オーソレ、何それ?

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時代に乗り遅れた快速ランナー:連合艦隊の軽巡洋艦

2004-10-11 00:14:36 | 太平洋戦争
以前に重巡洋艦について紹介したが、巡洋艦にはもう一つのカテゴリーである軽巡洋艦がある。連合艦隊の軽巡洋艦は主に水雷戦隊の旗艦つまり、駆逐艦を率いて敵艦隊あるいは船団に接近し魚雷攻撃を行うよう造られている。同じ巡洋艦ではあるが重巡洋艦は戦艦を小型に、軽巡洋艦は駆逐艦を大型にしたようなもので、艦の構造も用途も異なる。

しかし軽巡洋艦の持ち味である水雷戦隊を率いた夜戦は、太平洋戦争後半には米軍のレーダーの進歩によって大きな成果を上げることができなくなり、特に太平洋戦争後半は本来の力を発揮することはなかった。軽巡洋艦は、天竜型2隻、球磨型5隻、長良型6隻、川内型3隻、夕張型1隻、阿賀野型4隻、大淀型1隻、香取型3隻の合計22隻が太平洋戦争に参加し、終戦時に生き残ったのは阿賀野級の酒匂と香取級の鹿島の2隻であった。

天竜型は太平洋戦争に参加した軽巡洋艦で最も古い艦である。球磨型、長良型、川内型は、天竜型よりも一回り大きく、5500トン型と呼ばれた。艦によっては魚雷発射管を追加し重雷装艦となったものや対空装備を充実させて防空巡洋艦となったものもある。夕張型は5500トンクラスの装備を3000トンの船体に盛り込んだ斬新な設計の艦である。阿賀野型は開戦後に竣工した新型の軽巡洋艦であるが、水雷戦隊を率いる機会をすでに失っていた。
大淀型は、他の軽巡洋艦と異なり潜水艦隊の母艦として設計され、航空機が搭載可能で通信装備も充実していたことから、最後の連合艦隊旗艦となった。
香取型はもともと練習巡洋艦として建造されたが、開戦により潜水艦隊の旗艦あるいは船団護衛のため実戦配備された。

軽巡洋艦は、快速と重雷装を持ち味に少数の手勢を率いて肉弾戦を仕掛ける侍大将のような船であったが、太平洋戦争時にはその活躍の場は数えるほどしかなかった。

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3 コメント

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肉弾戦の距離 (U-1(初TB))
2004-10-12 21:16:24
0-さん 今晩は。

軽巡洋艦の複雑な構成、よく整理されていて、なんだか自分の頭の中をディスクデフラグしているみたいです。お蔭で連合艦隊の全体像、だいぶすっきりして参りました。お礼申し上げます。

さて、当時の巡洋艦の魚雷の射程距離と、弾頭の重さはどの位でしょうか。肉弾戦というと、どの位の距離での攻撃を想定していたのでしょうか。確か日露戦争の時、魚雷の夜襲を行ったと聞いていますが...。

お忙しくない時にお願い致します。



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祝初TB! (o_sole_mio)
2004-10-12 22:20:53
U-1さん、こんばんは。



TB確かに届いております、ありがとうございました。

軽巡洋艦は5500t級を一括りにしていまうなど、少し突っ込みが甘かったかなと反省しております。



お問い合わせの件、どこかで議論した記憶がありますので、また整理して記事にしたいと思います。ネタまでご提供頂きありがとうございます。
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Unknown (アラメイン伯)
2006-08-17 14:48:20
英国海軍ではほとんどの旧式の軽巡洋艦の主砲を撤去して全て対空砲を搭載して防空巡洋艦としました。

艦隊決戦しか考えてなかった日本海軍との差を感じます
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