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デザイナーの色メガネ

写真付きで日記や趣味を書く

天高く馬翔る秋

2007-11-14 14:37:04 | アート・文化

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わぉ~~、カッコいいではないか!

これは私です!と言いたいけれど、チガイマス。

先日の農大収穫祭の最終日、買い物をしたあと立ち寄った

馬事公苑で大学馬術部の障害物レースが開催されていたのだ。

全国の大学からチームや個人でエントリーしているらしい。

一緒に行った動物好きの例の人(妻)は、またしても大興奮!

まさに目の前を馬が疾走していくので、時にはバラバラと馬が

蹴った土が頭上に降ってくるほどだが、そんなことはモノトモセズ

柵にかじりついて離れない。

Img_6195 どの学生も緊張感のある引き締まった

いい顔をしている。

中には女子もいたが、

なかなか決まっていた。

妻は「わ~っ、オスカルかユリウスみたい~」とうっとり状態だ。

では、美しい馬たちをご覧ください。

Img_6182 Img_6181 Img_6205

おぉ!

あぁ!

はぁ!

「人馬一体」とはまさにだな、と感じる光景を幾度となく目にした。

タイミングをミスして障害の前で立ち往生してしまう馬。

コースを間違えて「アレ?」という表情の馬。

片っ端から障害を落として騎手に気合を入れられる馬。

レース途中で失格になってションボリと引き返す馬。

ミスをしても集中して盛り返してくる馬。

ノーミスでクリアして意気揚々と戻る馬。

それぞれ騎手たちが叱咤したり、なだめたり、褒めたり、

喝を入れたりしている。

息が合わなければ到底いい成績は出せないな、と思った。

Img_6184_2 馬事公苑の近くには、馬具屋さんがあり、

馬具以外にも美しい馬の写真や、

アクセサリー、ステーショナリー、

その他雑貨などすべて馬がモチーフで、覗くだけでも楽しい。

近くの方は是非一度立ち寄ってみてください。

Img_6220 レースを終えて気持ちを静めている(?)馬たち→

傍らで妻が「はあ~~~っ」とため息。

「馬が障害を飛ぶたびに一緒に力んでたら

ものすご~く疲れちゃった…」と言う。

Img_6222 「それはご苦労なことでした!

オマエ様もちょっと並足でも

されて気を静められよ。」

と馬が…。

結局、3時間あまりの

立ち通し観戦に私も付き合わされてしまったのだった。

(観覧席もあるのだが、カブリツキじゃなければダメなんだ

なあ、例の人は…)

あ、長くなってしまったので農大の戦利品はまた次回に。


東京農大!

2007-11-04 23:31:43 | アート・文化

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11月は楽しみな行事が満載。

その皮きりは農大(東京農業大学)の収穫祭。

世田谷区の住民でなくとも、ここの大学祭を楽しみにしている

人は多いんじゃないかなあ。

とにかく活気があってオモシロイ。

上の写真は高さ5メートルはあろうか…オリジナル神輿だ。

毎年多彩な神輿が登場するのだが、今年はこれが気に入った。

Img_6130 毛の部分は藁でできているところが

農大らしいではないか。

眼光は赤いライトが点滅している。

バランスもとてもいい。

立体でこれだけのものを作るとは大したものだ。

美大じゃないんだから…。

Img_6122_2 こちらは世界遺産『厳島神社』→

社殿の細部までよくできている。なかなか!

Img_6124 目つきがいい孔雀。

尾の細工がうまい。

Img_6125 ←こちらは

農大のシンボル

「大根」をクレーン

が吊り上げている、という神輿。

神輿の人気投票に参加したあと、校内を一巡り。

Img_6132 農大だけあって、食べ物の

模擬店が充実している。

威勢よく餅つきをしている

←学生たち。

自分たちで栽培したもち米を

セイロで蒸し、杵で搗いている。

一生懸命さが見ていて気持ちいい…ので買ってしまった。

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掛け声がおかしかったんだなあ。

「ラストー!」とか「スト~ップ!」

やら、およそ餅つきらしくないのが、

いかにも学園祭、という感じだ。

醸造部の味噌、漬物、

養蜂部の蜂蜜はたいへんな人気だ。

長蛇の列なので、諦めた。

畜産部では動物とふれあいながら畜産業の説明を

したりと、次から次へと興味深い模擬店が現れるので、

実に楽しい。Img_6148

こちらの手作り酒饅頭は→

発酵学を学んでいる生徒たちの

オリジナル麹で作られたもの。

農大の宣伝マンのようだが、ここの学生は全体的に

気持ちがいい。

目的を持って学んでいる、という雰囲気があるからだろう。

素人の質問にも丁寧にわかりやすく答えてくれるところも

好感が持てる。

校内のゴミの分別も徹底していて爽やかだ。

(ゴミステーションなる場所があちこちにあって、担当の学生

「分別指導員」が、分別の仕方まで教えてくれる。)

もう少しゆっくり見て廻りたかったのだが、午後に出かける

用があったので残念ながら退却。

Img_6155 養鶏部だったのかな?

さわらせてもらった

ヒヨコたち。

元気に大きくなれよ!


美しい生活

2007-10-24 15:27:54 | アート・文化

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秋晴れの天気が気持ちよい。

いつもの坂道を上っていると、頭上で鳥たちがあまりに騒ぐ

ので見上げてみた。

なんとまあ、そこは鳥たちのパラダイス。

大木の上にこんなに美味しそうな実がたわわに生っていた。

葉陰を飛び交う鳥たちのシルエットがなんとも楽しげだ。

なんの実かわからなかったので、家に帰り画像を見ながら

調べてみたらイイギリの実(飯桐)と判明。(多分…)

この画像を眺めているとウィリアム・モリスのテキスタイルが

浮かんできた。

確かモリスが結婚をして最初に住んだ家は「赤い実」

名づけられていたっけ。

Img_6054 モリスの偉業については今さら私が

書く必要もないし、また書ききれやしない。

彼は「産業革命以降の小芸術は完全に

堕落してしまった。」と認識し、

その復興と改革にまさに猛然と立ち向かった、いわば

デザイナーの鑑のような偉大な人物だ。

もっともわが国は、敗戦によって美意識までもが壊滅的状況

になり、いまだにモリスの言うところの小芸術においては

途上国だ。

(☆小芸術とは生活の中のアートといえると思う)

わが国は素晴らしい美意識を持った民族であったと思うが、

今やなんとなくイジクった美しくもないものでもデザインだと

まかり通るような現状、いや生活の中の美に価値など

おいていないのだから、堕落もなにも…

真には理解できないだろうが。

Img_6057 さて、私はこの繰り返し模様のテキスタイル

の色の配分に感嘆するが、

これらの作品の素晴らしさは、なんといっても

モチーフである花や鳥や虫たちに対する

彼の深い愛情にあると思っている。

Img_6058

「赤い実」と名づけた

家の庭で彼が眺めた

名もない草、地を這う蔓、

小さな虫や梢を揺らす鳥

たちが活き活きと

デザインされている。

いいなあ、と思う。では、この壁紙を貼るか、タペストリーを

飾るかというと、それは多分しないだろうけれど。

でも、いいなあ。タイポグラフィも優雅で気品があって好きだ。

Img_5993 ←イイギリのある坂近くの公園で

撮った秋の蝶とコスモス。

この蝶はツマグロヒョウモン?

それともアカタテハ?

自然の中に美しきデザインが隠されている!

と急にモリスの目を意識してしまった朝だった。

「隠されてなんかないよ~。」

ん!?なにやらモリス翁の声が…。

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幻の山

2007-10-19 00:21:16 | アート・文化

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ゲイジュツの秋…ということで、ちょっとおこがましいかとは

思いつつ、この山の絵を載せてみた。

実はこの絵は20年くらい前に、私の父が描いたもの。

水彩だ。

今は絵筆をにぎることができなくなってしまったが、父は

絵を描くことも観ることも大好きだった。

まあ絵に限らず『器用貧乏』のモデルのような人で、

(以前の記事の「のど自慢大会優勝」とかです…)

絵のほかにもタップダンズにフィギュアスケート、野球、歌、

ビリヤード、詩吟、尺八、料理をすれば母よりも上手い、

という変り種。

ある時は母が通っていた生け花の教室に母を迎えに行き、

なかなか終わらない母(←こちらは不器用でのろい)にシビレ

を切らした父が花を活けてしまい、それが先生の目にとまって

「ご主人がいらっしゃい」と言われたことも…。

しかしこの多彩な趣味の中でも、絵だけは特別だったようだ。

絵の方に進みたかったのかもしれないが、戦後は生活する

ために売り絵を描いたこともあると聞いた。

そして父が言うには、「売り絵を描いたらもうダメだよ」。

結核を患いながら戦後のたいへんな時期を働き通した父

だが、なぜか飄々としていて笑い話が多い。

さて、この絵の山だが、どこの山なのか今や本人が思い

出せない。

当時箱根に住んでいたものだから、私はてっきり箱根の山

かと思っていたのだが、どうも違うらしい。

幻の山だ。

考えてみると、山に比べると人はほんのひとときこの世を

生きて去っていく、かそけき存在だ。

自分だけ特別なように思っていても、それは幻のようだな、

と父を見ていると、私自身の生も重ね合わせてそんなこと

を感じる。

だから、この絵の山はでいいのだ。

Img_5946 ←こちらは幻ではないですぞ!

例の栗林の栗が…おおお、

落ちそうで落ちない。

栗の風鈴。クリン♪コロン♪…

秋の日を浴びて艶やかに

美しい。

Img_5961 蒸して、皮を剥いたものを長男が

お好み焼きに入れて焼いたら、

ほんのり甘くてなかなか美味かった。

息子たちの4倍を生きた父(今年90歳)も、母の蒸した

栗を食べているころだろう。

父の絵だが、もう1枚油彩画がある。

雪景色の絵だったので、冬になったらまたここでお披露目

させていただこうと思う。


眼の不思議

2007-08-31 10:22:20 | アート・文化

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8月半ばに暑さを逃れて世田谷美術館へ行った。

『青山二郎の眼』展を覗いておきたかったからでもある。

私は骨董を知らないが、青山二郎は一体どんな眼力でモノと

対したのだろうと、興味を持っていた。

14歳で骨董に目覚め、「彼は天才だ!」と小林秀雄に言わし

めたという、怪物のような人物らしい。

館内はほどほどの人で、展示品の数の方が多いくらいだった。

中国古陶から始まり、朝鮮の白磁やもちろん日本の名品まで

間隔よろしく並んでいた。

しかし、ガラスケースの中でそれらは生気がなく、正直に言うと

大半はつまらなかった。

中でも、私は中国の陶磁器はあまり好きではないらしいことが

わかった。力強さは伝わってくるが、それがうっとおしい。

だが李朝の白磁は、ときにたいそう雄弁に語りかけてくるもの

があった。

そして、今回の展示品の中で一番欲しかったのが、

(そう、自分で使いたいのだ!)

04_t_1 ←この島津家伝来の「ととや茶碗」。

うん、これはまさに私のために作られた

ようではないか!と思うほど、私の感覚

に副うのだ。

高等遊民であり、美の探求者(←こちらは私のおちゃらけ

とは違って本物ですぞ!)の哲学なんぞ、わかる度量は

ないものの、濃厚な世界は想像できた時間であった。

展示終章に、あまり語らなかった青山の言葉が掲げてあった

が、『良いものは見ればわかる』というような、なんというか、

アドバイスにもならないようなことが書いてあって、それが

おかしかった。

要するにわかる人にはわかる。わかる人がその眼力を

磨いていけばさらにわかるようになる、ということだろう。

どんなジャンルでもまるでわからないゾーンの人の数の方

が圧倒的に多いわけだね、と納得。

まったく人間の眼というものは不思議だ。

「見る」のではなく眼をとおして、どこまで深く感じるかという

問題だ。

青山二郎は「見て」なんかいなかっただろう。

Photo_49 あ、そうだ、月を愛でながらこの杯で

酒を愉しみたい、と切に思った。

青山が命名したそうだが、それが

洒落ている。

『虫歯』 いいねえ、ものすごく気に入った。