アリというのは、昆虫の中でも特殊な行動をとる。団体行動をとり社会性を持つ。特にハキリアリは、巣の中でキノコを栽培し自らの食糧を生産する。農耕をおこなう昆虫なのである。
そうすると必ず廃棄物がでる。キノコ栽培をおこなった後の廃棄物が出る。そういった廃棄物は、自ら巣の外に運び出す。それを観察していると、時々、仲間の死骸を咥えたものもいる。
その仲間の死骸も廃棄物として処理されている。巣の回りにキノコの栽培カスが捨てられているが、これら仲間の死骸は、その中でも一番巣から遠い場所に捨てられている。人間であれば、こういった死体に敬意を払うが、アリにそこまでは無理だろう。しかし、それら死骸が疫病などの発生源になる事は、本能的に理解されている物と思われる。墓場のルーツは、アリも人間も同じなのかもしれない。
そうすると必ず廃棄物がでる。キノコ栽培をおこなった後の廃棄物が出る。そういった廃棄物は、自ら巣の外に運び出す。それを観察していると、時々、仲間の死骸を咥えたものもいる。
その仲間の死骸も廃棄物として処理されている。巣の回りにキノコの栽培カスが捨てられているが、これら仲間の死骸は、その中でも一番巣から遠い場所に捨てられている。人間であれば、こういった死体に敬意を払うが、アリにそこまでは無理だろう。しかし、それら死骸が疫病などの発生源になる事は、本能的に理解されている物と思われる。墓場のルーツは、アリも人間も同じなのかもしれない。
ツキノワグマの死体や骨片をまだみたことがありません。
どこかで死に、骨まで丁寧に自然界に還って行くシステムがあると信じています。
あらゆる生命の「死」を見つめていると、ほんとうにいろんなことが見えてきます。
そういえば「死」という写真集も、ある写真家が出していましたね。
昔、象の墓場なんていう言葉を耳にしましたが、実際にあるんでしょうか?生き物は生きる為には食べていかねばならない訳で、別の生き物の死が成り立たちません。生と死は、はんたいごではありますが、表裏一体とも考えられます。死を見つめると言う事は、生きることを考える事なのかもしれませんね。
「死」という写真集を出した写真家もそんなことが言いたかったのでしょうか?