ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

昔の写真との比較

2023-01-07 | 

元旦 湯布院の宇奈岐日女神社(六所様 言い方は「ろくしょう様」)に初詣に行ったのですが 

帰宅した後 実家の父が写した神社の写真があることを思い出しました。

父が会社の写真展に出品したモノクロの写真で 裏には 名前と『レンズ3.5   絞り 8 ・25/1と書いてあります。昭和35年くらいの写真です。 

比較してみると 現在との違いに驚かされます。

宇奈岐日女神社は こんなに鬱蒼とした森のような場所でした。

少し手前には参道の入り口を示すように 大鳥居がありましたが、残念ながら 今はありません。

藁こずみの辺りには 湯布院厚生年金湯布院病院(今の正式名称は JCHO湯布院病院)がどど~んと立っています。いまだに『年金病院』と呼んでしまいます。最初は小さな2階建ての病院でしたが、増築改築を繰り返し現在のような巨大な病院になりました。昔 母が厨房で働いていました。

宇奈岐日女神社

平成3年の台風で杉の木が倒れて 空が広いです。

境内本殿

 

現在


神様でも仏様でも自然には勝てません。














孫の言葉

2023-01-07 | 
正月明けに二泊した孫が帰る時に

『○○君と○○ちゃんが いなくなると寂しいな~ 寂しいな~』と言うと小学二年生の お兄ちゃんが

ぃじ がいるじゃないか。一人なら寂しいけど じぃじ がいるから大丈夫』

『はっ』としました(そうか、私には じぃじがいる)


子供の言葉に『はっ』とさせられます、新しいことに気付かされます。







初詣で

2023-01-07 | 

元旦の朝 湯布院の宇奈岐日女神社(通称 六所様)に初詣でに行きました。初孫のお宮参りも こちらに来ました。


元旦 10時でしたが、思ったより参拝者は少なめです。コロナのせいもあるのでしょうか?

門松や提灯が飾られ、昔は左側にあった社務所が右側に新築され、駐車場も完備され 今風の神社になっていました。荘厳な昔の風景は薄くなり、辻馬車や人力車も寄る 観光的な神社になりました。神社も企業努力の時代です。





私は湯布院生まれで この場所の近くに3歳から16歳くらいまで 住んでいました。

当時は杉の木が 鬱蒼と繁り、神秘的でしたが 平成3年9月27日に襲来した台風19年で多くの木が倒れ 今は広い空が見えます。




風倒木という言葉が生まれた台風で被害を受けた後に 多くの寄進や寄付が寄せられ今のように整備されました。


私は幼い頃 ここが遊び場所で、横に育った木に登ったり、境内を流れる小川で裸足で遊んだりしたものです。浅い池には『オオサンショウウオ』が居て 時おり姿を見ました。

日本昔話のようですが、母は境内の外にある小川の冷たい水で洗濯をした時期もありました。幼い私は そばで川遊びをしていました。昭和30年代、今から60年くらいの前の話です。この神社に来ると母のことが思い出されます。

苦労を見せない 我慢強い 働き者の母でした。


参拝が終わり、帰る頃には 駐車場は満杯になり、駐車を待つ車が出ていました。駐車場の隅で人力車の車夫さんが、乗ったままのお客様に目の高さをあわせるように ひざまづいて神社の『いわれ』を説明をしているのが聞こえました。物語風に美辞麗句を並べるのも これもまた企業努力でしょう。

帰宅すると『福岡から椎茸を買いに向かっていて、そばまで来ています。店は開いていますか?』と電話がかかりました。
そう言われれば 開けざるをえません。ま、閉めててもテレビを見るだけで何もすることないので 元旦11時の開店となりました。