極意十五 今ここを生きる
さだまさしさんが作詞した『防人の詩』にはたくさんの問いがあります。これだけ問われると答えてみたくなります。
海は死にます。山も、風も、空も死にます。春も、秋も、愛も、心も、大切な故郷もみんな逝ってしまいます。太陽系も消滅する運命です。ビッグバーンで始まった宇宙もいずれ消えてなくなります。すべてが無になります。このように先の先のずっと先を考えると意味が消えてなくなります。人間は生きる意味を求める生き物ですから、辛いものがあります。どうしたものでしょうか。
『防人の詩』にはもう一つ、他の問いと全く異なる問いがあります。「わずかな生命のきらめきを信じていいですか」という問いです。
私たちは今を生きています。昨日があり、明日があると思っていますが、私たちは永遠に今を生きていきます。昨日に生きることも、明日に生きることもできません。私たちは「今ここをどう生きるか」という問いしか許されていない生き物なのです。そう考えると、先の問いの答えは「わずかな生命のきらめきを信じて、今ここを精一杯に生きていきましょう」となります。
世は無常です。変わらないものはありません。すべてが逝っても、すべてが無になっても、変化し続けます。限りある生命の人間ですから、はかないと嘆くときがあってもいいでしょう。しかし、変わることができるという希望を忘れてはなりません。変わることで、自分の生命をわずかでもきらめかせてみませんか。そんな呼びかけを『防人の詩』から受け取ることができます。
心得百二十 きらめいて生きているかと自問する
今ここをきらめいて生きてきましたか。今ここをきらめいて生きていますか。そんな厳しい問いかけも、『防人の詩』から聞こえてきます。答えなければなりません。「管理職は愉快です」の執筆を通して過去を振り返ってきましたが、再度、これまでの「今ここ」を振り返ってみます。
志木高校長のときに綴った「すごろく(素語録)」という備忘録が残っています。この中に文化祭を見つめる「今ここ」を記した一文があります。
▼しあわせになれ/みんなみんな、しあわせになれ▽文化祭は感動でした/中庭での後夜祭、踊る生徒たち、歌う生徒たち、演奏する生徒たち、教室の窓から顔を見せる生徒たち、通路の手すりから足を出す生徒たち、壁に寄りかかる生徒たち、手を振り上げリズムを刻む生徒たち、1人ひとりの顔を見つめながら、みんなしあわせになれ、と念じました/みんな、いろんな事情を抱えています/学校をやめて1人で生きていく生徒もいます/彼らの重荷を誰も替わってあげられません/みんな、自分の力で自分の重荷を背負って生きていきます/きっときっと、必死に生きていきます/幼さの残る顔を見つめながら、祈りました/みんなみんな、しあわせになれ
次は、卒業式の後の「今ここ」です。
▼ありがとうございました/志木高でのいろんな行事が、みんな楽しかった/すてきな友達がいて、すばらしい高校生活でした/本当にお世話になりました▼卒業式の後、あいさつに来てくれた生徒たちがいました/大学入試の面接練習をした生徒、2度の失敗で荒れた生徒、応援合戦の打ち上げ事件で責任を感じている男女の団長2人/みんな可愛い生徒たちです▼お母さんも5人、あいさつに来てくれました/欠席遅刻が多くて、荒れてしまって、もう卒業は無理…と思ったこともあった、と話してくれました/子供がハガキを飾っています、と教えてくれました/ありがとうございます、と何度も何度も頭をさげていきました▽こちらこそ、本当にありがとうございました
卒業後、訪ねてきた生徒との「今ここ」です。
▼ずっと悪いことばっかりってことはないよ/ずっと良いことばっかりってこともないけどね△校長先生、いいこというなぁ/志木高はいいなあ、高校生に戻りたいよ/今度、制服着て学校に来ちゃおうかなぁ▽文化祭や体育祭に来いよ△ウン、来る/後輩たち、どう?盛り上がってる?▽みんながつくった伝統、結構引き継いでるよ▼就職した卒業生が2人、美人になって、遊びに来ました/ いい思い出がいっぱいある彼女らは、きっと幸せになれると思います△あたし、校長先生からもらったハガキ、全部取ってあるよ/あたしも/卒業のときもらったハガキ、トイレに貼ってあるんだ▽もうちょっとマシなところに貼ってくれないかなぁ△毎日見てるからさぁ▽ありがとう▼いろいろあった1日だったけれど、彼女らから元気をもらいました
市立川口高校教頭時代に実施した「ぷらいど創造講座」の生徒向け通信最終号に載せた、生徒と私の「今ここ」です。
▼とても楽しかったです/今まで将来のことや過去のことを考えることがなかったから、ぷらいど創造講座に参加して、よかったと思う/これを期にもっと深く考えたいと思います/ありがとうございました(2年)▼自分のことについて再確認できたと思います/朝早くてたいへんだったけど、みんなともじっくり話せたし、なにより自分のためになったと思います/先生もいろいろ大変だったと思います(3年)▼この講座は、自分を見つめる部分が多くて、本当の自分、理想の自分、今の自分など、色々な自分が分かった気がします/その自分をもっともっとみがく様に頑張るアドバイスをたくさんくれたと思いました/この講座に出てよかったと思いました(1年)▼毎週みんなといろんな夢をふくらませて、いろいろな話ができてよかった/卒業前にこういう事ができてよかった(3年)▼プライドある市高生であってほしい/そのために私にできることは何か/そう思い、ぷらいど創造講座を続けてきた/講座を終えて、ふと気がつくと、多くのものを与えられていた自分を発見した/時間を共にし、空間を共にする/にぎやかで中身の詰まった時間を共にする幸福/明るく心を温かくする空間を共にする幸福/そんなチャンス、一期一会を与えられていた/本気になるということ/誰からというわけではなく、しかし、確かに本気になるということを教えられていた
すべて逝ってしまった「今ここ」ですが、今から見るときらめいて見えます。実際に「今ここ」であった瞬間には、「今がどれほど大切な瞬間であるか」を自覚していませんでした。「今ここ」のきらめきを十分に味わうことができませんでした。もったいないことです。
人は愚かな生き物です。偏見、差別、妬み、憎しみ、いじめ、暴力、戦争…と、様々な過ちを犯してきましたし、犯し続けています。「今ここ」では気づかず、取り戻せない過去となって初めて悔やむ愚かさ。人は進化しない生き物のようです。
希望はあります。「今ここ」をきらめいて生きていた瞬間が誰にでもあります。また、誰もが変わり続けますし、変わることができます。
県立春日部東高校で初めて1年間出し続けたクラス通信の最後の一文を紹介しましょう。一度目の29歳の私の「今ここ」です。
▼過ぎ去った日々を思い出すのは寂しいし、最後だから特別な通信にするのも悲しいから、普通に終わりにしようと思う▽この1年を振り返ると、もっと君たちにしてあげなければならないことが沢山あったことに気づく/「回るノート」を通して仲間をいくらか知ることができただろう/しかし、討論会をやって、それぞれの意見を気持ちを発表して話し合ったら、もっと深い感動が味わえたかもしれない/素直になって、自分の考え、悩みを話し合えたら、もっとすばらしかったのに…/そう思うにつけ、私はもっと教師としての力をつけ、次の私の担任する生徒たちに君たちにしてあげられた以上のことをできるようになりたいと思う▽私は卒業していく君たちに残された者ではいたくないと思う/君たちと同じように、私も成長していく者でありたい/今日という日は明日へと続く日なのだ▽この1年、幸せな担任だった/あ~、いい気持ちだ
考えていることは当時も現在も変わりません。変わらないことも希望です。前言に矛盾しますが、矛盾を受け入れたほうが人生は愉快です。