ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

第一・八次生活への憧れ

2002-04-25 | 移住まで
「NZに移住する!」
という指針が1年2ヵ月前に決まってからは、
「すべての道はNZに続く!」
とばかりに、そこを起点に何もかもを考えるようになりました。そのため、移住やその後の生活に必要ないものは容赦なく振るい落とされることに。

ちょうど3年前に
「金融業界に長くいるのだから、証券アナリスト試験でも受けてみたらどうだろう?」
と途方もないことを思いつき、それほど乗り気という訳でもなかったのですが、5~6万円を払って通信教育に申し込んでみました。

ところが、その1、2ヵ月後にビーズというものと運命的な再会をしてしまい、教材が送られてきた頃には夜な夜なアクセサリー作りに精を出していて、オフィスに届いたテキストは封も開けられずに積まれたままに。更にそのちょうど1年後。今度は8年ぶりに再訪したNZで、
「ここに住もう!」
と運命的な決断を下してしまい、大枚をはたいたアナリスト試験のテキストは、とうとうデスクの下で高価な足乗せ台と化してしまいました。

NZに行ったらやりたいことがゴマンとあって、かの地でサラリーママをやっている自分というものが全く想像できないため、私の中でこれらのテキストは完全に「不要品」となってしまったのです。その分、長年憧れていたステンドグラス作りを始め、ケーキも焼いてみました。今は手作り石けんを習ってみたいし(ビーズ入りの透けるもの)、いよいよ陶芸にも挑戦したい、と夢が膨らんで、生活全体が手作り一辺倒になってきています。

母は料理から和洋裁、お花、お茶、着付け、レース編みまで、花嫁修業必須アイテムは何でもこなし、手作りの労を厭わない人でした。それを横で見ていたせいか、私は器用でもないし根気もないのに、子どもの頃から刺繍や編物が好きでした。ミシンが踏めるようになると一通り何でも作ってみました。

それが長い海外放浪生活の間、ミシンどころか自分のテレビも持たない生活が何年も続き(海外では家具つきのアパートメントが普通です)、挙げ句の果てに資本主義の権化のような香港の、消費の王道を極める生活の中で、さすがの手作り好きもすっかり鳴りをひそめてしまいました。

ここでは、自分で編んだら気が遠くなるような凝った編み込みのセーターが3,000円ぐらいで見つかったり、精緻な刺繍が施されたランチョンマットも数百円で手に入ります。隣接する中国では人件費がタダ同然のような地方がまだまだあるので、こういうものがフツーに出回り、手作りの価値を根底から崩してしまっているのです。

だから香港人は裁縫どころか、ボタン付けやスカートの裾上げまでお金を払って業者に頼みます。手間いらずで、プロに頼んだ方がきれいにできるという一石二鳥をお金で買い、本当に針が持てない人が少なくありません。手作りのものが欲しければ中国との国境を越えてシンセンに行き、オーダーメードで作ってきます。服、靴、バッグはもちろん、カーテンや家具まで作ってしまうのです。自作とは比べ物にならない完成度の高いプロの作品が、安く手に入ってしまう環境の中で、
「自分で作るなんて愚の骨頂、ガンガン稼いでバンバン買おう!」
と消費は加速する一方です。

さすがに私はそこまではついて行けず、シンセンでショッピングをしたことがないという、在留邦人女性ではかなり珍しい存在です。子どもができると底無しの消費への違和感が募ってきました。子どもに折り紙を教え、一緒に粘土をこねながら、なぜこういうことを苦労しながら一生懸命やり、汚れたり疲れたりしても最後まで作るのかが大切なのか、自分がきちんと示せる身ではない気がし始めました。

その猛省もあってか久々のビーズのアクセサリー作りには、十代の頃にセーターを編み始めるとついつい徹夜してしまった頃の熱い想いが蘇えり、
「手作りって楽しい!」
という原点回帰のきっかけになりました。「それと子どもとは関係ない」という、冷静な夫の意見もありますが(汗)

NZに行ったら何をするのかまだまだ構想の段階ですが、金融という第三次産業の極みの、「付加」という上澄みに「価値」という値段をつけてその間で鞘を抜くような仕事から足を洗い、まったく別の生活を始めてみようと思っています。自然を相手にする農業や酪農のような第一次産業にも魅かれますが、理想は自分の好きな物を作るという製造業に代表される第二次産業で何かを生み出しながら暮らしていくことです。その片手間に家庭菜園をやったり花を育てたり、動物を飼って世話ができたら最高です。こういう第一・八次生活、限りなく二次、でも二次未満の生活を「いつか・・・・」と夢見ながらで、今日も摩天楼の中に出かけていきます。


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2019年5月の後日談:
17年後に読むとほとんどお笑いの境地で、憧れは憧れのまま忘却の彼方へ。こんな事を一時的にでも考え、堂々配信していた時代もあったんですねぇ(しみじみ)。移住して生活を始めてみたら2日で実感できる、NZの市場規模の小ささ。ここではモノを売るのさえ大変なのに、作るなんてまさに夢の夢のような話。

さらに乳製品や木材といったソフトコモディティーに恵まれた資源国で、慢性的なオランダ病によって製造業が衰退し、モノは作るのではなく海外から買うか、リサイクルするか。その典型が日本からの中古車でしょう。こんなに中古車を輸入している先進国は世界にも例がない・・・などということも、来てみてから知った現実。現実の中で新たに出会ったリサイクルは、今でも生活の中にしっかりと根を下ろしています。