遺体屋の仕事

日常生活では見ることも聞くこともない「遺体屋の仕事」とは・・・

祖母の最期

2006-06-29 12:38:01 | Weblog
小学校1年生の夏のことです。
乳がんで入院していた祖母の様態が悪化し、病院へ急いで向かいました。
病院に到着すると祖母の意識ははっきりして、私たちがお見舞いに来たことを喜んでくれました。
しかし、ポッチャリしていた祖母は、病気のせいもあり、痩せてしまっていて、表情も元気がありませんでした。


「早く病気を治して家に帰りたいな~」

「みんなに迷惑かけちゃって申し訳ないな~」

と何回か口にしていました。

その祖母の言葉とそのときの表情を今でも覚えています。
もしかしたら私が聞いた祖母の最期の言葉だったかもしれません。


・・・母方の実家へ泊まって3日目のことです。
祖母は81歳で息を引き取りました。



祖母の葬儀は直ぐに執り行われず、2日間、自宅の布団に寝ていました。
しかし、時間の経過とともに祖母の顔はどんどん赤黒く変化していき、鼻や口から体液がでてきました。
また、病院から着てきた浴衣も黄色い液体でビショビショになってしまいました。

母や兄弟たちは交代で体液の拭き取りをしていました。しかし、結局、体液を止めることはできませんでした。

お柩に祖母が入る頃には、病院で最期にみた祖母の面影はなくなっていて、黒ずんだ祖母の顔と腐敗臭が小学1年生の私には刺激が強く、恐怖で祖母としっかりお別れができませんでした。
母も祖母の変わり果てた姿に悲しみを抑えきれず、葬儀が終わるまで泣き続けていました。


あれから18年になりますが、私は縁あって湯灌のお仕事をしています。
今になってみれば、祖母の死後の変化がよく理解できるようになりました。
母は、私が湯灌のお仕事をしていることもあり、当時の最期の別れについて、

「おばあちゃん、綺麗に送ってあげたかったなぁ」

と口にします。
もし、あのとき私が死後処置と死後のケアができたら・・・


最期のお別れの表情は、亡くなった故人様にとってもご遺族にとっても大切だと思います。湯灌のお仕事を通じて、祖母のときのようなことがないように、少しでも悲しみを安らぎに変えられるお手伝いをしていきたいと思います。




遺体処置のプロセンター
ヒューマンケア株式会社

遺体処置・エンゼルケア・特殊メイク・湯灌サービス・納棺サービス・遺体搬送等ご相談ください!!