しばらく、看護について話を続ける。
Patients are admitted because they need nursing care.
この表現を最初に聞いたのは、2009年南アフリカ ダーバンで開かれたICN大会のことだ。学術集会が始まる最初に一番大きなホールで、バージニア・ヘンダーソン記念講演という90分のスピーチがあった。大会の基調講演に当たる。バージニア・ヘンダーソンの研究者で『ヴァージニア・ヘンダーソン選集―看護に優れるとは』(A Virginia Henderson Reader Excellence in Nursing)の著者でもあるイェール大学のエドワードJ. ハロラン(Edward J. Halloran)氏の講演だった。男性である。大ホールの上階にある据付の通訳ブースから同通をしていてこの表現に遭遇した。少しびっくりした。とても大事なことを言い始めたと思った。気持ちを入れて訳したことを憶えている。
在院日数がどんどん減っていって(現実に医療費削減でそうなっている。欧米では1~3日程度、日本では1週間程度の入院で、その後在宅でケアさせる)、難しい医学的治療もすべて外来でできるようになったとしたら、入院する理由は、治療を受けるためではなく、その患者に専門的な看護が24時間必要だからということになる。入院の目的はナースの看護を受けるためなのだ。
ハロラン氏の話の中でとても印象的だったのは、その次に出てきたことだ:だから、入院の決定は医師がする(この治療を受けたこの患者の今の状況は24時間の専門看護が必要という判断)が、退院の決定は医師ではなくナースがすべきであるというのだ。つまり、どの段階で病院での看護から在宅/地域の看護に移行すべきかを判断して、適切な地域のケア資源を選んでスムーズにつなげるというコーディネーションと患者と家族に在宅ケアに向けて必要なことを指導することは、ナースがすることができることだ。退院はナースが決定することが適切であり、ナースが引き受けるべき重要な役割であるというのである。
同時通訳は、短期記憶を働かせて文脈をつなげながら訳出していく。もちろんすでに持っている長期記憶の知識と照らし合わせて確認しながら訳出作業をするが、同通の最中に頭の中で絶えず酷使しているのは短期記憶の部分である。通訳のプロセスの中で長期記憶に入っていく知識は限定されており、普遍的な重要知識、感動した内容などだけだ。ハロラン氏の講演のこの部分は、よほど私の心を動かしたのだろう。私の記憶に強烈に残り、その後も、海外の看護関係者で類似の発言はないか、いろいろ調べることになる。
(ハロラン氏の講演のときに、私は通訳者になって本当によかったと思った。その理由は、こんな講演を同通できるというだけでなく、30年前に自分が分からなくて悶々としていたことが、看護の国際会議の通訳の機会を通じて、光が差してくるようで、こんな機会を与えられていることに、このとき心から感謝した)
Patients are admitted because they need nursing care.
この表現を最初に聞いたのは、2009年南アフリカ ダーバンで開かれたICN大会のことだ。学術集会が始まる最初に一番大きなホールで、バージニア・ヘンダーソン記念講演という90分のスピーチがあった。大会の基調講演に当たる。バージニア・ヘンダーソンの研究者で『ヴァージニア・ヘンダーソン選集―看護に優れるとは』(A Virginia Henderson Reader Excellence in Nursing)の著者でもあるイェール大学のエドワードJ. ハロラン(Edward J. Halloran)氏の講演だった。男性である。大ホールの上階にある据付の通訳ブースから同通をしていてこの表現に遭遇した。少しびっくりした。とても大事なことを言い始めたと思った。気持ちを入れて訳したことを憶えている。
在院日数がどんどん減っていって(現実に医療費削減でそうなっている。欧米では1~3日程度、日本では1週間程度の入院で、その後在宅でケアさせる)、難しい医学的治療もすべて外来でできるようになったとしたら、入院する理由は、治療を受けるためではなく、その患者に専門的な看護が24時間必要だからということになる。入院の目的はナースの看護を受けるためなのだ。
ハロラン氏の話の中でとても印象的だったのは、その次に出てきたことだ:だから、入院の決定は医師がする(この治療を受けたこの患者の今の状況は24時間の専門看護が必要という判断)が、退院の決定は医師ではなくナースがすべきであるというのだ。つまり、どの段階で病院での看護から在宅/地域の看護に移行すべきかを判断して、適切な地域のケア資源を選んでスムーズにつなげるというコーディネーションと患者と家族に在宅ケアに向けて必要なことを指導することは、ナースがすることができることだ。退院はナースが決定することが適切であり、ナースが引き受けるべき重要な役割であるというのである。
同時通訳は、短期記憶を働かせて文脈をつなげながら訳出していく。もちろんすでに持っている長期記憶の知識と照らし合わせて確認しながら訳出作業をするが、同通の最中に頭の中で絶えず酷使しているのは短期記憶の部分である。通訳のプロセスの中で長期記憶に入っていく知識は限定されており、普遍的な重要知識、感動した内容などだけだ。ハロラン氏の講演のこの部分は、よほど私の心を動かしたのだろう。私の記憶に強烈に残り、その後も、海外の看護関係者で類似の発言はないか、いろいろ調べることになる。
(ハロラン氏の講演のときに、私は通訳者になって本当によかったと思った。その理由は、こんな講演を同通できるというだけでなく、30年前に自分が分からなくて悶々としていたことが、看護の国際会議の通訳の機会を通じて、光が差してくるようで、こんな機会を与えられていることに、このとき心から感謝した)