ところで、「花咲か爺さん」を別の角度から見て、「よさ」を知る講話ができないだろうか。
例えば、他人の「よさ」を見つける視点から「花咲か爺さん」を読むと、こんな講話も考えられるのではないか。
「花咲か爺さん」の話を、自分の「よさ」を見つけようとする話と読みましたが、なかなか自分の「良さ」を見つけることは困難です。なにしろ、人というのは「よさ」よりも「欠点」を見つけることのほうが得意な生き物ですから。
では、どうしたらいいでしょうか。
自分は一人しかいませんが、他人はたくさんいます。そこで、他人の「よさ」を見つけることに挑戦してみましょう。「よさ」探しも何度もやっていれば、上手になります。
「花咲か爺さん」には、働き者で心優しい老夫婦と怠け者で欲張りな隣人夫婦が出てきますが、働き者で心優しい老夫婦の「よさ」を探すのは難しくないでしょう。高校生の皆さんには少し難度の高い「よさ」探しのほうが似合います。
怠け者で欲張りな隣人夫婦の「よさ」は何だと思いますか。
どんな人にも「よさ」は必ずありますから、じっくりと観察してみましょう。
隣人夫婦はいつも隣の老夫婦のまねをしますね。まねるということは、「向上心」がありるということです。
隣人夫婦は、白い犬のときも、臼のときも、ガラクタばかりで上手くいかなかったのに、三度目の灰も試そうとします。懲りませんね。それだけ強欲なのかもしれませんが、「くじけない心」を持っています。
この隣人夫婦は、「向上心」と「くじけない心」という「よさ」を持っているのですから、失敗から学ぶ「素直な心」さえ持てれば、すばらしい夫婦になるかもしれません。
怠け者で欲張りな隣人夫婦にさえ、「よさ」を見出すことができるのですから、皆さんのなかの「よさ」を見つけることはそう難しくはありません。
他人の「よさ」探しで、「よさ」探しが上手になったら、自分の「よさ」をいくつも見つけてみましょう。どんな「よさ」が見つかるでしょうか。