子供の頃にNHKで「シルクロード」という番組が大ヒットした。
その続編番組が「海のシルクロード」で、絹の海上伝播ルートを辿る内容。
この番組の古代中国産の絹の陸と海の伝播ルート図式を、縄文時代の糸魚川のヒスイに当てはめることができる。
即ち、現在の国道148号線の旧道から信州方面に運び込まれた「陸のヒスイロード」と、日本海から東北や北陸方面に運び込まれた「海のヒスイ・ロード」である。
「海のヒスイ・ロード」の出発点の長者ケ原遺跡。
ここから全てが始まった。
現在の最古のヒスイ製品の出土品は、縄文時代前期(六千~五千年前)の山梨県北杜市大泉村の天神遺跡のヒスイ大珠である。
ただしヒスイ製品ではなく、ハンマーとして使われたらしいヒスイ製の道具ならもう少し古い出土例がある。
ネット画像でアップした天神遺跡のヒスイ大珠
奇遇にも私が脱サラして自然農法を学ぶために居候させて貰ったのが、北杜市のM農園で、遺跡のすぐ近く。
天神遺跡のヒスイが陸路から運ばれたのは間違いないが、糸魚川から国道148号線の旧道・・・後年、上杉謙信が甲斐に塩を送った「塩の道」として有名になる・・・から運び込まれたとは限らない。
海から東隣の上越市を経由して、関川を遡って信州方面に運び込まれていった可能性だってあると思う。
同じく前期(六千~五千年前)には、青森県の遺跡からも糸魚川ヒスイが出土しており、中期(五千~四千年前)になると同じく青森の三内丸山遺跡からヒスイが大量に出土するようになる。
長者ケ原遺跡東から日本海に降りる山道「十二曲がり」。
糸魚川市教育委員会の学芸員さんはヒスイの海上ルートについて、長者ケ原遺跡で加工されたヒスイは、十二曲がりを下って現在の一の宮(天津神社・奴奈川神社)の所にあった集落へ運ばれて日本海に出たのではないかと推測されている。
糸魚川一の宮(天津神社・奴奈川神社)
この周辺には縄文時代の集落跡があったそうである。
一の宮境内の参道入り口(北側)には瓢箪池があり、縄文時代には瓢箪池から北が沼地のようになって城の川に繋がっていたであろうと推測され、この集落から丸木舟を出して日本海へ出たのであろうというもの。
五千年前の瓢箪池の周囲には、丸木舟が並んでいたのかも知れない。
糸魚川駅前通りから日本海をのぞむ。
城の川には糸魚川市の名の由来である、イトヨという細い糸状の背鰭を持つ小魚が棲んでいたそうだ。
街の中心地を流れる川にイトヨが棲んでいたから、イトイガワという地名になったと小学校の時に習った。
昔は城の川の両側が柳並道になっていて風情があったそうだが、残念ながら1964年の東京オリンピックを機会に暗渠化されて、現在は駅前通りになっている。
海から観た城の川河口。
長者ケ原遺跡から十二曲がりを経て日本海までの区間を車で走るとほぼ4キロ。この河口が「海のヒスイ・ロード」の出発点である。
この辺の詳細は、私のホームページに詳しく書いたので、ご興味ある方はご照覧のほどを。
縄文時間 http://www9.ocn.ne.jp/~nunakawa
縄文時代に限定すれば、途中の山形や秋田からはヒスイの出土が少ないことと、ヒスイ出土遺跡は沿岸や大きな河川沿いの遺跡に多いので、恐らく海から丸木舟に乗せて運んでいたのだろう、と推測されている。
しかしそれらは状況証拠からの学説でしかない。
糸魚川からどのような海上ルートでヒスイが運ばれていたのか?
どんな丸木舟が使われていたのか?
実際に検証してみたくて、5年前のUターン帰郷時に「日本海縄文カヌープロジェクト」という活動を始めた。
これまで二隻の丸木舟を作って色々実験してきたのだ。
実際に航海実験も二回に分けてやっており、その結果は以下。
①糸魚川市「城の川」河口~能生町弁天岩間 (2013年8月13日実施)
距離;15.13キロ
*ただしこの区間の沿岸はテトラポットが積まれていて丸木舟が降ろせないので、SUP(スタンドアップ・パドル・ボード)による手漕ぎ記録
②能生町「弁天岩」~上越市「居多ケ浜」間 (2013年5月25日実施)
距離;26.6キロ
対馬海流に乗れば簡単に青森まで行けるという人もいるが、実際に丸木舟を漕いでみるとそう簡単ではないことが解る。
能登半島と佐渡の影響らしいが、糸魚川沿岸は対馬海流とは反対の西に流れる潮(上り潮)のことのほうが多いのだ。
ただし親不知から西はそうでもなく、市振の漁師は対馬海流と同じく下げ潮・・・北上する潮・・・が多いと聞く。
状況証拠だけを寄せ集めて四の五の言っても仕方あるまい。
ここはひとつ実際に漕いで確かめてみようと思う。
そこでシーカヤックによる青森までの航海をやってみることになった。
本当は丸木舟で実験したいのだけど、丸木舟航海には人手もお金もかかる。
手弁当の市民団体には無理な話。
なぜなら糸魚川市から青森の三内丸山遺跡までGPS計測で648・3キロもあり、
実際に漕げば800キロ近くになるだろう。
順調に航海できても二ヶ月は必要だ。
田舎には二ヶ月も仕事を休んで道楽に協力してくれる人なんかいない。
だからシーカヤックで下調べしてみる必要があるのだ。
ここ数日は気圧の谷がやってきてウネリが高く風も強い。
待てば海路の日よりあり・・・。