心得八十四 校長は物語の語り部である
大きな負荷をかけられ、全員で疾走する快感を味わって思わず限界に挑んでしまい、挫折を経験して自分を見つめ直し、自分のよさに気づいて伸ばすことを覚え、よさを活かす世界に出会う。こうした成長物語を彩る打ち手をどう見いだし、意味をどう付与していけばよいでしょうか。
授業や学校行事で教職員がやっていることに光を当て、物語の中でどんな意味や役割を担っているかを明らかにすることに心がけました。
例えば、再テストという打ち手です。県立浦和高校の英語科・数学科・国語科では定期テストの後で、早朝に過半数の生徒が参加する再テストを行っています。1年生の数学再テストの開始前に教員に頼まれて生徒たちを激励したことがありました。そのとき、浦和高校の物語の一部を語りました。「守」の時期の「やればできる」を全力で学んだら、「破」「離」へと進み、「自分でやる」を身につけなさいという物語です。
▼二十年前にもこの部屋で数学の早朝追試を実施した/諸君はやればできるが、まだ本気でやっていない/今は、やらされてできる段階/いつまでもやってもらうな/三年生になるまでには、自分でできるようになれ
3学期の「離」の時期には、大学受験直前の生徒たちにこんな言葉を贈りました。「自走する」ときに役に立つ言葉です。
▼もう限界だと思ったときが自分との勝負/あと3日、あと3時間、あと3分だけ全力を尽くせ
佐々木常夫さんは「決定版 上司の心得」(角川新書)の中で「もうだめだ、という苦境のとき『あとひと頑張りがんばろう』と言える人。みんなが尻込みしているときに『私が行こう』と言える人。彼らはそのとき、リーダーである」と言っています。リーダーとして世界のどこかを支えるために必要な心構えです。しかも「そのとき、リーダーである」には、「誰でもリーダーになることがある」という意味が含まれており、どの生徒にも必要な心構えです。
学校行事という打ち手については、事あるごとに物語の中での位置づけを語りました。校長が意味を付与すると、生徒も教職員も自らが行っていることに意味を付与し始めるので、成長物語が共有され始めます。
例えば、体育祭です。体育祭は生徒たちを成長へと導くどんな打ち手になっているでしょうか。平成22年度の体育祭で、次のような開会時の挨拶と閉会時の総評を行いました。
挨拶▼体育祭も学校行事であるから、当然、体育祭の目的があり、諸君に成長してもらうために体育祭はある/全力を尽くすこと、思いきり楽しむこと、仲間と共同してやり遂げること、陰で支えてくれる人に感謝することなど、体育祭から学んでほしいことは多い▼体育祭はやる気の作り方を学ぶ機会でもある/人はやる気がなくてもやると決心することができるし、やる気がなくても全力でやることができる/人はそういう不思議な生き物だ/だから、取りあえずやると決めて、全力で走ってみるといい/全力でパフォーマンスしてみるといい/やる気なんて後からついてくる/体育祭で「やる気なんて後からついてくるものだ」ってことを学ぶのもいい▼…
総評▼浦高生の体育祭にかける情熱を見た/全力を尽くす姿はすばらしかった/体育祭を思い切り楽しむことができる浦高生は頼もしい▼ここで、野暮を言う/体育祭が終わったら、勉強に全力を尽くせ/体育祭から勉強への切りかえができて初めて、体育祭の目的がすべて達成される/切りかえを学ぶことも体育祭の目的の一つだ▼勉強のやる気が出ないという声を聞いたが、やる気なんて後からついてくるものだ▼…
この前年は雨が降る中での体育祭でしたので、「本校の体育祭に『あいにくの雨』という言葉はない。恵みの雨だ。思い切り愉快にやろう。一つだけ言う。卑怯なまねはするな」と、極めて簡潔な挨拶をしました。
これらの挨拶は、一学期が無理難題に全力で挑戦する時期であるという物語を紡ぐ打ち手です。校長には心に響く物語を語り続ける責務があります。この行事にはそんな意図があったのか、先生方はこの仕掛けを相当な労力をかけて用意したに違いないと生徒たちが気づくように物語を語る責務です。相手が想定していない言葉を選びつつ、物語の本質を語ることに心を配りました。
平成23年度1学期終業式では、「ない」ということについて話しました。
▼長谷川英祐著「働かないアリに意義がある」にこんな一節があった/「多くの研究者は、教科書を読むときに『何が書いてあるかを理解すること』ばかりに熱心で、『そこには何が書かれていないか』を読み取ろうとはしません」/…▼他の学校にあって浦高にないものが少なくとも3つある/1つ、「校則がない」…/2つ、原則として「3者面談がない」…/3つ、「女子高生がいない」…▼東日本大震災の影響で、現在、様々なものや活動が不足していて「ない」/「ない」という状況から何を読み取るか/「ない」という状況に対して自分はどう対処するかということを考えよ▼震災の影響で様々なものが「ない」という状況は、自然や他人から与えられたもの/与えられた「ない」ではなく、自分で決める「ない」もある/何かを「やらない」と決断する「ない」/何かを決断して捨てる「やらない」ができて初めて、何かをやり切ることができる/…
自分の限界に挑戦する「守」から、挫折を乗り越える「破」に向かうとき、「ない」ものを見る姿勢が必要となります。その姿勢をアドバイスすることで物語に深みを与えたつもりです。
「ない」ものを見ることで「ある」ものの意味が見えてきます。強歩大会に込められた意味が鮮明になります。浦和高校では定期考査が終わると必ずスポーツ大会を実施しています。切り替えを学ばせるためです。しかし、9月中旬の文化祭から11月初旬の強歩大会までスポーツ大会を含めて行事がありません。行事に逃げずに自分を見つめる時間を用意しているのです。1学期は悩む暇もないくらいに疾走させておき、2学期は悩む時間を十分に与えます。こうした配慮に気づかせることで、深慮遠謀が縦横に張り巡らされた物語に気づかせていきます。
校長は物語の語り部です。「人と比べるのではなく、昨日の自分と比べよ」「浦高は理不尽な学校である。正当な理由があっても、遅刻するな」など、さまざまな表現で物語を語ります。世界のどこかを支える人間にするために教職員が懸命に仕掛けている打ち手を、生徒自身が思わず人に話したくなるような物語にして語ります。何と愉快な役目でしょうか。
心得八十五 変わることが出来るように配慮する
ところで、いつでも校長の物語りが受け入れられるとは限りません。「少なくとも勉強、部活動、学校行事の三兎を追え」と語り始めた頃のことです。「あれは校長が勝手に言っていることで、学校としての正式の方針ではない」という声が聞こえてきました。正面突破は、反対の意思を正式に表明させることになり、得策ではありません。
そこで、一計を案じました。担当に学校案内を成長物語風に全面改訂することをお願いし、新たな学校案内に「少なくとも三兎を追え」の言葉を入れてもらったのです。学校案内を正式改訂することで、「少なくとも三兎を追え」を学校として認めたものにしたのです。後に、陰で反対していた教員が担任している生徒に「少なくとも三兎を追え」と話していると聞きました。人前で反対させないやり方が功を奏したのかもしれません。人は変わるものです。変わることが出来るように配慮することも管理職の役目です。
熱く厳しい「夏」が終わります。危機管理や組織改革に対処したり、成長物語を共有したりすることで、教職員や子供たち、保護者などと信頼関係で結ばれると、学校は大きく飛躍し始めます。実りの「秋」では、見つめなければならないものがあります。これからどこへ行くのか。自分の使命を見つめ直す季節に入ります。