ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

十年彗星:猫はかすがい

2002-07-06 | ペット・動植物
どうも10年に1度、飛びきりの贈り物をしてくれそうな友人がいます。まるで"その時"になると天空を通り過ぎながら、パラシュートにつけた贈り物を空の彼方から落とし、長い尾を引きながらまたどこかへ行ってしまう彗星のようです。普段はどこで何をしているのか・・・。一応、メールか(それもここ数年の話ですが)、いざとなったら電話でも連絡を取る方法はあるのに、日常生活ではお互いほとんど没交渉。しかし、ある時、ふと高い高い空の雲間から降ってくる私の人生に極めて大切な贈り物

10年前初めて授かったものは猫でした。今では私たちのかけがえのない家族、子どもたちにとっては兄貴でもある、2匹のシンガポール生まれの猫は彼女からの贈り物でした。
「会社の敷地内に住んでいる猫が管理人室で子どもを産んだの。とにかく可愛いから見に来て。」
そんな電話をもらい、2人とも猫好きの私たちは軽い気持ちで出かけていきました。自分たちが飼うことになるなど全く想定していませんでしたから、もちろん手ぶらで。

しかし、見たとたんにもうメロメロ。毛皮をまとったもぞもぞと動く4匹の生まれたての猫たちはミーミー泣きながら、私たちの掌で指をかじってみせたり、後ろ足で頭をかこうとしながら上手くいかずに転んだり、もう可愛さ全開。夫とかわるがわる掌に乗せて、
「かわい~い、かわい~い、かわい~~い!」

「1匹じゃ可哀想だから、2匹にした方がいいわよ。昼間2人がいなくても寂しくないでしょう。ウチの2匹も猫同士で楽しくやってるみたいだから。」
「世話はとってもカンタン。猫はきれい好きだからトイレのトレーニングもとってもラク。場所さえ決めておけばもうバッチリ。」
「餌だって昼間はドライのキャットフードとお水をたくさんあげておけばいいし、夜は缶詰のキャットフードあげたり、好物を手作りしてあげてもいいわね。」
「爪も研ぐ場所を決めておけば家具とかは大丈夫。」

友人はまるでこちらの脳裏をかすめる不安が読めるように、一つずつ不安の種を潰していきます。安っぽいセールストークのように畳み掛けるのではなく、優雅に知的に私たちを絡め取っていく魔法のお言葉。

「どれにしよう?」
まんまとそれに乗った私たち。とっくに問題は飼うか飼わないかではなく、どの猫にするかにすり替わっていました。
「コレとコレにしよう!」
最終的に選んだのは2人が気に入ったトラ猫と4匹のうち一番痩せっぽちで、頼りなくて最も引き取り先が見つからなさそうな白に茶のブチが入った猫でした。

「白猫は大きくなるって言うから、元気に大きく育つわよ・・・」
友人のご神託は私たちが段ボールを抱えて車に乗り込むまで続きました。

果たして、白猫ピッピ(夫命名、意味不明)とトラ猫チャッチャ(私命名、茶色なので)は友人の予言通り、元気に、そして大きく育ちました。窓辺で昼寝する2匹を見たマンションのお隣さんに、
「お宅、2匹も犬がいるのね!」
と言われたほどに(笑)

特にピッピは痩せっぽちだった子猫時代の片鱗も忍ばせないほど、巨猫になってしまいました。今では2匹とも好奇心のかけらもなくなり、窓辺に来たハトにガラス+網戸越しの絶対安全な場所から、
「アァァァァァ」
と、よもや猫とは思われないような腹話術の妙な声を出し、本人たちはそれで十分威嚇し、番猫(?)としての務めを果たしたつもりで、後はひたすら、ひねもすのたりのたりかな。

「何かの役に立てよ~」
と、夫は昼寝三昧の2匹に不満を漏らし、誰も見ていないとろでこっそりシッポを踏んだり、突然抱き上げて猫が身をよじって耐えられなくなるほど撫で殺しにしたりと、最近では愛情表現も倒錯してきています。しかし、この2匹は間違いなく西蘭家の長男、次男で、「子はかすがい」の諺通り、その後香港で子を授かり、たった2人で育て始めることになる私たちに、忍耐と愛を教えてくれました。

(※香港での長男・次男)



あれから10年。ここ1、2年音信不通だった彗星から突然メールで交信がありました。そして私はまたまた、一生事となるであろう、とんでもない贈り物をしてもらうことになったのです。(つづく)


=============


「マヨネーズ」  
先日、大きな飲茶レストランチェーンが倒産しました。これで約2,000人が職を失ったそうです。返還以降の景気悪化でこれまでも有名無名の多数の店が潰れ、夜逃げ同然、出勤してみたらもぬけの空、オーナーはとっくに中国や海外にトンズラ・・・などということが繰り返されてきましたが、さすがに今回は「飲茶まで」と、香港人への衝撃もひとしおのようです。

倒産ということは、「香港人が飲茶を食べなくなっている」とも思いますが、
①包んで、蒸して、運んで、と人件費がかかる上、朝食か昼食なので夜は食べない飲茶というものが、店にも客にも割高になってきた
②ちょっと足を伸ばせば中国でかなり安く食べられる
③食生活の洋風化、個人化で、大勢で2~3時間をかける食文化が廃れてきた
など、いろいろな理由があるのでしょうが、景気の悪さが状況に拍車をかけているのは間違いないようです。

体育館のような広い場所を12人掛けの円卓が埋め尽くす中、店員やお客が右往左往している活気に満ちた独特の雰囲気は、香港の元気の素を見る思いでしたが、そんな姿が"経済効率"という味気も素っ気もない物の前で膝を屈していかざるを得なくなっているのです。


=============


後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
次男ピッピは2007年9月18日に15歳で、長男チャッチャは2010年12月24日のクリスマスイブに18歳で、それぞれ天に昇りました。贈ってくれた友人には今でも感謝しています。

本当に仲のよい2匹でした。



哲学する鳥

2002-05-08 | ペット・動植物
今年はウマ年だというのにトリ年かと思うほど、年頭から鳥づいています。まず元旦に「ハリーポッター」を観終わって子どもたちと映画館から出てくると、街路樹の下にうずくまる生き物が・・・。ぱっと見には死んでいるようにも見え、
「何も死んだ生き物を子どもに見せなくても・・・」
とも思いましたが、念のためによく見てみるとスズメに良く似た首の周りにうっすらと模様のある茶色の小鳥でした。

虫の息ですが、生きています。すぐにタオルにくるみましたが、掌でもぐったり。まともに鳥を飼ったことがないので、どうしたらいいのかわかりませんでしたが、すぐに鳥かごとエサを買い、とにかく温かく、暗くしようと、鳥かごをタオルでくるみバスルームのシャワーカーテンのレールに掛けてみました。

翌朝。毎朝6時前には起きる、家族で一番早起きの私はそっと鳥かごを覗いてみました。中はタオルがグチャグチャになりエサも飛び散っています。よく見ると、前日は立つこともできなかった鳥が、止まり木に止まっています。しかも別の止まり木に飛び移ったりしています。

「やったねぇ!」
と声をかけると、
「ピイィ」
とかすかに声が出るほど元気になっていました。ほとんど開かなかった目もぱっちり開いて、そのつぶらで輝くような瞳と目が合いました。
「元気になったら空に返してあげるからね。行ってきます。」
そう言って、陽が入るように南向きの窓を大きく開けて出勤しました。

ところが、その鳥に2度と会うことはありませんでした。1.5cmもない鳥かごの柵の間から逃げ出したのです。しかも家族が起き出してくる前に!何度も脱出を試みたのか、バスルームにはエサがたくさん散らばっていたそうです。幸い羽がなかったので大脱走でも本人は傷つかなかったようで安心しました。きっと窓から差し込む陽光に、居ても立ってもいられなくなったのでしょう。そこまで快復していたのなら、こちらも本望。「元気でね」と祈るばかり。

そして4月。日記やギャラリーにも登場しましたが、今度はマンションの敷地内で羽を大量に散らしたハトに遭遇。前回の経験から「鳥は結構快復が早い」ということがわかっていたものの、
「今回はダメか。」
と思うほど弱っていました。大きいので猫のケージとバスタオルで捕獲しましたが、大きな羽もたくさん落ちていたので、
「助かってももう飛べないかも。」
と心配でした。

マンションの管理人の許可を得て、彼らの目の届く駐車場内にケージを置かせてもらうこと1週間。そのうち立てるようになり、毎日大量のフンをしエサをひっくり返し、ケージの中でドタバタドタバタ。ただし飛べる保証はありません。慎重を期して、安全そうな場所に放してみました。眩しそうにキョトキョトしながらもトコトコ歩くではないですか・・・。フェンスにも飛び乗れたので、木に飛び移ることも難なくできそうです。
「これなら大丈夫だろう。」
とホッとして、2羽目を見送りました。

そして5月。子どもたちがマンションの敷地内で、小スズメを見つけてきました。5歳の次男が手で持ってこられたくらいですから、これもかなり弱っています。大きさから見て巣から落ちた雛でしょう。元旦に買った鳥かごを用意していると、再び次男が、
「ママ~もう一コ!("1羽"だってば) 
今度はつかまれない("捕まえられない"だってば)」
捕獲に行くと、1羽目ときょうだいと思しき同じスズメの雛でした。動かない2羽をタオルにくるんで鳥かごへ。

それから半日。目も開かなかった鳥たちは今、西蘭家のバスルームで、
「ピィーピィーピィーピィーピィーピィーピィーピィー」
と一定のリズムで鋭く高く鳴いています。なんという快復力!野性の逞しさなのか、寿命の短い生き物にとって半日は人間の数日に匹敵するのか?!

あの声は親を呼んでいるのでしょう。「シートン動物記」にかなり詳しくカラスの会話の話がでてきますから、スズメだってこれぐらいの話はできるに違いありません。寒くもないし今日中にも放せるかもしれません。

昨年ニュージーランドを訪れた時、ロトルアへの道すがらダチョウに一目惚れしました。
「なんとキレイな鳥なんだろう!」
まともに見たこともなかった見上げる高さの巨鳥は今まで見たどんな鳥よりも知的に見えました。長く伸びる薄ピンクの首の上に品良く収まる小さな顔。その中の濡れて輝く知的な瞳がこちらをじっと見ています。

まるで哲学者のようです。お互い初めて会う相手と見つめ合いましたが、そのまま言葉を交わせそうでした。拾ってきた鳥たちのつぶらな瞳を見ながら思うことはただ一つ。
「移住したら絶対にダチョウを飼おう。」


=============


「マヨネーズ」 
ここまで先週の水曜日に書いた時に、さっさとスズメを放すべきでした。ところが、夕方になり少し冷たい風が吹いてきたので様子を見ようと思い、元気な方だけ放して弱っていた方は残しました。次の日にはエサも食べだしたので、
「これは順調。土曜日に子どもたちと一緒に放そう。」
と思った矢先、金曜に突然死んでしまいました。

朝、出勤する前は生きていて静かに座っていました。目もパッチリ開いていたので一声かけて家を出たのですが。本当にかわいそうなことをしました。エサを食べた時点で、放してあげるべきだったのかもしれません。野生の生き物を鳥かごで死なせてしまったのは不憫です。

ちょうど手頃な黒い箱が見つかったので、やわらかい紙とベランダに咲いているピンクの花を敷き詰め、白いリボンをかけて近くの自然公園の植え込みに弔いました。付いて来た子供たちも自然と手を合わせていました。
「早く元気に生まれ変わって、大空を思いっきり飛ぶんだよ。助けてあげられなくてごめんね。」


=============


2019年5月の後日談:
ダチョウを飼おうだなんて、いったい移住後はどこに住むつもりだったのか(笑)?!
というか、オークランドを何だと思っていたのでしょう(爆)

当時は、
「まずはオークランド。場合によっては、その後どこかへ。」
とのんびり構えていましたが、いざ移住して生活が始まると、子どもの学校だ、スポーツだ、補習校だ、そして仕事だと、あっという間に土着化。

「ここに住みたい・・・・」
という最初の閃きに従って正解でした。