ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

初夏を告げる渡り鳥

2002-03-22 | 香港生活
「あぁ~。いるいるぅ♪」 
数日前の会社帰りに、袖をちぎったTシャツに短パン姿のやたらムキムキの白人のおニイさんたちが、4、5人でそぞろ歩いているのを見かけました。
「そうか、今年もそんな季節になったんだなぁ・・・」
と、ジワッと感慨。

彼らは香港の初夏を告げる渡り鳥。この季節の風物詩の一つなのです。それはすなわち、これまで半年にわたったラグビーシーズンの終わりと、これから半年にわたる長くて暑い夏の始まりを意味しているのです。その境目の3日間を彩るのが、「香港セブンス」です。

7人制ラグビーの国際大会であるセブンスは、香港の白人社会にとって年間最大のイベントで、
「これなくして香港生活は語れない!」
「この週末だけは親が死んでも帰れない!」
と言わしめる一大行事です。今では世界各地で開催されているセブンスの草分け的存在でもあり、アジアでは最も長い歴史を誇るそうです。

「香港ってこんなに白人がいたの?」
と驚くほど、毎年おびただしい数の白人たちが、会場の香港スタジアムに続々と集まってきます。香港人はスポーツと言えばサッカーなので、観客の過半数は日本人等も含めた外国人で占められます。私も例年、初日の金曜日はオフィスから直行し、週末はお弁当持ちの一家総出で、日曜夜のカップ(最高ランク)の決勝戦までどっぷりラグビー漬けになります。

今年は3月22、23、24日の3日間の開催で、その前には10人制のテンスもあり、今週1週間は完全なラグビー週間です。夫も趣味の(?)出張をことごとく諦め、万全の態勢で臨んでいます。友人もイギリス人の夫が、
「今週は何を言っても上の空。あてにならないし、いつ帰って来るかわからないし・・・」
という状態らしく、ため息まじり。

香港でかつて暮らしていた外国人の中には、
「この季節は絶対、香港!」
と本国から毎年はるばるやってくる人も珍しくありません。そういう古い友人と連れ立って試合の後もどこかで盛り上がって・・・と、結局、「昼も夜もどっぷりラグビー」という人が結構いるのです。

なので、この時期に街を跋扈し始めるやたらムキムキのラグビー関係者と思しき人たちを見るにつけ、
「また1年たったのか・・・」
という思いを新たにします。彼らは外の天気がどうであれ、年によっては結構肌寒かったりしますが、丸っきり頓着なく練習着のような格好で歩き回ってます。雨が降っていても、もちろんお構いなし。まあ、香港の冬なんて彼らにしてみれば本国の夏のような陽気なのでしょう。香港は真冬でも10度を切る日はほとんどなく、切れば寒さで死人が出ます(冗談でなく)。

このたくましい渡り鳥たち、タットゥーを入れていてもスキンヘッドでも、こういうものが持っているネガティブな暗さが微塵も感じられません。これにミラーのサングラスなんてかけていたら迫力満点ですが、外見が少しも恐そうにならず、ナイスガイに見えるから不思議。野球選手のおカネのかかった玄人っぽさや、サッカー選手のイマドキなプロっぽさに比べると、セブンスに来る人たちはとにかく単純明快に強そうで健康的です。

ラグビーは防具もつけずに身体と身体がぶつかり合う、激しく、危険なスポーツです。それゆえにプレーが比較的きれいな気がします。ダーティーなプレーには観客からもブーイングが起きます。「礼節」とか「フェアネス」といった英語にしても日本語にしても、ちょっと古風な形容が似合うスポーツのような気がします。特にオールブラックスのフェアプレーは、王者としての自覚がそうさせるのか、本当に感心するほどです。それがまた、彼らの風格を高めてもいるのでしょう。

去年のNZはセブンスの帝王キャプテン、エリック・ラッシュの怪我による欠場を埋めたカール・テナナの神業に近いプレーで優勝をさらいました。彼が優勝後のメディアのインタビューで、
「これは全部ラッシー(ラッシュのこと)のために」
と言っていたのが印象的でした。そのラッシュも香港セブンスでは今年がプレーヤーとして最後の年になるそうで、是非ともいつまでも語り継がれるファインプレーで有終の美を飾ってほしいところです。


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「マヨネーズ」 
NZのサマータイムが終わろうとする頃、香港は一足飛びに春を越え夏を迎えます。季節の変わり目の風情のかけらもなく、冬服をまとめてクリーニングに出しに行く時には、すでにTシャツにミュールという真夏のいでたちです。

ラグビー関係者はその体格、短髪、肌の露出度の高さから街中でもすぐに分かりますが、時々アウトレットに出没して大きいサイズの服を探していたりします。セブンス期間中もファンのサイン攻めにも嫌な顔一つせず、無限に差し出されるラグビーボールに黙々をサインをしています。エリック・ラッシュの勇姿(ハカ姿も)最後で(涙)、しかと目に焼き付けながら、今年も楽しみます!

空中生活

2002-03-18 | 香港生活
「ママ、ツチってお砂のこと?」
長男の温がまだ3歳ぐらいだった時、絵本の中に土が出てきて、それが何かを説明するのに四苦八苦したことがあります。香港は海に囲まれているので砂はすぐにわかるのですが、問題は「土」です。
「え~っと。土って、地面のことで、そこからお花が生えてきたり、お家がその上に建っていたり・・・」
と言ってみても、息子の疑問は膨らむばかり。

彼は香港生まれの香港育ちで、生まれつきコンクリートジャングルの中で暮らしています。なので花は切花か造花(おまけにうちは猫が倒してしまうので、そのどちらもありません)、家と言えば下から見上げたら何階あるのか想像もつかないような超高層マンションの一戸のことになります。庭がある土の上に建つ一軒家は、絵本の中に出てくるか、日本のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる、「階段のついているお家(二階家のこと)」ぐらいしか知らないのです。

香港にも戸建の家があるにはありますが、この狭い土地ではそれは大金持ちだけに許された特権で、最低でも数億単位のお金を用意しなければ買えません(本当にその高さといったら日本の一等地どころではありません)。そのため戸建の家は必然的にお屋敷のような作りになり、警備が厳重で中が見えない高い塀と防犯カメラに囲まれたような家ばかりです。生垣の間から庭がのぞけるような状態にでもしておこうものなら、あっという間に泥棒に入られてしまいます。

マンションも1階は玄関と駐車場の入り口という殺風景さで、プールやテニスコートがあっても庭に相当するものはほとんどなく、実用一点張りかつメンテナンスがラクな造りになっています。公園ですら同じで、初めはびっくりしましたがバスケットコートもサッカーコートもコンクリ張りなのです!これだったら雨が降ってもぐちゃぐちゃにはなりませんが、転んだ時の痛さや走り回る時の不快感は想像を絶するものがあります。

万事がこの調子なので小学校の校庭がコンクリでも驚くには当たりません。花壇があったりウサギ小屋があったりという、日本の小学校ならどこでも見られそうな光景にお目にかかることはほとんどなく、通学時間ともなれば校庭にスクールバスが何十台も並び、一見観光地の駐車場のような眺めになります。効率性と安全面から香港には子どもを歩いて通学させる習慣がなく、家族が送り迎えをしない限りスクールバスのお世話になるので、毎日こうした光景が繰り広げられます。

そのため地面に花が植わっているのを見るのは、公園の植え込みや高速道路の中央分離帯といった非日常的な場所になってしまい、親子でしゃがみこんで「ほら、これが土よ」などと、呑気に会話が交わせるような場所ではありません。街路樹ですら歩道の面積を目一杯広げるために、根元のぎりぎりまでコンクリが流しこまれ、幹の周りからかろうじて丸く土がのぞいている程度で、雨が降っても水がしみこむ余地すら残っていないのです。それでも南国の木は強いのか、太陽を燦々と浴びるせいなのか首を絞められているような状態でも、大きな枝を一生懸命広げわずかながらでも歩道に木陰を作ってくれます。

最近のマンションは50~60階建てなどというものが出てきて、「地に足が着いた生活」とは真反対の「空中生活」が珍しくなくなってきました。
「自宅が46階、オフィスが34階、1日のほとんどを高度100メートル以上のところで過ごす」
ということが現実の話なのです。しかもオフィスもマンションも高度に合わせて値段も上がっていきます。同じ間取りでも少しでも眺めがいい方に人はお金を払うのです。つまり香港では風景も有料なのです。

NZ旅行中にキウイの人たちがあまりにも気持ちよさそうに裸足で歩いているのを見て、私たちも公園やスーパーマーケットで何度か裸足になりました。でも手に靴を持ったままのかなり情けない格好で、これには自分でも笑ってしまいました。彼らのように最初から靴を持たないで家や車を出るようにならないと、裸足が板につかないでしょう。温泉地ロトルアの土の温かさ、オークランドのワンツリーヒルの帰り道でかいだ雨上がりの土の匂い。子どもの頃の記憶が呼び覚まされるようでした。

空の上での暮らしから土の上での暮らしへ・・・
それはもう憧れとか夢とかいうものではなく、乾いた魂が一杯の水を欲しがっているようなものなのです。


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「マヨネーズ」
「よ~し、土がわかんないんだったら見せてやろう!」
と、去年はユンロンという中国との境の山が間近に迫るような郊外に、一坪の畑を借りてトマトやほうれん草を作りました。鍬で土を耕したり収穫したり、余ったクズ野菜をヤギにあげたりで、子どもたちは大喜び。

「こんなお金を払うくらいなら、野菜を買ったほうが安いのでは・・・」
と言いながらも、夫はせっせとドライバーをかって出てくれました。畑から収穫したばかりの、一度も冷蔵庫に入っていない野菜のサラダは、生きているのを感じるほのかなぬくもりが残るものでした。もちろん、その美味しさは言うまでもありません。お陰で子どもの青菜嫌いが一気に解消したほどです。

Bモードで行こう!

2002-03-16 | 移住まで
2月のNZ旅行以降、西蘭家はBモードに入っています。
「無駄使いをしないでキウイのようにシンプルに暮らそう!」
という大きな目標と、旅行直後からクレジットカードの支払い請求がガンガン舞い込み(香港はリボ払い以外、翌月一括払いしかありません)、夫と2人で青ざめている台所事情とで、節約モード、より端的に言えばビンボー・モードで行こうということになり、長期旅行の後にありがちなBモード入りしました。

いざ無駄使いをしないと言っても、2人ともそれほど買い物好きでもないので、大きく出費を抑えられるところがなく、掛け声の割には達成感のない、ちまちましたことを続けていくしかありません。まず、いつも週末に買出しに行く日系スーパーをAから、たまに行っていたBに切り替えました。値段が手ごろなBの方がいつも遥かに混んでいますが、人混みが苦手な西蘭家はゆっくり買い物ができるAについ行ってしまい、1回の支払いが1000香港ドル(約1万6,000円)を越えてしまっていたのですが、Bだと買い慣れないせいもあってこれが半分以下で済みます。もちろん1週間をこれで暮らせる訳ではないので、近所のスーパーでも生鮮食料品を買い足しますが、それでも1ヶ月2000ドルぐらいの節約にならないかな~♪と甘いソロバン勘定。

その次はコーヒー。コーヒー代まで削り始めればBモードも濃厚でしょう。勤務先のビル内にスターバックスがあるので、朝1杯、午後1杯と、ついついあの香ばしい匂いにつられて1日何杯も飲んでいました。ところが、なぜかNZ旅行以降あまりコーヒーが欲しくなくなりました。旅行中はせいぜい1日1杯ぐらいしか飲んでいなかったので、それが今でも続いているようです。

Bモードなのでこれ幸いに、代わりにNZで大量に買ってきたお茶を飲んでいます。一番のお気に入りは「レディグレイ」。リプトン製ですが青い箱がきれいで香港では見かけたことがなかったため、昨年のNZで初めて買いました。最初に口にした時の香りの高さと口当たりのやわらかさは驚くほどでした。アールグレイ並みに香るので、フレーバーティー好きのキウイに好まれているよう。

今回はティーバッグだけでなく青い缶に金色の蓋がついた、爽やかな配色の缶入りティーリーフも見つけました。ティーバッグではわからなかったのですが、インディゴ色のとてもきれいな花びらが入っていて、香りだけでなく見た目もとても美しいお茶だと知りました。私は濃い茶色とこの目の覚めるような赤みを帯びた青色の組み合わせがことのほか好きなので、缶を開けたときの感動は昨年初めてこのお茶を口にした時に続いてのサプライズでした。これ以外にもたくさんフルーツフレーバーのティーを買ってきたので順に楽しんでいます。今のところはピーチ&ラズベリーの甘酸っぱい香りもお気に入りです。

3つ目はタクシー代です。日本より物価が高い割に香港のタクシー代は割安です。住んでいる住宅街に地下鉄がなく、朝7時出勤と早いこともあり、私はもっぱらタクシー通勤をしていますが、これから
「週1回は歩いて帰ろう!」
と密かに誓ったところです。

片道500~600円と節約できる金額は知れていますが、運動不足の解消も兼ねられ、いくら便利でもあまりにも安易にタクシーを使いすぎる自分への戒めもこめて歩くことにしました。朝の空いている時間なら時速90キロ近く出す運転手もいるので7分もかからない距離ですが、いざ歩くとなるとショッピングモールを抜け、繁華街を通り、信号を渡り、競馬場とお墓の間を抜け、おまけに家の前はかなりの坂道・・・なので約40分かかります。

NZ旅行中、本当にたくさんのジョガーを見ました。若い人はもとより、シニアの、しかもともに走り込んでいる感じの夫婦の姿はとてもいいものでした。そぼ降る雨の中、濃緑の公園の中、吹きさらしの海岸通り、彼らの姿は本当に風景に溶け込んでいて、自然を慈しみ、その恵みを受けている様子は、コンクリートにすっぽり覆われ、地面というものを見つけるのが難しい香港で暮らす身にはとても羨ましいものでした。

そんなことを考え、あんなことを思い出しながら、今週も排気ガスと埃をかいくぐり、人の波を掻き分けながら、Bモードで行ってみよう!


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「マヨネーズ」 
そうは行ってもNZ旅行以降パソコンを買い替え(とうとうバイオに)、月末からは日本に里帰り&人間ドッグと物入りが続きます。財政的には週1回歩いて帰っても焼け石に水です。

それにBモードだろうが何だろうが、私のビーズ買いは止まらず、毎月何万円かがあの小さな粒々になって消えて行きます。買ってきてもビニールの封も切らないで眺めているだけの物もたくさんあり、
「開けもしないのに、なんでまた買いに行くの?」
と夫からキツイ質問を浴びつつも、ポケモンと一緒でそこにそれがある限り、
「ゲットだゼ!」

ドナルドを探せ!

2002-03-10 | 香港生活
3月6日に香港特別行政区政府、長い名前ですが要は香港政府の2002年度予算案が発表されました。実は私、この数少ない香港の政治イベントを毎年かなり楽しみにしています。香港では毎年、大蔵大臣に相当する財政長官が予算をまとめ上げ3月初旬に発表し、簡単な審議はされるものの、ほぼ財政長官の原案通り4月の新年度から施行されます。

このシンプルなプロセスは英国植民地時代の香港政庁だった頃からの名残です。植民地なので、本来あるべき姿であってもコストのかかる民主主義的な段階を経る必要はなく、最も安上がりな方法が採られていました。香港は自由都市を標榜しているためヒト、モノ、カネの流れが非常に自由で、常に玄関が開け放しの状態です。

そのため、予算も受け入れるすべてのヒト、モノ、カネに対し、最大限"妥当な"ものでなくてはならず、あまり民主的とは言えない決定方法を経ながらも、毎年かなりフェアな内容が発表されてきました。それは、もしも財政というその社会の家計簿が特定のグループを優遇するようであれば、ヒト、モノ、カネがここに留まらずに、より居心地の良いところに移動してしまうリスクを負っているからです。

簡潔さを追及していても、ここには源泉徴収制度はありません。サラリーマンでも毎年、各自が確定申告を行います。政府からの納税通知を受け取り、納税日までに小切手の郵送や銀行振り込みで(ここ数年はインターネットでの支払いもOK)納税します。納税額に不満があれば申し立てもできます。会社は給与証明の書類を作るぐらいで、それ以外はすべて納税者本人が行います。

源泉徴収に比べ手間も時間もかかりますが、納税者にとっては少しでも節税できる方法を考え、非課税になる寄付は少額でも申告するなど税金への意識を高めることになります。ひいては自分が支払った税金の行方に自然と目が行くようになり、その配分の大筋を決める予算案への関心も高くなっているように思います。政府は政府で取りはぐれがないよう監督管理を怠れません。

今回の予算案は膨れ上がった財政赤字の穴埋めが最大の焦点になりました。政府がまず着手したのは増税でも消費税など新税導入でもなく、公務員給与の引き下げでした。お金がない時に出費を控えることは個人では当然でしょうが、こと国家となると国債発行という借金のかたちで問題を先送りすることも可能になります。

しかし、香港はまず歳出削減に取り組み、それでも間に合わない時は増税等に踏み切るという二段構えの慎重姿勢を示しました。発表直後の世論調査では約半数の市民が予算案に支持を表明していました。失業率が過去最悪の7%台に突入し、景気後退の瀬戸際のところで踏みとどまっているという、政府への不満が高まってもおかしくない経済状況の中ではかなり高い支持率だと思います。

納税者と政府の間に信頼感を培っていくことは、どこの国でも非常に難しいことでしょう。「どうせ何も変わらない」という無力感やそれにかこつけた無関心を乗り越え、お互いが向き合おうとする真摯な気持ちこそが問題意識の共有につながり、"次の一手"を探っていく出発点となるはずです。

これを理想論と片付けてしまうのは簡単ですが、自分が暮らす環境に目を配り、自分の子どもを含む次世代のことを真剣に考えていけば、ある程度は政治に目がいくことになるのではないかと思います。政治にコミットしていく方法は無数にあります。新聞やテレビで現状を認識し目の肥えた市民となるだけでも、大きなチェック機能の果たすことでしょう。

私もささやかながら税を納める立場として、増税も消費税導入も見送られたことにホッとしています。来年度には何らかの間接税導入があるであろうと思っていますが、政府が安易に増税に走らず、かと言ってこれが単なる解決の先送りではないことを明確に示したことには、一市民として満足しています。私たちも9年近い香港暮らしを通じ、開放的で親しみの持てる政府のおかげもあり、いろいろなものに目が向くようになりました。

開け放しの玄関をくぐり、自らここに住むことを選択した訳ですから、現状がどうなっているのか、また今後どうなっていくのかにはとても興味があります。そして一度培われた目は、日本や他国の政府を見るのにも活かされていることを実感しています。その中で、目に飛び込んで来たのがNZだったことは、偶然ではないのかもしれません。


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「マヨネーズ」 
これからメルマガ本文後の一言を、編集後記「マヨネーズ」として毎回載せていくことにしました。茹でたてのブロッコリー(中国語で西蘭花)にはやっぱりマヨネーズ?!子どもたちの大好物です。

今回はちょっと硬い話だったかもしれませんが、どこの国に住んでも、「○○のお店は美味しい」というぐらいのノリで、「政治家の○○は最近今イチ」と言うような話が老弱男女問わず話題になることが多く、日本を出て間もないころは、
「首相以外の閣僚の名前をほとんど知らない私って?!」
と焦りましたが、20年近い海外生活の中で大分変わってきました。

子どもの世代もそれ以降も安心して暮らして行け、21世紀の人類が水や食糧を争って戦争を起こすような惨めな思いをしないで済むことを真剣に願いつつ、今日も新聞をめくりながら、お気に入りのドナルド・ツァン政務長官(香港の実質ナンバー2で、政治家ではなく官僚のトップ)が載っていないか、チェ~~ック!


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2019年5月の後日談:
メルマガを始めた頃、「マヨネーズって何ですか?」というメールをときどきもらったものですが、ここで説明していました。

懐かしい香港時代の話ですが、今でも予算案はガチで中継を観ています。そんな今月はNZの予算案発表の月です。


NZの匠たち

2002-03-03 | 移住まで
2月5日からの12日間のNZ南島の旅には、いろいろな思い入れがありました。しかし、夫が日記でもばらしてくれているように、私には元来"計画"という二文字が欠けているので(ついでに言えば "後悔"という文字もないのですが)、「あれをしよう」、「ここに行こう」と頭の中で描いていても、ネットで調べる訳でもなし、ガイドブックをめくることすらしないので、結局たいしたことはできず、最終的に自分が見聞きしたもので満足してしまう質なのです。

そのため、
「えぇ、○○に行ったのに□□を見ないで、△△を食べないで、××も買わないで帰ってきたの?!」
と人から驚かれても、一瞬「もったいないことをしたかな?」と思うぐらいで、
「ま、次に行った時にでも・・・」
とすぐにケロリ。そもそも遂行すべく"計画"がないので、達成されない"後悔"もないのです。

しかし、今回の旅行でこれだけは・・・と思っていたのが、
「ガラス工房を訪ねよう!」
ということでした。心当たりはたった1ヶ所で、昨年のNZ旅行の際にたまたま目にした南島のパンフレットにあった、手作りビーズや吹きガラスのある店でした。しかし、南島のどこだったかは、「クイーンズタウン」か「クライストチャーチ」しか記憶になく、これって日本で言えば「名古屋か、京都のどちらかにある店」と言うぐらい大雑把なことでしょうが、忙しさと生来の性格で事前に下調べもせずに旅立ちました。

現地に行ってから観光用のパンフレットを見てもそれらしい店は見つからず、クイーンズタウンではツーリストインフォメーションに出向きましたが、教えてもらったのはビーズ屋とガラス器も置いているギャラリーだけで、目指す店は見つかりませんでした。
「やっぱりクライストチャーチだったのかな?」
と、あまりがっかりもせず教えてもらった店でビーズを買ってそれなりに満足していました。ところがその翌日、町中をクルマで走っている時、夫にしては珍しく道を間違えて小径に入ったとたん、
「あ、ガラス屋がある!」
という夫の声。慌てて外を見ると、車窓からでもその美しさがわかる大皿を並べた棚が見え、すぐにクルマを飛び出しました。

そこはワークショップも兼ねた小さな店で、奥には大きな釜がドンと鎮座していました。白人女性のオーナー兼アーティストであるキャスリンが迎えてくれた店の名前は、「ガラスハウス」。私が捜していた店ではありませんでしたが、大柄な彼女の大ぶりな手からなる作品がずらりと並ぶ店でした。すべてがリサイクルの窓ガラスで作られた厚さが5ミリ以上ある厚手のもので、繊細なガラスのイメージを覆すような作品ばかりでした。

四角いガラスの真中を四角く窪ませたオーソドックスな形の皿も、彼女の手にかかると淵に微妙なうねりが出て平板な感じが表情のあるものになっていました。お盆ほどもある丸い大皿も、ガラスの冷たく硬い透明さを何とも言えない温かみのある、まったりとした赤で包み、その中央にははかない金箔が縦に走っているなど、バランス感覚が絶妙でした。

いろいろ迷った挙句、壁画のように形式化された青い魚が描かれた25センチ四方の四角い皿を買うことにしました。その店では中皿です。厚い透明なガラスに何尾かの魚が右向きに描かれていて、底まで透けて見えるNZの海や湖の中の、魚影を覗くようです。陶器と見まごうようなぬくもりのある赤皿と対照的な、透明で涼やかな一点ですが、どちらも粗くならない厚さと大きさに繊細さが加わった作品で、この加減がキャスリンの真骨頂と見ました。持ったときの重ささえも計算に入っているかのような、ずっしりとした手ごたえもまた魅力です。

キャスリンは丁寧に作品の説明をしてくれ、色合いや焼き時間の話をし、素材の窓ガラスも見せてもらいました。自分の作品への誇りと愛着が心地よく通じてくるのは、彼女が独り善がりにならず、作品を愛で対価を払う人を客としてもてなし、かといっておもねるところが全くなかったからかもしれません。均一な色の美しさを誉めると、表情も変えずに「経験です」と言い切りました。文字にしてしまえば尊大にも聞こえるかもしれませんが、それはガラス工芸をかじっていると話した私に対する、先輩としての励ましのように響きました。

他の2人連れが店に入ってきたところで名残惜しく退散しました。店内には大人4人が立てる余裕がなかったからです。外にディスプレーされた作品も、夏の朝の陽を受けて、自らも光を放つようにきらめいていました。通り過ぎることができないような力が、道行く人に放たれているようでした。

昔パリに住んでいる時、フランス人の友人達はよく、「彼はアルティザンだ」とか「これはアルティザンの仕事だ」というようなことを口にしていました。アルティスト(アーティスト)の域に達していない職人というようなニュアンスで、映画評でも何でもこれが出てきた時には誉めていないと理解すべきでした。しかし、私はそのアルティザンに密かに心惹かれていました。天賦の才は与えられなかったかもしれないけれど、無から有を生じさせることができる、決して誰にでも備わっている訳ではない力を持った身近な人たち。

アーティストへのコンプレックスで歪んでしまった人もいたでしょうが、「分かりやすいもの、実用的なものを」と、最初から相手を念頭に置いた親しみやすい物作りの名手とも言えます。意味の追求を拒み、鑑賞することを迫るような"芸術作品"を生み出す人たちとは別なのです。求めれば手に入り、長く身近に置いて大切にしていけるようなもの、心をこめて人に贈るようなものを作ってくれる人たちでもあるかもしれません。そうであればキャスリンは間違いなく、誇るべきアルティザンです。私は香港に持ち帰った青い魚のガラス皿を末永く大事にし、いつかこれを携えて再びNZに行くのでしょう。この皿にはこうして、思い出という名の記憶が幾重にも盛られていくことになります。これがアルティザンたち、匠の御技なのです。


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青い魚の皿が今、目の前にあります。本当に眺めて良し、持って良し、使って良しなのでしょうが、この皿を使うことはないでしょう。何も盛らずにこの厚い透明感を楽しみます。ガラスに惹かれて以来、華奢な繊細さ以上に硬質な冷たさに魅力を感じていましたが、同じように好きな陶器のぬくもりが、硬い透明なガラスとこんなに共存できるのだということを、キャスリンに教えてもらい、漠然と習っていたガラス工芸に指針ができた思いでした。彼女に比べれば私は保育園レベルですが、「いつか」と夢を見せてもらったことに心から感謝。今回の旅ではもう一人忘れられないアルティザンに出会いましたが、彼の話はまたいつか。