大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

北京の国際旅行博覧会に、〈チーム九州〉出展

2023年06月25日 05時22分47秒 | 日記

 「中国の北京市で開かれている北京国際旅行博覧会に九州・沖縄各自治体の中国事務所などでつくる〈チーム九州〉が出展し」たそうです。「新型コロナウイルス禍以降、北京では初の取り組み」で、「18日までの期間中に10万人超が訪れる見込みの会場で、インバウンド(訪日客)の回復に向けて九州の特産品や観光地をPRする」とのことです。
 「4年ぶりの開催となった旅行博は16日に開幕し、中国の各省や旅行会社のほか、約80カ国・地域から出展」があり、「日本政府観光局(JNTO)もブースを設置した」そうです。「地酒の試飲」や「プロモーションビデオ上映、クイズなどで九州の魅力をアッピールした」〈チーム九州〉の出展は「用意したパンフレットが底をつくほどの盛況振りだった」そうで、各県の代表者の喜びの声が収録されています。
 「JNTOによると、4月の訪日中国人観光客は推計約10万8千人。前月比で43%増えたものの、コロナ禍前の2019年生4月比では85%減と低迷している」そうです。「中国政府が新型コロナ対策で日本への団体旅行の規制を続けていることが最大の要因」と見られています。
 「団体旅行の解禁も見据え、〈チーム九州〉として中国の旅行会社向けセミナー開催も検討」されてるそうです。〜成功すると良いですね!
(下:2023年6月18日 西日本新聞-北京・坂本信博「北京の国際旅行博覧会出典〈チーム九州〉で魅力PR」より)


第37回〈7・7日中不再戦の集い〉呼びかけ

2023年06月24日 05時22分29秒 | 日記

 大牟田日中友好協会より、第37回「7・7日中不再戦の集い」への参加が呼びかけられました。本年度のテーマは「語り継ぐ〈大牟田の空襲〉」です。大牟田にも空襲がありました。呼びかけには「大牟田でも、1944年11月から45年8月までに計5回にわたり米軍の大規模な空襲を受け、死者1300人以上、罹災者は55000人にも上り、市街地のほとんどが焦土と化し甚大な被害をもたらました」とあります。
 開催期日は7月8日(土)13:30〜15:00
 開催場所はワークライフセンター3階会議室です。
 大牟田の戦争・空襲のDVD(29分)を鑑賞したあと、「大牟田の空襲を記録する会の中嶋光秋さんの講演となっています。
 忘れていた、知らなかった大牟田の空襲の実情について学び、新たな戦争の危機に不再戦の誓いの意義を確認しましょう。戦争の始まりは相互理解の不足からです。草の根の友好交流を通じた〈相互理解の大切さ〉を今こそ大事にしましょう。
以下「7・7日中不再戦の集い」呼びかけの全文を再掲します。
 「1937年7月7日中国北京郊外の盧溝橋で一発の銃声から日中両軍が衝突、日中戦争の発端となった。そして1941年12月8日には太平洋戦争に突入、広島、長崎への原爆投下、各地の空襲などによって、アジア地域の住民を含めた多数の尊い命を犠牲にして1945年8月15日、日本は無条件降服して戦争は終わった。
 ここ大牟田でも、1944年11月から45年8月までに計5回にわたり米軍の大規模な空襲を受け、死者1300人以上、罹災者は55000人にも上り、市街地のほとんど焦土と化し甚大な被害をもたらしました。しかし、この地球上から未だ戦争の火が消える日はなく、ロシアのウクライナ侵攻等おろかな歴史が繰り返されています。
 私達は、日中戦争の勃発の日を歴史認識の一ページとして、不戦の誓いを新たにし、反戦と平和の尊さを訴え、未来の子どもたちに伝える責務があります」
(下:「第37回〈7・7日中不再戦の集い〉」参加呼びかけチラシより)


雷山空襲、残酷な戦争の真実知ってほしい

2023年06月23日 05時22分56秒 | 日記

 「1945年6月19日の福岡大空襲と同じ日、米軍の爆撃機B29が糸島市雷山地区(旧雷山村)に火の雨を降らせ、8人が犠牲となった。この〈雷山空襲〉を目撃した義母の証言や関連資料を、地域で語り部活動を支援する元小学校校長の榊勝さん(81)が冊子にまとめ」られたそうです。冊子名は【榊さかえの証言から見える雷山空襲の真実】(A5判30ページ)です。
 「雷山空襲では地域の2家族7人と、講堂を除いて全焼した雷山小の教諭1人が命を落とした。二十数戸の住宅や農協の建物が全焼し、多くの納屋・倉庫も焼損。田畑は荒れ、牛馬なども犠牲になった」そうです。「なぜ、福岡市中心部から20キロほど離れた農村が狙われたのか。地元では『溜池が月の光を照らし、軍事施設と間違えられた』と伝わるが、定かではない」そうです。
 「戦後78年。空襲を体験した地域の語り部はほとんどいなくなった。建物の焦げ跡といった被災地跡も少なくなっている」「今、残酷な空襲の真実、戦争とはかくも恐ろしいことを知ってほしい。」「二度と繰り返してはいけない戦争。戦争による全ての犠牲者を追悼し、世界平和を願って、、、」と「榊さんは現在の世界情勢を直視し、義母の思いを、改めて重く受け止めている」と話されています。
 「雷山地区では〈戦争の真実〉を次世代へ伝える現場を残すため、有志による《雷山空襲跡保存委員会》発足に向けた準備が進ん」でいるそうです。
(下:2023年6月18日 西日本新聞-竹森太一「雷山空襲 真実伝える 8人犠牲、非戦闘地域〈誤爆〉と推察 『戦争かくも恐ろしい』 元小学校校長 榊さん 義母の証言冊子に」より)


福岡大空襲、簀子地区被災者名105人判明

2023年06月22日 05時22分07秒 | 日記

 「福博の町が焼け野原と化した福岡大空襲から19日で78年。被害が大きかった場所の一つに福岡市中央区簀子地区がある。簀子公園の戦災死者供養塔の案内バンには176人が犠牲となったと書かれているが、詳細な記録は残っていない」とのことです。
 「公園近くの円応寺副住職、三木英信さん(54)が犠牲者数の特定に取り組み、市社会福祉協議界の協力で105人を特定することができた」そうです。〜どうやって分かったんでしょうか?大変だったでしょう。
 「毎年慰霊祭を執り行なってきた三木さんは176人の名前が分からないことが気になっていた。『犠牲者の名簿があれば名前を読んで供養できるのに』と考えて昨春から資料を探し回った」そうです。
 「すると、博多区の冷泉公園で65年に戦災記念碑が建立された際、市か市社協が【市戦災死没者慰霊塔合祀者調査表】という犠牲者の名簿を作成していることが分かった」そうで、「市社協に簀子地区犠牲者の特定の協力を相談」し、「市社協は調査表から簀子地区の犠牲者の名前を抜き出して名簿を作成した」とのことです。
 「三木さんは名簿を寺にある無縁仏地蔵尊に納めると決め、石室を制作。正面に〈祈〉の文字を入れた」そうです。
 「三木さんは『先人の苦難があったから今の日本がある。空襲を風化させない、伝えることが私の宿命、仕事だと思う』」と話されています。
 〜実は、空襲は各地を襲いました。当時の台湾にも、大牟田でも、東京にも、、、。空襲はなぜ起こったのか、どう拡大していったのか?犠牲者数は?犠牲になった方々のお名前は?と、まだ解明されていない事が多いようです。
(下:2023年6月17日 西日本新聞-塩入雄一郎「空襲犠牲者105人 名前特定日 福岡大空襲19日で78年 円応寺の三木さん『読み上げて供養したい』」より)


福岡大空襲に合わせ、平和を考える企画展開催中

2023年06月21日 05時22分46秒 | 日記

 「福岡大空襲(1945年6月19日)の日に合わせ、平和について考える企画展示【戦争とわたしたちのくらし】が福岡市早良区の市博物館で開かれている。32回目となる今年は〈子ども〉をテーマに、当時小学生だった女性から寄贈された戦時中の答案用紙や絵を初展示」されるそうです。「遊びや学習の場に軍事教育がじわりと浸透していった過程が浮かび上がる」そうです。「初めて展示されるのは、春吉国民学校(現春吉小、中央区)の児童だった加藤フサ子さん(87)=大任町=が寄贈した18点。3歳上の姉、桂子さんの遺品整理で姉妹の戦時中の絵や日記などが見つかり、今年、市に約40点を寄贈」されたものだそうです。写真には、「太平洋戦争中の春吉国民学校5年生の地理のテスト」があって「天皇中心の教育がみてとれる」そうです。又、「加藤フサ子さんが寄贈された戦時中の絵では、日常の食卓の様子が分かる」そうです。
 「福岡大空襲があったのはフサ子さんが9歳の時。両親と離れて疎開した先から、真っ赤に染まった自宅方面の空を見ておびえた」そうです。「フサ子さんは『若い人たちに見てもらえるのは本当にうれしい。どうか、二度と戦争にならないようお願いします」と願いを託」されているそうです。(7月9日まで 一般200円、高大生150円中学生以下無料 市博物館=092(845)5011)
(下:2023年6月14日 西日本新聞-川口安子「軍事教育じわり浸透 〈子ども〉テーマに【戦争と暮らし】展 福岡市博物館 春吉国民学校の児童だった女性寄贈 答案用紙や絵を展示」より)