道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

シンプル・ライフ~悪習慣を観極める(後半)

2015-10-17 20:30:20 | シンプル・ライフ 

2015年10月17日

悪習慣をあらためるために学ぶことは、これからは特にたくさんありますが、時は今(身体を得てこの世にいる僅かなとき)しかありません。

眠るという習慣を遠ざけ、学ぶために眠らないようにする、いわゆる不眠を無理なく実践することが悪習慣の根を絶つための極意です。

眠気の正体は一般俗的であり、賊(五賊)にその因があります。

※  五賊:喜・怒・哀・楽・慾を言います。五賊は五徳(仁・義・礼・智・信)を制して屈服させる因となります。

眠気をもよおす因には、腹を満たすことが第一にあり、体を暖めることが第二、五賊を戒めるために足を暖めることは必ず避けるべきです。

常に心を正位に置き、回光返照するのは、不眠を目的とするためです。

※修道は必ず回光返照しなければなりません。外に向かっていた思いの向きを内に回すことを回光返照といいます。内の自分の心地を照らしながら外の劫難因縁を照らすと自ら大慚愧の心生じます。

妄想や妄念を生ずると、おのずと姿勢が悪くなります。

ただちに転念して、もし臥せても心身の正位は変わらないようにします。

すなわち諸作(何かをする)を為す場合に一瞬とも投げやりにしないことです。

物を投げ捨てたり、事を急ぎ済ませたりせず、ゆっくりした動作をするようにします。

もし、邪念が混じり心に焦りがあるのは、すでに正気に欠けています。

多言、妄言、虚言に(常に)意識があるのは、すべての元凶で誤りはさらに極大になります。

悪習慣を改めるため、身を修めたいと言いながらこのようであれば、恥を知らない大恥です。

小さいことから大きく崩れ、小と思うものは実に大きいものです。

眠るのは、意を失います。

不眠は浩然の気を養う根源にして、そのように無意、無念、無想にして天人合一の機会を得ることができます。

※  浩然の気~眠ることによって失う「意」は、意識のことで日常茶飯のことですが、眠らない状態で正位を整えて、意も無く、念も無く、想も無い境地、その超脱した境地が得られる、段階的な気で、元気(3次元)・精気(4~5次元)・神気(7次元以上)の最上の神気をいいます。

 

Deshi A :年をとると自身の制御が利かなくなり、それまでの悪習慣によって、多言、妄言、虚言が目だってきます。目で物を見るエネルギーも遠くを見れば、それだけ遠くまでエネルギー(気)が放出されます。内気がすかすかになれば、気力・体力が落ち万病の原因になります。何よりも調和を欠き周囲との混乱を引き起こします。座禅や瞑想で色々な体験をするのも正・邪があります。すべての悪習慣の種は、賊にあり、食魔や睡魔との根本的戦いが常にあります。

おばあちゃんが、日向ぼっこしながら手仕事をしている光景は、言いようのない温もりを感じますが、気を充実させる人間の智恵というのはこんなところに発揮されているのかもしれません。


サウル~多くの人数の「光を担う者」、「ライトワーカー」、「道の体現者」達が「地球」上に・・・

2015-10-17 14:48:57 | Way showers :道の体現者

今日のキーワード

Light bearers :ライトビアラーズ(光を担う者) 

Way-showers : ウェイショウワーズ(道の体現者

 

転載元:ソウルカメラのblog

2014年8月5日 ジョン・スモールマン経由

 

Chios 1

(訳者より;原文の「Light bearers / ライトビアラーズ」、「Light workers / ライトワーカーズ」、「Way-showers / ウェイショウワーズ」を、それぞれ「光を担う者」、「ライトワーカー」、「道の体現者」と訳しております)

 

あなた方の覚醒は保証されています。あなた方のとても多くが疑っており、時としてその疑いが激しいので、私はあなた方を安心させるために、ここでそれを再保証いたします。疑いの心があると、それであなた方が衰弱して暗鬱な幻想の無常観に陥ってしまうので、そういうことのないように、疑いの心はなだめられる必要があります。あなた方は全員、幻想を達観するようになるところです。そうしてこそあなた方は、幻想を客観的に見つめることが出来ます。そして、一見幻想にしっかりと根ざしてそれに関わってしまっている人達を、客観的に見ることが出来るようになるのです。それも、優しい同情の目で。なおかつ、多くの人達が経験中である痛み苦しみに、自分が引き込まれることなく。

 

あなた方の使命は、自分がふれ合う全員に、「光」を広げることです。「愛」を広げることです。癒しを広げることです。そうするためには、あなた自身があなた自身の中の「光」と「愛」を感じる必要があります。あなたが共有出来るのは、あなたにあるものだけです。ですから先ずあなたは、「自分にはそれがある」ということが分かっていなくてはなりません。それから、とりたててそれを考えることもなしに、簡単に気前良くそれを他の人達。。。つまり自分自身に、共有してください! あなた方は「愛」の神聖な存在達です。この言うまでもなく当たり前の事実を、自覚したままでいてください。その状態で居続けると、あなた方は自分自身に対して快く感じます。自分自身に対して快く感じれば、あなた方は「愛」を行動で示します。そして自分自身であることによって、「愛」を共有して広げます。そうして、あなたが会って語り合う人達が、あなたという存在によって精神が高揚して、彼ら自身もまた、自分自身に対して快く感じる、というわけです。

 

人々が自分自身に対して快く感じると、ハートを開いて、「愛のTSUNAMI」の神聖な抱擁が自分を包むことを許します。そして、人類のハートを開かせることこそが、「愛のTSUNAMI」の目的なのです。「愛のTSUNAMI」はあなた方の一人一人の中を24時間365日、年中無休で流れています。心配や疑いで打ちひしがれると、その流れが弱まります。ですから、感情的にもエネルギー的にも自分を干上がらせるものは、何事によらず捨ててください。必ずそうしてください。そしてそうするための助けを、私たちに頼んでください。あなた方の覚醒プロセスの、このきわどい段階で、「愛」の流れが激流になっています。ですから、あなた方の「導管」を、全開の状態に保っていただきたいのです。「愛」が惑星の至る所、誰もが皆に流れることが出来るように、あなたという導管またはチャネルが、全開無制限である必要があります。あなた方は、「地球」の全てに「神の愛の光」をもたらしながら、この堂々たる素晴らしい仕事を援助するために、人類の覚醒プロセスのこの瞬間に生まれ合わせています。

 

この神聖な仕事を行う能力も適性も、自分にはないのではないだろうか、などという、どんな疑いをも捨ててください。あなた方は全員、その能力と適性の故に、人類の覚醒プロセスに参加するように招かれたのです。そしてあなた方は全員、熱心な「はい!」をもってそれに応えたのでした。あなた方は誰一人として、偶然にここにいるわけではありません。だからといって、ここにいてあなた方の多くが疑う余地なく苦しんでいるというのであれば、それは罰である、というのでもありません。あなた方がここにいるのは、「時々困難で痛みを伴うことにはなるだろう」ということを知りながら、この驚くべきイベントを手伝うことを最も喜んで選んだ、神のような神聖な存在、それがあなた方だったからです。また、あなた方は、次のことも知っていました。そしてあなた方は今でも、このことを自分自身の内側深くで知っています。それは、「私が関わり合っていることは、常に完全に達成される神聖な『意思』との作業なので、失敗は万が一にもあり得ない」ということです。

 

この時に、莫大な人数の「光を担う者」、「ライトワーカー」、「道の体現者」達が「地球」上にいます。それらの他の仲間と、実際に身体的にでも、インターネットによってでも、意図的に会おうとしてください。そして、新しい関係を持つことにオープンであってください。あなた方全員が保持して共有している「愛」が、他の人達の中の「(愛)それ自体」に引き寄せられます。ということは、言うなればあなたがそれに対してオープンであれば、覚醒プロセスを手伝っているスピリチュアルな道にいる他の人達に、神聖な方法によって会うことになる、ということです。覚醒への道のりにある人々との新しい関係を持つことは、あなた自身の信頼と意図を強めます。そして、あなた方全員を覚醒に向けて連れて行っている神聖な勢いを、増します。

 

あなた方に進行中の疑いと不安を、私たちは非常によく知っています。特に、地震や洪水に付随して、戦争や紛争のニュースが、「全てが、あるべき姿ではない」ということを示すように思われるので、あなた方の疑いと不安も、ひとしおです。全世界中で平和が軽視されているように思われます。多くの人達を更なる対立に向けて駆り立てている憎悪や怒りが、いつまで続くか見当もつかないように思われます。しかし、信頼出来る何人かのチャネラーによって伝えられたように、これは、葬られたり無視されたりした問題の量が、あまりにも莫大である、ということによるのです。そこにもってきて覚醒の瞬間が間近に迫っていることもあって、「愛のTSUNAMI」が人類に問題に立ち向かうように要求している、ということなのです。

 

これらの問題は、古いながらも、根強い怒りと憤慨なのです。暗黙のうちに自分たちが信頼した者達によって、裏切られ虐待された人々 ー 「地球」のほぼ誰しもが、人生のある時期に裏切られ虐待されたことがあります ー は、それが起こったときに酷く恐ろしかった思いがあるので、それらの問題に直面することが出来ない自分を感じます。つまり、怒りと憤慨は根強い、というわけです。しかも、これらの苦しみが彼らが幼い子供の頃に起こったことから、彼らにはしばしば罪悪感があります。まして幼い子供はしばしば、他人がしたことのために罪悪感を感じさせられるものなのです。

 

ストレスが溜まっていて、疲れきったと感じる、そして多分、さしたる理由もなく急に泣き出してしまう、そんな自分自身に気づいたら、それは、あなた自身の持ち物(問題)が、あなたの注意を求めている、ということである場合があります(通常は徴候があるものですが、「それはあなたの持ち物ですよ」という事実をあなたにお知らせするために、記憶がフラッシュバックするのです)。あるいはそれは、次のような場合があります。あなたは、そうすることに同意した上で、惑星の他の人達を助けている場合があります。あなたの知らない、決して会ったこともない人々の痛みや苦しみを、あまりのエネルギー的な衰弱で彼ら自身では解消することが出来ないでいるので、あなたが彼らに代わって解消してあげている、そういう場合もあるのです。それは、一つのスピリチュアルな使命です。あなたが引き受けた、重要な意味合いを持つ、一つのスピリチュアルな使命なのです。あなたがそれを引き受けることになるのは、あなたには豊富な体験があるからです。あなたのその、よく発達した「許し」の力によって、そうした類いの苦しみを解消することに、あなたは長けているからです。そして次のことを知っていてください。もしあなたがそうである場合、あなたはなんと素晴らしくも、大いに祝福されています。そして、あなたのその、人類を覚醒するように助けたたゆまぬ努力により、あなたは最高に栄誉ある称賛で、「故郷」に歓迎されて迎えられます。

 

もし、あなたがこうした類いの症状を経験している場合、それらは、「あなたは、自分のエネルギーを干上がらせるような、途方もなく大きな負担を経験中である」ということを示しているので、自分自身に親切であってください。さすがにこれでは、自分自身が目覚めた状態のままでいられない、と感じる場合は、休憩を取ってください。邪魔されることなく眠れる場所に赴いてください。勤務中でそういう施設もない、という場合は、マイカーがあればそれを使うことだって出来ます。または、静かな避難場所として、最寄りの教会(寺社)があります。さもなければ、そうすることが出来る、あるいはおそらくそうすべき(「すべき」という言葉を使うのは私はキライなのですが)手として、病気を理由に帰宅する手もありますよ。この種の弱った状態にある時には、あなたの仕事は酷く限られますから、そうすることが、全く有意義なことなのです。

 

この覚醒プロセスを手伝うためにあなた方の一人一人が引き受けた計り知れない仕事により、あなた方は、心から愛され、心から尊敬を受けていることを、知っていてください。あなた方がしていることといったら、並々ならぬ妙技なのです。それこそ、自分自身のあらゆる側面をもってして、はじめて出来るようなことなのです。ですから、いつだって自分自身を親切に扱ってください。特に、自分が誰かを怒らせてしまったと見える場合とか、マジでヤバいエラーをしてしまった、という場合は、したがって、だからこそ自分自身を許すのに躊躇しないください ー 「神」は常に、すぐにあなたを許します! あなたは、相当なストレスに見舞われているのです。そのことを自覚して、それを見越した上で日常生活を送ってください。

とてもとてもたくさんの愛を込めて、サウル。

 

http://johnsmallman.wordpress.com/2014/08/05/there-are-enormous-numbers-of-light-bearers-workers-and-way-showers-on-earth-at-this-time/

翻訳 ソウルカメラ


聖なる結合 by 大天使ミカエル

2015-10-17 14:31:22 | 今日のシンクロニシティメッセージ

Kryon - 壮大な自己の3分割 ~ Lee Carroll

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大天使ミカエル

聖なる結合

聖なる男性の輝きが回帰して調和する

Celia Fenn 2015-10-14

光のファミリーの皆さん、先月はルミナス・ライトの波が地球を洗い流したために動揺が起きた月でした。しかし、この波は新生地球の神聖幾何学、そのクリスタライングリッドに吸収されました。その新たな光の周波数によって、皆さんが古代の聖なる神の力、あるいは創造知性の光のコードに繋がるので大きな喜びの時です。

光の天使界の私たちにとって最も興奮するのは、この新しい周波数で神聖な男性がグランディングしたことです。聖なる女性の美しく優しいエネルギーによって神聖な男性の降下が可能になり起動しましたが、それが、5次元の新生地球の周波数に表れます。

8月の8/8/8に始まったこの光のコードの波は、11月11日(11/11/8)の聖なる結合の瞬間に頂点に達します。この日、男性と女性の神聖な周波数が新しい輝きを帯びて結びつき、一つに調和して高次元エネルギーの神聖な神の力を放ちます。

皆さん、これは、地球に混乱をもたらしてきたエネルギーが、皆さん内部とライトボディ、そして地球のライトボディがもっと調和していくということを意味します。更にバランスが取れる結果、調和とハーモニー、優しい愛のある地球に生まれ変わって行きます。古い3次元のエネルギーは支配とコントロールでしたが、その古いエネルギーは雲散霧消するので、新生地球では益々居場所がなくなります。

絶え間なく変化する中で、3次元と5次元の地球はどこが違うのか、5次元にいることはどうしたら分かるのかと多くの人が疑問に思って来ました。

皆さんは3次元の2極的世界に生きてきました。その相反する世界の基盤が、規制とコントロールによって成り立つ権力構造と不均衡・格差でした。たとえば、男性と女性の間には、一方を規制しコントロールする長い不均衡の歴史がありました。

かつて、始めは、母系社会が存在しました。そこでは女性的な力が強く、女性は権力を掌握し社会を支配していました。その社会が父系社会にとって代わり、男性的な力が優位となり社会を支配しました。どちらの場合も、バランスに欠け、一方が他方を支配する形になりました。

どちらの場合も不均衡であり、宇宙の中心から流れる聖なる光とコードを反映していませんでした。

新生地球では、男性女性の神の力が、5次元社会で完全に釣合って、他方を支配することはありません。よって、人口の大半を弱体化させる社会構造はなくなります。

5次元はユニティとハーモニー、ワンネス、バランスの構造です。皆さんが5次元のリアリティに目覚めると、これまでの社会がいかに“偏って”いたか、いかに混乱を招くかを深く感じとり、ゆっくりとバランスを回復するにつれて古いものが消え始めます。

そのような変化が起こる最初の徴候は、まるで世の中は狂っていると感じ、平静を保つのが難しくなることです。皆さん、それは、皆さん自身の“軸”に再編が生じているからですが、今後数年かけて内面的なバランスが回復し落ち付いて行きます。世界中のあちこちで起きた“大変だ”と思えたことは、今や、混沌と混乱としか思えません。そして、そのような混乱の中で自分の“立ち位置”や“居場所”を見つけるのが難しいと思います。そういう理由で、皆さんの今後の居場所は、高い意識という新生地球の中にあり、それが現実になります。皆さんのすることは、平静を保ち、皆さん自身が新生地球を“現実化するポイント”になれるように高い周波数を保つことです。皆さん自身が5次元体でいれば、周りで新しいアイデアや発想、高次の知恵が、具体的に現実になったり、自分の中に流れて来ます。                                                       

ですから、混沌の中で対処するには、自分は、内面的平静さを放つ灯台であり、その発信者であることを忘れないことです。それには、内面で聖なる結合を果たして、平和とハーモニーの5次元の光のコードが自分のライトボディから身の周り広がるようにすることです。そうするかどうかは、ライトワーカーや光の戦士であり、この転換に参加するために地球にやって来た皆さん次第です。

聖なる男性の輝きの意味

聖なる男性の輝く周波数が新生地球に根付く時は、今までとは全く違う男性エネルギーが生じるのが期待できます。

神聖なエネルギーに繋がる男の人にその輝きが見られるでしょう。そういう男性は、聖なる結合を果たす時に、聖なる女神に結びついた女性と関わるようになります。しかし、その関わりでまた、内面の聖なる結合の他方の側である聖なる男性を表したいという女性の一面を表わすことにもなります。

新しい聖なる男性は、愛を実現する光の流れに基づくエネルギーです。それを最もよく表わすのが“鳥人”です。先住民族の間では、鳥人は、のような格好をしたシャーマンでした。シャーマンの役目は、祈る人たちの願いを神に届けることでした。キリスト教では、鳥人は、神と人間を取り持ち、その橋渡しをする天使でした。

だから、鳥の種族が人間の意識に戻ってきて聖なる男性が再度地球に根付くことは明らかです。その後に、人間と神聖なハートに直接橋が架かるでしょう。聖なる男性のエネルギーを持つ人は、人間社会と神聖なハートの架け橋になるのです。

そのような人たちは、地域社会や文化を大切にします。彼らは、地球の大切さを理解し、後世の人たちにその大切さを伝えるので地球の管理者になります。

彼らは、生きとし生けるものを大切にし、愛と光であらゆるものとの友情を尊重します。そういう人たちの関心は、愛をかけあって支え合う、責任ある地域社会的な活動です。彼らは尊敬を集め、高潔にして誠実です。有言実行で、誠心誠意で実直、そこには力が溢れています。内面とライトボディの輝きが溢れ、その人柄と行動で尊敬されます。

均衡時の肉体的症状・感じ方

皆さん、間違いなくこの変化はパワフルです。9月の秋分の月食は、地球にこのエネルギーをもたらす一助になりました。そして、神の第一のコードを持ったその波が皆さんに押し寄せてクリスタライングリッドに入った時、身体面、感情面、思考が興奮し、また疲れた状態に陥りました。

その期間、エネルギーが大量に注いでいろいろなアイデアや新たな機会になったかもしれません。実際、先ず何をしたらいいか、あるいは収拾のつけ方が分からなくなったほどだったでしょう。

その後に、平坦な期間が続き、疲れすぎてただ休みたいと思ったでしょう。その時は、強いエネルギーと光に曝され、体がそれに順応する時なので、休んでよかったのです。しかし、まさにそのエネルギーと光が、この新たな男性のエネルギーなのです。

バランスが取れだすと、人生に対して前向きになりながらも落ち着いていることが楽になります。思いやる気持ちが高まって、子供や今後の世代のために地球に関わろうとする願いを強く感じるでしょう。祈りと願いによって神のハートに光が架けるのでポジティブで高揚した気分になるでしょう!

聖なる結合と神聖な意識

11月11日のポータルでそれまでの新しいエネルギーが均一になります。11月11日は、天と地のダイヤモンドの光のポータルが完全に開く、パワフルな時になります。そして地球が更に高い周波になり始め神のハートにもっと近づきます。皆さんは宇宙の神聖なハートに歩調を合わせることも出来ます。

11/11で、皆さんは今年、銀河レベルでも個人レベルでも「聖なる結合」という宇宙の祝福を受けるでしょう。銀河レベルでは、地球は聖なる男性と女性という聖なるハートの2つの力に十分に繋がります。それによって地球は5次元のユニティ意識に引き寄せられていきます。

個人レベルでは、自分の内面的な力や誠意と連帯感を感じて行きます。心は源のエネルギーに向かい始めます。

また、人間関係では、力強いバランスを感じ、聖なる意識をもつ関係を求めていきます。それは、神聖な結合と愛を基盤とする関係です。その関係は神のハートの祝福を受けます。私たちは、その件についてこれからもっとお話しして行きます。

11月11日の聖なる結合に向かう皆さんに、多くの喜びと愛がありますよう、願っています。

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シンプル・ライフ~天のデザイン

2015-10-17 13:58:03 | シンプル・ライフ 

The Lord of the Rings

 2015年10月17日

人類の秘法(道=真理)その鍵がどのように伝えられてきたのでしょうか、正しい宗教の経典にはその極意が伝承されてきましたが、時代が下るほどに異端が跋扈しその解釈は有名無実となってしまいました。

老子には元始(ゲンシ)、孔子には項屣(コウモ)、釈迦には燃燈佛(ネントウブツ)が秘伝の法灯を伝授しました。

老子は、道徳経、第一章の中で「道可道、非常道、名可名、非常名、無名、天地之始、有名、万物之母、故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其竅、此両者、同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門、」

【解釈】:道というは、常にいうその道ではない。その名でもない、名が無いが、「天地の始め」であって、その名をあえて、「万物の母」という。つねに無欲である故にその妙を観る。「天地の始め」であり「万物の母」この両者は、同じ根源から出ているが、名を異にしている。これを玄(玄関)という。玄の中の玄を、あらゆるものを生み出す神秘の中の神秘、それを衆妙の門という。(衆妙の門:多くの人々に付与された命の微妙な出入り口)、玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源、と解釈してます。

※  「玄関」と言う日本語の漢字は、中国では使われていません。仏教の経典の中にしか使わない聖なる言葉を日本語では人の出入りする「戸」のある場所、聖なる「玄関」と言う言葉を日常に使っています。

清静経では、「大道は無形にして天地を成育し、大道は無情にして、日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す。吾その名を知らず。強いて名付けて道という。」

 ※老子は道徳経・清静経・黄庭経の三経を遺しています。

【解釈】:大道は本来形象はないが、よく天を生じ、地を育てることができる。本来感情はないが日月を運行することができる。本来名称をもって表現できないが、天地間の万物を養育することができる。私自身、その名前を知らない。それで強いて道と名付けた、と伝えています。

釈迦は、弟子スプーティに「解脱に至る道(真理)は、どのような道でしょうか。」と問われ、「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一(真理)を得ることが、その一切である。」と答えました。

また、摩訶迦葉に法灯を伝える時「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す。」「粘華微笑、玄嚢鼻直」と説き、正しい法が眼の蔵(老子:谷神)にある。それは涅槃(天国)へ通じる道で、あるといえば無い、無いようである、微妙な法門である。文字を立てず(文字に表すことはない)、教えの外に別に伝える(誰にでも教えるものではないし、教えるというものでもない)、一人から一人に単伝独授するもので、これを摩訶迦葉に附嘱(一指相伝)し、その機微を顕しました。そして鼻を捻って微笑し(粘華微笑)それは鼻の玄嚢の直すぐ上である、と記しました。

達磨大師は釈迦以来の四諦句として「教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏」とその奥義を禅宗に遺されました。一つ一つの四字成語をよくよく観察してみて下さい。どの経典でも、これは名のつけようもなく、経典の文字をいくらあさっても解るものではないと伝えられています。

一指相伝:一を指して相伝える、直指人心:直かに人の心を指す、など似たような表現ですが、ではそれが具体的に何を意味するのかと考えると曖昧になります。つまり求めなければ得られないものの特徴です。

 

また、面目と言う言葉は、顔面の目と言う意味であり、すなわち「大元である」という意味ですが、熟語には「面目一如」一の如く、「面目一新」一に新(親)しむ、「面目躍如」躍するが如く、「一」に関することでそれによって改まること飛躍(脱皮)するとは…、このように日常の様々な言葉の中に「道:真理」は隠されています。

この「道」は、無形無相、無声無臭で、見ることも聞くことも嗅ぐことも触れることもできません。これが道の実体です。

イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれも私(道)によらないでは、父のみもとにゆくことはできない。」 (ヨハネ伝第14章)と言いました。

※    イエスの墓が青森県三戸郡新郷村大字戸来にありますが、地名の「三戸」「戸来」あるいは「戸来人」などの「戸」の由来について論語の中で次のように解釈しています。

雍也第六:子曰誰能出不由戸何莫由斯道也

解釈:子曰く、誰か能く出づるに戸に由らざる。何ぞ斯の道に由ること莫からむ

真理を得ていない場合は次のように教訓的な解釈になります。

「誰か外に出るに戸によらないものはない、どうして、(生きるに)この道によらないことがなかろうか。普通戸の無いところから出入りすることはなく、人は、無意識的に戸を用いる。道路も、無意識的にそこを通るが、もとからあったものでなく、人々が往来するから道路となったものである。道路には通る人々により、悪しき所に通じるものも、善き所に通じるものもある。道とは、ここでは、人が生きる道のことであるが、さまざまな道がある。無意識的に生きているのかもしれないが、先人の道を辿っているものである。(周公のごとく)生きた人の道(斯道)によるべき、・・・」

孔子が伝えているのは「人間の魂はどこから来てどこへ往くのか、この戸による・・・」つまり、元きたところに帰る道のことでした。

神は、イエスによって「道であり、真理であり、命(性命=霊)」ものを証するために、十字架で磔の機会を与えました。この時の場所は「ゴルゴダの丘(しゃれこうべの丘)」でした。つまり人の頭の部分です。そしてイエスと共に2人の盗人が処刑されました。三人が同時に磔になりました。

汝姦淫するなかれ”と言いますが、姦淫の源は目にあります。目で色を見ることで心が動じ罪を犯します。つまり左右両目は磔になった2人の罪人で比喩し、イエスは真中の十字架で〝私は真理である“ことを比喩しました。

また仏教の「如來」は、済いとは「菩薩が來るが如し」と言う意味に使います。この「來」と言う文字は「十」の字に「人」と言う文字を3人を書いた字です。つまり十字架に3人が磔になったことと同じになります。

如=女の口=玄牝之門(老子道徳経で“玄なる牝の門”と表現)

來=十(十字架)に从(罪人が2人従う)もうひとり、「人=キリスト」が真ん中にいて十字架に人が3人、3っの目を意味していました。

 

そして「戸」と言う文字について、聖書の中で「戸をたたく」と言う真理に関する機密の表現がありますが、「戸」の「一」の字を取ると「尸」(しかばね)と言う字になります。「一」は「点」の伸びた形で、「一なるもの」の意味です。つまり真理の表現です。「尸」が「一」を得て「戸」になる、つまりこの「戸」が「真理」を表現しています。京都の大文字焼きの「大」の字も「人」が「一」を得て「大」になる、やはり「一」が真理であることを継承しています。

キリストの墓がある「三戸」「戸來」の地名については、東北方面の方はご存知のように青森県には「一戸」「二戸」と言う地名があり、キリストの足跡が秘められていると思われます。

「戸來」は「如來」と同じ意味で、そのときがくれば十字の秘密が公開され、真理が得られることを印しています。キリストが日本に、しかも東北に来た(さらに南米に向かったと言う説もあります)ことの意義はやがて歴史の真実として明かされ、世界がひとつになり、宇宙とつながる史実となってきます。聖人はそのために足跡を残すべく天命を担っていました。

昨今、次第に歴史の真実が明らかになってきていますが、「真理」に基づいて歴史が明らかになるのはこれからです。エジプトも中国もどの古代文明もすべて十字などの形象で顕した「真理」を探求する歴史そのものでした。天のデザインは細微に渉っています。                                                                   

 


道の真象

2015-10-17 13:54:18 | 道・真理・ Deshi A

2015年10月17日

天地の始めは、これというなんら形のない混然としたもので、声もなく、臭いもない、極めて虚にして、神なる実に無一物の境地でした。道教の祖、老子様は「無名にして天地の始め、有名にして万物の母」と申されましたが、これを表現しようがないので、天地の始めを「○」にかたどり、万物の生ずる状態を「一」にかたどりました。

ー万教帰一(すべての教えは「一」に帰る)ー

道は大にして無名であります、故に『強いて名づけて道という』のであります。又、道は大にして無形であります、故に『強いて圏「○」を以ってこれをかたどった』のであります。では、圏「○」はなんであるかを追求しますと、一の静止した姿でありまして、虚なる「一塊の真理であり、又道の全体であります。一は圏の動いた姿であって、宇宙一切万物を生じる母体であり、万物はその実在の現れであります。これを「一本は万殊に散る』と言い、又『道の達用』と申しております。

圏が動いて一が生じ、一が縮まれば点「・」となり、点「・」を伸ばせば一となります.そこで実に圏と一と点は動静と伸縮の違いであり、変化して極まりないものであります。之を放して拡大すれば六合「東西南北上下、すなわち天地宇宙」を満たし、無際限の状態で伸長するので「一」を以ってこれを表し、又、之を巻いて縮小すれば密(極めて微細なもの)にも蔵められるので点「・」で表現したのであります。拡大すれば大にして外になく、縮小すれば小にして内にありません。故にこの道は天地に行きわたり、一切の万物を含んでいるのであります。実に不可思議な働きをするので『真空妙有』と申されましたが、あらゆる万物の生霊を支配する主宰者であります。

ー神道の真象も同じー

この主宰者は天にあれば「理」と呼び、人に宿れば「性」と名づけられます。そこで理とは万物の本体を統一するところの性であり、性とはあらゆる物の各々が具有する所の理であります。人々は各々その性をもちながら、その有ることを知りません。若し、この性をお把握することが出来れば、大悟した神聖の境地になられます。然し、これに反して理を迷い、性を把握することがなかったならば、鬼魂の世界に落ちなければなりません。

故に『千経万典は一点に如かず』と申しまして、如何に多くの経典を読んでも、「名師の一点」を欠いては、何もならぬと申されたので、「一点」が如何に大事であるかを知ることが出来ます。この「一点」は、孟子様の四端 『惻隠の心即ち仁の端、羞悪の心即ち義の端・是非の心即ち智の端、辞譲の心即ち礼の端』 を統一し、その中に万善を包含しているのであります。これを図表すれば縦は智と礼になり、横は仁と義になりまして、四端の交差する中心に信があるわけであります。孔子様は 『人にして信なければ、その可なるを知らず』 と申され、人間にもし信がなければ、何事もあてになるものではないと申して、この重要性を説いた訳もここにあります。

ーキリスト教はじめ古来すべての十字架が示すのは十字の中心の「点」ー

又、その重要性を縦に書いて「|」となし、横に書いて「─」としたのは体と用(本体とその働き)とを十字の形に現して、その縦には経と理が、横には緯と数が入るのでありますが、この意味を深く玩味し、探究するならば、誠に極まりないものがあります。故に老子様は清淨経に『大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す』 と申されました。道は未だ天地が成立せぬ時、その本体を立てられ、既に天地が形づくられてからは、その運用を拡大して天地万有に及ぼしたのであります。

ー道の淵源ー