ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

夢日記:夢かうつつか

2014-05-31 | 夢日記・夢関係
すーっと吸い寄せられるように建物に近づくと、古い洋風の木造の「家」に不釣合いな、ガラスの自動ドアが建物の内側に向かって開き、「私」はまっすぐ泳ぐように、吸い込まれるように家の中に入りました。ホッとしたと同時にふわっと浮き上がるような感覚を覚え、その瞬間に目覚まし時計が鳴りました。

つい先日の朝の出来事でした。初めて夢と現実がシームレスにつながった、夢かうつつか判然としない体験をしました。まるで私の体内時計が目覚ましの時間を知っていて、幽体離脱していたスピリットがオンタイムに身体に戻ったかのようです。さらに厳密に言えば、目覚ましが鳴る一瞬前に私は目を開けており、時計の文字盤が見えなかったにもかかわらず、音が鳴り出すのを知っているかのように時計を見ていました。

「家」は住んでいる家に似ていましたが、外壁が白い横木を重ねたウェザーボードと呼ばれるもので、我が家ではありませんでした。玄関から真っ直ぐに伸びる廊下、その横が仕事部屋になっている造りは我が家の通りで、夢の中の「もう1人の私」は仕事部屋の自分の机から、玄関ドアではなくガラスの自動ドアからすーっと水平に、つまり宙に浮いた状態で両手を後ろに伸ばし、髪の毛さえも後ろになびかせながら「私」が入って来るのを見ていました。まるで、自分が帰ってくるのを知っているかのようでした。

壁が違っても「家」はこの家であり、かつ私の「身体」の象徴だった気がします。眠っている間の大冒険に出たスピリットが(この話は以前のメルマガ~夢日記番外編:眠っている間の大冒険~でどうぞ)、私が目覚める時間ギリギリに帰ってきたのでしょう。その辺の「帰らなくちゃ、帰らなくちゃ」というスピリットながらの必死の思いは、今までの夢の中で何度も経験しています。


「早く夫のところに帰らなきゃ!」
と、「私」は本来の目的を思い出し焦り始めました。 次のシーンでは、私と「誰か」はグングン空を飛んでいました。両膝をお腹にくっつけるように身体を丸めてから脚を思い切り後に蹴り出すと、面白いように前に進みました。
「なんだー。こんな方法があったんだー。早く言ってよねー!」
と誰にともなく言いながら、私たちは伸びたり縮んだりしながら真っ青ななんの目印もない空の中、家路を急ぎました。夫が起きる気配で目を覚まし、
「戻ってたんだ!」
と思ったぐらいなので、その直前まで夢を見ていたのでしょう。(~夢日記:座敷童子~より)


この夢を見たのは2年前で、あの時は「両膝をお腹にくっつけるように身体を丸めてから脚を思い切り後に蹴り出す」と言っているので、数日前のように「すーっと吸い寄せられるように建物に近づく」ほどスムーズに移動できるようになったのは、我がスピリット、かなり上達したようです(笑) それだけ毎晩毎晩、あちこちほっつき歩いているのでしょうか?
「まるで猫だなー」
と思うそばから、そういえば猫ドアと夢に出てきたガラスのドアは似ています。透明なものがスっと開いて、瞬間に家に入れるところは一緒です。うーん、猫と暮らして学んだのか?

(※今の家の猫ドア)


夢かうつつか判然としない、目覚めたときに、「本当にそこにいて、この経験をした」と実感できるような、やたらに映像が鮮明で、話としても往々に脈絡のある夢を見るようになったのは、東日本大震災がきっかけだったように思います。直接経験していなくても、あの衝撃の出来事は私の中の何かを目覚めさせたようです。地震の後に赤い大きなリュックを背負った東南アジア系の男性を助ける夢を見たのが、その最初でした。

男性は黒いズボンを履き、身長が180cmはありそうなすらりとした人でした。会話をしていた記憶がないのですが、なんとなく「シンガポール人の旅行者かな?」と思いました。不慣れな外国で被災し、地理も言葉もわからず困っているのを「私」が見つけ、誘導しようとしていました。彼は神妙な表情をしていましたが、「落ち着いている」と感じました。

私たちは津波で水が引いた後の瓦礫の間を、大勢の人たちと一緒に移動していました。雪かきをした後のように道らしいものができていましたが、元々の道ではなく、いろいろなものが水平に重なり合った無数の層でできた、垂直の壁の間を進んでいました。みんなが一方向に歩いている訳ではなく、行く人もあれば戻る人もありました。人数の割りには辺りはしんとしており、みなうつむきがちに黙々と歩いていました。

「こっち、こっち。」
「私」は何度も何度も男性を振り返っては、誘導していました。その度に男性は顔を挙げ、相変わらず神妙な表情で前を見るものの、「私」を見ているわけではありませんでした。そのうち私たちは、運動会の招待席のように小さなテントを張り、積み上げた段ボールに白い布をかぶせて机代わりにした受付のある、外国人支援カウンターを出している人たちのところに着きました。中国語が耳に入り、ハングルの表示が見え、
「もう大丈夫。」
と思ったところで夢が終わりました。

(つづく)


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編集後記「マヨネーズ」
10年前の今日5月31日にNZへの移住認可が下りました。翌年の5月31日には永住権を取得しました。同じ日になったのは偶然ですが、私たちには一生忘れられないダブル記念日になりました。

そんな今日は、夫はラグビーのレフリーへ。私はボランティア先のチャリティーショップの助っ人へ。NZへの感謝が愛着に変りつつあるのを感じる今日この頃です。10年前の当日の話は~第7天国・第9積雲~でどうぞ。


後日談「ふたこと、みこと」(2022年7月):
自分のHPからこのブログへのメルマガ移行をしながら、「私のメルマガはリンクが多い~💦」と思いつつ、リンク先も一緒にお引っ越し(笑) なのでなかなか進みませんが、ライフワークのつもりでがんばります💪


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90cm上の世界

2014-05-19 | スピリチュアル・レイキ
先月、沖縄で再会してきた友人からのメールに、
「首里も人によっては『戦争で亡くなった人の霊が見える』と怖がる人もいるんだけど、私は全く感じないのよね。霊能力の高い人が『それはどの波動をキャッチしているかで、見えるもの感じるものが違うんです』と言ってたけど!?」
とあり、興味深く思いました。

首里城は戦時中、地下にあった日本軍の司令部を攻撃するために、想像を絶する量の爆弾が投下され灰燼に帰した場所でした。現在の朱色の壮麗な建物は戦後の再建ということを、お恥ずかしながら今回の訪問で初めて知りました。2000年に世界遺産に登録されたのは、首里城跡なのだそうです。私にとっての首里城は歴史的知識の乏しさも幸いしてか、爽やかな風が吹く、不吉なものを感じる場所ではありませんでした。

友人のメールが興味深かったのは、ずっと昔の香港時代の話を思い出したからです。1997年の中国返還の4年前、香港のオフィス街アドミラルティ(金鐘)にリッツカールトンがオープンしました。当時は6つ星ホテルと自称し、豪華さを喧伝していました。しかし、建設されたビクトリア湾に臨む場所は、香港人なら知らぬ者がいないほど風水の悪い場所でした。そこは第二次大戦中、日本軍の処刑場だったというのです。


(アドミラルティの高層ビルには
角がない、悪い気を流すための
「風水対策」が施されたビルがい
くつかあります。ずっとこの辺の
ビルで働いてたんですけど)


ホテルに再開発される前は風水とは無縁そうなマレーシア系銀行マラヤンバンキングのビルでした。ビルの上には横顔の虎が吼える古風なロゴの看板が掲げられていました。しかし、アドミラルティの海岸線ではほとんど最後の一等地となると、中国返還を前に未曾有の好景気が見込まれる中、開発業者が放っておく訳がありませんでした。最終的に香港の新興デベロッパーが高級ホテル開発に乗り出しました。

再開発を知ったとき、
「いくら香港人でもカネには勝てないのか~」
と思いました。コストとの競争である一等地の開発は突貫工事であっという間に進むものなのに、リッツカールトンの建設は難航しました。そのうち、日系大手ゼネコンが工事を途中から請け負い、たまたま知り合いがいたので後から話の経緯を知りました。工事が進まないのに業を煮やした開発業者に泣きつかれ、建設業者としては3社目にしてトラブル続きの末に、何とか完成させたということでした。

そんなある日、懇意にしていたタイ人の取引先が出張で香港にやって来ることになりました。
「ホテルはリッツカールトンにしたの。香港には何度も行ってるからどのホテルも泊まったことがあるからね。みことのオフィスにも近そうじゃない?」
と電話をくれました。当時は毎朝彼女と電話で話していたので、出張に来てくれたからといって特にビジネストークがあるわけでもなく、世間話ついでに、
「リッツカールトンはどう?」
と聞いてみました。

すると、
「なんなの、あのホテルは?」
と言うではないですか話を聞くと、チェックインをして部屋に上がるとき、食事のために下に降りるとき、また部屋に戻るときと、夜だったこともありエレベーターには彼女しか乗っていませんでした。

「でも、大勢乗ってるのよ。」
その一言に全身鳥肌が立ちました。

「見えないんだけど、人がたくさん乗ってるのがわかったわ。なんなの、あのホテルは?」
と再び聞いてきたので、タイ人であっても中華系の血を引く人であることを頭の隅に置きつつ、よく知る彼女の性格とさらに見上げた肝っ玉に見込んで、風水の由来や工事が遅れに遅れ、最後に仕上げたゼネコンもトラブル続きで大変な苦労の末に完成させたことを話しました。
「どうりで!」

「どの波動をキャッチしているか」という言葉に、ふとあの時の天晴れな彼女を思い出したのです。

昨年末にメルマガの5回連載で取り上げたアメリカ人サイキック(霊能者)シルビア・ブラウン氏は、その著書「スピリチュアル・ノート」の中で、"あちら側"の定義として、
「いま、ここに、この世界に重なるようにしてある、違う次元なのです。だいたい、地面から90センチぐらい上がったところにあります」
と記しています。初めてこれを目にしたときは90cmという具体性にハっとし、
「日本のお化けに足がないのはこのせいか!」
と納得しました。その高さだと浮いて見えるのでしょう。

ブラウン氏はこの理由を、霊的存在が、
「私たちよりずっと高い波動を持っているために、私たちにはわからない」
とし、
「幽霊や天使を見た人は例外なく、それらが地面から浮いて漂っていたと言います」
とも語っています。霊能者は高い波動でも見分け、聞き分けられる特別な能力を持っているため、霊的存在を知覚でき、彼らと交信できるという訳です。

90cm上の世界を怖いと思えば怖いかもしれませんが、数年前に愛猫2匹を亡くした私にはかえって慰めとなりました。私の腰の辺り、座ったら目線の辺りに愛猫ピッピとチャッチャが付かず離れずにいてくれるのかもしれないと、見えないながらに"あちら側"を思い描くことができ、予想外の近さに親しみと愛着を感じました。ブラウン氏が言うところの「あなたを見守る優しき存在」は、いつもそばにいるのかもしれません。


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編集後記「マヨネーズ」
リッツカールトンは2008年に取り壊され、中国建設銀行のCCBタワーに再開発されました。ホテルとしてはたった15年の短命でした。現在の香港のリッツカールトンは複合施設の102~118階として九龍側にあります。


後日談「ふたこと、みこと」(2022年7月):
これを書いてから8年。夢日記をつけるようになって10年の夢見ストとなり、地上から90cmという立ち位置は一段としっくりくるようになりました。夢の中では人の頭の上から俯瞰するような、地上から2mちょっとぐらいから見ていることが多いのに気づいたからです。机の上にでも立って見ている感覚でしょうか。天井に達することもなく、同じ室内にいる感覚です。最近見た夢の一例

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