茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

民謡評論家

2007年04月23日 | 気まぐれ日記
 現在民謡評論家と呼ばれている方々は多数おられることと思います。
よく民謡誌等でその評論を目にする機会がありますが、なるほど!と頷き興味を持たせるものや、大変失礼ながら???と思わせるもの等色々ですが、最近興味を抱いた記事を発見しました。
みんよう春秋の「民謡時評」に毎号寄稿している岡本一彦さんの私の民謡遍歴「日本の伝統と西洋文化の間に生きる」と題した記事の中に以下のような文章を目にしました。
 以下原文のまま・・・

 私の幼少期における音楽体験は95%以上洋楽だった。
それは昭和初年代に音楽学校でピアノを学び、毎日のようにシューベルト、ショパン、ブラームスのピアノ曲を弾いていた母親とその兄がチェロとギターで玄人はだしの演奏をしていたことに加えて貿易商社にいた父が今でこそテレビCMなどで一般化しているけれど当事はその存在を知られることがなかったブロッホやサテイ、ストラビンスキーのオペラ「結婚」などのレコードを大量に持っていたためである。そんな私が洋楽意外のものにちょっと興味を惹かれたのは遊び場にしていた大森海岸で聴いた海苔採り職人の唄と、広島県三原市の旧家に住む叔父の家に遊びに行った時に出会った老婆の「あいや節・・・三原ヤッサの原型」、門司の祖父が酔うとよく歌った俗曲、大森の神社で奉納された神楽などであった。
こういったものは、私が日常耳にしてきた洋楽とは全く違うものながらどこか素朴で人間くさい響きを持っていて、時がたってもなんとなく記憶に残る不思議な存在となり続けた。
               中略・・・
現代の都市では会社を中心とする縦の関係が強く、「隣は何をする人ぞ」と地域の人間関係が希薄になり、ふるさとを離れた大多数の都市住民の間では家の歴史や祖先に対する認識もほとんど消滅している。
横のつながりも歴史的な縦のつながりも失った都市住民の心が「今」にしかなくなっている現状の中で「民謡」がいかに大事なものかを痛感したことがその後の私の生き方をきめたのである。

以上原文のまま掲載しました。

 私が特に興味を惹かれたのは、幼少時より洋楽一辺倒の家庭環境の中で育ちながらも民謡に興味を持ち惹かれていった点です。
身体の中に脈々と流れている血、それは日本人の血であると・・・

 そして後段の部分です。
私が民謡を始めたきっかけ、それは「ふるさと愛」に目覚めた?からではなかっただろうかと今でも思っています。
大阪で会社勤めをしていた若かりし頃、隠岐の民謡をふと耳にしたときのなんとも形容しがたい気持ち、40年経った今でも鮮明に覚えています。
私達が都会で隠岐民謡を演奏させて頂くとき、必ずといっていいほど郷土の出身者
の方々が応援に駆けつけてくれます。
言ってみればこれもふるさとに想いを馳せる「ふるさと愛」そのものです。
自分の趣味でもある民謡で、そんな人達とふるさとを結ぶ架け橋となれることは
我々にとって大きな喜びでもあります。
私にとって民謡は日常生活の一部であり、ふるさとそのものだと思っています。

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2 コメント

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良い記事ですね・・ (朝雲)
2007-04-24 01:08:27
乗ってますね先輩。・・民謡馬鹿にかけては・・拙者も負けまへんが・・隠岐の唄はエエよなー・・茶山さんシワワセ。拙者は肥後の熊本・・勿論良い唄がたくさん有るがソレ一本では中々・・。この年になって西の歌の良さがシミジミ。もっと勉強スルノラー。
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隠岐民謡バカ? (茶山)
2007-04-24 09:58:28
朝雲先輩おはようございます。
先生の場合はそんな訳にはいかないでしょうが、私は
ふろさとの民謡一筋です。
と言えば格好いいですが?他の民謡は出来ない・弾けません(悲しい現実?)
勿論のこと民謡大好き人間としては、他の民謡も大好きですが・・・ただ出来ないだけです???
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