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最近のサイクリングのテーマとなっている古道巡り。しかしながら実際は「巡る」というほど遺されている場所というのも少なく「痕跡を探す」というのが日常。
そんな折近所にある東大和の郷土博物館の図書室などをウロウロしていたら多摩湖が出来る前の古道というものに興味を持ってしまった。
そして先日多摩湖周辺を走った時に何かその「痕跡」がないか探してみた。多摩湖を囲う尾根から湖面側は立ち入り禁止なのでその尾根部分である多摩湖自転車道を走りながら探してみたが以前からあることは知っていた古い石碑を改めて確認することにした。
↓↓場所はこのあたり↓↓
旧青梅街道でいうと東大和と武蔵村山の境界付近の「大橋」から多摩湖自転車道へと上がる道で私も時々走る道。急坂を登りきったあたりにその石碑はある。
保存状態もよく彫られた文字がはっきり見てとれる。
「北 三ヶ嶋 扇町谷」 「南 砂川 八王子道」 「右 山口 所沢」
この文字がいつ彫られたものなのかは分らないが、北に行くと多摩湖・狭山湖の先の三ヶ島や扇町谷(入間)と示しているということは多摩湖が出来る前、ということになるのだろうか。しかし今書いていて思ったのだが少なくとも明治時代に彫られたと考えると所沢の「沢」の字が旧字体の「澤」ではないことに違和感がある。古くからあった石碑を模して作られたということなのだろうか。写真をよく見ると文字の面だけコンクリっぽいなぁ。
その後山を下り青梅街道の大橋にある石碑を見たのだが道標となるような文字は確認ならずだった。
近々図書館で書物を漁り再調査の予定。
最近のサイクリングのテーマとなっている古道巡り。しかしながら実際は「巡る」というほど遺されている場所というのも少なく「痕跡を探す」というのが日常。
そんな折近所にある東大和の郷土博物館の図書室などをウロウロしていたら多摩湖が出来る前の古道というものに興味を持ってしまった。
そして先日多摩湖周辺を走った時に何かその「痕跡」がないか探してみた。多摩湖を囲う尾根から湖面側は立ち入り禁止なのでその尾根部分である多摩湖自転車道を走りながら探してみたが以前からあることは知っていた古い石碑を改めて確認することにした。
↓↓場所はこのあたり↓↓
旧青梅街道でいうと東大和と武蔵村山の境界付近の「大橋」から多摩湖自転車道へと上がる道で私も時々走る道。急坂を登りきったあたりにその石碑はある。
保存状態もよく彫られた文字がはっきり見てとれる。
「北 三ヶ嶋 扇町谷」 「南 砂川 八王子道」 「右 山口 所沢」
この文字がいつ彫られたものなのかは分らないが、北に行くと多摩湖・狭山湖の先の三ヶ島や扇町谷(入間)と示しているということは多摩湖が出来る前、ということになるのだろうか。しかし今書いていて思ったのだが少なくとも明治時代に彫られたと考えると所沢の「沢」の字が旧字体の「澤」ではないことに違和感がある。古くからあった石碑を模して作られたということなのだろうか。写真をよく見ると文字の面だけコンクリっぽいなぁ。
その後山を下り青梅街道の大橋にある石碑を見たのだが道標となるような文字は確認ならずだった。
近々図書館で書物を漁り再調査の予定。