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○年○組 ○○○○ 様
いよいよ学年末考査を迎えました。
さすがに本気を出さねばならない人もいると思います。やるべきときには、さらりと本気を出してやり遂げてください。
勉強をするしないの自由もありますが、勉強をして能力を高めることによって得られる「人生を選ぶ自由」のほうが、ずっと大切です。今、楽をすることで、自分の将来の自由度を狭めることのないように心がけたいものです。
あなたは磨かれていない原石です。あなたに与えられた能力を磨いて活かし、幸せを手にしてください。
あなたは、できます。
今は、やるときです。
平成17年2月21日
県立だいこん高等学校長 奥井太郎
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これは、1、2年生の欠点保持者へのはがきです。
勉強しないのも自由、本人の勝手という風潮が蔓延してますが、本当にそうでしょうかねぇ。報道の自由とか、自由は大事だとは思うのですが、何か違うって違和感を感じてしまいます。私だけではないと思うんですが……、皆さんはどう思いますか?
本来、人間には持って生まれた能力をできるだけ活かすよう努める「義務」っていうか、「使命」っていうか、「定め」みたいなもんがある気がします。持って生まれた能力を活かさないと不幸になるように、人間は定められていると思っています。
そういう見方からいうと、勉強しない自由っていうのは、人間には与えられていないように思えるんです。
そういうと、不幸になるのも自由だっていう人がいます。理屈ですね。
私は、不幸になる自由はないって思ってます。その人の生命は、その人だけのものじゃない。いろんな人のお陰で生まれてきて、いろんな人のお陰で生きている以上、不幸になる自由はないって思ってしまいます。
こんな話をしても納得してもらえない人には、納得してもらえないでしょうから、はがきのように、「勉強しないことで狭められる自由と、勉強することで能力が高まり広がる自由と、どちらがいいでしょう」と迫る方がいいかもしれません。
今、勉強しない自由を行使して、将来の不自由を我慢するか。今、勉強する自由を行使して、将来より多くの自由を得るか。どちらをあなたは選びますか。
奥井のはがきは、そう問いかけているのです。
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さて、勉強の話をしていると、平成16年11月22日に、奥井が当時の2年生に講話した話を思い出します。
「働け。もっと働け。とことん働け。」という話です。後に、奥井は、「勉強しろ。もっと勉強しろ。とことん勉強しろ。」というようになるんです。
講話は一時間もありましたから、とても再録する気になりませんので、学校だよりにちょこっと書いていますので、そちらを紹介します。
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保護者・地域のための「だいこん高だより」5号 (平成17年1月17日)
働け、もっと働け、とことん働け 校長 奥井太郎
先日「夢は必ず実現します あなたがあきらめない限り」との言葉をいただきました。私も生徒たちに呼びかけています。
私はしたい(I Want)と、夢を持とう
私はできる(I Can)と、自分を信じよう
私はやる(I Will)と、夢を実現しよう
しかし、夢探しは、ほどほどにしたほうがよいと思っています。探してばかりでは、夢は見つからないからです。
だいこん高生は様々な能力を内に秘めていますが、磨いていないため、自分の能力を自覚しない者がいます。能力を磨く努力を怠る者さえいます。実にもったいないことです。
自分の能力を鍛えないと、見えてこない夢があります。とことん働いた後でないと、味わえない喜びがあります。
プロシアの鉄血宰相と呼ばれたビスマルク……38の小国に分裂していたドイツを統一した人です……このビスマルクが、次のような言葉を青年に残しています。
青年にすすめたいことは三語に尽きる。
働け。もっと働け。とことん働け。
「とにかく、やってみなはれ」「とことん働け」という先達の教えには、夢を育て、実現するための知恵が詰まっています。生徒たちにもぜひ身につけてもらいたい姿勢です。