5月7日午前8時35分・・・天気晴朗なれど多少北ウネリのある居多ケ浜を出航。
当日朝6時の黒姫山・・・五千年前の縄文人もこの雄姿に別れを告げて出航したかと思うと感慨深い。
着替え、キャンプ道具、生活道具一切積み込んでいく。糠床まで積んでいる!
平日にも関わらず友達の見送りを受けて格好いいところを見せたかったが、ウネリが結構あったので、ウネリを越えるたびにコックピットに海水がジャバジャバ入ってきた。
シーカヤックには浸水防止のスプレーカバーを取り付けるが、カバーを掛けるには漕ぐのを休まなければいけないので、波の無いところまでひたすら我慢するしかないのだ。
沖に出てから海水を汲出し、カバーを掛けて針路を北東にとった。
最初の難関は沖合1キロ以上も突き出した直江津港の港湾施設。
出航地の居多ケ浜。
去年は糸魚川市能生からここまで丸木舟航海をしたので、今年はここから東を目指す。遠くに直江津港と米山が見える。
直江津港沖まで向い風に喘ぎながら1時間で到達・・・ここら辺から北ウネリが1~1.5mとなって北東風も5m近く吹き、白波もグチャグチャに立ち始めた。
防波堤に当たった北ウネリが跳ね返った「反射波」も加わって酷い海。
慎重にウネリを読みながら針路を取っていく。
こんな時は、ご先祖様~とすがりたくなる。
南無大師遍照金剛・南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華教・オムマニペメフム・アッラーエークバル・オムナモシワイ・アベマリア・・・知っている限りのマントラを唱えてひたすら漕ぎ続ける。
漕ぎ続けるしかないのだ。
恐怖心から漕ぐのを止めると、推進力を失ったシーカヤックは波のなすがままとなって転覆する可能性が高くなる。
生きたかったら漕ぐ。
敬愛する伝説のサーファー、ジェリー・ロペスの名言「Keep paddling!」が身に染みるし、戦国武将が禅宗や真言宗、浄土真宗に挙って帰依した気持ちがよく分かる。
私は宮本武蔵の「神仏を尊び神仏を頼まず」という信仰心と同じスタンスだけど、ちっぽけな人間が大自然の中に放り出された時、人は自ずから敬虔な気持ちになるのだろう。
本当は関川河口の写真を撮りたかったが、河口は北東を向いており撮影するには通り過ぎてから後ろ向きにしか撮影できず、とてもじゃないけど漕ぐ手を休めて後ろを振り返るなんてことができない状況だった。
何故、関川河口の写真を撮りたかったというと、上流5キロの右岸に縄文中期(五千~四千年前)のヒスイ出土地である「山屋敷遺跡」があるのだ。
また、更に高田平野まで内陸を遡った「釜蓋遺跡・吹上遺跡」という国指定の弥生時代国内最大のヒスイ加工集落群もある。
つまり太古の上越地域へのヒスイ運搬には、明らかに日本海から関川を遡上していた形跡があるのである。
直江津港の防波堤内に入ったら嘘のように凪となり、鏡のような静かな海面の向こうに米山が見えた!
まさしく前途洋々の眺望。
直江津港港内。遠くに見えるのが柏崎市との境にある米山。
港外では向い風とウネリに邪魔されて平均速度3キロ程度だったが、港湾内では9・4キロを記録。
上越市の鵜の浜温泉海水浴場に上陸してキャンプ。
鵜の浜温泉のある雁子浜は、小川未明の「人魚と赤い蝋燭」のモデルになった伝説の地。
よくできた銅像で、生きているようでキャンプしていて気になった。
上越市の朝日池総合農場の若大将が遊びに来てくれた。
初日は漕行距離16・8キロ。平均速度3・8キロ
翌日も快晴で北ウネリと北の微風。
朝10時くらいから東寄りの北風が3mとなり、北ウネリと相まって何かを引きずっているような重い走りで平均速度2~3キロ台。
昼過ぎに聖ケ鼻という半島が見えてきた。
いよいよ柏崎市に入ったのだ。
聖ケ鼻手前2キロくらいから、半島のブランケ(ブランケット・・・覆いという意味のヨット用語)に入って北風が入らなくなり、急に速度が上がる。
左端が聖ケ鼻。この手前から北風が無くなった。
聖ケ鼻は静かで綺麗な入り江でキャンプしたかったが、北風は遮れても西風をモロに受ける地形であり、夜から西の暴風という予報であり、後ろ髪を引かれる思いで4キロ先の牛ケ首という半島の東にある笠島海水浴場を目指した。
そうか!半島の陰に入れば向い風でも楽に漕げるんだ!と発見。
おそらく縄文人も北風の時は聖ケ鼻の陰に入って漕いだに違いないと確信する。
聖ケ鼻を海から見ると豪快な景色。潜ると絶対に面白いだろう。
中央の岩が牛が首。ここは海中トンネルがあって海の中は竜宮城の光景だ
一時間漕いで笠島海水浴場に上陸。
二日目は漕行距離17・41キロ。平均速度3・5キロ
テントを張って寝ていると、夜中に尋常ではない海鳴りに目覚めて表に出たら、ホワイトアウト状態の暴風雨。
テントのペグが抜けて、フライシートが捲れかかっていた!
ずぶ濡れになって大きな石を集めてペグの重しにしたが、テントが何時吹飛ぶか分からない状態だったので、覚悟を決めて雨具を着たまま寝袋に入った。
翌朝は惨憺たる光景で、テントが破けて風で色々なものが飛ばされてまるで被災地のよう。
笠島漁港の入口の岩場の弁天堂。
厚着してもまだ寒い。これでは一度糸魚川に帰って身支度を整えるしかない。
シーカヤックは笠島に置いたまま、友人のヒデチャに車で迎えに来てもらった。
米山を越えて上越市に入ると嘘のように天気が良かった。
糸魚川市に入るとまるで南国みたいに温かかった。やっぱり故郷はいい。
ここ数日は海が時化のようだし、これから先の長旅に備えて器材の修理や準備のために一時糸魚川に帰ることにした。
準備を整えて海が穏やかになったら再挑戦。
「Keep paddling!」
*航海の様子は、フェイスブック(山田修)でマメにアップしています。