縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

輪島のラーメンハウス「元気屋」の心意気・・・能登半島地震ボランティア

2024年05月06日 06時47分09秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
3月は真っ暗だった輪島市の夜も、4月後半には営業を再開する飲食店の灯りもちらほら見え、海沿いのラーメンハウス「元気屋」は大入り満員だった。
凸凹道の真っ暗な国道を走っていて明るい店を見つけた時の安堵感!誘蛾灯にさそわれるように入ってみた。
向かいの席の人が注文したラーメンライスの椀と香の物の皿が、皆朱の輪島漆器であることに目を疑った。
持たせてもらったら本物だった。輪島漆器の飯わんの市況価格は1個で2万円ちかくはするだろう。
 
揃えるのにいくらかかったのだろう?乾拭きの手間暇も面倒に違いないよな、と余計なことを考えたが、店主の郷土愛を感じる。
 
この日に頼んだチャーハンは美味かったが、残念ながら陶器の皿に盛られていたので、次回はおおきな輪島漆器の皿にもられた餃子ラーメンライスセットを注文してみる。
 

昨年の5月5日の能登半島地震・・・輪島漆器販売義援金プロジェクト

2024年05月05日 07時18分45秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
輪島市朝市通りにて撮影。
昨年の5月5日、能登半島は震度6の地震に襲われ、銭湯であった地元の方は家屋損壊の修復に1,000万円かかったと嘆いていた。
 
その復興がやっと終わったと安心して迎えた今年の正月に震度7の地震が発生。4年前からの地震被害を聴き取っていくと、被災者への心の寄せ方も違ってくる。
 
ある災害に関する寄りあいで「大地震なんて大昔から繰り返していたし、その都度に人は乗り越えてきた」と勇ましいことを言っている人がいたが、繰り返し地震被害をうけつづけて疲弊している人を前に言える言葉ではないだろう。
 
気象庁は「能登半島地震」は4年前からはじまった一連の地震で、まだ終息していないと見解しており、本震や群発地震と単純に区分けできないケースであるらしい。能登沖の海底活断層、能登南部の内陸活断層も割れ残りが予想される。志賀原発が心配だ。
 
 

輪島にあたらしいイノチの芽生え・・・能登半島地震ボランティア

2024年05月03日 06時59分35秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
すべて焼失した輪島市の朝市通りには、ところどこに生花や酒、ジュースなどが置かれていて、遺族らしき方が額ずいて祈る姿もみかける。
走行中に新しいイノチをみつけた。鉄も焼いた猛火の中でよくも生き残ったものだ。
 
焼失家屋の庭にチューリップの一群も咲いていたが、こちらは震災後に生えてきたのか、あるいは震災後に慰霊として活けられたのかが判らないので写真撮影は控えた。
 
1か月前は道路にガラスの破片が散乱していて、パンクしないかヒヤヒヤしたが、綺麗に掃除されていた。焼失家屋はそのままだ。
 
 

倒壊寸前の国道沿いの家・・・能登半島地震ボランティア

2024年05月02日 06時58分51秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
輪島市街地をはずれた高台にある家をネグラを借りているが、国道沿いの白い家の傾きが先月より酷くなってきている。
梅雨入り前に解体しないと危険だし、国道がふさがれると千枚田方面の住民は孤立する。
1か月前の白い家。倒壊すると架線も寸断されて停電になる。
 
高台にのぼる急坂は車の通行ができないほど損壊したので、給水支援がはじまっても人力で水タンクを運びあげるしかなく、地区の若者が高齢者を助けていたそうだ。
 
現在は凸凹に砂利を敷いたので通行できるが断水中。それでも見知らぬボランティアに貴重な水でコーヒーをご馳走してくれるのが能登の人・・・「能登はやさしや、土までも」
 
 
 

酷暑が心配されるビニールハウス避難・・・輪島漆器販売義援金プロジェクト

2024年05月01日 07時37分03秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
9人家族が避難生活をしているビニールハウスにブドウの葉っぱが涼しげに茂っていたが、すでにハウス内は蒸し暑い。
暑さ対策はボランティアセンターも憂慮してくれていたようで、ハウスの屋根にかける遮熱シートの業者がやってきた。
高校生から4歳児までの4人の子供がいる。
 
屋外に日陰もほしいねぇと家族と話したが、その夜にコーヒーをご馳走になった「アウトドア義援隊」が、モンベルのタープを手配していると聞いてひと安心。
傾いた納屋から漆器を救出してもらった。次回は縁結びした九州の展示販売サポーターの女性とテレビ取材を伴い、汚れ落としをやろうと思う。
初代が誂えてきた「家具膳」は昭和初期とあって状態はいい。少しでも高く売って子供たちの学費や衣料の足しにしてやりたいものだ。
 
この家族は立地と家族構成もあってマスコミやボランティアの注目をあつめていて、打合せしていると次々とボランティア団体がやってくる千客万来の様相だ。
 
しかし婿さんは、わたしだけになるとシンミリとして、先行きの不安を語っていた。自宅の再建やこわれた農機具をどうしたらいいか・・・?
 
わたしのような一般ボランティアはモノやインフラ支援はできないので、隙間をうめるように寄り添うことを心掛ける。
瓦礫に発災時の午後4時10分から10分だけ頑張っていた時計があった。負けんなやぁ。