富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

晩秋の千早旧道をめぐり 2023

2023年12月04日 | 館外活動

2023年11月28日 金剛バスが12月21日で廃止になることもあって、今回の富田林百景館外活動は「晩秋の千早旧道をめぐり 2023」を実施いたしました。本日は雨が降ったりやんだりのあいにくの一日でありましたが、その状況の一部を紹介いたします。  2023.11.28 撮影

 

行程表

〈画面をクリックすると拡大します〉

 

9:50 近鉄 富田林駅南出口(金剛バス側)集合。メンバーがそろそろ集まりだしました。 

 

9時5分発 「千早ロープウェイ」行きが来ました。これに乗車。

 

千早赤阪村「鱒釣り場前」停留所で下車します。25分のバスの旅。

 

金剛バス「鱒釣り場前」バス停。

 

9:42 金剛バスが今年12月20日で営業終了になるのはとても寂しいです。これで乗り納めになるかも。

 

このバス停は富田林駅前からの金剛バスと河内長野駅からの南海バスが停留いたします。

 

紅葉を眺めながら千早川に沿って旧道を下り千早地区を巡ります。

 

千早川のマス釣り場。夏場はマス釣り客でにぎわいます。

 

事前の下調べではこんなに釣り客でにぎわっていました。2023年8月23日 8:45

 

たくさんのニジマスが泳いでいます。

 

9:56 すこし坂道を降りていくと道標がありました。ここが分岐点。

 

旧道でかなり風化した道標。昭和2年に建てられたもので、「右 赤滝山道 左 五条道」と記銘されているようです。

 

9:58 さらにどんどん下って行きます。下り坂なのでらくちん。

 

10:11 山の紅葉がきれい。千早地区の墓地に着きました。

 

かなり古い宝篋印塔があり、「菊水」の家紋が見えます。

 

安永五年(1776)江戸中期の文字が見えます。

 

立派で大きい五輪塔(高189cm)、鎌倉時代後半の造立と考えられるそうです。

総供養塔として基壇の中央には奉籠孔(ホウロコウ)が開けられています。

 

10:32 順調にさらにどんどん下って行きます。

 

ところが辻堂に至る手前で突然のしぐれ雨。

 

千早地区中心地辺りにある辻堂の板碑。「南無阿弥陀仏」の六字名号の板碑です。

 

でっかい盃状穴(はいじょうけつ)も複数ありました。

民衆信仰の中で「さずかり信仰」に関わるもので、板碑が作られた後に民衆の手で開けられました。南河内ではあちこちにあります。

 

10:45 自然石の道標のところで雨宿り。

 

急な坂道を行くか行かないか迷ったが、とりあえず行くと階段の坂道で2つの石灯籠を発見。

左が「太神宮常夜燈」(伊勢灯籠)、右が「楠大神献燈」と彫られています。

守り神として大楠公が神様(大神)になられたか?この先に千早城があります。大楠公時代は一度も落ちない名城です。

 

そしてこの先を少し行くと、大楠公騎馬像。

浪速学院(浪速高等学校・浪速中学校)の校外宿泊学習施設である「多聞尚学館」にあります。

 

10:54 このりりしいお顔の大楠公。旧千早小学校の校庭に今もその元になる騎馬像があります。

 

天下の名城、千早城への道標。

 

千早川を渡る橋。欄干に菊水紋。こちらが左流れで俗に女紋。

 

こちらが右流れで俗に男紋。

 

11:10 千早公民館に着きました。

 

特産「天然凍豆腐碑」。冬の寒さを利用して、昭和の時代まで天然凍豆腐(高野豆腐)の大産地でした。

「高野豆腐と」言わないのが千早流。

 

ちょうど雨が上がったのでここで昼食。

 

移動販売車がやってきました。

 

週に1度の巡回のようです。これはすごく助かります。

 

千早川沿いの千早地区の町並み。石垣で高くして増水に備えた茅葺き(今はトタン葺き)の民家。

厨子(つし)二階住宅や大和棟の家屋もありました。

 

11:43 角が算木積みされた堅牢そうな石垣。

 

ところで気が付いたのですが、すべて花崗岩で作られています。

ふつう富田林や河内長野の古い石垣は花崗岩と砂岩、まれにチャートが混じります。(近代の遠くから運ばれてきた石垣は除く)ところがここは全体が領家帯花崗・片麻岩帯なので砂岩やチャートがありません。それで100%ピュアな花崗岩の石垣があるのだと思われます。

 

雨上がりの紅葉。

 

旧千早トンネル入口付近の道標。「観心寺首塚 一里二十町(6km余り)」

トンネルまでは350mと近いです。

 

11:54 天から光が射しこみます。

 

最初は整備された道でしたが...

 

しばらく行くと悪路に...

 

さらに進むと倒木がいっぱいの悪路に...

 

11:58そして帰りたくなるような最悪路に。

 

それでも進んで、旧千早トンネルに到着。

いつ倒木や落石が落ちて来るかも知れない谷底です。

 

12:06 入口は閉ざされていました。煉瓦と花崗岩の組み合わせで堅牢そうなトンネルです。煉瓦はイギリス積みでした。

 

「千早洞」と揮毫された旧千早トンネル。

書は大久保利武。大久保利通の三男です。内務省や農商務省などの官僚や鳥取・大分・埼玉などの知事も務めました。

大正元年(1912)12月から大正6年(1917)12月までの5年間は大阪府知事をされていました。

旧千早トンネルは大正6年(1917)完成していますので、その関係でこの扁額が飾られたようです。

 

トンネルの長さは88mとあまり長くなく、素掘りで掘り進めたそうです。

トンネルの中は霧がかかっているようでした。河内長野側は完全に入口が塞がれています。よって向うからの光が見えません。

 

旧千早トンネル前で集合写真。

 

また荒れた山道を戻ります。

 

千早大橋の方に行くにしたがって整備された道になりますが、ここは最近間伐作業のため整備されたようで8月に下見した時はもっと荒れた道でした。

 

旧千早トンネルから旧道に出ました。

 

ここに自然石の道標があります。

読みずらいですが、どうも「右 東さか(東阪 あずまざか) 左あかたき(赤滝)道」と記銘されているのではないかと思われます。かなりの崩されているので、解りづらいです。

 

12:28 旧千早トンネル出口の千早大橋から170m程下ったところに新千早トンネルがあります。長さ268m 昭和47年(1972)完成しました。南海バスはここを抜けて河内長野方面に向かいます。

日中の気温8度。寒いですね。

 

金剛バスのバス停。南海バスもだいたい同じところにあります。

「だいたい」というのは、河内長野行のバス停がないからです。千早ロープウェイ側のバス停に「当停留所の向かい側の安全な確認のできる場所でお待ちください。」と書かれています。

 

12:49 南海バスが来ました。

 

3人ほどうちのメンバーが乗り込みました。

 

千早大橋バス停より南海バスで河内長野駅方面に帰りました。

 

12:58 10分後に金剛バスが来ました。

 

残りのメンバーが乗り込みます。地元の方も乗車し、近鉄 富田林駅方面に向かいます。

 

13:08 疲れ顔のみなさん。

 

金剛バスが千早大橋より富田林駅前に到着。今年最後の館外活動でした。

超長文最後まで見ていただきありがとうございました。 

2023.11.29  kusu&12.4 アブラコウモリH

 


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