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大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

屯鶴峯地下壕見学会2021-③

2021年03月07日 | 館外活動

朝からあいにくの雨。それでも決行。16名の予定でしたが取りやめたのは3名だけ。この重装備で、行きたかったのはここ。

 

2021年3月5日 9:49 「NPO法人 屯鶴峯地下壕を考える会」の田中正志さんのご好意で屯鶴峯の地下壕を見学させていただくことになりました。

百景メンバー他13名で雨にも関わらず、屯鶴峯の駐車場から目的地まで歩きます。どうしても行きたい人たちの行列。

むこうに見えるのは春日山山麓のブドウ園。

 

途中、石垣にサヌカイトと思われる石が見られました。

 

春日山はサヌカイトの取れる山なので、石垣にも利用されています。

 

東側のビニールハウスの向こうは凝灰岩の露頭になっています。

屯鶴峯は、二上山の火山活動でできた奇岩で知られる県指定の天然記念物。

 

ここからはより険しい細い道に入ります。真ん中が案内と解説をいただく田中さん。

 

細い道に入って、すぐに沢を渡ります。

 

笹の小道を歩きます。笹は刈っていただいているようで、歩きやすい。

 

だんだん坂も急になり、最後は崖登り状態。

 

程なく舗装路から10分くらいで入口に到着しました。

 

柵の一部が壊され、入れる状態。

 

中は真っ黒。照明なしには歩けません。

 

ここで田中さんより屯鶴峯地下壕の説明を受けました。

内容をご紹介します。

・終戦間近の1945 年6月から8月のわずか2か月で掘られ、工事の途中で終戦を迎えた。

・東壕と西壕に分かれており、二つを合わせた全長は2kmに及ぶ巨大地下壕。陸軍航空総軍の戦闘指揮所として秘密裏に建設された。

・本土決戦になり沖縄から九州方面にやってくるアメリカ軍の船を想定して、特攻攻撃を行うための指令を出す場所としての軍事施設として建設されたようで、近隣の大正飛行場(現在の八尾空港)との関連性が高いと思われる。

 

・日本軍の徴兵された朝鮮人兵士を含む約300人が動員された。 朝鮮人兵士の編成は200人。聞き取り調査では 100人とのこと。

・この工事のため学校が接収され、生徒は公民館・寺などに分散して勉強した。働いていた兵隊は二上小学校に泊まっていた。

・二上小学校から現場まで、下士官が連れて列を組んで行った。掘ったのはこの部隊の兵士、24時間体制で掘ったようだ。

 

・「地下壕からは、軍が本土決戦をやるつもりだったことが分かる。そうすれば奈良も戦場になっていた」

・全国で地下壕の戦闘指令所は、屯鶴峯地下壕と長野県長野市の松代大本営地下壕の2カ所だけ。

 

直線的な通路に直角に交わる通路がいくつもあります。

 

見学した西壕はこんな感じ。

 

きょうは見学できなかった東壕もこのようになっています。

 

「屯鶴峯地下壕を考える会」HPより

全体的な見取り図はこのようになっています。

西壕と東壕の間は北に向かう谷筋なっていて、2つの壕を地下で連結できなかったようです。また西壕と東壕は別の部隊が掘ったという聞き取りもあるようで、それぞれの規格が異なるようです。

 

地下壕内は広々として、通路の幅は5メートル前後、天井の高さは3メートル前後にもなります。

頭を打つと心配していたメンバーもいましたが、思い違いでした。

 

角礫を含む溶結凝灰岩の粗い天井。素掘りのままの状態。火砕流の跡。

 

枝壕の中には狭く階段状になって、途中で屈曲して地上に抜ける通路もあります。

 

田中さんによると、この上の地上に建物があり朝鮮最後の皇太子・李垠(イ・ウン)=「リ殿下」が滞在していたようであるとのこと。

 

粗い岩盤はツルハシの跡は残りませんが、粒子が細かく硬い岩盤には跡が残ります。

 

ここは他のブログでもあったように、厨房場所か?

上に延びる直径20㎝位の穴があり、煙を地上に出していたと考えられるそうです。

床には灰の跡があります。

 

ダイナマイトを仕掛けるための穴。直径5cmほどで、深く40cmくらいのものもあるそうです。一度に2本~3本のダイナマイトを入れます。こういう穴が上・中・下と何カ所も開いています。

この場所は奥行が浅く、未完成のまま終戦を迎えたようです。これからダイナマイトで発破する直前の状態のようです。

なお、上の穴は上に向かって、下の穴は下に向かって開けられていて、田中さんによると下から順番に爆破するそうです。

 

おおこわ~! 落盤の跡。

溶結凝灰岩の岩盤以外に、ところどころ火山灰が湖底で堆積した層があります。堆積した時代で細かい火山灰層と粗い火山灰層の互層になっているため、経年変化で粗い火山灰層が剥離し落盤を引き起こします。

こんなん頭に当たったら大変なことのなります。

くれぐれも単独での行動は控えたいものです。

 

田中さんの案内で安全なコースを行きます。

 

出入口はいくつか設けられています。

 

直接見通せないように作られれている出入口や狭く作られている出入口もあります。

 

一人が何とか登れるような急な出入口もあります。

 

ここを出たところに機銃の台座のようなものが作られているそうです。

万一の敵の来襲に備えての設備ですが、機関銃が据えられる前に敗戦を迎えたようです。

 

ギャー、キクガシラコウモリ!!

 

いろんなウィルスの中間宿主になっているコウモリです。富田林では夜明けや夕方に町中や田んぼでアブラコウモリは冬場以外しょっちゅう見かけますが、キクガシラコウモリは珍しい。

 

カマドウマの仲間も生息。

 

田中さんには1時間半ほど案内といろんなお話をしていただきました。車で30分くらいの所に、このような戦争遺跡があることに驚きました。しかもツルハシの跡が75年の歳月をきのうのことのように語りかけてきます。

 

みなさんいろんな思いで地下壕を後にしました。

関連記事:屯鶴峯地下壕見学会2021 (kusu)2021.3.5 

屯鶴峯地下壕見学会2021-② (matsu)2021.3.6

撮影:2021年3月5日

写真撮影:yos103、アブラコウモリH

2021年3月7日(HN:アブラコウモリH )

 

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