オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

ハイエンドの仲間入り

2012年02月03日 | 自転車
    共和、午後三時まで体調整えに手間取り、DURA-ACE カセットスプロケット 11-28Tの試乗が遅れました。

    実物を手に取ると、はっきり分かる軽さ。この重量差だけで軽量化と、動力伝達系の慣性重量の軽量化の両面で効果が期待できましたが、走り出しの軽さには正直びっくり。総重量がコンマ5kg、いや丁度1kg位は軽くなったような感覚です。

    もう夕方になってしまうので、30kmコースをショートカットして、市立南図書館コースから新幹線沿いに南下。ウェアの空気抵抗低減化として、ウインドブレーカーを秋用ジャージの下に着るというリバース重ね着と、弱い北風のフォローも手伝って、今まで一度も経験しなかったアウターチェーンリングのまま茂原グリーンパークへの上りを快走。

    北関東自動車道への下りを、体力温存で35km/hあたりか。目が悪くなって、サイクルメーターがよく見えない。ここから左折して上三川町「ゆうきが丘」へ。いつもなら、北関東自動車道を左に見る美しい田園風景の上りで、大体失速して踏み切れずにインナーチェーンリングにシフトダウンしてしまう私ですが、何と、アウターのままでグングン進んで行きます。走行感覚が実に軽い。まさにフェザー。TARMAC SL3の本領発揮。

    これはもう日産GT-Rからフェラーリ458へアップグレードだな、などと一人つぶやきながら走っていました。もうULTEGRAには戻れないな。

    12km地点の日産上三川工場前から、風がアゲンストになり、フロントインナーへ。新4国道で低血糖ぎみになり、少しペースダウン。苦しい場面もありましたが、持ち直して、残り6km地点から風も保母ニュートラルに。燃料切れの最後の南警察署への宮環状線下りでは、せいぜい35km/hくらいしか出ていないと思われたトップスピードも、家に到着してメーターをチェックしてみたら、軽く40km越え。

    ODO=25.47km, Av=21.5km/h, Max=41.8km/h, ODO2=1230.6km

    平均で、21km/h越えは、自己新。まだサンダル履きの踵ペダリングでこれですから、カーボンディープリム履いたら ⇒⇒⇒ F1。

    いわゆるところの、「マジ、ヤバイッス」。


血液・腫瘍内科定期検診

2012年02月03日 | 日記
    2012/2/1(WED)朝一で、独協医大病院外来検診。

    IgG-IFCC= 827 L (下限値 870, 上限値 1700 mg/dl)
    IgA-IFCC= 100 L (下限値 110, 上限値 410 mg/dl)
    IgM=IFCC=2244 H (下限値 35, 上限値 220 mg/dl)

    2008年夏に検診開始以来、免疫グロブリンМの濃度が1500からずっと増加し続けて、2500あたりまで悪化していたのですが、今回初めて減少に転じました。

    しかしながら、喜ぶのはまだ早いのは当然で、依然として上限値の十倍もあるのですから、とても放置できるわけありません。

    ただし、一時憂慮されていた悪性腫瘍の可能性は(たとえば多発性骨髄腫などの深刻度の高い疾患は)今のところ可能性が低いでしょう。免疫グロブリンの異常パターンは、当初診断された原発性マクログロブリン血症で間違いないようです。

    それにしても、IgMが数百で大騒ぎしている患者がいるというのに、私など優に2000を超えているのですから、やはりヤバいです。かと言って、5000までにはまだ少し余裕があるという意味では、そんなに心配する必要はないとも言えるのだそうです。

    食事療法も運動療法も全く無関係と言われているこの病気ですが、では、一時的にせよ増加が鈍ってきた要因は何かというと、考えられるのは唯一つ、内内科のNZM先生に叱られるアレしか思い浮かびません。

    私の終末時計が、一分だけ逆戻りdeath。