ジュンちゃんとこで、本格的な盛り合わせを注文した記憶がない。
六十路半ばを過ぎても、ジュンちゃんの前では、上田会館をうろうろする貧乏学生なのだ。
このために登ったといっても、半分以上は当っている。
太ももの力が抜けると言ってリタイヤしたヤスも、かいな力は十分。
紅一点のキクちゃんを気遣って、オサムが嫁さんを連れてきてくれた。
店のカウンター席には、小さな子供を連れた若いファミリーが何組かいたし・・・
いつもと違う雰囲気も、またいいね。
気遣いのオサムだな。さすが、本日のリーダー。
いっそ、カツと交代して、会長になればいいのに。
メンツが違っていても、締めはいつもの「食道園」なんだあ。
冷麺は確かに別腹だ。
手ブレ具合そのままに、今回もボクは千鳥足だったらしい。
それでも、翌朝の体内時計は、きちんと機能した。
毎朝のお役目、チビとの散歩時間には、きっかり目が覚めた。
5時頃、宿を出て、近くのコンビニでコーヒー飲んで、不来方城址へ。
巨大な石垣群を目の前にすると、何とも言えない気を感じ、心が鎮まる。
二の丸跡からの旧ロイヤルホテルは、高校の卒業アルバムに映りこんでる。
二年の時の修学旅行のスナップ。記憶は全くないけど縁があったんですね、この街とは。
ガンジョ。
ボクが所属していた講座の事務職員の女性がここの出身だったなあ・・。
高松マンションで暮らしたボクには、ガンジョよりクボコウにより親近感がある。
なんのこっちゃ。
そのチームの選手であるための要件がラグビーらしく選手ファーストで、そこがいい。
観客席にいることが出来れば、心から楽しむだろうし、釜石も一生に一度のお祭りだ。
オサムは二枚確保したって言ってたっけ。
すっかり夜の飲食店街になってしまった「大通り商店街」に、ボクの時代の看板が掲げてある。
高校時代の後半あたりから見えづらくはなっていたけど、初めてのメガネはここだった。
盛岡を離れる直前だったかなあ。間違いなく、「大通り商店街メガネの松田」
この店も昔からここだったなあ。ここを通る時は、どうしても思い出す。そして、苦笑い。
学ラン、整列、OB、そして、押忍!が、キーワード。
今だったらどうなるだろう・・。迎えられるOBの中には、嫌だった人もいたとおもうけど。
ボク等の年代までかなあ。ヤスやオサムは、やったかい。いや、やらされたかい?
早朝の6時前、初めて見たのは川徳デパートの街区だったので、店回りの清掃作業かと・・
映画館通り、大通り交差点、結構、広範囲で、引き回す用具も摩訶不思議なもの。
じーっと観察していたら、やっと謎が解け、おおいに感心した。
作業中のおじさんに訊いたら、市からの委託だといっていたけど。
「街路の植栽は、街路樹と植栽桝」という固定概念が崩れた朝だった。
この高さに華やいだ色があっていい。文句も苦情もないだろうし、合理的だよ。
朝の散歩を終え、部屋に戻ったところで、キクちゃんからコーヒーのお誘い。
ラウンジっぽいところを探したけれど、結局、7時半の開店を待って「スタバ」
ブレンディ愛好家のボク、スタバは未体験ゾーン。キクちゃんについて行く。
注文の品を告げて、ボクは席で待つ。
薄緑のワンピースの裾を翻し、イキった若い女性が入ってきて、奥の席に座った。
やおらノートとペンを出して・・・なんだ、見え見えの計算ずくじゃん・・あざとい。
ボク等はこの女を「スタバの女」と呼んだ。
軽く朝食も済ませ、九時過ぎに「また、遊びましょう!」といって、キクちゃんと別れた。
ボクは、懲りもせずいつものドタバタ騒ぎをやらかしながら、ヤスを誘って紫波の運動場へ。
山内先生、ダルさんらの諸先輩、GM、T君等に挨拶して、帰路についた。
T君が「出ませんか?足んないんですよ。」と言った時、外交辞令でも・・、やりたかった。
そんな気持ちをヤスに口説きながら、男鹿・八郎潟を目指して、帰ったとさ。
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