道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

観音菩薩伝~第42話 大師、長眉の老翁に会って指点を受ける、 第43話 大師の一行、無事金光明寺に帰る

2016-03-14 11:04:31 | 観音菩薩伝・観音様

2015年10月 6日

第42話 大師、長眉の老翁に会って指点を受ける

 このようにして大師と保母そして永蓮の三人は、筆舌に尽くせぬ飢えと寒さに堪え忍びながら、雪蓮峰を登りました。全く紆余曲折の多い行程でしたが、五日目に漸く頂上に達することが出来ました。頂上に登りきるとそこには比較的平らな地面があり、ふと見ると萬年雪を被った一座の廟堂がありました。こんな山の頂に一体誰が住んでいるのだろう、大師の心中にもしやと思う気があって胸が高鳴りました。保母と永蓮も一瞬神秘感に打たれ、お互いに顔を見合わせて頷き、大師に従って庵の前に到着しました。三人の瞳は、希望に燃えて輝いています。長い間の艱難辛苦が報われる、目的地に到達したのです。千萬の感慨で、胸が一杯です。究竟涅槃の妙証を得、聖諦義を明らかに悟れる感激が寸前に迫って来ました。

 三人は合掌しながら跪いて廟堂を拝み、立ち上がって三歩歩いてもう一拝しました。畏れ多いという気持ちが、自然にそうさせたのかも知れません。無意識のうちに大師は、御自分の得道時を感得しておられました。

 廟堂は石積みの簡素な作りで、崖の上に一軒だけぽつんと建っています。大師は霊覚で、その中から荘厳華光が無量円光を描いて燦然と輝いているのを観じました。大師は静かに廟前に跪き、改めて深く礼拝してから内(なか)へ入りました。内は狭い石室で、中央の奥まった所に一人の老翁が坐っていました。眉毛は長く両頬まで垂れ、純白な僧衣を纏い、悠然と端坐し瞑目しております。三人が入ってきたのに気付いているのかいないのか、体も動かさず顔色も変えずその身相は威厳と慈愛に満ち、面容は神々しくて百毫の光明を放っています。

 早速叩頭礼拝を為した大師は、老翁の顔を見てはっと胸を打たれました。昔、花園へ御指示に来られた老僧によく似ておられます。大師は、忘れる筈がありません。その御風貌は深く脳裏に刻み込まれていて、昼夜四六時中、その印象は片時も脳裏から離れたことがありません。歓喜が湧いて大師は、二人に言いました。

「功徳甚深の師父様です。私達が来るのを待っておられたのです。謹んで御尊前に進み出て、御指示を仰ぎましょう」

 二人は感極まり、身が引き締まりました。大師は恭しく奥へ進み、五体を地に伏して礼を尽くし、終って胡跪(こき)し、合掌しながら

「上座に坐(おわ)します御尊師様。弟子妙善、約束を違えず所説の妙法を憶持して失わず、永い歳月を求法一途に勤行し、今また一行三人は興林国を発って今日ここまで参りました。師の御尊顔を拝し得ますことは、この上ない幸いでございます。どうぞ御慈悲を垂れ給われて弟子達の迷朦を御指示下さり、般若・陀羅尼の心法を授記して下さいますようお願い申し上げます」

と真心籠めて申し上げました。今まで瞑目して微動だにしなかった長眉の老翁は、大師の言葉が終るや静かに眼を開き、三人を見渡して言いました。

「善哉、善哉。大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者よ、汝昔日よく菩提心を発し弘誓の願を立てられた。今また汝等三人は、幾多跋渉の苦しみを辞せず、千里の難関を踏破してよくぞ此処まで参られた。汝に深い前縁があったが故である。先ず、そなたに訊こう。そなたは一切の富貴と栄華を捨てて佛陀に帰依し、一心に修行を志して求法に来たが、佛門の真旨は何であるか。得道した後、如何なる願心を抱かれるか心意の所想を聞きたい」

 大師は、敬虔な心情を尽くして答えました。

「佛門の真旨は、世の迷える霊魂を四生六道の輪廻から救い、世の災難を消滅するにあります。佛陀や諸佛が道を求め、道を修め、道を伝えて身を千劫萬難に晒したのも畢竟この為と思います。弟子の願心としては、得道後は更に修練に励み、大慈大悲を以って三毒・十悪の業縁から衆生を目覚めさすように説法を続けて行きたいと思います。

 若し将来正道(しょうどう)を成就でき肉体を離脱した暁には、誓って三界十方を駆け巡って衆生や萬霊の苦厄を度(ど)し、声を聞いては救苦救難を果たし、世人をして正覚に帰せしめたいと存じます。弟子のこの決定心(けつじょうしん)は、佛門の真旨に合いましょうか」

 老翁は、深く頷いて言いました。

「そなたの固い決心は、大乗菩薩道を成就する人の言葉だ。なるほど、深い来歴は争われないものである」

「御尊師様。どうか佛道の真髄、如来の真実義と正法(しょうほう)を証(あ)かさしめ、吾が心霊を一切苦より解脱する法をお伝え下さい」

 老翁は、大師の初一念に感じ入り、徐(おもむろ)にそして厳粛に大師に道を伝え、佛道最上・最勝の妙法を授記されました。

 涅槃妙心(ねはんみょうしん)・正法眼蔵(しょうほうがんぞう)の機を明かし、以心伝心・心印神通の奥義を授け、教化別伝(きょうげべつでん)・真言秘咒(しんごんひじゅ)の口伝(くでん)を受けた大師の心は、極楽に昇ったような歓喜と感激で打ち震えました。今まで探し求めていた、真法奥玄(しんぽうおうげん)を得たのです。捨身して求めていた正法です。佛道最高の極法を得た大師の満身からは、光毫が輝きました。ここに改めて大悲願をたて、必ず終始一貫永劫に佛陀の得賜った心伝を奉じて衆生済度を心から誓われました。

 老翁は更に保母と永蓮に真経を一巻ずつ授け、終身肌身離さずに所持し、大師を守護して菩薩道を行ずるよう論されました。二人の感激は、まさに頂点に達しました。大師に従って修行を決意したことが正しかった、その労がいま報われ、その苦がいま補われた、保母と永蓮は今までの辛苦も忘れ、限りない悦楽に浸りました。

 長眉老翁は授記を終ってから大師に向かって、大師の前歴は慈航尊者(じこうそんじゃ)であって、今世はその転生である事実を打ち明けました。大師はこれを聞いて驚くと共に入世の本願、弘誓の甚深を痛感し、責任の重大さを一層強く自覚しました。老翁は、更に言葉を続けました。

「そなたの世に尽くす任務は重大である。ここから帰った後も更に修業を積み、一日も早く成道できることを望んで已まない」

「御尊師様の御慈悲で道を得られ、長年の夙願(しゅくがん)を果し得たことを感謝申し上げます。最後に、一つ伺いたい事がございます」

「何事であるかな」

「実は昔、私がまだ宮殿に住んでいた頃、多寶国の行者ルナフールが参って、須彌山に白蓮があり、それが弟子に深い因縁があるとの事で、父王はカシャーバを遣わしたところ事実これがあったとの事でした。いま見廻したところ、その白蓮が見当たりません。尋ねた場所が違ったのか、或いはもう既に無いのでしょうか。実は弟子が父王の逆鱗に触れ花園に貶(おく)られた時、御尊師様が来られて須彌山の白蓮を得よとの御指示がありました」

 これを聞いていた老翁は、笑いながら言いました。

「そうだ。確かに白蓮はここにあった。カシャーバにも、麓で変化して見せた筈だ。そうしなければ、国中の医者が流離辛酸の苦しみを受けたであろう。だが今は既に南海普陀(なんかいふだ)の落迦山(らっかさん)に移り、蓮台と化している。残念ながら、既にここにはない」

 大師は一瞬失望の色を見せましたが、直ぐに気を取り直して訊きました。

「弟子にその白蓮が得られるでしょうか」

「白蓮を得る時と坐する時と二つあるが、今日そなたは既にその白蓮を得たのである。その証拠に、そなたの額を見よ。瘡痕(きずあと)は綺麗に癒(なお)っている。白蓮に坐するには、時期尚早である。それは、そなたの塵劫が未だ満ちていないからだ。此処から帰った後も更に霊光の純熟を修め、機が熟したら無漏法性の妙身、清浄の常なる体を得、世音を観じ菩提薩埵(ぼだいさった)を証せられる。その時には、普陀落迦山の蓮台に坐することができよう。かの紫竹林(しちくりん)こそ、そなたが菩薩を成就して鎮座する場所であり、化身済世の根拠地となる」

 大師は、感激に身を震わせて泣きました。保母と永蓮は期せずして大師の顔を見上げると、神々しく美しい大師の額からは瘡痕が完全に消えていました。老翁は、諄々と説きました。

「しかし、そなたが涅槃に入る場所は、耶麻山の金光明寺でなくてはならない。それは一般の民衆に肉眼を以って見せ、耳音を以って聞かせ、一人でも多く法門へ帰依させ、一切の苦厄を免れさせるためである」

 また、保母と永蓮に向かっても言いました。

「そなた達の正果成就の縁は、まだ至っていない。しかし最後には、菩提を証するであろう」

 二人は、感激して嗚咽するばかりでした。

「弟子の涅槃に入る時期をお教え下さい」

 この大師の言葉に老翁は、一個の白玉の浄瓶(じょうびん)を取り出して、それを大師に手渡しながらこう言いました。

「この浄瓶をそなたに授ける。これを持ち帰って、鄭重にお供えするのだ。やがてこの浄瓶の中から水が湧き、楊柳(ようりゅう)が生えて来るであろう。よく注意するがよい。その時は、そなたが成道し涅槃に入る時である」

 大師は授けられた寶瓶を両手で捧げ、押し頂いて礼拝しました。

「これで、総てを語った。汝等に言った事を忘れてはならない。道中留意して帰りなされ」

 老翁の別れの言葉に、大師は慌てて言いました。

「尊き御指点、御教示を賜り、この御恩は永遠に忘れません。まだ御尊師様の御尊名と御法号を伺っておりません。どうか、お聞かせ下さいませ」

 老翁は、微笑しながら首を振りました。

「今は。言わないでおこう。いずれ分かる時があろう」

「しかし、もうお伺いする機会が無いと思いますが」

「いや、機会は何時でもある。将来必ず分かる時があるから、早く帰るがよい。一刻の猶予は、一刻の成就を遅らせるだけだ。帰路には、色々の魔難に気を付けるがよい」

 大師は再び老翁に会える日を望みながら、庵を辞去することにしました。寶瓶を大事に包んで黄色の荷袋に収(しま)い、改めて老翁を拝み、保母と永蓮を連れ、名残を惜しみつつ帰路につきました。

 

この観世音菩薩の御真影は、砂盤を通じた予告どおり千九百三十二年十二月吉日、中国江西省東部の上空獅子雲中に示現されたものです。指示された時間と場所の空中に向けてシャッターを切った数十台のカメラの一つに、この映像が撮影されていたと伝えられています。これは妙善大師が昇天入寂された時、すなわち観世音菩薩として成道された時のお姿です。従って成道後の尊称は、大師から菩薩に変わり、菩薩道を極めた人の最高位となられました。

第43話 大師の一行、無事金光明寺に帰る

 苦労苦難の連続だった道も帰路となると、不思議にも疲労が感じられません。大師は、大師の帰りを待ち侘びている途中の村里に立ち寄り、約束どおり説法し菩薩道を広めました。須彌山に行くときに比べて、その毫光の輝きは驚くばかりです。大師は、正法一切を悟得されたのであります。如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘蔵の要、如来の一切の甚深の道を得道されたのです。欣喜雀躍とはこの事か、北天竺の地に大師の大足跡が記され、法の華を咲かせ、法輪の大転を見ました。民衆の熱狂的大歓迎は、極度に達しました。興林国の道に甘露と法雨を降らして衆生を潤しながらも、三人は大きな至寶を得た喜びと重大な仕事を果たした快い気分が艱難辛苦を吹き払ったのでしょう、幾多の魔難と闘いながら道を急ぎました。

 ある日、とうとう興林国の国境まで帰って来ました。恐らく途中で宿泊した村やの人達の善意の注進で知ったのでしょう、国中の民衆は仕事を休み、歓迎一色となって大師を迎えました。勿論、金光明寺には早飛脚が走りました。大師の通る村々は、歓迎の人々で埋まりました。中には大師の跣足行脚を見て痛ましく感じ早速新しい草鞋を差し出す人もあったが、大師は鄭重に断りました。また千辛萬苦を経た大師を気の毒に思い駕籠を雇ってきた人もあったが、それにも乗らず、保母と永蓮を従えゆっくりと歩きました。群衆の歓呼の声に大師は合掌していちいちこれに応えながら、金光明寺に向かいました。

 金光明寺では、多利尼、舎利尼ら比丘尼一同は大師のお帰りを知り、躍り上がって喜び合い、早速歓迎の準備に取り掛かりました。やがて大師の到着時刻が迫ると、比丘尼達は正装して、鉦鼓音楽吹奏の人々共に山麓に下り整列して大師のお出でを待ちました。山麓一体の信者もこの日のために仕事を休み、今か今かと大師の到着を待ち望んでいます。群集は耶麻山麓を黒山のようにして埋め、人また人の波で一杯です。

 やがて遠くのほうからざわめきが起こり、それが津波のように伝わって来ました。大師御一行のお姿が現れたのです。「大師様だ」「大師様がお帰りだ」この声が伝わるや、今まで行儀よく道の両側に分かれて待っていた群集は、列を乱して走り出しました。多利尼も舎利尼も駆け出して行って誰よりも先に大師の顔を見たいのですが、それも出来ず、じっと我慢して天王殿の前で待ちました。

 太鼓の音が一斉に響き鐘の音が鳴って、笙楽の旋律が緩やかに奏でられました。群集の賞賛と歓声は益々大きくなり、その群衆の中から、大慈大悲に満ちた優しい大師のお姿が見えました。保母と永蓮を従えた大師は、静かに天王殿の正面に進みました。多利尼と舎利尼ら比丘尼一同は、跪いて大師を迎えました。多利尼が一同を総代して、迎えの挨拶を申し上げました。

「大師様。お帰りなさいませ。永い間の御苦行、さぞお疲れでございましょう」

 ここまで言うと多利尼は、懐かしさの余り涙が先に立って、それきり声が詰まって言葉が出ません。大師は、微笑して言いました。

「永らく留守を務めて、ご苦労さまでした。皆の衆に代わって無事、須彌朝山の役目を果たすことが出来ました。これも、皆さんのお陰です」

 群集に向かっても、合掌し感謝しました。大師の言葉が終るのを待ちかねたようにして、保母が言いました。

「皆さん。お喜び下さい。大師は正法の道を得受なされ、無上正等正覚・菩提薩埵の正果を得給われました」

 感激に震えた声に、群集は一斉に歓声を上げ、誰からともなく大地に五体を投じて大師を伏し拝みました。

 出迎えていた舎利尼は、涙の顔を上げて大師の顔を見ました。旅の疲れか少し痩せていられるが、前にも増して神々しく威厳に満ち、眩いばかりの回光(えこう)が返照するようです。本当にお変わりになられた、大師は菩薩道を成就されたのだ、とうとう大師は世衆萬代の応供(おうぐ)に足るお方にお成り遊ばされた、舎利尼は幼少の頃からの大師の長い御苦労の数々を想い浮かべ、萬感込み上げて涙が溢れるばかりでした。

 大師は群集の祝賀の声に包まれながらも慈容を変えず、洗足を済ませて天王殿を礼拝した後、懐かしい大雄寶殿に入り、彌陀と佛陀に香を献じて無事に帰寺したことを告げました。そして行脚の疲れも見せず直ぐに法堂(はっとう)に行き、喜び溢れる群集を前に帰寺第一回の説法をしました。法堂は立錐の余地もないほどの満座でしたが、誰もが大師の言葉を一言も聴き洩らすまいと、静かな中に緊張しながら耳を傾けていました。

 大師は行脚の途中で起こった数々の出来事や事蹟について話しながら、解り易く佛理を入れて説明しました。群衆は手に汗を握り、感動に身を震わせ、喜びを一杯に表わして終始熱心に聴き入っていました。大師の説法が終ると保母と永蓮が代わる代わる大師得道の様子や、浄瓶授与の状況について話しました。群集は心から佛翁の御慈悲に感謝すると共に、浄瓶に水が沸き、柳の芽が出るように祈りました。しかしその反面、そうなれば大師とお別れしなければならない、という気持ちもあり、喜びと悲しみ、嬉しさと寂しさが入り混じり複雑な表情を隠し切れませんでした。

 大師帰寺の噂と共に得道の事実も国中に伝わり、民衆は益々大師に対する尊敬と崇拝の念を高めました。

続く・・・


Relocation(巷に入る)~Personalな移動のプロセス

2016-03-14 11:02:36 | シンプル・ライフ 

2015年9月7日

固定された場所を明け渡して、異なるものに定まるプロセス

過去の認識や過去の環境によって創られる新しい世界に入ります。ニューエルサレムであっても、それが国家と言う概念から生まれる便宜的な理想郷であり、歴史的な意味での理想郷となります。華やかで混乱の最中です。これを巷(岐:ちまた)と言います。わかりやすくこの象形をあえて「分岐点」と言います。

この9月は偉大な一つの星が消えました。そしてまたさらにたくさんの聖なる星星が顕われます。

この巷で新しいことが始まっても、実際に庶民の生活に際立った変化は起きません。むしろ困難が増すように感じます。巷とはそういう場所であり、今まで生活していた家庭・職場…そういうロケーションだからこそ巷といってきました。うらびれた下町の飲み屋街、実際にこれから始まる新しい世界への分岐点がそのロケーションの中に現れることはまだ意識していませんが、しかし、この9月からはその巷にそれぞれがそれぞれの立場で自ら入ってゆく時期が来ました。社会や世界の実際の動きが見え始め、それが無意識にそれぞれの課題となってゆきます。

リビアの難民がドイツを目指したその理由は、ドイツでは難民に対し月4万5千円の生活費が支給され、無償で住居が提供され、仕事の斡旋が行われる。このようになるまでドイツ国民にも苦難の時代がありました。リビアの難民は国家の枠を越えて暖かい人々が迎えてくれる新しい社会を目指して家族が力を合わせ、手に手を取って行進してきました。

続々と中東からの難民が到着 なぜドイツを目指すのか?

東アジアでも北朝鮮と韓国の融合が順調に行くことに期待しますが、特に北朝鮮から難民が中央アジアや日本に向けて流失する可能性がないとはいえません。その時私たち市民がこの巷で何を経験することになるでしょうか。何事も起こってほしくない普通の生活の中にもうすでに嘗てない地球の大変動が起きています。私たちのリロケーションは思いやり・愛・そして助け合いの巷に自ら入ってゆきます。

その時国家を運営する人たちも、医療の現場の人たちも、安全を守る警察や自衛隊の人たちもみな同じ一人の人間として行動を開始します。それは旅立ちの時のようであり、母が子を守るようであり、すでに今までの自分ではない自分がまるで巨人のようにこの分岐点に立っています。新しい緊急事態に対し、国としてどのようなことが出来るか、個人や企業、あるいは地域としてどのようなことをしなければならないか、公正な意識が思うように困難な状況を改善してゆきます。

Dig

 NEW SEED 2015 ・ One Personal より転載


人類に神託された創造~四海に道を開く(Open the way in the world)

2016-03-14 10:58:47 | わらべ歌・かごめかごめ・アーク

2015年12月25日

【約束の地、約束のとき】

今までの価値観にはなかったことを、精一杯取り組もうという仲間たちと出会い、神聖なエネルギーを養い、曖昧にすることが無いように自ら(古代の来歴)を省みるときがきました。

この「天の時」が明らかになり、私利私欲を捨てる好機が到来しました。「私」を無くし、「公」を実践し、多くの先人が護り伝えてきた道を天に替って各地に伝えます。

古来、旅人は、薬や食物、経典や技術、そして秘儀を求めて、輪廻転生を繰り返し、山から谷へ、砂漠から仙境へと世界を巡ってきました。人類の良心を愛でるこの重厚な歴史を引き継いで、今、その役目にたどりついた人々は、偉大な魂と巡り会い、そして集い、最後の仕上げをするときが訪れました。

準備のときは着々と満たされています。鐘の音と共に法舟は正義の旗を翳し、暖かい香りを帆一杯に掲げ、約束の地に向けて、老若男女が力強く漕ぎ出しています。固い意志と創生の確かな希望を胸に、その地で曖昧にしないための真白な殿堂の建設を開始します。

目的の地は、荒れ果てた砂漠、約束の地は、地の果ての額丘。しかし人々の足取りは確かで、心の中は希望と喜びに満ち溢れています。この志は、天が負うものではなく、人々が成し遂げるものです。

 

【地球に十字を印す四海】

地球生命の神聖なポータル四海は、東・西(経:よこ)と南・北(竪:たて)に十字を成す形で万物への影響を拡大してきましたが、人類の奴隷化に不都合な勢力は超古代から、宇宙の彼方からあらゆる手段でこのポータルを塞いできました。激しい攻撃が加えられました。

そしてこの聖地を護る民族の浄化が繰り返され、地球の保護者の認識も希薄になり、人々は血の命脈に従って東に向かい、あるいは南に下りました。聖地は荒廃し砂漠と化しまさに忘れ去られようとしていました。

天はその地にその人を呼び寄せ、この地の蘇りを託しました。時代から時代へ細いこの道をたどりながら旅人は誰に知られることもなく不思議な夢を見続けました。

これから10年の間にその印しのある者は、聖なる巡礼に旅立ちます。戦争のない社会が実現して、人は本来の仕事につくことができます。

四海が何処かについては、①湖、②砂漠、③水、④古代文明、⑤古代戦争、⑥塩、などのキーワードが伝えられました。東・西の海は知らされました。南・北についてはまだ想定ですが、やがて伝えていただくことができると思います。

東:南米~チチカカ湖、アタカマ砂漠、プマプンク遺跡、宇宙人による破壊の可能性、

西:中東~死海、ワディラム砂漠、クムラン遺跡ニネヴェの遺跡ソドムとゴモラ

南:南極~ボストーク湖、マクマードドライバレー米国、ロシアが超古代遺跡を確認、UFO戦争や超古代核戦争

北:ロシア~バイカル湖、タクラマカン砂漠・ゴビ砂漠、古代核戦争

四海については、さまざまな可能性があり、同様に巡礼の意義や古代のDNAの目覚めについても、人それぞれに大いに下る新たな歴史が始まる時です。

 

【四海のポータルは普遍の理】

量子物理の研究が急速に進み、物事はすべて理・数で成り立っているように考えられてきました。ポータルのエネルギーが宇宙にあたえる影響も計算式が成り立つのかも知れません。もうすでにパラレルな世界に入りましたが、忘れてはならない枠組みがあります。

それは3~5次元は陰陽界だということです。3次元の地球で5次元という途方もない広がりの宇宙を創造する世界です。人が100年足らずの人生を終えて転生を繰り返すように、地球にも宇宙にも千年・万年・億年の繰り返しがあります。パラレル世界は私たち人類が繰り返してきた世界と相似的・共時的関係にあります。

2015年の今、人類が直面している課題は、特権支配階級の奴隷から解放され豊かな社会を形成することがすべてではありません。それはほんの一部です。その問題をクリアーして一気に広がる世界、大宇宙への旅など人間としての可能性を求める豊かな人生、それもほんの一部なのです。

先に行く人、後から来る人の選択が行われる。そのことが古代から伝えられてきたことも、まだほんの入り口に差し掛かったところです。これから始まる本当のことを古代から伝承されてきた道理で説明したいと思います。

【道理が四海を復活させる】

四海の東西南北を仁義礼智に重ねると東(仁)西(義)南(礼)北(智)になります。ここで確認しておきたいのは、人間の性(仏性)は天地造物主の分霊ですから、本来は神であり創造力を備えています。つまり人間本来の霊は天地造物主と同じように完全な理で成り立っています。

地球生命も太陽もみな本来の道理で成り立っています。ところがそれを好まないものが破壊をはじめ生命が闇に取り込まれてしまった結果が今人類の知るところとなっています。

元に還すには道理を知り、道理にそった生き方が望まれます。今ここに現した仁義礼智信の道理が、地球の四海を復活させる意義と深く通じます。新しい世界は物質的な世界ではありません。今までの悪習慣を悪習慣と知らなければ何を以って改善できるでしょうか。ここに新しい時代の玄関がどこにあるのか、「四端」という道理で四海の役目が明白になるよう、そして人類の巡礼はどのように始まるのか、準備に役立てていただきたいと思います。

【道理は万物を活かす】

孟子様の四端「惻隠の心、すなわち仁の端」「恥悪の心、すなわち義の心」「是非の心、すなわち智の端」「辞譲の心、すなわち礼の端」を統一して、その中に万善を包含しています。これを図表にすれば、竪(たて)は智と礼になり、横は仁と義になって、四端の交叉する中心に信があるわけです。孔子様は「人に信がなければ、その可なるを知らず」と申され、人間にも信がなければ、何事もあてになるものではないと申して、その重要性を説いた訳もここにあります。

また、その重要性を竪に書いて「│」となし、横に書いて「─」としたのは、体と用「本体とその働き」とを十字の形に現して、その竪には経と理が、横には緯と数が這入りますが、この意味を深く玩味し、探求するならば、誠に極まりないものがあります。

故に老子様は清静経に「大道は無形にして天地を生育し、大道は無常にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す」と申されました。道は未だ天地が成立せぬ時、既にその本体を立てられ、既に天地が形づくられてからは、その運用を拡大して天地万有に及ぼしたのです。

DeshiA

 


ハロウィン(神聖な前夜)~ねじれ・曖昧のままにしておかない【2014 弘前ねぷた祭り初日(ハイビジョン)】

2016-03-14 10:53:02 | シンプル・ライフ 

2014 弘前ねぷた祭り初日(ハイビジョン)

2015年11月 1日

ハロウィン(神聖な前夜)~ねじれ・曖昧のままにしておかない

シャルダン・ナイドルニュース 2015年9月29日

12 Eb, 5 Tzotz, 12 Manik 

Dratzo! 世界は、これまで以上に前進し続けています。 我々の地上の同盟者たちは、現実の新しい銀行システムを動かすために配置についています。闇の勢力は、そうした新しいシステムへの移行をすでに停止できなくなっています。ヨーロッパ、南北アメリカ、そして、もちろん、中国のエンシェントファミリー(古代の家族)は、巨大なフロートから流れ出る巨額のマネーの最終的なプールシステムを確立しています。 選任された主計官と安全管理者たちは、彼らに特別に課せられた任務を全うするため、神聖で最適な時期があることを知っています。 現時点では、秘密グループはいくつかの危機に直面しています。そして、この流れは起こる寸前です。卑劣な寡頭政治のあまりにも長い支配は今まさに終焉の時であり、もうこれ以上統治することは出来ません。我々には、グレゴリウス暦の10月が近づいています。この時期は、西洋では伝統的なお化けや幽霊など恐怖祀りの時でもあります。実際のところ、それはあの広大な(あなた方の古代の家でもある)アトランティスが海の下に沈んだ時を意味しています。 このイベントのはじまりは、ザックの時、すなわち曖昧のままにしておかない(白い暦月:収穫が終わった月)の時に起こりました。 光りの勢力(アトランティスの人達)がケンタウルスの新しい聖院に向かった時を記念しハロウィン(神聖な前夜)と呼ばれています。この時期が、あなた方が恩恵を得る段階と重なったことは、本当に素晴らしい偶然の一致です!   

この現実が、あなた方の世界で大規模なシフトを起こしています。前回までは、寡頭政治が何をしたか、それが予定通りに実行されたかどうか確認することになっていました。今はもうそのパワーは彼らには与えられていません。 改革のための人的パワーやマネーの移行は、全く新しい方法で、短期間でその頂点に到達できるように始まっています。これは、巨額のマネーの移行は、それが地球上に住む人々に再配分される方法に同じく影響を及ぼします。結局この再分配は、闇の勢力を支持していた組織や政府が役に立たなくなることよっても引き起こされます。この素早い移行は、結果的に世界的な繁栄を拡大することになります。そして、それは同時に、現在の世界の通貨制度に対して大規模なリセットの高まりをもたらします。その最終的なステップには、通貨に対する金の裏づけの支援と、あなた方の銀行が新しく機能する方法が含まれます。 このような大きな変化は、あなた方に本当の民主主義への復帰を促し、「people power」がより広義な概念として定着させ、あなた方が主人公となる統治をもたらします。 


ハロウィンは毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りです。もともとは収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事でしたが、現代では特にアメリカ合衆国民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっています。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女お化け仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習になっています。

ケルト人(Celt)は、中央アジアの草原から車輪付きの乗り物を持ってヨーロッパに渡来した民族です。

ケルト人の分布
● - 紀元前1500年から紀元前1000年
● - 紀元前400年

ケルト人はおそらく青銅器時代中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年 - 紀元前500年)を発展させた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット文化はラ・テーヌ文化(紀元前500年 - 紀元前200年)に発展する。

このころ日本も鉄器の弥生文化が始まり、渡来の弥生人と縄文人との争いが激しくなってゆきました。

ケルトの社会は鋭利な鉄製武器を身に付け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配され、欧州各地に分立しました。彼らは南欧の文明社会としきりに交易を行い、その武力によって傭兵として雇われることもあり、ギリシャ・ローマの文献に記録が残されています。紀元前400年頃にはマケドニア金貨に影響されて、各地でケルト金貨を製造するようになりました。また、ケルト人の一部はバルカン半島へ進出し、マケドニア、テッサリアなどを征服。ギリシャ人は彼らをガラティア人と呼びました。紀元前3世紀に入ると、さらにダーダネルス海峡を経由して小アジアへ侵入し、現在のアンカラ付近を中心に小アジア各地を席巻しました。

やがて紀元前1世紀頃に入ると、各地のケルト人は他民族の支配下に入るようになる。ゲルマン人の圧迫を受けたケルト人は、西のフランススペインに移動し、紀元前1世紀にはローマのガイウス・ユリウス・カエサルらによって征服されます。やがて500年にわたってローマ帝国の支配を受けたガリアのケルト人ローマ文化に従い、中世にはゲルマン系のフランク人に吸収されフランス人に変質してゆきます。

そのケルト人のドルイド教は宗教秘儀を散文で書き記すことが禁じられていました。

今日取り上げました青森の“ねぶた祭り”でも達磨大師の山車がありますが、秘儀を文字に著わさない“達磨の四諦句”を禅宗の極意としてきました。

想像力を楽しんでいただくため、ねぶた祭りに見た興味深い場面をご紹介いたします。

弘前のねぶた祭りの“燃灯祭”~お釈迦様の生誕は紀元前1000年(歴史では紀元前400年ごろになっています。)、お釈迦様に秘儀(真理)を伝えた聖人の名前を燃灯佛といいます。

各山車の絵で目立つのは、四人の武者と一人の女人、勇壮な馬、刀(鉄の刃物)が強調されています。大蛇、龍、幽霊、三つ目の巨人、白い衣装、二人の男(巻物を詠む)女(井戸のそばに立つ)、それぞれケルト人の物語と重なってきます。

又、福島県会津磐梯山の“宝の山”の意味、達磨市などにもこの伝承が伺われます。 3.11も伝承に対する“自暴自棄”の破壊的エネルギーの証しですが、真理は天と求道者の間の神聖にして犯すことができない至宝です。


 北海道に七夕にかけて一部の地域にハロウィンと同じようにお菓子をもらい歩くお祭りがあります。函館の詞を紹介します。

函館に転勤して来られた方がびっくりするもののひとつが、七夕の風習。

浴衣姿の子どもたちが徒党を組んで家々を訪れ、

突然歌いだすという事態に非常に戸惑ったという話はたびたび耳にします。

竹に短冊 七夕まつり 大いに祝おう ろうそく一本(一灯)ちょうだいな

と子どもたちが歌ったら、家人は子どもたちひとりひとりにお菓子をあげる決まりになっています。

七夕の夜に子どもたちが民家やお店を巡ってお菓子をもらい歩くという風習は

函館に限らず北海道各地で見られるもの。

なお北海道では8月7日に七夕を行う地域がほとんどですが、

函館では7月7日に行うこととなっています。

さて、こうした函館の七夕の風習にはどんな起源やいわれがあるのでしょうか。

幕末に書かれた『箱館風俗書』という書物には、

当時の七夕の様子が次のように説明されています。

『寺子屋の子どもたちが前日から師匠のところに集まって

小さな灯篭と短冊をつけた竹を掲げ、太鼓や笛を鳴らしながら町を歩く。

7日の昼頃には灯篭を海に流す』(意訳)。

『函館・道南大事典』(国書刊行会)によると、これはねぶたの風習だとのこと。

江戸後期の箱館では、ねぶた祭りと七夕が一緒に祝われており、

各家でも大小のねぶたを竹と紙で作っていたそう。

このねぶたに灯すろうそくを集めるのが子どもたちの仕事であったとのこと。

今も「ろうそく一本ちょうだいな」の歌がその名残をとどめています。

ちなみに、大きなねぶたを引くときの掛け声は

「オオイヤ、イヤヨ」であったと幕末の記録『松前紀行』にあります。

これが昭和に入って変化し、現在の七夕の歌の歌詞「大いに祝おう」

として残ったというのが定説です。

江戸時代から伝わるこの由緒ある風習は現代でも「ろうそくもらい」と呼ばれ、

函館市では「七夕飾りのある家だけを訪問すること」などの小学校の指導のもとに

伝統行事として守り伝えられています。

出典:ハコダテ150 

http://www.hakodate150.com/modules/pico2/index.php?content_id=91

 

Deshi A:

真理の伝承は、勇者によって偉大な歴史の節目になっています。退廃の地を脱して御心に従って新天地を求めます。ケルト人もユダヤ人も日本の地を目指しました。“かごめかごめ” “契約の箱”も同じ聖なる伝承です。昨日のハロウィンは商業ベースで行われるケースが多いと思いますが、人間の心に響くものは手段方法に限らずこうして歴史の“ねじれとともに伝承されてきました。そして今、その真実を“曖昧のままにしておかない”時にはいりました。それが“進化とそのpeople power” の原動力になります。


アルクトゥルスの集団 : 2016年3月6日 [アルクトゥルスの主、集団、存在達]

2016-03-14 08:01:46 | 今日のシンクロニシティメッセージ

きらきら星へようこそ...☆

 

アルクトゥルスの集団
The Arcturian Group

2016年3月6日
MARCH 6 2016


マリリン・ラッファエーレ経由
Via Marylin Raffaele


親愛なる皆さん、わたし達はひとつの愛の場所から話をして、そして皆さんに敬意を表します。そして途方もない仕事を引き受けてきた皆さんは今、それを明らかにしています。またわたし達は、脱力感、悲しみ、そして時に錯乱さえも覚えている数多くの皆さんを観察します。何故なら、皆さんは新しい視点で確認し始めて、そしてそのこころは、地上の人生がかなり異なるものになる可能性があったことを皆さんが実感することを許すほど、広がるからです。



この強烈な旅のやむを得ない下降の時代の間、皆さんが目撃するあらゆる物事はそれを支える本質的な法則を何も持たないことを認めることによって、否定性へ滑り落ちることを回避するようにしてください。決して数々の現象を否定せず、その本質を見抜く方法を学んでください。関与するすべての人々を愛し(その人々の本質を認めることによって)、そして進み続けてください。あらゆる物事に対する抵抗は、ただ単にその物事に実際には持たない力を与えるだけです。



わたし達は、変化の話題に戻りたいと思います。世界の変化を受け入れている数多くの人々がいますが、しかし他の人々は、自分達は自分が既に変わっていると考える正しい場所にいるという信念で、自分達自身で変化を忘れ(無視?)します。



新しいさらに高いエネルギーが、古く、密度が高く、そして廃れたあらゆる物事を暴露するために役立っています。依然として世界や個人達が真実で容認できる態度として維持する、先天的な沢山の誤りです。一部の世界の信念が、たとえそれがどれほど広く受け入れられているとしても誤りとして認識される時、その時その個人は、既に自分の生き方になっているものに対するひとつの不便としてそれを無視する選択を行うのではなく、この新たな意識の外に出て生き始めることが必要になります。折りに触れてモーニングコールを発信することが必要になるのは、これがその理由です。



最初は、一部の新たな意識の外で生きることは、結果として多少内面と同時に外面の対立をもたらすことがあります。内面の変化は、自動的に今ひとつの異なる共鳴に属する人々からのひとつのエネルギーの分離を創り出します。普通は皆さんが良く知る人々がいて、そしてしばしば依然として古い皆さんを認識し愛する人々と同伴します。不協和が生じることがある理由は、皆さんがもはやエネルギー的に皆さんの家族の人々、仲間達、あるいは組織の集団と同じ頁の上にいないからです。



これは、皆さんが既に皆さんが知っていて依然として愛する人々と一緒にいることを突然拒否することを意味しません。それが意味することは、単純に、皆さんがその人々と一緒にいる時、皆さんは余り共通の認識を持たなくなり、数多くの物事を違うように理解し、それが結果としてしばしば以前の親密さの緩やかな喪失をもたらすからです。



一部の人々は、自分達には手狭になったひとつの意識の状態に戻りそれを続けようとします。こうした親愛なる人々は、必死になって一部の個人、場所、あるいは物事にしがみ付き、その過去を再現しようとします。これはしばしば恋愛関係の中で起り、そこでは、一方を喜ばせてその関係を続けようとして、その個人がかつての状態であることを装う状況になるでしょう。皆さんは、目覚めた後で眠りに戻ることはできません。そしてこれを無視することは、とても人間らしいことです。



意識と自己愛は、ひとつの新しい勇気の感覚として明らかになります。他の人々が考えるかもしれないことを問題にしないで新しい物事を試みる勇気、あるいはもしかすると、一部のカルマの負債を満たしていた、または皆さんに我慢を教えていたと皆さんが考えてきたひとつの虐待的な状況から最終的に離れる勇気です。霊的になることは、決して皆さん自身が虐待的に扱われることを認めることを意味しません。



さらには共通した自虐の姿を認め、乗り越える方法も学んでください。数多くの人々が、自分自身に押し付けた精神的、情緒的、そして身体的な虐待でさえ、真の虐待であるとは考えません。皆さんは人間の姿をした神であり、皆さんは神を虐待しようとしますか?



地上で達成された霊的な啓発は、弱虫のためのものではありません。それは大いなる勇気とそれを行う勇気が必要であり、そしてそれが、皆さんがこちら側でこれほど数多くの存在達に観察され、称賛され、愛される理由です。その旅が特に特に始めが難しい理由は、以前に真実だと維持したあらゆる物事が消滅を始め、目覚めている者はまるで自分の足元をすくわれているように感じるからです。その個人の信念体系全体の安全が崩壊し、その後に疑いと怖れというひとつの極端に衝撃的な期間が続きます。その個人は、いわゆる両方の世界に片足を突っ込んでいます。



この経験は、特にある特定の信念体系に傾倒している一部の人々にとって、強烈で非常に恐ろしいものになることがあります。以前は究極の真実として維持したあらゆる物事が剥がれ落ちています。しかしその人々は、今のところまだ、誕生している新しい意識状態の強さを達成していません。進化はひとつの継続的な過程であり、地球での経験は非常に高く絶えず展開している梯子の比較的低い段階を象徴していることを、認識してください。



ひとりの個人がひとつの新しい意識状態へと進化する準備が整っている時、それが好きまたは嫌いでも、それは起ります。その個人は、その個人に準備が整っているさらに高い真実を受け入れる機会を次々と手にすることになるでしょう。そしてもしもその真実が無視されるとしても、その状態は単純に彼がそれを手にするまで新しい姿で続くことになるでしょう。自由意志はどうなっているのか?、と皆さんは尋ねるかもしれません。

 

そうです、自由意志はまさにそこに入っていて、その過程を遅くするために役立つことができます。しかしすべての経験の目的は、皆さんのありのままの姿と本当の役割に目覚めることであり、皆さんがここにいることを選択したのは、これがその理由です。



ひとつの格好の例が、ひとりの個人が霊的にさらに進化した人間関係(選択対要求)の感覚へと移動する準備が整っている時、彼または彼女は普通、失敗して傷と混乱で終わる別の関係の後にひとつの関係を経験することになるでしょう。その個人は、自分自身を他の人と比較して、今の自分がこうした概念を超えて既に進化していることを理解していない社会によって助長された3次元のすべての方法で、ひとつの幸せな関係をもたらそうと試みます。



こころの痛みや失敗は、普通は今後その個人を、ひとつの内面に転じさせることになるでしょう。そこでは、既にその個人は信じるように導かれているため、自分は既に欠けた物がなく完全であり、一組の夫婦の片割れではないということを理解し始めます。次にその個人の新しい自己の完全性の意識は、もしもそれが依然としてその個人の選択であるなら、ひとりの完璧な連れ合いとしての意識を持たずに、それを苦もなく外面に明らかにすることができます。数多くの人々に役立つ完全さは、単純にひとりの配偶者を持たずに現れる自由です。



現時点の地上のあらゆる人は、ここにいることを望みました。今は、ひとつの強力な進化の時代です。毎日より一層多くの人々が目覚める一方で、同時にその光は莫大な量の苦痛と不調和を暴露し続けています。皆さんが世界の中で観察するものによって挫けるのではなく、それをありのままの状況として認めようとしてください。長い間隠されてきた、一掃される必要性において数千年も遡る密度の高い対立と経験のエネルギーです。



皆さんが不協和を観察するあらゆる時と場所で、いつも現在の光を送り、その光を確認して、それに抵抗するかあるいは現実性になると信じることがないようにしてください。何故なら、3次元はひとつの幻影の次元であり、二元性と分離の信念に基づいた、目覚めていないひとつの集団の意識を反映している外観を持つからです。世界は幻影ではなく、人々の意識状態に応じて把握されるやり方が、その幻影です。



それはまるで、皆さんがひとつの汚れた窓を通して世界を眺めているようなものです。それぞれの新しい真実に関する意識が、その泥を少し拭き取ります。悪い外見を良い外見に変えようとする人にとってそれがどれほど難しいものになるかにかかわらず、3次元の中にはこれからもいつも何組もの両極が存在することになるでしょう。何故なら、それは単純に同じ硬化の2つの側面になっているからです。



目覚めている魂としての皆さんの仕事は、こうした見掛けを見抜こうとすることです。皆さんがただひとつの末端しか把握できない時でさえ、あらゆる個人の内部のその光を確認してください。人々が行動する姿あるいは人々の無自覚の深さにもかかわらず、すべては一体性の中にあり、一体性に属していることを、理解してください。皆さんの意識に現れるあらゆる個人についての真実を認めてください。家族や友人達と同時に、見知らぬ人々に対しても。もしも人々が受け入れる準備が整っているなら、この認識が、言葉にされず行動として選択されないとしても、実際に別の人の意識の中のひとつの移行を引き起こします。



お山の大将を演じている合衆国の政治家達を皆さんが観察する時、彼らの内面の光を認めてください。これは、彼らあるいは彼らの滑稽な態度への同意を指し示すのではなく、皆さんはさらに高いひとつの展望で確認していることを意味します。皆さんの一日を通してあらゆる個人、場所、または出来事でこれを行うことは、皆さんをひとりの光の活動家にします。皆さんは、皆さんの精神が新しいやり方で解釈する訓練を積んでいて、それがさらに深い情報源を利用する支援をしています。ひとつの蒙昧な精神にできることは、ただ万人の総意の意識の中に既に存在するものを当てにすることだけです。



数々の夢が時に非常に風変わりに見えるのは、これがその理由です。皆さんは眠っている間にひとつの深遠な霊的な課題または経験を持つ可能性がありますが、その精神は利用できる知識でそれと結び付くことができず、そのため単純に、物事を取り繕うだけです。眠りの状態の中で、大量の浄化が起っています。それで皆さんがもしも気付くと繰り返し何度もある個人または出来事に関する夢を見ているなら、その個人あるいは経験に関連いたエネルギーに属する生涯を浄化している可能性が高くなります。



現時点で起っている強烈な浄化の期間は、長い間皆さんが人々や解決されていると信じてきた物事を巻き込む可能性があります。あるいは皆さんの人生の中で一部の完全に新しい物質的、情緒的、あるいは精神的な問題が現れる可能性があります。数百もの生涯を通して蓄積されてきた細胞の記憶は、何れにしてもしばしば決して皆さんに関係のないエネルギーですが、しかし依然として無意識に持ち運んでいるものです。何らかの強烈な経験は、皆さんがそれを一掃し乗り越えるほど充分に進化するまで、数々の生涯を通して細胞の記憶の中に留まります。皆さんは今、その場所にいます。



その浄化と新しいエネルギーの統合は、しばしばひとつの個人的な疲労感や消耗感を残します。皆さんにできる時に休むようにして、皆さんが何もしていないように見えるという理由から、皆さんがある意味で失敗してしまったと、決して考えないようにしてください。しばしばその統合の過程の間に何も起っていないという感覚が現れますが、しかし霊の旅の上で、いつも何かが起っています。皆さんの普通の日常的な繁忙な日程の中で、それに関する罪悪感を持たずに、敢えてさらに多くの休息を許してください。休息または何もしないことを怠惰だと力説する信念は、単純に懸命に働かなければ食べられなかった過去の時代に起因する概念の引き継ぎに過ぎません。



物事がどのように見えるかどうかに関わらず、皆さんの物質的な身体のあらゆる部分、あらゆる器官、あらゆる機能を含めて、皆さん自身を充分に愛してください。これほど数多くの人々が、完璧に関する一部の受け入れられた基準を達成できるまで依然として自己に対する愛を差し控えようとして維持する廃れた習慣を、手放してください。それが突然現れる時に皆さんに衝撃と当惑と苛立ちを引き起こす可能性がある物事にもかかわらず、皆さんの情緒を愛してください。皆さんが確認するあらゆる個人、あらゆる動物、植物、そして岩を、愛してください。ガイアそれ自体と同時に、精霊、自然力、自然霊の王国を愛してください。何故なら、皆さんは、そのありとあらゆる王国になっているからです。皆さんはひとつです。


愛がその鍵です。

すべての物事の解決策、その終り、その始まり、その充足です。



皆さんは準備が整っています。



大いなる愛と評価を込めて、わたし達はアルクトゥルスの集団

With great love and appreciation we are the Arcturian Group


3/6/16



翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。