ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

17回目の引越し

2002-01-27 | 移住まで
去年の9月末に現住所に引っ越してきました。引越しはこれで15回目、結婚してからでは6回目。7歳の温にとっては3回目。4歳の善にとっても2回目です。友人からは「また引っ越したの?」と言われ、海外からの年賀状には「まだこの住所にいるかな・・・と思いつつ書いてます」などとしたためてあり、西蘭家の引越しの多さは友人間ではつとに知られています。これは私たち(特に私の)引越し好きによるところもありますが、子どもが生まれて手狭になって・・・という止むに止まれぬ事情でのヤドカリ生活の面が強いのです。

NZ行きも単純に言えば引越しです。香港からかの地へ居を移すことに変わりありません。これが企業の駐在員であれば辞令ひとつで事が進み、疑問も、躊躇も、たいした不便もない代わり、思い入れや大きな期待もないまま、事務的に進んでいくことでしょう。滞在期間が長期にわたったとしても、あくまで往復切符の引越しです。

ところが西蘭家は職務を帯びて行く訳ではなく、100%自主的に、誰にも呼ばれも頼まれもしないのに行き、しかも帰ってくることを想定していない片道切符の引越しです。思い入れや期待が大きい反面、周到な準備も必要になってきます。まずNZ政府が私たちを受け入れて滞在させてくれるかどうか、ひいてはその許可が下りるにふさわしい人物かどうかが試されることになります。企業がその人物と家族を保証するかたちで派遣するケースとは大きく違ってきます。

以前に読んだ本の中に、中国返還まで続いた香港人の海外移民ブームを指して、"下からその社会に入って行く"と評し、何の後ろ盾もないまま、ありつけた仕事とねぐらを基にその土地に根を下ろしていくので必然的に底辺からその社会に入っていくことになると説明していました。一方、日本人を含め駐在員と呼ばれる人たちは、その社会へ"中より上から入って行く"ことになります。特に発展途上国ではこの傾向が強く、高級住宅に住み、住み込みのメードや運転手付きの生活を送るというのは珍しい話ではないでしょう。

私のこれまでの15回の引越しのうち、日本国内での3回を除く海外での12回の引越しは、結婚後に夫が香港駐在になった際に赴任した時の1回を除いて、すべてが言ってみれば"下から"の引越しでした。大学を出て台湾に留学して外国人留学生寮に飛び込み(4回目の引越)、その後に気のあった仲間4人とマンションを借り(5回目)、台湾を離れて留学したフランスのパリでは19世紀のアパルトマンに下宿し(6回目)、その後にやってきた"働くならココしかない"と決めていた香港では、友人宅で半年近く居候させてもらい(7回目)、就職してからは会社が借り上げていたマンションへ(8回目)。

そこに私としてはかなり長い約2年間住んだ後、今度は心機一転、何のあてもないシンガポールへ(9回目)。振り出しに戻ったまさに"下から"の引越しで、南国での一人暮らし開始。ここで夫と知り合い意気投合、結婚して夫の会社が家賃を出してくれることになったのでより広いところへ(10回目)。その後シンガポールでマンションを購入し、初めて手にした借金だらけのマイホームへ(11回目)。でも内装工事が終わるか終わらないかで、夫に香港への転勤命令が・・・・。

ここで初めて引越代が出る、"上から"の引越しを経験。ところが家賃手当てが低過ぎて日本人駐在員が住んでいるような中~高級住宅は超高嶺の花・・・。20軒以上見てやっと決めたマンションは日系の引越し屋さんに、
「そんなところにフツー日本人は住まないんですけどね~」
と渋い顔をされるほど、"下からチック"なところでした(12回目)。

その後、大家が「売りたいから出て行ってくれ」と言い出し(むちゃくちゃな話ではありますが、香港では珍しいことではありません)、長男も生まれていたこともあり、シンガポールの家を売り払って今度は香港にマイホーム購入(13回目)。その後次男誕生で手狭になり、返還バブルで不動産が狂ったように値上がりしていたこともあって、どさくさに紛れて売却して再び賃貸住宅に(14回目)。そこも4年住んで(西蘭家最長記録!)さすがに狭くなり、再び越したのが今回の15回目でした。

ところが引越して数ヶ月で早くも、「次はココ!」という好物件をポクフーラムという香港島西南部の丘の中腹の静かな住宅地に見つけてしまい、「1年後はポクフーラム♪」を目指して、NZ行きの前のプチ引越しを夢見る毎日です。昔から"引越し貧乏"という言葉があるぐらいで、動かずにいれば金持ちにはなれなくとも、もう少しは節約ができたかな?とも思うものの、家族至上主義の西蘭家では多少のことは我慢しても家にはこだわるので、結果はこの通りの放浪生活です。次回が香港最後の16回目の引越しになるとすれば、17回目はいよいよNZへ。西蘭すごろくは再び振り出しに戻り、ファミリーの放浪はまだまだ続きます。


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2019年5月の後日談:
17年後に読み返してみて、ビックリ。当時はポクフーラムへの引越しを考えていたなんて!けっきょく、2004年まで15回目の場所に住み続け、大家との家賃交渉が決裂(笑) 移住のあてもないままサービスアパートに引越し、それが16回目の引越しになりました。そして17回目はここでの予想どり、NZでした。(←結果オーライ一家・・・爆)


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100年の大計

2002-01-18 | 移住まで
「ここに住みたい・・・・」
旅行中ずっと思っていたことがやっと言葉になった、オークランド。坂の多い美しい街を車で流しながら、言葉にしたとたん、自分の中で何か温かいものがこみ上げてきて、それにゆっくりと包まれていくような不思議な体験をしました。それまで自分の意識にさえ上っていなかった呪縛が解けたような解放感。突然の思いつきに本人でさえきょとんとしながら、穏やかな気持ちに浸っていました。その感覚をあえて言葉にすれば、"至福"というのが一番合うように思います。それはちょうど今から1年前の2001年1月下旬のことでした。

あれ以来、私の頭から「NZ」の頭文字が消えた日は1日としてなく、大袈裟なようですが本当に自分の生活の一部になってしまったのです。NZに行ったのはあの旅行が生涯2回目で、オークランドに行ったのは初めてでした。しかもその魔法のような幸せな思いに包まれたのは、オークランド入りして2日目、時間にすれば24時間も経っていない時のことでした。

前の日は夕方近くにテムズから車でオークランドに入り、それまで回ってきた小さな街とは比べられない大きさに宿選びで手間取り、適当なビジネスホテル風の宿にとりあえず車と荷物を残し、そそくさと夕食に出かけました。たまたまその日は中国人にとって本当のお正月に当たる、旧暦の元旦(旧正月)で、私達は中華料理を食べに行くことに決めていました。

足掛け18年ほど中華圏で暮らす私にとって(フランスにいた1年以外、海外生活はすべて中華圏。夫もほぼ12年の中華圏暮らし、子ども2人はともに香港産の香港育ち)、お正月は旧暦の方がピタリと来るようになっていました。人類が経験則で学んだ自然に則したもののせいなのか、寒さがその当たりでピークを迎えるようなことを何度も経験し、中華圏では風水や占いはもちろん、商売も賭け事もすべてのことが、1月1日からの新暦ではお話にならないといっても過言ではないくらいです。

私自身も2月の誕生日あたりを境に、運気がガラっと変わるような経験を幾度もしたことがあり(旧正月は1月末から2月中旬の間で毎年変わり、誕生日近辺に当たることが良くあります)、それを「なぜか」と考えるのではなく、今では「そういうものなのだ」と受け入れるようになりました。

やっと見つけたレストランで、本場の中華料理とは違うものの、それなりに美味しい家庭料理風中華料理を食べながら、この新しい年に何が起きるのだろう・・・とクリスマスイブの子どものように、私は何かを待っていました。雑然とした店の中にも赤を基調とした賑々しい飾り付けがしてあり、お正月らしい雰囲気が出ていました。紙でしつらえた飾りに囲まれながら、窓の外の街並みを見下ろしつつ、
「残りの人生の指針になるような100年の大計を立てよう」
と年頭に当たって思っていました。

新年だからといってそう簡単に壮大なテーマが見つかるわけでもなく、西暦で言えば新世紀の始まりでもあった私の2001年は、ゆるゆると始まっていました。いよいよ本番の旧正月の幕も開きました。そしてその翌朝、空から降ってでもきたように、
「ここで暮らそう」
という突然の閃きで、一瞬にして大計の指針が定まったのでした。

私は思い立ったら必ず実行します。今までの人生がすべてそうだったので、今回も本当になるでしょう。確実に実行に移すためには、待つことも厭いません。確実に家を出るために、大人になるのをじっと待ち続けた子どもだったので、年単位で待つこともできます。明日発ってもかまわないほど迷いもなく、独り身であればトランク片手にさっさと香港を後にしていたことでしょう。しかし、夫も子どももいる身なので大切な彼らの気持ちが一つになってくるまで、ケーキの上のサクランボをとっておくように、お楽しみを残しておくこともいいかな、と今では思っています。

私が突拍子もないことを言い出した時、夫の内心は「あちゃ~」と言ったところだったでしょう。私の腰の入った実行力は10年間の結婚生活で立証済みなので、彼にとってはそれに同意するかどうかという話を超え、
「やっと巡り合った絶好調の仕事を投げ打って、おれもここに住まわされるのか~」
という諦めにも似た思いではなかったかと思います。

夫はひたすら沈黙を守っていました。当時6歳の長男は、ママの突然の思い付きにうっすらと涙ぐみながら、
「温くん、やだ。ボク、香港好き、引っ越してきたくない。」
と、即反発。3歳の次男だけが、
「ニュージーラン(ド)、ちれい(きれい)、善くん、ここちゅき(好き)」
と賛成してくれました。

あれから1年。夫は西蘭家のNZ行きのためにホームページを立ち上げてくれるまでになり、自分で買ってきた本を片手にコツコツと作り上げてくれました。しかもコンテンツを充実させようと趣味のラグビーまで借り出し、日記を綴り、なかなかメルマガを始めない私を急かすまでになりました。インターナショナルスクールに通う長男はウェリントンから来たガールフレンドができ、次男は相変わらずですが、少なくとも「ニュージーランド」と「きれい」は言えるようになりました。


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この「西蘭花通信」は西蘭家がNZに旅立つその日までのドキュメントを、子どもの成長や香港の生活を織り交ぜながらお伝えしていきます。「西蘭花」は中国語でブロッコリーのこと、私と子どもの大好物でもあります。

これは一つの夢をかたちにしていくための実験の記録であり、私にとっては確実に生きた時間の証となることでしょう。目にされた方が、「こんな人もいるのか~」と思ってくだされば幸いです。そして皆様が改めて自分の夢に思いを巡らせて下されば、私にとっても喜ばしいことです。

そのため、構成は毎回のテーマに合わせて、地域別の「NZ編」、「香港編」、家族や生活全般の「生活編」、今のところ私の本業で、香港の生活を語るには避けられず、それがなおかつNZの生活との面白い対比をなすであろう「経済編」の4つのカテゴリーに分けてお届けする予定です。
(※2019年5月のメルマガからブログへの移行に伴いカテゴリーは変更しました)

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