「海のヒスイロード」シーカヤックの海旅は、柏崎で多くの出逢いと想い出を作って、出雲崎、寺泊を超えて大河津分水河口に到達。
しかし西風15m,西ウネリ3mに加えて大雨という天候で、二日間もテントに閉じ込めれている。
出発してから10間で、柏崎市笠島と合わせて二度目の暴風雨で海に出るのは出られたのは6日だ。
青森までヒスイを運んだ縄文人は、対馬海流を利用していたと多くの人が言うが、潮やウネリは青森方向とは逆な事が多いと実感しているし、行く先々でサーファーや漁師に聞いても同じ事を聞く。
佐渡を超えたらどうなるか楽しみ。
分水河口は、新潟にこんな場所があったのかという位な人里離れた砂浜で、河岸を遡って15分程歩かないと人家が無いのだ。
テントが吹き飛ばされそうな分水河口。
ついに弥彦山が目前になった。
波打ち際が迫ってきたので、何度がテントもカヤックも高台移転。逃げ場が無い砂浜だから、少しづつ海が引いていってくれたので安堵。
西ウネリがグチャグチャの分水河口。
丸木舟もシーカヤックも岸で1mの波があると出すのは無理。
明日の天気は少しは回復しそうだか、無理は禁物。
体力的にはまったく問題なく、心配なのは度重なる暴風雨でテントが傷んできた事だ。
雨漏りもそうだが、骨組みのポールのスリーブが割れて、テープで保たせているのだ。
幸いな事にモンベルさんの協力で、新品のテントを新潟で受取る手筈も付いた。
新潟市まであと二日の距離。
なんとか工夫してテントを持たせるしかない。
さて、以下は今回の旅でのスナップ。
ご笑覧して下さいな。
笠島で会った御年84歳の山田さんは、80歳まで現役の海女だったそう( ゜д゜)。
柏崎に海女がいた事を初めて知ったが、今もかなり海女がいてワカメを採っているそうだ。
同じワカメ漁でも、砂浜の寺泊山田海岸では、打ち上げられたワカメを採っていた。
美味しぃよ~と、採れたてワカメと、バナナを差入れてくれた。
ワカメは拾うだけではなく、腰まで海に浸かって採るが、冷たい海水にウエットスーツ無しだった。
こんなワカメ漁の実態を知ると、たかがワカメと言えなくなる。
頂いたワカメは海水で洗って、お袋手製の朝鮮味噌で激辛ラーメンや味噌汁を作って食った。
サクサクコリコリして美味い!
出雲崎は北前船貿易で栄えた宿場。
今も往時のまま、古い妻入り民家が並ぶ。
赤茶色の外壁が多いのは、京風にベンガラを塗っていた名残りだろう。
荒海や 佐渡に横たう 天之川
芭蕉が詠んだ出雲崎は、良寛さんの生地でもある。
横から見た良寛さんは、整体の身体観たと六種体癖の典型で、詩歌と子供相手に遊んだ良寛さんの人生を雄弁に物語っている。
出雲崎の浜で椰子の実を見つけた。
金波銀波の波越えて、流れつきし越しの国。
なんマイルの旅を続けて来たのだろう?
誰かが置いたか、防波堤に華ひとつ。
五万年も前のネアンデルタールも死者に華を手向けた痕跡があるそうだ。
人類は、死者に華を手向け、死者と語らう。