道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋(バイカル湖)-3

2015-10-14 05:23:07 | 今日のシンクロニシティメッセージ

奇妙な旧世界 >

公開日: 2015/08/30 : 最終更新日:2015/10/06   奇妙な旧世界, 謎の古代文明 , , , , , , ,

(2)の続き

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そして、これは2012年にロシアのテレビ局が制作した『Mysterious Russian――Saha.Traces of an alien civilization』でもキチンと検証されている。

たしかに、大元のソースは博物学者の調査によるものだった。
これは、なんだかワクワクするものである。

たしかにリヒャルト・マークは死の谷で『何か』をみたのだ。

これは実在を信じる者にとって、大きな追い風となる。

では、『実地調査』はどうだろうか。
大鍋や、ドーム、そしてキノコのような構造物。ここまでにそれらを探し、得られた情報は本当に死の谷の真実――特異構造物に迫っているのか。

まず、『丸い沼』を見つけたイワン・マッケールの調査に目を向けてみよう。

マッケールはパラモーターを使い、死の谷に怪しい地形を発見した。
それは円形の沼で、沼の底には金属らしい硬いモノがあったと。だが、『呪い』のような力がマッケール隊を襲い、それ以上の調査は不可能になった。

こういう話を聞いて、「だらしねぇなぁ。俺ならちゃんと調べ上げてみせるぜ。よし、いっちょやってみよう」と考える好事家はオカクロ特捜部だけではない。
インターネットを通じて、世界津々浦々のフォーティアンが立ち上がった。せっかくの情報化時代の波。乗るしかない このビッグウェーブに。

そうしてワラワラとフォーティアンの集まるフォーラムで、Google Earthを使って怪しい場所が特定された。
この場所【Google Earthリンク】がそうだ。
アクセスするのも手間かと思い、画像を貼っておく。

有志によって特定された、マッケールの円形沼。 クリックで拡大。<noscript></noscript>

有志によって特定された、マッケールの円形沼。
クリックで拡大。

IT革命の勝利である。

しかし、他の湖沼と比べれば、なんだかマッケール沼は干上がっているように見える。仮に本当に干上がっているならば、そこに鍋がないと我々のロマンが失われるわけで、少しソワソワしてしまう。
枯れ草や泥の下にあるのかも知れない――と誤魔化さず、ここは冷徹に懐疑的視線で見つめてみよう。

そもそも、この永久凍土にポツンとたたずむ円形の沼は、『鍋の傍証』と成り得るのか?

おそらく寒冷地に知見のある――ないし永久凍土フリークの諸兄は、こう言うはずだ。

いや別に珍しくなくね? これピンゴだろ」と。

ピンゴとは、凍土の湿地帯に生じる小さな丘のことである。事典にはこうある。『平らな湿地帯の中にぽつんと盛り上がる小丘で,丘の内部には氷が詰まっている。高さは数mから60mくらいまである』

地下に生まれた氷塊が、表面を盛り上げて小さな丘を形成する。これをピンゴという。
そして、厳寒期が過ぎると氷の丘も地下の氷塊も溶け始め、沼を形成する。

ピンゴができるまで。<noscript></noscript>

参考画像:ピンゴができるまで。ほとんどのピンゴが最終的には円形の沼になる。
画像出典:ASTROLABIO

そう。
べつに丸い沼は珍しくない。
周囲によく似た地形が多くあった」とマッケールは言うが、それらもピンゴである可能性は高い。

そして、そのまま懐疑的視点で見れば、沼の底にあった硬いモノの説明も容易い。氷だ。
最後まで残ったピンゴのコアが、溶けきらずに沈んでいるだけ。地表下に集積した集塊氷だろうね、と懐疑論者は氷よりも冷たく言い放つだろう。

なんだよ! じゃあマッケール隊を襲った体調不良は何だって言うんだよ! 呪いって言ったじゃん! 竜王の呪いって言ったじゃん!

と諸兄は憤るかも知れない。
だが、かの地は永久凍土。これも説明をつけようとすれば簡単だ。

メタンガスだろう。

永久凍土にはCO2やメタンが多く含まれ凍土の融解と共に大気中に放出される。
近年、地球温暖化の影響もあってか、永久凍土の融解が早まってきているとの見方があり、大規模な気候変動をもたらすであろう膨大なメタンは『時限爆弾』とまで表現される。

それら『温室効果ガス』が凍土の溶けつつある死の谷にも存在することは疑うまでもない事実。
そしてぬかるみだらけの湿地帯を歩くと、地中の『ガス溜まり』を踏み破ってしまう可能性があることも想像に難くない。

つまり『竜王の呪い』は、それらのガスを吸引した事による中毒症状であると考えることが出来る。

そして、凍土から浮上したメタンやリンなどを含むガスが、何らかのきっかけで引火発光し、大気中に『火柱』や『火球』を形作ることも――あるかも知れない。

大鍋はともかく、『未知の金属で出来たドーム』に関しては、リヒャルト・マーク教授の著作から引用した部分に該当した箇所が見つからず、ソースが判然としない。膨大な著作全てに目を通せば「内部で一泊した」という記述を見つけることが出来るのだろうか。ロシア語に堪能な諸兄は是非挑戦してみて欲しい。

では、『ATフィールドっぽいバリア』はどうか。

これは、月並みなことしか言えないが、レンズゴースト、ないしレンズフレアの可能性が高いと思う。

参考:レンズゴースト。 レンズゴーストは写真を撮影する際、光源がレンズに向けられた時に生じる現象。 pexels.com<noscript></noscript>

参考:レンズゴースト。
レンズゴーストは写真を撮影する際、光源がレンズに向けられた時に生じる現象。
画像出典:pexels

撮影者であるパブロフたちが目撃、および撮影した時刻はソースが正しければ午前3時から午前6時の間。
撮影された年は2008年6月7日。

調べてみれば、その日、死の谷周辺地域の日の出は4時18分。
ちょうどライジングサンが地平線を明るくし始めた前後に撮影されたことになる。地平線から少しだけ顔を出した太陽が、レンズゴーストを生んだのではなかろうか。
写真で見るかぎり空もなんとなく白んでおり、よく見ればバリアの外周が虹色になっている。

写り込んでいる星座の位置から、本当に死の谷で撮ったのか、本当にその時間に撮ったのか――が特定できるかも知れないが、そこまでするのも嫌らしいし、能力もないのでやめておく。

これが本当にレンズゴーストかどうかは定かでないが、残念ながら、どうも確たる証拠とは言えそうにない。

懐疑派の諸兄などはバリア写真を見て、「フッ……あきらかにレンズゴーストではないか。こんなモノを見抜けないとは、お里が知れるなオカ番マツカク。約束通り今日からこのサイトは我々諸兄連合とASIOSがしきらせてもらう」とお怒りになられたかもだが、ご容赦いただきたい。夢を見たかったのです。夢を。厨二病な夢を。一瞬でも夢を……。

マーク教授が入った洞窟内見取り図。 ひとつ、いるかどうかはわからないが、後追い調査をせんとする諸兄のために書いておく。 この見取り図であるが、大元の出典が掴めなかった。少なくともマーク教授の著作の挿絵ではない。 マーク教授の記述を元に描かれた想像図――と言いたいトコロだが、そもそもマーク教授が『洞窟に入った』『ドームを見た』という話自体のソースが不明。ゆえに『大鍋』以外は捏造である可能性が否めない。注意されたし。 bibliotecapleyades<noscript></noscript>

マーク教授が入った洞窟内見取り図。
ひとつ、いるかどうかはわからないが、後追い調査をせんとする諸兄のために書いておく。
この見取り図であるが、大元の出典が不明である。少なくともマーク教授の著作の挿絵ではない。
マーク教授の記述を元に描かれた想像図――と言いたいトコロだが、そもそもマーク教授が『洞窟に入った』『ドームを見た』という話自体のソースが不明。ゆえに『大鍋』以外は捏造である可能性が否めない。注意されたし。
画像出典:bibliotecapleyades

かくして、現状で出回っている『死の谷』情報のほとんどが自然現象で説明のつくモノだった。残念である。

だがリヒャルト・マークは、鍋に似た何かを見た。

教授は、『ウオッカ』の飲み過ぎだったのか。
それとも『ガス』でアッパーなフィーリングになったのか。
あるいは本当にあったのか。

全ての円形の沼がピンゴでなく、中には本当に鍋やドームの沈んだモノがあるかも知れない。が、現状では証拠らしき証拠は一つもない。

最後に、研究者全てが目をそらしている一つの可能性について触れねばならない。

この大鍋が『実際に大鍋』である可能性だ。

パエリアなど、何らかの料理を作る意図をもって、鋳造され、飽きて放置されたなれの果て。その可能性を忘れてはならない。

つまりパエリアで炊かれたムール貝が、調理のさなかパチンと爆ぜて、上空へ飛び、ちょうどツングースカに飛来した隕石を砕き去った。
人類を救ったのは「パエリアって、なんでこんなワケわからん貝が入ってんの? 食べにくいしイラネ」とまで言われてきた要らない子、ムール貝だったんだよ! パエリアにムール貝は必要だったんだ! 

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考えてはみた、作ってはみたモノの、本当にすいませんでした。
パエリアがイタリア、スペイン料理でありシベリアには無いと言うことも把握しており、ひとときの冗談のためにロシア人しいてはロシア文化を著しく貶めたことを重ねてお詫び申し上げます。
やはりムール貝はいらないですね。

冗談はともかく、『大鍋は実際に大鍋』あるいは『ソ連軍によって遺棄された何らかの兵器の残骸』である可能性を忘れてはならない。

※追記――『大鍋は実際に大鍋』に関連して、twitterにて「パエリアじゃなく、お湯を沸かしたんじゃ?」という指摘をいただいた。
お湯を沸かして、暖を取るため入浴したのではないか――という斬新な発想だ。つまり『五右衛門風呂仮説』だ。雪原で入浴とは風流で実にいい、日本酒とトックリを持ちこみたくなる。が、「誰が入浴したの?」という疑問が新たに浮上する。

かくして死の谷における一連の特異構造物について、証拠らしい証拠はいまだ挙がっていない。
とはいえ「なにかあるんじゃないか」と感じさせる神秘性をシベリアは秘めている。

1964年にはサハ共和国北シベリアのハイール湖で科学者グループが未知の古代生物と遭遇したと主張した。
これをコムソモリスカヤ・プラウダ紙が報じ、大論争を巻き起こした。それはプレシオサウルスによく似ており、北方に孤立した湖の環境によって特異な進化を遂げたのではないかと考えられた。
これは現在では様々な要因から『信憑性なし』とされているが

大鍋によって造成されるパエリア。写真のモノは世界最大のパエリアとして、ギネス記録になっている。ちなみに鍋の直径は21メートルでマーク教授が目撃したものよりデカい。 ショベルカーを使って調理するというタフさ、これぞまさに『男の料理』であるが、人間の偉大さより、その愚かさが際だっているようにも思える。 recetum.com<noscript></noscript>

大鍋によって造成されるパエリア。鍋の直径は21メートルで世界最大のパエリアとして、ギネス記録になっている。
ショベルカーを使って調理するというタフさ、これぞまさに『男の料理』であるが、人間の偉大さより、その愚かさが際だっているようにも思える。
画像出典:recetum.com

最近では2013年、同じシベリアはサハ共和国のラビンキル湖で巨大な生物の遺骸が発見されている。
それがどういう生物だったかはよくわからないが、このラビングキル湖には古来から『巨大な生物が湖底にいる』という伝承があり、「すわ、ロシアンネッシーでござるか」と未確認動物マニアの胸を熱くした。

もしかしたら、湖底は地下深くまで続いており、それが未発見の地底湖と繋がっており、そこにはヴェルヌの描いたような旧世界が――。とロマンは広がる。

ほかにもUMAアルマス、チュチュナー、ディアトロフ峠でも触れたMenkvi。信憑性は薄いが、古い炭鉱の奥で恐竜のような未確認生物が目撃されたとの話もある。

神秘の土地だ。人間を寄せ付けない極寒の聖域に、人知れず何かが存在しているのではないか。そう思わせる不思議な魅力がある。

極北の地に、凍り付いた謎の構造物は存在するか? 残念ながらかの地では2015年になってもなにも見つかっておらず、遠く温帯の地で新情報を待つばかりだ。

でも未知の何かが、凍り付きながらも地球を守っている――。誰にも知られず、誰にも頼らず、誰よりも真剣に地球の空を見張っている。そう考えると少しだけ心強く思える。

まったく調査成果があがっていない状況ではあるが、いつか、研究者たちの地道な調査が実って、大鍋が発見される日が来るのだろうか。その日が来たら、どのような結果でも喜んで加筆させていただきたい。
冬来りなば春遠からじ、そう信じて。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載


ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋(バイカル湖)-2

2015-10-14 05:21:30 | 今日のシンクロニシティメッセージ

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公開日: 2015/08/30 : 最終更新日:2015/10/06   奇妙な旧世界, 謎の古代文明 , , , , , , ,
 

今日が 青く冷えてゆくシベリア

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現地へと急行したマッケール隊を待ち受けていたモノは!

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丸い沼だった。

なんだこれは。見事に丸くはあるが、ちっとも大鍋じゃない。

期待していた特異構造物と対面は出来なかったが、ここでガッカリしてはいけない。
諸兄もご存じの通り、『鍋やドームは必要に応じて地表に突出する』からだ!

マッケールたちはさっそく沼の調査に移った。
もしかしたら、このドロ沼の底に鍋が眠っているかも知れない――!

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沼に入って棒で水中を探った結果、マッケールはあることに気付いた。

なにか、沈んでいる――そんな感じがする。


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叩いた音からすると金属で、中が空洞になった物のように聞こえたので、水没した大鍋を見つけたと思いました。それから、またひとつ、もうひとつとよく似た土地が見つかりました。どこでも磁気の大きな変動が起こっていました。このような事実すべてが地中に大鍋が埋まっていることを指し示す証拠だと私は考えています

さらに調査を進める必要がある。
だが、ここでトラブルが発生する。

マッケール以下、探検隊のメンバーが次々に体調不良に陥ったのだ。吐き気や頭痛に始める急激な症状が隊員を襲い、調査続行は不可能になった。
その病状はヤクート諸族の人々が伝承していた物によく似ていたという。

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マッケールは無念を隠せない様子で後のインタビューにこたえている。

突然、酷いめまいがしてフラつき始めたと思ったら吐き気と熱に襲われたんです。原因はさっぱり思いつきませんでした。歩くことも出来ず、目はかすみ、水を飲むことすら出来ません。瞳孔が急激に拡大していたというので、なにかの中毒だと思いました。家に戻ってから精密検査を受けましたがこの症状を引き起こした原因は医者も突き止めることが出来ませんでした

結局、マッケールが発見した沼、そしてその底に沈んでいたモノは何だったのか。
番組では放射能の影響を示唆していたが、これに関しての考察は後述するとして、最新の調査まで資料を読み進めてみよう。

2008年8月

マッケール隊の成果は沼や、そこに水没した『何か』を発見しただけに留まらなかった。『注目を集めた』ことも大きな功績だった。

『旅人の日記』という番組で知られるテレビ業界人、エフゲニー・トローシンは大鍋の話を小耳に挟むと、資金力にモノを言わせて全てを明らかにしてやろうと目論んだ。

その調査隊メンバーたるやそうそうたるものだった。考古学者に地質学者、医師そしてロシア科学アカデミーの関係者を含む20名からなる調査隊を送り込み、大鍋の謎に迫ろうというのだ。
トローシンはスポンサーを募り、資金力で決着をつけようとした。日本のテレビ局にも企画を売り込んだようだが、情報が乏しく詳細は不明。

以下は『パートナー』として名が上がっていた団体


■遠征のパートナー
 サハ共和国政府
 ALROSA

■情報スポンサー
 報道機関「ITAR-TASS」 ラジオ局「Ekho Moskvy」
 雑誌「ナショナルジオグラフィック ロシア」
  雑誌「GEO」 雑誌「ロシアレポーター」 雑誌「Ogonyok」
■サポート
  ロシアの極地探検の会
  ミールヌイ地区管理
■出版関係
  報道機関「ランブラーマスメディア」 報道機関」Rosbalt」
  報道機関「ニュース・サイエンス」 情報局 「YASIYA」
  TRC 「SURGUTINTERNOVOSTI」 「Rossiyskayaガゼッタ」
  新聞「Argumenty Nedeli」 新聞 「生命」 新聞「ヤクート」
  新聞「Mirninskyワーカー」 新聞 「Vestnik ALROSA」
  新聞「ファッションニュース」
「Mediaatlas.ru」「yakutia24」「kimberlit.net」「sunhome.ru」「city-portal.ru」


と知らないメディアばかりだが、とにかく数だけは凄まじい事になっている。

「パラモーター? ははは。いかにも旧ソ連時代に育った貧乏人の考えそうな、みみっちい手段だね。我々? もちろんヘリを使うよ。ダスビダーニャ」 画像出典<noscript></noscript>

「ゴムボートでジャブジャブ行って、パラモーターでふわふわ探す? ははは。いかにも旧ソ連時代に育った貧乏人の考えそうな、みみっちい手段だね。我々? もちろんヘリを使うよ。ヘリコプターニャでダスビダーニャ!」
画像出典:alternathistory.org

かくして資金力にモノを言わせて空からの調査が行われる――予定だったが、結局20人編成のチームは結成できず、2人というチームと呼ぶに最小限の単位での探索となった。

そうしてエフゲニー・トローシンによって発見されたのが奇妙なマウンドだ。

画像出典:alternathistory.org<noscript></noscript>

画像出典:alternathistory.org

遠目には砂山に見えるが、実際には拳大ほどの小石の蓄積によって形成されている。
これが何なのか良くはわからないが、鍋ではないことはわかる。そして鍋と間違わないであろう事もわかる。

ドームはこれを見間違えたのではないか」という向きもあったが、全然丸くないし、赤い金属じゃないし、人工物っぽくない。だいいち夢がない。ないないばかりでキリがない。

かくして資金力にモノを言わせた捜索もいまいち不発――不完全燃焼に終わった。

2010年2月

マッケールやトローシンに欠けていたモノは何か? それは情熱だ。
権力も金もないが、情熱はある! ということで今度はUFO研究家の有志によって調査隊が結成される。

彼らは異星人によって大鍋が作られたと信じて疑わない。

大鍋の形状って、UFOに似てるよね?
ということはUFOだよね?
凍土に埋まっている現状ではフライング・オブジェクトっていうほどフライングしてないけど、UFOだよね?
ということはエイリアンいるよね?
奴らはもう来ているよね? 人類は滅亡するよね?

ということである。

『円盤状の物体=UFO』や『UFO=エイリアン・クラフト』というのも、いささか本人たちの願望と結託しがちな結論であるが、それはいい。そんなことは大鍋を発見してから大いに議論すればよいのだ。

■諸兄の溜飲も下がるだろうシリーズ。 こんなロシア娘と和気藹々とキャンプできるなら、諸兄らも今すぐシベリア送りにしてもらって、トナカイじゃなく自分に乗って欲しいはずだ。 とはいえ調査隊の男たちはタフボーイな感じではある。 ykt.ru/МЫ!<noscript></noscript>

■諸兄の溜飲も下がるだろうシリーズ。
こんなロシア娘と和気藹々とキャンプできるなら、諸兄らも今すぐシベリア送りにしてもらって、トナカイじゃなく自分に乗って欲しいはずだ。
とはいえ脇を固める調査隊の男たちは屈強極まるタフボーイで実に近寄りがたい。
画像出典:ykt.ru/МЫ!

彼らの調査隊は死の谷の沼地で『ゴムの石』なる鉱物を発見している。

これは『見た目には黒曜石のようであるが、焼けたゴムのような特性がある』という。この発見を受けて一部の有識者によって大鍋やドームとの関連性が主張されたが、分析してみないことには何とも言えない。そして分析結果については続報が見あたらなかった。何だったんですかね。

2012年

ロシアのテレビ番組『Mysterious Russia』でヤクートの鍋が取りあげられ、テレビクルーが大型ヘリコプターニャに乗って死の谷の上空を飛び回った。

これには日本のテレビ局も一枚噛んでいたという話であるので、そのうち日本でも放送されるかも知れない。

番組内容としてはエフゲニー・トローシンのマウンドや、イワン・マッケールの症状、ミハイロフスキの話を後追い調査する形になっており、特筆すべき新発見はなかった

どうだろうか。

この『ヤクートの鍋』は日本ではどちらかと言えばマイナーなオカルト話に分類されるためか、認知度、注目度ともに高いとは言えない状況であるが、ご当地ロシアでは結構な盛り上がりを見せている。

それでも諸兄は言うのでしょうね。
なんだよ! 結局見つかってないのかよ! どうせ露スケの言うことだし、こんなのはまた『ウォッカ』が生んだヨタ話なんだろ! それが年月重ねてデカくなっただけだ! ロシア女だって歳とりゃ横にデカくなるしな!

なんと口の悪いことだろうか。
とはいえ、確かにこれだけ探して見つからない事にはオカクロ特捜部としても忸怩たる思いである。

こうなってくると、テンションもなんだか尻つぼみで、心が冷えてゆく。諸兄の心も、凍土が如く氷結してゆくだろう。

しかし、ヤクートで撮られたある写真は、我々にもう一度戦う勇気をくれる。

2008年6月7日、採掘技師アレクサンドル・パブロフとその友人シーリー・イワノビッチの14歳になる息子がオルグイダーク川を下っているときの話だ。
時刻は午前3時~6時ごろ、静かな夜の川に突如として光球が出現した。

パブロフによる写真。光球は直径20センチほどで、いくつも現れては小爆発のような効果を見せた。画像出典:Tfm Portal<noscript></noscript>

パブロフによる写真。
光球は直径20センチほどで、いくつも現れては小爆発のような効果を見せたという。
画像出典:Tfm Portal

巨大な蛍のような燐光、しかしそれだけでは終わらなかった。

見上げれば夜空に異変が!
シベリアの空に、巨大なドームが見えたのだ。

空に現れた巨大なドーム。<noscript></noscript>

死の谷の夜空に現れた巨大なドーム。
画像出典:ПОЗНАЙ СЕБЯ:Вилюйские Котлы.

おおお……なんだこれは!
これ完全にバリアじゃないすか! ATフィールド全開じゃないすか!
地球防衛システム発動! 

これは我々の失いかけた厨二心、あるいはビリーバー心――ビリビズムを大いに刺激してくれる。すごく……かっこいいです。

本当に、シベリアにはまだ稼働している超古代の防衛システムが眠っているというのか。

我々は、こういった話をヨタ話だと鼻で嗤って切り捨てるほど大人でもないが、素直に信じられるほど子供でもない。
さまざまな情報に踊らされてきたことにより、信じる心を失い、心は冷え、クリティカル・シンキングは鍛えられ、苦笑いばかりが上手くなった。

大の大人がこんな事に時間と金と労力を使って、バカじゃないかと嗤う人もいよう。だが、オカルト・クロニクルとしてはちゃんと向き合ってみたい。大の大人が大まじめにやるから意味があるのである。
だって、面白いでしょう?

氷点下-50℃の情熱

『声が凍る国』と前述したが、この酷寒の世界では、他のモノも凍る。凍って、音を立てる。
屋外の気温が氷点下-50℃を下回ると、唇から漏れた息が耳のあたりで凍り付き、微かな音を立てるという。ヤクート地方では、この音を『星のささやき』と表現する。

寒帯の常識は、我々、温帯に住む日本人には計れない。

とはいえ、「永久凍土の下に地球防衛システムが存在し、幾度となく地球を救っている。もう疑う余地もないだろ、な?」と言われてもにわかには首肯しがたい。

地球防衛システム論では、さらに「地球の地底には地下文明が存在し、ヤクートの鍋はそれを裏付けるモノだったんだよ!」と極めて進歩的な話も聞かせてくれる。

実際に『ウールピットの緑色の子供【別項】』や、進撃してこない4メートル級の巨人がいたという『ヤンセン親子の地下世界』などの古典的な地球空洞説の逸話がこのヤクート鍋に並べて紹介されている。
一時期人気のあった、『洞穴都市に住むという悪徳地底人デロ』に関しては触れられていないが、それはいい。

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ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』からキノコの森と地底湖の挿絵。
作中では地下世界は『オーロラのような』現象による光が存在し、絶滅したはずの恐竜や古生物が生き延びている。このキノコの森をして、ヤクートのキノコ建造物との関連性を指摘した論者はまだいない。
画像:public domain

地下にはまだ人類の知らない文明が存在しており、何か企んでいたり、いなかったり――。

ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』では、リーデンブロック教授が地下世界でキノコの森や恐竜を目にしているが、ここからなかなか興味深い(註:ロマン溢れる)考察が得られる。

ヤクート死の谷では、キノコの形状をした特異構造物も目撃されており、これが地下世界からニョッキリ頭を出したキノコの森の一部であると。

そして、シベリア地方ヤクート周辺の永久凍土からは、『氷漬けのマンモス』が多数発見されているのは諸兄もご存じかと思う。

これをして、「地下世界ではいまだマンモスが生き延びており、時折、ヤクート周辺の出入り口から間違って地上へと迷い出てきてしまう。地下からノソノソでてきたマンモスは、息をも凍らせる極寒の世界にあって、その毛皮も意味をなさず、間もなく凍り付き――」という仮説を考えてみたがどうだろうか。ないだろうか。

実際に、1580年にシベリアでは山賊退治の任についていた騎士達が毛の生えた大きな象を目撃しており、20世紀に入ってからも、シベリアはタイガ地帯で、地元ハンターが巨大な足跡とフンを発見し、追跡してみた先で巨大な牙と赤黒い毛を持つ象を発見した。という話がある。

これは、やはり地下世界の出入り口がヤクート周辺にあるという事実を示唆するものではないか。いや、そうに違いない。

では出入り口とは何か?

そりゃあ、もちろん、アレである。『特異構造物』である。

つまり、ドームに見えたモノは、巨大エレベーターだったんだよ!

うむ。この『ドームは兵器というか、エレベーターだったんだよ! なんだってー!仮説』に辿り着いたのは、世界広しといえどオカクロが初であると思われるので、これはロシアのテレビ局に売り込んでゆこうと思う。エレベーターだから、地下に沈む事実と整合性も取れるはず。

おそらく負けず嫌いな諸兄は、オカクロに負けじとさらなる仮説を色々考え、遠からずキノコとドームの形状に着眼するかと思う。
やがて、その形状から『きのこの山、たけのこの里』に辿り着くかも知れない。

そして『つまり死の谷の神話に語られる戦争とは、古代から続くキノコの山×たけのこの里戦争の事だったんだよ!
という仮説を提唱するかも知れない。

だがそれはない。そのような仮説は荒唐無稽と言わざるを得ない。

冗談はともかく、我々以外の論者はどう考えているのか。
この話がそもそも広く知られていないため、仮説の数は多くない。

『古代から存在する地球防衛システム仮説』

『墜落したUFO仮説』

『超古代文明の遺産説』

『地底人の作ったモノ仮説』

と、なんだか『いかにも80年代オカルト』といった趣のあるモノばかりだ。
そして健全な懐疑のフィルターが通されているとは言いがたい。

ここで公正を保つため、オカルト・クロニクルが懐疑したいと思う。
疑うのは嫌いだからじゃなく、好きだから。懐疑とは乙女心なのである。

まず、ヤクート鍋の情報ソースとして上げられるリヒャルト・マーク教授の『Вилюйский округ Якутской области(Vilyuysky District Yakut area)』はどうだろうか。
この博物書に
ビリュイ川の支流、アルギュイ・ティミルニト(大きな鍋の沈む川)に大鍋のようなものがある。半分ほど埋もれており全貌は不明である。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん、と書かれていると。

こう言うのは、実際に参照するのが手っ取り早い。
この『Вилюйский округ Якутской области』は著作権が失効しており、現在ネット上にPDFが公開されている。
■参考:Маак Ричард Карлович
ここにそのテキストが置いてある。

参照してもらうとわかるが、PDFの40ページからはじまる以下の記述が該当箇所である。

В Сунтаре мне рассказывали, что около вершины Вилюя есть речка, называемая Алгый тимирнить (Большой котел утонул), впадающая в Вилюй. Недалеко от ее берега, в лесу, находится в земле огромный котел, сделанный из меди; из земли высовывается один только край его, так что собственная величина котла неизвестна, хотя рассказывают, что в нем находятся целые деревья…

かっこよくキリル文字を貼ったが、ほとんどちんぷんかんぷんである。だが時間をかけて翻訳してゆけば、たしかに大鍋について言及されており、それがビリュイ川の川岸付近であること、地面から突出していること、植物が奇妙な成長を見せていること、について触れられている。

『ミステリアス・ロシア――サハ宇宙人文明を追え』より、リヒャルト・マーク教授の文献を朗読して聞かせる資料館司書。 Таинственная Россия<noscript></noscript>

『ミステリアス・ロシア――サハ宇宙人文明を追え』より、リヒャルト・マーク教授の文献から該当箇所を朗読して聞かせる資料館司書。
画像出典:Таинственная Россия

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載


ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋(バイカル湖)-1

2015-10-14 05:19:29 | 今日のシンクロニシティメッセージ

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公開日: 2015/08/30 : 最終更新日:2015/10/06   奇妙な旧世界, 謎の古代文明 , , , , , , ,
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広大な永久凍土の片隅。『死の谷』と呼ばれる禁足地。そこで学者は奇妙な構造物を発見した。
それは半分地面に埋もれ、地面から突出した部分だけを見れば巨大な鍋のように見えた。
様々な人たちが訪れ、他にも不可解な構造物が発見される。
様々な観察、様々な発見、だが、それらはさらなる謎を呼ぶだけだった。
誰が作ったのか。いつ作られたのか。
雪深い極北の地、封印は凍っているか。


ここは声の凍る国

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東シベリアの奥地に位置するヤクート地方、世界有数の『極寒の地』として知られる辺境。

この地では、囁き声も叫び声も、相手に届かないまま唇の先で凍るとされる。凍結したそれらは極寒期が終わるとゆっくりと溶けて、短い春の騒がしさを後押しするのだという。

1859年。そんな極北に1人の科学者があった。

博物学、地理学、そして人類学の専門家、リヒャルト・マーク(外部)教授だ。
当時ドルパート大学(現在のタルトゥ大学)で教鞭を執っていたマーク教授はロシア地理学会から、「ながらく未踏の地であったヤクート地方を調査して欲しい」との依頼を受け、ビリュイ川流域の学術的調査に赴いていた。

そうして何度も繰り返された遠征で得た調査結果を、『Vilyuysky District Yakut area』と題した三冊の書籍にまとめる流れになるのだが、その手記の中に、興味深い事が書かれている。

リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak) シベリア極東地域の研究で知られる。博物学、地理学、人類学者。 様々な発見に貢献し、マメ科の属名『Maackia』やスイカズラ科の種『Lonicera maackii』に献名されている。 Буква — Маак Ричард Карлович<noscript></noscript>

リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak)
シベリア極東地域の研究で知られる。博物学、地理学、人類学者。
様々な発見に貢献し、マメ科の属名『Maackia』やスイカズラ科の種『Lonicera maackii』に献名されている。
画像出典:Буква—Маак Ричард Карлович

それはマーク教授がビリュイ川の上流の、ある地域に辿り着いた時のこと。
そこは周辺に住むヤクート諸族に『死の谷』と呼ばれていた場所で、竜王が眠っていると信じられていた場所だった。

もちろんそこは禁足地。

足を踏み入れれば竜王の怒りを買う聖域とされており、『ヒイシ(境界の地という意)』と呼ばれる入り口から先へは行ってはならぬとされていた。周辺住民でも立ち入るのは1年に4日だけ、竜王へささげる祭祀を行うため、一部のシャーマンだけが死の谷に入る事を許される。それも奥地まででなく『ヒイシ』までだ。
奥地である『マナラ(死霊の地)』まで侵入するなどとんでもない。

そんな信仰ゆえか、調査探検の大きな助けとなるはずの現地ガイドが高額の報酬を約束したにもかかわらず同行を断った。

なんだよ約束が違う! 言ったじゃん、行くって言ったじゃん!

とマーク教授は憤るが、現地ガイドは首を振るだけ。

数ヶ月前、40年ぶりに死の谷で竜王が火を噴いた。多感な時期かもしれんし、怒りを買いたくない。今はそっとしておこう、な?

などと受験ノイローゼの子供をかかえた親御さんのような事を言う。

もちろん、マーク教授は竜王の親御でも何でもないので、多感であろうがなかろうが、無視して死の谷へ足を踏み入れることにする。

そうしてトナカイの背を借りて雪に閉ざされた世界を進むこと数日。ようやく辿り着いたそこで――死の谷で、マーク教授は後世まで第三者による議論を呼ぶことになる体験をする。

ビリュイ川上流へ向かうこと2日、支流沿いに進むこと1日、『境界の地』をいくらか越えた地点でマーク教授は奇妙なモノを発見した。

発見したのは『大鍋』だった。

地面から斜めに突き出した大鍋型の構造物。 トナカイに乗っているのが少し羨ましい。 Долина Смерти (Якутия)<noscript></noscript>

死の谷に眠っていた地面から斜めに突き出した大鍋型の構造物。『谷』という表現から渓谷をイメージしがちであるが、実際はなだらかな丘陵が続く森林地帯になっている。
トナカイに乗っているのが可愛い。すごく羨ましい。

画像出典:Долина Смерти (Якутия)

それは一見して平鍋――もちろんそれは通常目にするような鍋のサイズではない。ボルシチにして数百人分は仕込めそうな大きさだった。

地面から突き出している部位だけで、高さ3メートル、推定される全体の直径は7~8メートル。
表面のほとんどがコケなどの地衣類に覆われており、本体は胴に似た赤い金属でできていた。

これはなんだろうか。
古くからヤクート諸族はビュリュイ川の事を『アルギュイ・ティミルニト――大きな鍋の沈む川』と呼んでおり、この目の前の大鍋がその由来だろうか。

この『鍋』は一つではなく、付近の針葉樹林に同じようなモノを幾つも発見する事ができた。

そして、他にも奇妙なモノを見つける。

それは洞窟の入り口のような穴だ。
河原の斜面にポッカリと空いた大穴。

近づいて観察してみれば大穴は高さにして3メートル、幅にして2メートルほどの楕円形をしており、地下へ向かって急傾斜の通路が続いていた。

これは、決して自然の造形物ではない、なぜなら、その通路――壁面や床が赤い金属で構成されていたからだ。

――竜王の住処なのだろうか。
リヒャルト・マークがそう考えたかは定かではないが、少なくとも学者としての好奇心は刺激されたらしい。

マーク教授はタフなことに、その中に入ってみる事にした。
穴に入り、階段のような段差を降りて行くと、やがて広いホールにたどり着いた。

そこはドーム状の円形広場になっており、円の直径は20メートルほどだった。

マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。 マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。画像出典:極北に封印された「地底神」の謎より<noscript></noscript>

マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。
画像出典:極北に封印された「地底神」の謎より

そしてそこも先ほど発見した大鍋同様『赤い金属』で作られおり、不思議な事に内部は採光窓もないのに明るかったという。

タフボーイであるマーク教授は、やはりタフであるからして

ふむ。なんだかよくわからんが、これは風雨をしのげて丁度良い。さっそくテントを張って泊まり込むとしよう

これは無神経と紙一重のタフさである。

とにかく、マーク教授はこのドームを拠点に周囲を詳しく調査する事にした。

死の谷には、なんらかの未知の部族が存在し、その部族がこれらの奇妙な構造物を作ったのかも知れない。
だとすれば、調査依頼を受けた身として仔細に調べねばなるまい。

そうして翌日以降、周辺をくまなく調べてみれば、他にも奇妙な事が確認できた。
まず、音だ。

死の谷は声も凍るような静かな場所だが、耳をすませてみれば何かが聞こえる。
低い音――まるでクマバチの飛行音のような、唸るような、ブーンという音が何処からか断続的に聞こえる。

これは、ヤクート諸族にして『竜王の唸り声』と呼ばれるものか。
そして針葉樹林がまばらになった場所には『露骨なドーム』があった。

高さにして20メートル、半球体の直径は10メートル。
明らかに自然造形物でなく、何者かの手による構造物であったが、奇妙なことにそのドームには窓も入口もなかった。そして、やはり赤い金属で作られていた。

マーク教授が触れてみると、ドームは微かに震動しており、ほのかに暖かかった。
この赤みは銅だろうか、と金属のサンプルを採取するため大型のハンマーで叩いてみたが、頑丈すぎて傷一つ付けることができない。

見目には似ているが、これは銅ではない――。

結局、なんのサンプルも採取できず、マーク教授が持ち帰ったのは以上のような土産話だけだった。

凍土に埋もれた大鍋。
地に埋もれたドーム。
入り口のないドーム。
竜王の唸り声とされる異音。

これは何なのか。
未知のヤクート諸族の手による建築物だとしても、あまりにも不可解すぎた。

そして、1867年。
マーク教授は再度、ビリュイ川流域の調査探検に旅立ち、奇妙な構造物を見つけたポイントへと向かった。

だが、不思議な事にこの時は何も見つからなかった。
再訪した死の谷には、数年前に見つけた大鍋もドームもなく、ただ荒涼とした永久凍土が静かに広がっていた。
ただ、低い――異音だけを響かせて。

マーク教授はその後、2度とその『特異構造物群』に出会う事はなかったが、半世紀以上の時を経て、その調査報告を裏付ける『同じようなモノ』が目撃されている。その詳細を記した手記がサハ共和国の国立図書館に収められている。

砂金堀りだったミハイル・コレツキー(М.П.Корецкого 註:日本の書籍ではユーリ・ミハイロフスキと書かれているが、おそらく翻訳ミスとその孫引き。ミールヌイ在住の研究者ミハイロフスキーと混同したと思われる)による数回におよぶ目撃証言だ。

コレツキー親子は砂金を採取するため死の谷へ入っていた。
ただでさえ人の寄り付かないシベリアの奥地、さらに原住民ですら禁足地として近寄らない場所。これは、ほとんど命がけになる金採取旅行だった。だがもしかすると、手つかずの砂金が大量に存在するのではないか――コレツキーズはそう考えた。

最初は1933年、ミハイル・コレツキーが10歳だったころ父親と。
そして1939年。
そして最後は1949年。国立図書館所蔵の手記には、3度に及んだ死の谷トレイルでミハイル・コレツキーが目撃した『特異構造物』について言及されている。

死の谷に入って1週間ほどキャンプ生活をしていたコレツキー親子だったが、ある夜強烈な地鳴りによって目を覚ました。
テントから這い出して周囲を見回すと、森のあちこちに『銅鍋』のようなものが見えた。

明るくなると、さらに奇妙な構造物が出現しているのに気付く。
それは『光るキノコ』のような建物だった、前日まで何もない場所にそれはあった、と言う。

コレツキーズもマーク教授と同じくこの『特異構造物』の金属片を採取しようとハンマーで叩いたが、やはり傷一つつけることが出来なかった。

そうして、親子が死の谷から離れた頃、ちょうどその特異構造物があったあたりで『巨大な火の玉』が火柱のように天高く上がったという。

そして、目撃談はこれだけにとどまらず、『Загадки истории России(ロシア史のミステリー)』や雑誌『Юный техник(若き技術者)』に地元のハンターたちが体験した奇妙な出来事がいくつか掲載されている。

様々なスケッチ。ほとんどの場合、特異構造物の周辺の植生は異常な成長を見せていたという。 中央の天に昇る火の玉はが目撃した物。<noscript></noscript>

様々なスケッチ。ほとんどの場合、特異構造物の周辺の植生は異常な成長を見せていたという。
中央の天に昇る火の玉はがミハイル・コレツキーが目撃した物とされている。
右上のイスラム風のドームはマーク教授が目撃した物で、とにかく、デカイ。よくみればドームの右下に小さな教授とトナカイが描かれている。かわいい。

人の寄りつかぬシベリアの奥地。伝説の息づく禁足地。
そこに、なにがあるのか。


シベリアは雹雨 あなた何処へやら

マーク教授の奇妙な体験から100年。人類は2度の大戦を経験し、歴史書は加速度的にページを増やした。

だが『死の谷』に関するページは決して多くない。

なにかがあるらしい、だがその『なにか』がなんなのかはわからない。

人類は1961年にロシア人によって宇宙飛行を達成した。
地球を外から見て、その青さを知ったにも関わらず、ヤクートの奥地の事がわからない。情けないったらない。

そんな思いがあったかは定かでないが、1986年、モスクワ大学のアレクサンドル・グテノフ教授が旧ソビエト連邦科学アカデミーの委託を受け、ビリュイ川の特異構造物に関する調査を行った。

以下は北周一郎氏による著作による情報になる。

グテノフ教授は調査開始から1年後にあたる1987年に第一次中間報告を出した。

それは、なんらかの古代遺跡が存在する可能性を示唆しながらも、岩盤によって発掘調査は困難であるというものだった。

さらに翌年に発表された第二次中間報告書では、ビリュイ地区を『特別保護区に指定し、一般人の立ち入りを厳重に禁止すべき』と意見を具申、さらに不可解なことに『エジプトのピラミッドを詳細に調査する必要性』を訴えた。

この報告以降、グテノフチームの調査は国家機密指定を受け、国民への情報は伏せられた。
そして、ソビエト連邦の崩潰とともに資料は散逸し、すべては闇に――。

ということだ。

すべては謎のまま――と言いたいところであるが、ソ連崩壊もなんのその、グテノフ教授の調査は続いていた。ロシアの学者はとにかくタフである。

グテノフ報告によれば、『特異構造物』つまり『大鍋』や『ドーム』は死の谷地区周辺15平方Kmの範囲において、21基確認された。

だが、資料を読み進めるとグテノフ・リポートはどんどん信じがたい方向へと向かってゆく。

・『大鍋』や『キノコ建造物』『ドーム』は岩盤をくり抜いて作られた穴に設置されており、普段は地下にあるが必要に応じて地上に露出する。

・この『穴』は少なくとも、100万年前に人工的に掘削されたものである。

・予断は禁物であるが『大鍋』などの建造年代は『穴』の掘削と同じく100万年前と推定。

・特異構造物を構成する赤色の金属は、不明な部分は多いが、少なくとも地球上には存在しない金属である。表面は三層のコーティングからなり、それが剛性、酸化防止、老朽化を防いでいる。

・地表を流れるエネルギーを別種のエネルギーに転化していることを確認。

・エネルギー変換はギザのピラミッドでも行われていた。ただ、三大ピラミッドは必要な部品が失われたため、機能を停止しているが、ヤクートのモノはまだ動作している。

・1年のうち4日間、すなわち春分、夏至、秋分、冬至にはエネルギーの方向性が変わるため機能を停止する。

これらの報告を読んで、諸兄は憤るのでしょうね。ここに書くのもはばかられるような下品な言葉で罵るのでしょうね。

たしかに、にわかには信じがたい話であるし、熟考しても信じがたい話である。100万年前……。

死の谷は聖地であり、なかなか詳細な調査はできなかった」とグデノフは言うが、変に細かく調査できてると思う。『地表を流れるエネルギーを別種のエネルギーに転化していることを確認』とあるが、どうやって確認したのか。

残念なのが、これほど詳細にレポートを出しているにも関わらず、『特異構造物』の写真の一枚もない。

そうして訝りながらこの『ヤクート死の谷奇譚』に関して、海外の資料を当たってみれば、結構な違いが見受けられる。

たとえば、アレキサンダー・グデノフなる人物は実際に死の谷を調査しているが、教授であること、機関の委託を受けたこと、などは一切書かれておらず、一般人の調査探検者である――とされている。(註:ちなみに、共に調査にあたったのが前述のユーリ・ミハイロフスキ。鍋調査40年のベテラン

国外の奇現象サイトではオカルト雑誌『Nexus Magazine vol.11, no.1』から4回に分けて連載されたヤクートの記事を参考に書かれたものが多く、そのNexusでは上記のようなグデノフの話はまったく触れられていない。

2000年<noscript></noscript>

Nexus Magazine 2003/12-2004/1表紙。
この雑誌の中で『MYSTERIES OF SIBERIA’S “VALLEY OF DEATH”』と題してヤクートの一連の出来事が扱われている。
画像出典:nexusmagazine.com

このグデノフの話はかなり『盛られた』もの、あるいは捏造情報であると考えるべきだろう。なにがどうなってこういう情報になったのかわからないが、それはいい。

ちなみに、砂金取りのミハイル・コレツキー(М.П.Корецкого 註:日本の書籍ではユーリ・ミハイロフスキ。実にややこしい。もうどっちでもいい)に関して、日本の書籍では「ドームの中から黒い人が出てきた。びっくりして父と必死で逃げた」という異人遭遇譚まで書かれているが、これも他にソースを求めれば以下のようになる。
グデノフとミハイロフスキが「『死の谷の辺りにいる、黒い、鉄の服を着た単眼の痩せた人』の話を地元のハンターから聞いた

おそらく、この話が色々と拡大変形して遭遇譚にまで発展したのかも知れないが、オカクロとしては見なかったことにして触れない。
この際、グデノフ&ミハイロフスキ報告は忘れてしまおう。

もちろんグデノフ報告以外にソースは多く、実際に『死の谷には何かある』とみて調査や捜索が行われている。

実際にヤクート諸族の伝説には興味深いものがある。

死の谷の内部は人間でないモノが住んでおり、そこには竜王の口があり、竜王の唸り声も常に響き渡っている。
竜王の口は火の玉を吹き、その火柱は天を焦がす。そしてマナラに足を踏み入れた者たちは、竜王の怒りによって、その身を生きたまま腐らせる――と。

死の谷を実地調査したイワン・マッケールも言う。

古くから、この地に残る叙事詩を読むと、ニュルグンブートゥルとトンドゥーライという名の悪魔がかつて森には住んでいたこと。そして悪魔たちが壮大な戦いを繰り広げていたことが語られている。その戦いのさなかには地中から火の玉が打ち上げられていた。轟音が鳴り響いて森の木はなぎ倒されて岩も粉々になって、あたりは不毛の地と化したという。

全てが静まると、垂直にそびえ立つ構造物が出来ていたが、しばらくすると永久凍土に沈んでいった。死の谷の大地には不思議な物体が埋め込まれていると言われており、この物体は大昔から何世紀にもわたって作動していて地球に害を及ぼそうとやってくる飛行体を迎え撃つために火の玉を発射していたという。


こうなってくると、やはりリヒャルト・マーク教授が目撃した『大鍋やドーム』をそれらの火球伝説と繋げたくなるのが人情というもの。
短絡的に言うと「それらの特異構造物が火球を空に飛ばしたに違いない!」となる。

いつの時代に作られたモノか判らないロストテクノロジー的なモノ――と言われると、なんだかロマンをかき立てられる。

しかもそれが『火球を発射する旧世界の兵器』となると、もう何が何だかわからないままにガッツポーズだ。
しかも、まだ動作しているだなんて! 行こう! いますぐシベリア超特急に乗って!

と、テンションは上がるが、ここは冷静に様々な意見を確認してゆこう。

シベリア自体に神秘的な側面があるせいか、このヤクートの大鍋は様々な人々の様々な想像力を刺激した。

もちろん、諸兄の愛してやまない古代宇宙飛行士説の論者たちも例外ではない。
彼らは主張する。

この一連の特異構造物は、地対空迎撃システムである

地対空迎撃システム。必要に応じて地表にせり上がり、防衛する――。

このヤクートの鍋は『地球防衛システム』だったんだよ!

YakutiaDV007a雑な画像ではあるが、要旨とかっこよさは伝わったかと思う。

この『地球防衛システム説』はかなり人気のある説のようで、海外サイトでも男たちの熱い眼差しが向けられている。

ヴァレリー・ミハイロヴィッチ・ウヴァロフ博士が2003年2月上旬、アメリカ、ネバダ州ラフリンで開催された「第12回国際UFO会議コンベンション&映像フェスティバル」の席上で発表したのも影響しているのかも知れない。(このコンペが初出ではなく以前からウヴァロフはこの説を主張

月刊ムーの伝えるところによれば、ウヴァロフ博士はUFOマガジンの編集者グレアム・バザールにインタビューされたとき、次の三点を明言した。

調査に当たったロシア国家安全保障アカデミー(略称NSAR)はあくまでもれっきとした同国政府機関であること。
第2にウヴァロフの上には直属の上司が2人いるが、その上にはプーチン大統領しかいないこと。
第3に彼らの部署はUFOの実在を認め、それを前提として活動しているということ。

ウヴァロフ博士は言う。
ツングースカ大爆発も、この超古代地球防衛装置の作動により引き起こされた――と。

ツングースカ大爆発が一番有名ではあるが、ほかにも1984年2月26日のチュルイム川など、ロシアではたびたび火球の目撃が起こっている。最近で言えば2013年チェリャビンスク州の隕石落下が話題となった。
むりやりこじつければ、ディアトロフ峠周辺で目撃された光球【別項】もこの範疇に入るかも知れない。

これら、地表に壊滅的な破壊をもたらすであろうモノが周辺に飛来すると、ヤクートのシステムが起動し、撃墜するのだ! と。

地球防衛システム仮説はやはり、男のロマンをくすぐる案件であるせいか、この『大鍋』をさがして何度も調査隊が出向いている。調査目的とは言え、禁足地にドカドカ入り込んで良いのかわからないが、それはいい。

しかし、この繰り返される調査の甲斐もむなしく、残念ながらまだ鍋は発見されていない。

その事実に諸兄は憤るかも知れない。聞けば、オカクロの朗読をしてくれているニコ生主がおられるそうなので、今回は諸兄にも文学的に憤って欲しい。

諸兄は激怒した。必ず、かの蒙昧無知の商業主義を除かなければならぬと決意した。諸兄には日本映画がわからぬ。諸兄は、日本の会社員である。アニメを見て、いちいち作画監督をケナして暮して来た。けれども実写化に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明諸兄は村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此東京ビッグサイトにやって来た――

ヤクートと関係のない、あまりにも文学的な冗談はともかく、『鍋』の存在を信じる者は多く、ロシア人を中心に今日でも調査が続いている。
その情熱を支えるのは、『少なくない情報』だ。

ここで『鍋』が実在する信憑性を高める目撃証言と調査の歴史を簡単に振り返ってみよう。

1794年

最初の記録は『Походный журнал сержанта Якутской воинской команды Степана Попова』という行軍遠征記録に残っている。
1794年9月の記録で死の谷周辺の地理に触れており、「川の近くに不可解な建造物」があったとしている。これがおそらく最古の記録。

1853年~

前述のリヒャルト・マーク教授が現地住民から、地中に埋没しかけている不思議な物体の話と伝承を聞く。
そして実際に教授自身も大鍋を目撃。
一連の調査が終わった後、大鍋の記述を含む博物書『Вилюйский округ Якутской области (Vilyuysky District Yakut area) (1877–86)』を順次上梓した。

「ビリュイ川の支流沿いに大鍋のようなものがある。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん。<noscript></noscript>

リヒャルト・マーク『Вилюйский округ Якутской области』
ビリュイ川流域およびヤクート地域の文化や植物、地形についての詳細な報告がまとめられている。
P37,38「ビリュイ川の支流、アルギュイ・ティミルニト(大きな鍋の沈む川)に大鍋のようなものがある。半分ほど埋もれており全貌は不明である。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん。

1933-1947年

砂金堀りコレツキー親子による三度にわたる目撃。
地元のガイドも一緒に目撃。火柱も上がった。

1936年ごろ


地元の老人ハンターと孫娘ジーナによる証言。「地元のハンターは昔は鍋に泊まったものさ」などとタフな事をいう。

1962-1963年

地質学者V.V.ポロシンが川北岸を探索すると、なんだか人が住んでいた。10人ほどの男女がおり、歓迎してくれた。
彼らが何者だったかは現在でも不明。脱走兵? 再調査が行われるも発見されず。

1970年

水力発電用貯水池の建設計画のために、ジョージ・コロディンをリーダーとするチームが編成され、一帯に分布する鉱物資源の調査が行われる。
無線技士がベースキャンプと通信しようとしたところ、付近から無線に干渉する電波が出ていた。位置の特定は出来なかったものの、妙な洞窟は見つける。中には部屋があったと報告。

1971年

前述のユーリ・ミハイロフスキ、およびアレキサンダー・グデノフによる調査が始まる。
このあたりから超古代文明説、UFO関係説、地底人説などがチラホラと囁かれ始める。というか、おそらくこの二人が囁いた。

1972年

死の谷、支流アラキト川上流で地質学者が死亡。

救難信号をキャッチして救援がヘリコプターで向かったところ、さびれたテントを発見する。2㎞ほど離れた地点で地質学者の遺体発見。暴力的な死の痕跡。靴を履かず、寝袋から逃げ出したように思えた。のちに『ディアトロフ峠事件【別項】■』との類似性が指摘される。が子細な調査は行われず。

1980年代~

有志によるいくつかの調査計画がもちあがるも頓挫。
噂が噂を呼び、夢が膨らむざわざわタイム。

死の谷について報じる新聞記事。<noscript></noscript>

死の谷について報じる新聞記事。鍋やドームについて地元のハンターなどに取材している。特定は出来なかったが、掲載誌はおそらく『コムソモリスカヤ・プラウダ』(Комсомольская Правда)と思われる。ソ連の共産主義青年同盟中央機関紙として1925年に創刊。

1997年

前述のヴァレリー・ミハイロヴィッチ・ウヴァロフが『地球防衛システム説』を発表。一部のコアな紳士の熱い視線を浴びるも、科学界は歯牙にもかけず「B級フィクションよりしょぼい」と冷たい視線を向ける。シベリアでは珍説も凍る。

1999年

一部の新聞記事に取りあげられ、微妙な盛り上がりを見せたため、ジャーナリスト、ニコライ・バセゴヴァが死の谷を取材調査。
結局、2000年までネタを引っ張っぱり、一部のコアな紳士の中でおごそかな盛り上がりは見せたモノの――成果は上がらず。あきらめる。

2003年

レオニード・ラチェット率いる探検隊が死の谷に金属探知機を持ちこむ。頭良い。
2カ所の地中に大きな金属の反応を確認し、「すわ大鍋か」と発奮とするも、掘削機械は持ちこんでおらず発見には至らず。帰る。

2005年ごろ

探索の足がかりになっていた近くの村が放棄され、死の谷の秘境化が進む。「核実験のせいだ!」と研究家は憤る。

2006年

チェコの研究者。イワン・マッケールによる死の谷現地調査が行われる。
TV番組『古代の宇宙人』で調査探検の様子を見ることが出来る。

マッケールは言う。

これがただの伝説なのか、それとも実在するものかは全く判りませんでした。まずは何よりも大鍋の場所を見つけ出すことが先決でした。調査して、自分なりの見解を出したいと考えていたのです

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マッケールたちはゴムボートで死の谷周辺まで向かい……。
空へ!

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死の谷周辺は、雪解けと共に凍土が泥濘化し、底なし沼のようになって歩行者の足を取る。
これもあって秘境と化していた一面もあるが、フワフワと空を行くパラモーターならば影響を受けない。これならば、短時間で広大な範囲をカバーできる。わくわくする。

かくして、マッケールたちが上空から探索を続けていると、やがて怪しい地形が発見された。

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なんだあれは!
露骨に怪しい!
鍋じゃないか! あれ、鍋じゃないか!
 
マッケールは地上班をつれて、早速現地へ急行した!

画像が増えてきたので次ページに続く。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載


プマプンク遺跡―失われたオーバーテクノロジー(南米チチカカ湖)

2015-10-14 04:42:33 | 今日のシンクロニシティメッセージ

奇妙な旧世界 >

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驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク

神は積み木遊びをするか

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南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。

16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。

ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
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高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。

ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ

まさに他の遺跡とは毛色が違った。

新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」

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プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。

そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。

地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。

では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。

アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。

様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。

1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。

あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない
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たしかに数学的であった。

石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。

プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。

ある論者は言う。

ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。

同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。

こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?

これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。

――約1万5千年前。

これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。

そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】
による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。

その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。

数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。

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とにかく、プマプンクは規格外だ。

ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。

そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。

誰もがそう思う。

そして一部の人はこんな風にも思う。

ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。

もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。

遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。

そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。

そう、古代宇宙飛行士説だ。

オーバー&ロストテクノロジー

ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。

プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。

そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

プマプンク地図<noscript></noscript>

チチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍。富士山の山頂より高い高地に位置しているが、熱帯に属しているため雪に閉ざされてはいない。クリックで拡大。



ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。

混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。pumapunku0014

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ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。

たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。

比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。

だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。

この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。

もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。

原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。

そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。

実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。

プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。

木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。

最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。

運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。

遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。

あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。

そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。

ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

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古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人


「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」

もうね、好き。

やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。

彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。

このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。

興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。

遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。

世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。

ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。

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創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。


このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。

宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。

せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。

実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。

なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!

もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。

大洪水。

もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?

なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。

プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。

そして現代へ。

一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。

だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。

古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。

世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。

では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載