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デザイナーの色メガネ

写真付きで日記や趣味を書く

空を飛ぶ 準備編ー3

2006-09-11 14:06:13 | 旅行記

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この写真は「シエラ飛行学校」から届いた

入学許可証と案内パンフレット。

シエラ(SIERRA)は名門の飛行学校で、訓練が

厳しいことやプロのパイロットを多く輩出している

ことで知られていた。

(金さえとれば…といういい加減な学校もあった

ので、私は慎重に選んだ) 

 http://www.sierraacademy.com/

↑はシエラのホームページ。検索して映像を見

た時は懐かしかったなあ。

学費やら寮(学校が契約しているアパートメント)

の費用(200万円くらいだったか)を払い込み、

さて、まずは両親から説得開始。

当然、①危ない②免許を取ってどうするんだ?

③仕事はどうする?の3点セットでつめよられる。

①は統計的には車の事故の方が多い、と説得。

だいたい私は高校生の時に交通事故で命拾い

をしているので、妙に説得力がある。

親にしたら「こいつは日本で車に乗っていたって

たしかに危ない。」と納得(?)したらしい。

②は免許を取る過程に意味がある、と説得。

自分を試して自信をつけたい!などと前向き

に生きる姿勢をアピール。

③は夏休みと貯めこんだ有給休暇で大丈夫!

と説得。(これはまっかなウソ

結局、両親は「どうせ言い出したらきかない

ヤツだ」といういつものパターンで折れた。

お次は職場の上司…。

夏季休暇と有給休暇合わせて2週間と少し

しかないのに、免許取得には最短でも

3ヶ月はかかるので、操縦免許を取ってくる

とは口が裂けても言わず、ひとりでアメリカを

見てきたいので長めに休暇をください!

と願い出た。

日頃の行いが良かった私に上司は寛大で、

「そうか、いい経験になるだろう。アメリカの

デザインの現場もしっかり見てきなさい!」

と3週間近い休暇を認め、激励までしてくれた。

かくして、私は意気揚々と夢に向けて旅立った。

初めて乗る飛行機、初めての海外、初めての

留学…と初めてづくしの私が、格安航空チケット

を手に羽田空港に立ったのは27歳の夏だった。

(エッ?3週間の休暇でどうするか!?って、

そんなこと、ナントカナルサ!


空を飛ぶ 準備編ー2

2006-09-09 00:07:55 | 旅行記

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私は週2回、仕事を終えてから牧師さん宅

へ伺い、例の少年に英会話を習った。

少し英語にも慣れてくると、牧師さん自身も

会話に加わってくださりながら1年が過ぎた。

私は会社では真面目で通っていた。

なぜか…夜には英会話やら専門用語の勉強

(これは独学)をやらねばならないので、

とにかく朝から仕事は集中してやる!

だいたい制作室の連中は昼ごろ出勤するのが

当たり前、という風潮の中、朝早くからバッチリ

仕事に精を出す新人として、知らぬ間に信頼を

勝ち取っていた。(これは計算外)

そのうち、少年が進級で勉強が忙しくなり、彼の

姉さんが私の相手をするようになった。

彼女は牧師さんの実娘だったと思う。

しかし、彼女も忙しくなり、結局別の牧師さんを

紹介してもらうことになった。

さて、この牧師さんが、なんともつまらない!

英字新聞かなんかを持ち出してきて、固い話

ばかりするは、なにかというと聖書の話をした

がる。

(まあ、宣教の使命があるのだから当然だ)

嫌気がさした私は、そろそろ計画を決行しろと

いうことだな…といいように解釈をして、

英会話を始めて2年足らずで、飛行学校の

面接試験を受けることにした。

当時、日比谷に海外の飛行学校を斡旋する

機関があり、最低限の語学力などをここで

試験された。(今はどうなっているのかなあ?)

私はカリフォルニア州の『シエラ飛行学校』

を希望して受験。

なぜカリフォルニアかというと、天気が安定

しているから、ばんばん飛べるだろうと思った

からだった。

無事に試験は合格!

(どんな試験だったか、皆目覚えていない)

あとは両親を説得することと、会社になんと

か言ってごまかして(?)休暇をもらうこと…。

しかし私の心はそんなことはナントカナルサ!

Let’s go! USA!

が頭上で鳴り響いていたのだった。


空を飛ぶ 準備編ー1

2006-09-07 00:39:03 | 旅行記

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美大を卒業し、広告代理店の制作室に勤め

ながらも「空」への憧れはやまず、私はもう

「飛ぶしかない」と思い始めた。

どうせ飛ぶならチマチマした日本はつまらん。

アメリカで免許を取って飛び回ろう!と決め、

アメリカの飛行学校の情報を集め始めた。

最初の難関は当然「言葉」と判明。

航空力学やらなにやら授業も英語。(当然だ)

だいたい管制官の言葉が聞き取れないよう

では、飛べたもんじゃない。

当時は今のように犬も歩けば英会話学校に

当たる…なんて時代じゃなかったので、

知り合いのつてでアメリカ人の牧師さんを

紹介してもらい、英会話を勉強することに

やっと漕ぎつけた。

さて、初めて牧師宅へ緊張しつつ行った。

ドアを開けてくれたのは中学生くらいの男の子

(日本人か中国人かわからない)だった。

牧師さんの養子で、まったくアジアの顔なのに、

英語しかしゃべらない。

驚いたのは、この少年が実に堂々としていた

ことだった。

牧師さんはちょっと留守をしていたのだが、

この少年が私に握手の手を差し出し、家に

招きいれ、椅子をすすめ、自分はその横に

座って私をゲストとしてしっかりと応対した。

日本の子供では考えられない立派な態度

に、私は渡米前にカルチャーショック!

しかも周りを見れば、部屋にはゆったりとした

ソファ、壁には趣味の良い絵が飾られ、スポット

の照明がなんとも優雅ではないか。

私の家は、狭い部屋にゴチャゴチャと物が溢れ、

蛍光灯が煌々とまんべんなく部屋中を照らして

いる、ごく一般的な日本の家だったので、

それもショックだった。

こうして私は「空を飛ぶ」最初の一歩の段階で

既に数々のカルチャーショックを味わいながら、

少年に英会話を習うことになった。

先は長い!


空を飛ぶ

2006-09-04 22:38:02 | 旅行記

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『空』がきれいな季節になった。

まだ富士山は見えないが、もう暫くすると、

リンデンの丘から遠く富士山が望めるだろう。

子供のころから私は空が好きで、眺めては

「あ~自由に飛んでみたいなあ~」と思って

いたものだ。

その憧れが高じて20代半ばに、渡米して

飛行学校に入学した。

この話は始めたらロング、ロングストーリー

になりそうなのと、ちょっとナイショにしていた

経緯があって、実は今まであまり話したこと

がなかったのだ。

しかしこの時の経験は強烈で、本当に多く

のことを学んだと思う。

そろそろナイショの件も時効…ということで、

少しずつ記録しておこうかな…と。

まあ、とにかくいろいろあったが、無事に

有視界飛行の操縦免許を取得して、私は

アメリカを飛び回って遊んできた。

今でもあの時空から見た海や、街、雲、太陽、

山、川、等は鮮明に記憶している。

思い出の写真やらなにやらを整理しつつ

おいおい書いていきたいと思う。

振り返れば、無茶苦茶アブナイことをしてきた

ものだ、と今の自分が呆れている。