大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

福岡大空襲、簀子地区被災者名105人判明

2023年06月22日 05時22分07秒 | 日記

 「福博の町が焼け野原と化した福岡大空襲から19日で78年。被害が大きかった場所の一つに福岡市中央区簀子地区がある。簀子公園の戦災死者供養塔の案内バンには176人が犠牲となったと書かれているが、詳細な記録は残っていない」とのことです。
 「公園近くの円応寺副住職、三木英信さん(54)が犠牲者数の特定に取り組み、市社会福祉協議界の協力で105人を特定することができた」そうです。〜どうやって分かったんでしょうか?大変だったでしょう。
 「毎年慰霊祭を執り行なってきた三木さんは176人の名前が分からないことが気になっていた。『犠牲者の名簿があれば名前を読んで供養できるのに』と考えて昨春から資料を探し回った」そうです。
 「すると、博多区の冷泉公園で65年に戦災記念碑が建立された際、市か市社協が【市戦災死没者慰霊塔合祀者調査表】という犠牲者の名簿を作成していることが分かった」そうで、「市社協に簀子地区犠牲者の特定の協力を相談」し、「市社協は調査表から簀子地区の犠牲者の名前を抜き出して名簿を作成した」とのことです。
 「三木さんは名簿を寺にある無縁仏地蔵尊に納めると決め、石室を制作。正面に〈祈〉の文字を入れた」そうです。
 「三木さんは『先人の苦難があったから今の日本がある。空襲を風化させない、伝えることが私の宿命、仕事だと思う』」と話されています。
 〜実は、空襲は各地を襲いました。当時の台湾にも、大牟田でも、東京にも、、、。空襲はなぜ起こったのか、どう拡大していったのか?犠牲者数は?犠牲になった方々のお名前は?と、まだ解明されていない事が多いようです。
(下:2023年6月17日 西日本新聞-塩入雄一郎「空襲犠牲者105人 名前特定日 福岡大空襲19日で78年 円応寺の三木さん『読み上げて供養したい』」より)