語で宗教音楽を編み出していった。彼らがドイツ語という口頭で話される言語で作曲したことにより、オーラルの言語としては機能していなかったラテン語にはない韻律が音楽にもたらされた。

阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)

2008-12-24 22:49:28 | Weblog
中世ドイツに伝わるハーメルンの笛吹き男の民話。ライプニッツも興味を示したというこの民話が、近代ドイツでどのように解釈されたかを叙述した、歴史家・阿部謹也の代表作である。
ハーメルンの町から子どもを連れ去った笛吹き男の伝説。この物語はグリム童話やロバート・ブラウニングの詩で有名になったが、歴史的な事実をもとにしているという。なぜ突然、子どもたちが忽然として姿を消してしまったのか。それについては様々な説があった。少年十字軍として組織するために連れ去られたのだという説。ユダヤ教の謎の儀式に参加させるために連れ去ったのだという反セミニズム的な説。ペスト患者を隔離するために連れ去ったのだという説。ハーメルンの笛吹き男はヴォータンの化身だとするロマン主義的な奇説(ユングもこの説を採っている)。昔読んだ『マスターキートン』というマンガでは、笛吹き男はペストにかかった子どもたちを連れて、人々にペストの免疫をつけさせたのだという説を採用していた。
著者はどれか一つの説を主張するのではなく、様々な学者の考察を客観的に紹介している。著者の主張が弱く、冷静に論がまとめられているところは、この本の長所であり短所でもあると言えよう。
ハーメルンという言葉を聞いて、『ハーメルンのバイオリン弾き』というマンガを思い出した。

加島祥造『タオ―老子』(ちくま文庫)

2008-12-21 18:00:22 | Weblog
老子の言葉を、詩人の加島祥造が自由訳したもの。かなり自由闊達に訳されており、「インターネットのウインドウ」などといった表現も出てくる。イェイツやパウンドの翻訳でも名を馳せた著者の訳だけあって、さすがにうまいと思う。柔らかい言葉の使い方をよく知っている人だ。
しかし老子の実態を知りたい人には森三樹三郎の『老子・壮子』の方が遥かに優れている(あまり比べるべきではないかもしれないが)。あくまでも現代詩人の加島の語り口を楽しみたい人向けであろう。

岡野宏文・豊崎由美『百年の誤読 海外文学篇』(ぴあ)

2008-12-21 17:54:32 | Weblog
今回は海外文学編。ベストセラーを語っていくというよりかは、1901年以降の名作文学を語っていくような形である。チェーホフ『三人姉妹』、ゴーリキ『どん底』、ジャック・ロンドン『荒野の呼び声』といった20世紀の古典から(この辺は19世紀文学と勘違いされていそうだ)、シュリンク『朗読者』、ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』、イアン・マキューアン『アムステルダム』、クッツェー『恥辱』といった近年の海外小説まで、手広く論じられている。もちろん、ジョイス・プルースト・フォークナー(『八月の光』)といった大御所の作品も手堅く抑えられている。一作家一作品となっているが、有名どころはほとんど網羅されていると思う。中国の作家は魯迅、莫言、南米の作家はロルカ、ボルヘス、ガルシア=マルケス、レイナルド・アレナスとなっている。
本書の影響で読みたいなと思った小説としてはガルシア・ロルカ『血の婚礼』、カルヴィーノ『冬の旅ひとりの旅人が』、エーコ『薔薇の名前』、マキューアン『アムステルダム』あたりがある。

岡野宏文・豊崎由美『百年の誤読』(ぴあ)

2008-12-19 18:46:45 | Weblog
徳冨蘆花『不如帰』以降の近代日本のベストセラーについて2人の批評家が語ったもの。『不如帰』、風景描写で有名な国木田独歩『武蔵野』、近松的な悲劇である尾崎紅葉『金色夜叉』、女学生小説の走りである小杉天外『魔風恋風』、神秘主義的な奇書・岩野泡鳴『神秘的半獣主義』、SF小説の草分けである押川春浪『東洋武侠団』(彼は東北学院の創立者・押川方義の息子である)、漱石の門下である長塚節の『土』、一人の女性の悲劇を描く藤森成吉のプロレタリア戯曲『何が彼女をさうさせたか』と明治期以降のベストセラーについて、縦横無尽に語っていく。森鴎外や志賀直哉といった大御所の作品に対しても批判をしている。
当時のベストセラー『魔風恋風』は女学校を描いた作品として、石坂洋二郎の『青い山脈』の先駆ともなる小説であったと言える。明治期も戦後の昭和期も意外と日本の大衆のフィクションに関する好みは変わらなかったのかもしれない。
『何が彼女をさうさせたか』は一人の女性の数奇な運命を描いた戯曲であり、筋書きだけ読むと野島伸司の『家なき子』に近いような印象を受ける。著者は小林多喜二と同世代のプロレタリアの文学者であり、女性差別・労働者差別に対する紛糾が作品創造の原動にはあったのかもしれないが、しかし作品の外面だけ見ると、『家なき子』や『嫌われ松子の一生』のような日本人好みのメロドラマである。
当時の社会状況をかんがみながらベストセラーについて語っていくスタイルをとっているので、明治~昭和初期までの話は面白かったが、1950年代以降になると目新しさがなくて退屈に感じた。『チーズはどこへ消えた?』や『セカチュウ』などを語られてもなあ……。石原慎太郎・曽野綾子・三浦綾子に対する厳しい批判も個人的にはそれほど面白いとは思わなかった。
本書でユーモア小説の傑作として、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの3人男』、ケストナーの『消え失せた密画』、『雪の中の三人男』などが挙げられていた。この辺は読んでみたいと思う。特にケストナーは高校時代好きだったので。

荒川洋治『文学が好き』(旬報社)

2008-12-19 18:36:57 | Weblog
詩人の荒川洋治の文学に関するエッセイ。彼の書く文章は柔らかいながらも、ほのかな毒が効いていて刺激的である。著者は物事を見えるままに感じていたいと述懐しているが、まさに物事の表面を撫でるような文章だと思う。
日本の近代文学が主な話題となっているが、第3部は読書録となっており、シンガー『ルブリンの魔術師』、カポーティ『叶えられた祈り』、ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実』、『ヴィヨン詩集成』などの世界文学についても触れられている。

島田裕巳『平成宗教20年史』(幻冬舎新書)

2008-12-16 21:30:16 | Weblog
平成の20年間は様々な新興宗教が社会的な影響力を示した時期だった。本書は20年間の時期に最大のカルトであった創価学会とオウム真理教(ともに仏教系カルトである)に焦点を当てながらも、キリスト教カルトである「イエスの箱舟」や「エホバの証人」、擬似科学的なカルトである「パナウェーブ研究所」、カルト的な人物である宜保愛子、江原啓之、細木和子まで幅広く論じたものである。著者はカルトと宗教を厳密に判別することは不可能と考えているが、これに関しては全面的に同意できる。ユダヤ教ナザレ派だって当初はカルトだったはずなのだから。
『ハリー・ポッター』や『20世紀少年』についても触れられており、著者の目配りの良さを感じた。

清水良典『MURAKAMI 龍と春樹の時代』(幻冬舎新書)

2008-12-16 21:22:43 | Weblog
文芸批評家による、W村上の批評。同じ時期に『群像』からデビューし、『ウォーク・ドント・ラン』で対談したこの2人の小説家を、同時代を走り続けた並走者とみなし、比較しながら論じている。
アメリカ文化からの洗礼を受けた『限りないく透明に近いブルー』と『風の歌を聴け』、現代的なセックスを描き出した『ノルウェイの森』と『トパーズ』、エヴァンゲリオンなどで注目された14歳という年齢を描いた『希望の国のエクソダス』と『海辺のカフカ』……。
本書が批評として成功しているかどうかは、難しいところである。同世代といえども、村上春樹と龍には資質の違いがあり、この2人を同列に論じることが意義があるかどうかは大きな疑問だ。しかし、現代日本文学を代表する作家の入門書として本書は優れているし、本書が双方の作家の魅力を伝えてくれるのは確かである。

石戸谷結子・木之下晃『ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー』(朝日新聞出版)

2008-12-11 02:18:05 | Weblog
スカラ座で有名なミラノ、トリノ、ジェノヴァ、ボローニャ、『パルムの僧院』の舞台ともなったパルマ、ヴェネツィア、須賀敦子が描いたトリエステ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ウィーン、ザルツブルク、カフカの町であるプラハ、ブダペスト、ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン、パリ、チューリッヒ、ロンドン、ニューヨーク……。
欧州の有名オペラハウスを豊富な写真入りで紹介した本である。著者の石戸谷は音楽之友社出身のライター。