郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

栃木県鹿沼市の「下沢やな」で鮎を食べて来ました。

2012-10-03 21:11:31 | Weblog
 9月2日(日曜日)
 8月26日の「屋形船」の日に、「村さ来西武沿線会」の清水氏から「今日、東村山店で飲み会をするので如何ですか?」というメールを頂いたが、以前からの約束が有り、参加出来なかった。屋形船が終ってから清水氏に電話を入れたら、すでに帰宅しており、「次の日曜に、川越の鈴木氏の自宅でバーベキューをする予定なので如何?」と誘われ、即刻了解。その後、予定が変更になり、「”やな”で鮎を食べ様となった」との報告で、それも了解。
 所沢駅東口で10時に待ち合わせ。清水夫妻・志和夫妻・鈴木氏に十一屋(酒屋)の長谷川社長と自分の7人で清水氏の買い替えた車で。所沢ICから関越で大泉まで戻り、外環・東北自動車道で鹿沼IC下車。途中の高速では、強い雨が降ったり止んだりで不安定な天気。目的地に行ってみないと分からないので、とにかく目的地へ走る。鹿沼ICを下りたら、昔、SVとして車で加盟店廻りをしていた時にしょっちゅう走っていた場所なので、昔を思い出した。結婚式にも出席させて貰った川田さんは元気なのだろうか?と気になる。目的地の「鹿沼観光ヤナ・下沢ヤナ」へ着いた時は、雨も小降りになり一安心。
        到着         「鹿沼観光下沢ヤナ」入口      作業場兼売場     飲食コーナー(奥は大芦川)      飲食コーナー
    
   アユの手づかみ池               ”大芦川”に掛かる”ヤナ”(一匹も掛かってない)                   一度川を確認
    
 ヤナ場から飲食コーナーを     縁台に座って待つ         お腹減ったヨー       とりあえずビールで
   
 メニューサンプル(埃ダラケ)   揚場で唐揚げを      生簀と奥が刺場       刺場の生きた養アユ            刺身を作る手際よさ
     
     社業場内                     アユの塩焼き場(常に串に刺した100本近くのアユ。常に回しながらの重労働              
     
     宴会が始まる         アユの塩焼き定食        急に激しい雨が        ヤナの手前に魚が      大芦川の”ウグイ”?
    
 7月中旬から糖分を採らない減量に挑戦中なのに、「鮎の塩焼き定食」には串に刺されたアユが3匹付きで、ご飯に味噌汁、お新香付き。それにビールを完食。大丈夫?。養殖と分かっていても、TPOで美味しかった。帰り際に「村さ来鹿沼店」へ寄って見様という事になり、川田氏の自宅に電話を入れたら奥さんが出られ、「お久し振りです」。暫く話して「御主人は?」「店に出ています」「もう?」という話から、移転後の「村さ来鹿沼店」へ寄り、川田氏と久し振りに対面。志和さんも同じ加盟店同士なので話していた。鹿沼ICで東北自動車道に乗り、川口ICから外環に入り、戸田公園ICで下りて温泉に。ゆっくり浸かってから「村さ来戸田公園店」でお疲れさんの飲み会。
  「村さ来鹿沼店」にて                        「村さ来戸田公園店」にて
   
 所沢に戻って解散。西武戦で花小金井へ戻り、タクシーに乗ったら、「先程まで、小金井街道が冠水して通れなかった」との事。凄い集中豪雨だったらしい。
天気は、どうしようもなかったけれど、同行者がいるのは良い。楽しい一日だった。

9月の「新宿御苑」へ行って来ました。

2012-10-03 19:25:15 | Weblog
 9月25日(火曜日)
 兄の検診の付き添いで国立国際医療研究センターへ。10時50分待ち合わせで、何時もは相当待たされるのに、今日は、5分位で呼ばれた。セカンドオピニオンで昨年7月に「腹膜偽粘液腫」で14時間位掛かった手術の主任執刀医の先生の問診を受けに行きました。兄の話を聞きながら、担当医の先生からは報告を受けているのは当然だが、話しを頷きながら聞きいてくれ、凄く喜んでくれた。決して体調良好で来ているのではないのに。この辺りは流石。
 11時過ぎに終わってしまい、支払いが終って病院を出たのが11時半。時間が余ってしまったので、来る時に歩いて来た新大久保の韓国街へ食事に行く気にもならなかったので、地下鉄で新宿三丁目へ出て「新宿御苑」へ行ってみた。今の時期は花が少なく、何時もの様にインフォーメーションで情報(見頃の花)をチェックしてから入園。何時もの様に時計回りで歩く。
   ウメモドキ       シリブカガシ      ヤブミョウガ     タイワンホトトギス             十月桜                 ソケイ
      
   ペンタス  (花壇の) ペチュニア        シロシキブ         ツルボ            朴の木とその実のアップ           ヤブラン
      
     ムクゲ         ノシラン        コムラサキ    ベニヒモノキ(三角花壇の)ショウナンヨウスギ    グロッパ           ハギ
      
     ススキ      タイサンボクの実     ヤブミョウガの群生        ムクドリの一部         上の池の鯉          完成真近の温室
     
 今日は、思った通り、花も”どこに咲いているの?”と探さないと目立たない様な状況で、入園者も少なく、ペアーでゆっくり散策する方が目につくだけ。中では”10月桜”が2・3輪ずつほんの何か所だけ咲いていた。”なんか寒そう”。
 苑を出て、インフォーメーション内のアートギャラリーに入ってみたら、正面に”セミの抜け殻”が山積みされており、「セミの抜け殻を見分けてみよう」の表示。孫の一輝に見せたら”飛び込んじゃう”かも。入り口脇には「ふるさとの木を知っていますか?」の貼り紙に、日本地図に県別表示がされていた。確か日比谷公園の霞が関寄りの入口にも全国の木が植えられていると書かれていた。
 山積みの”セミ”の抜け殻  何十年振りに”玉虫”「故郷の木を知っていますか」 苑の外のサルスベリ
   
 入ったのが12時13分。出たのが13時48分で、    1時間35分。5、943歩。の一寸期待外れな御苑散歩でした。
今日は、3時から店で「敬老の日のイベント」が有るので、丁度良い時間に。地下鉄副都心線で西早稲田まで行き店へ直行。丁度良い時間だった。   

おじさん7人で岩手県を廻って来ました。第四弾((陸前高田~猊鼻渓~平泉)

2012-09-23 23:11:22 | Weblog
 8月30日(木曜日)
 陸前高田の「一本松」の所で、地元の方から貴重なお話を聞かせて頂き、当初企画して”予約が一杯”で出来なかった、”ボランティアの方の震災案内”の代わりになった。
10時過ぎに車に戻り、出発する事になったが、ここで大きな失敗に気が付いた。デジカメの充電をしておくのを昨晩忘れてしまい、”電池切れ”寸前。どこかで充電していかないと、写真が撮れない。途中でコンビニで飲み物を買う間、コンセントに繋いでもらったが、短時間だったので全く効果がない。国道340号線を朝来た途中まで戻り、国道343号線で平泉に向かう。一関市に入り、”岩手県初のループ橋”を通過して、摺沢から県道19号線に入って「猊鼻渓」へ11時18分着。一関の反対側に有る「厳美渓」には一度通ったことが有るが、「猊鼻渓」は始めて。ここは船でしか入れないので、時間を使って(往復で1時間半)、船に乗る事に。ところが船に乗る前にバッテリー切れに。
            岩手県初のループ橋                  「猊鼻渓」入口           入口前の”桜”        船溜り
    
 切符売り場の女性にお願いして、船で帰ってくるまでの1時間半、充電をお願いしたら、快く預かってくれた。結果、「猊鼻渓は」一枚の写真がなかったが、業者の人が撮った舟に乗っている全員の写真が一枚あったので、それを載せて見た。
 11時半出発。川は一か所だけ深い場所が有るが、殆どは底が見える位浅く、大きな”鯉”と、15・6センチのすばしっこい”ウグイ”。乗る前に買った鯉のエサを撒くと、鯉より先にウグイがすっ飛んで来て餌に飛びつく。その勢いで川水が人に掛かる位のもの凄いスピード。鴨や鯉・ウグイが舟の進行に沿って付いてくる。船頭さんの「猊鼻渓」の説明を聞きながら、カメラがないので、気楽に話を聞きながら両岸にそびえている岩を見ながら餌を撒いている。ゆっくり30分、川を上った折り返し点で一度船を下り、歩いて、一番奥の”運玉投げ”(100円で5個)へ。対岸に有る小さな岩穴に向かって投げて、穴に入れば幸運が?。自分は一個も入らなかった。入った人にはおじさんが”証明書”をくれた。岡部氏だけが貰っていた。帰りには、のんびり流れる川で、リクエストに応え(他の船から聞こえない)船頭さんが”げいび追分”等3曲も歌ってくれた。
              
船を上がって、預けてあったバッテリーを受け取り、「猊鼻渓」を出たのが1時過ぎ。県道19号から県道206号線に入り、(舞川局)へ寄って、「この近くで美味しい物を食べれる場所は有りませんか?」と聞いてみたら、「平泉までは何もありませんョ」と言われ、平泉に直行。中尊寺の駐車場に車を入れ、「レストラン源」で食事をする事に。
 昼食後「中尊寺」へ。レストランと中尊寺の間にある公園の様な場所に「武蔵坊弁慶」の墓が有り、6月に来た時には気が付かなかった。皆を案内し、中尊寺・金堂への急な”月見坂”を上り出したが、昼食で生ビールを飲んでいたので、もの凄くきつかった。暫く呼吸が乱れてしまい、怖くなる位。6月に来た時のブログで、建物の写真を全て載せているので、今回は殆ど写真を撮りませんでした。皆とは別に、6月に来た時に”休業”していた「積善院」に一人で入ってみた。ここは松尾芭蕉の”奥の細道”を企画した施設で、昔来た時に偶々”会”が開かれていたのを思い出す。
     レストラン源         武蔵坊弁慶の墓の碑      武蔵坊弁慶の墓         松尾芭蕉の”奥の細道”を企画する「積善院」
    
     積善院入口            「積善院」           積善院の部屋内部    「奥の細道工程図」   切手で辿る「みちのく行脚」
    
 お客さんは1組2人しか居なかったが、自分も収集している切手を使って、辿った道と、句が表示されていた。金堂に入る前で皆に合流し、一緒に金堂からグルッと廻り、「讃衡蔵」で宝物を見学し、さっさと中尊寺を出て、5分も掛からない次の「毛越寺」へ。入口周りには薄紫の”ハギ”が咲き、「毛越寺」に入って本堂に参拝、「大泉ヶ池」の所で最後の記念写真を撮って、寺内を散策せずにそのまま出て一関駅に向かう。毛越寺には30分も居なかった。一関駅に着いたのが16時20分。レンタカーを返し、一関発17時6分なので余裕を持って新幹線に乗れる事に。
     「旧覆堂」内          中尊寺特設消防隊      毛越寺のハギ       大泉ヶ池の前で    出島石組と池中立石の発掘調査
    
 今回の1泊2日の岩手県の旅、全員でなかったのは残念だったが、良い旅だったのではないか、それなりに観光もでき、大船渡・陸前高田では現地の方から貴重なお話も聞け、朝方には震度5の地震にも見舞われたけれど誰一人怪我もなく全員無事に帰れた事は良かった。他の人も納得してくれた様だし、石澤氏には二日間運転を撒かせて、お酒を飲ませてもらったので、次もお願いしたいと、皆が思っているでしょう。


おじさん7人で岩手県を廻って来ました。第三弾(霊泉玉乃湯~陸前高田一本松。

2012-09-20 20:23:22 | Weblog
 8月30日(木曜日)
 昨晩、食事の後の飲み会を早目に済ませ(後まで飲んでいる人も)、もう一度温泉に入ってから12時前には布団に入ったんですが、喉が渇いて、3時半頃に目が覚めてしまっていたが、以前言われた”無呼吸症候群”が気になって、眠れなかったら、急に寝ている布団の下からゴゴゴゴゴーという地鳴りと背中を押される様な感覚で、びっくりして飛び起きた。時間を見たら4時。建物は揺れていないので、隣で寝ていた岡部氏と「今のは何だろう?地震かな~」と話していたが、他の人や、施設の方も起きて来ないので、そのまま就寝。
 朝、6時に起きて風呂に行ったら、宮城県で震度5の地震が有ったそうで(心配してメールをくれた人も)、昨年の震災の余震だそうだが、1年半も経っているのに”余震”とは。横に揺れなかったのと、短時間だったので、岩手県に居るのにそれ程の恐怖はなかった。因みに草野氏は全く気が付かなかったそうだ。
 朝食は8時からなので、風呂から上がってから、管理棟と宿泊棟の間の通路に、昔の金山の頃の写真パネルが貼られていた。
     「玉山神社」           「検問所跡」        「我慢太郎マサカリ岩」   「和右衛門抗跡裏の坑道跡」    「当時の現場写真」
    
 部屋で一寸ゆっくりしてから、施設の近所を歩いてみた。
玉山金山遺跡周辺図 施設入口で牛が迎えてくれる      ”クズ”の花           ギボウシ      トリアシショウマ    出発前に管理棟入口前で
     
 写真を撮ってきた花の名前を草野さんに見てもらって、教えてもらった。流石に山男。朝食後、8時半に出発し、周辺図に出ていた”展望台”へ向かってみる事に。
                    「ライオンズの森公園」展望所へ登って、陸前高田の市街地から広田湾の展望
    
 施設より高い場所に有るらしく、10分位登り坂を走ったら、急に展望が開ける所に出て、「ライオンズの森公園展望所」が有り、一望出来る東屋の前に出て写真を撮ったが、遠くから見てもその光景に何も言えなくなってしまった。
    山の陰は被害なし     キャピタルホテル跡          津波の跡       現実に直面(無言)       車へ戻る
    
 先程通った施設の前を通りながら、昨晩登って来た時に有った神社に寄って拝んで行こうという事になっていたのだが、下山時も道を間違えて、神社の前は通らず、凄く狭い農道を走ったりしながらどうにか国道340号線に出、陸前高田の港に向かう途中は、殆どがプレハブの建物。
    国道340号線は      バスのほっかほっか亭         仮設商店街           ツルハドラッグ       ファミマと野菜直売所
    
 昨日寄った大船渡のモスバーガーの大沢夫妻が営業していて、震災時に流された陸前高田店が今、震災のシンボルになっている”一本松”の傍に有ったと言うのを聞き、一本松自体が9月11日には一度切られてしまうと聞いていたので、「まず一本松へ行こう」という事になり、何処車を置けるのかを探して走った。
     重機が動いて          瓦礫の山      一本松の上部が見えてきた           「岩手県立高田病院」跡
    
 車で走っていても、建物という建物は、残骸のみで、根こそぎ持っていかれてしまっているのが殆ど。6月に見に行った気仙沼よりも広さが有るので余計に凄さを感じる。
 キャピタルホテルと道の駅      市立図書館?          瓦礫の山         重機が動き回って      何の建物だったのか
    
 駐車出来るところを探して走っていて、仮設の気仙大橋を渡ってしまい、そこにあったガソリンスタンドもプレハブだった。気仙大橋を戻り渡して、橋袂に有る浄化センターの手前に止めることが出来、そこから歩いて行く道順の表示が有り、その通りに歩く。
  一本松が近くに   ガソリンスタンドもプレハブ         仮設の気仙大橋(本来は向こう側に)                近くに一本松が         
     
     浄化センター       仮設の気仙大橋の土嚢     一本松が段々近づいて    直ぐ目の前に         もう直ぐ            何の建物か
     
 陸前高田の松原は、8万本の松が重なって茂っており、白砂青松100選・渚100選に選ばれた松原だそうで、地元の方のお話では、一本松の手前の”汐騒橋”の所から海は見えなかったらしい。一本松の前に立ち、海岸側にそのまま残されている、ユースホステル跡や、気仙川に掛かる水門も、横に繋がっている処の下まで津波が襲ったと聞き、テレビで見ていた以上の凄さを感じた。
一本松とユースホステル   「汐騒橋」を渡る      一本松をバックに     汐騒橋から松原跡を    枝の無い松が一本    一本松の全景
     
奥の水門は上部の直ぐ下まで   高田松原の悲惨な跡    全員で記念写真    気仙川対岸の小学校跡  名前が分からない花が一杯
    
 集合写真のシャッターを押して頂いた方が、地元の40代の男性で、当時のお話を気軽に語って頂いた。それによると、
津波の高さは、かなり高い水門の一番上しか見えなかったし、川の対岸にある小学校は3階まで水に浸かってしまったそうだ。陸前高田でも海岸に近い方に住んでいた方の方が訓練もしていたのと、二日前にも1m弱の津波が来たそうで、津波警報が出て直ぐに、高台へ(船は海に)避難したので、殆どの方が助かったが、内陸の人達の方が、「津波が来ても精々1m位だろう」と多寡をくくっていたので、亡くなった方が多かったそうだ。村さ来で30年前に直営に居た御夫婦も流されて亡くなった場所だ。一本松は、9月11日に一度伐採され、東京に持って行って、木の芯に鉄棒を入れ、復興されたこの場所にモニュメントとして戻って来るそうで、実際に生きているのを見るのはこれが最後に。今朝の「東海新報」朝刊に広田漁港の防潮堤が8.1mに決まったと載っていたが、この辺りは12。5mの防潮堤を築き、海に近い場所は公園になり、市役所などの施設が有る町中は、全て6mの盛り土をしてから商店街等を建て、気仙川に沿った山を削って小学校・中学校に住宅を建てる様になり、復興にはまだ10年以上掛かると思う。とのお話だった。気仙沼なども防潮堤や盛り土が決まってからの復興事業になるのだろう。大変な事だ。時々旅行で行く事が力に成るのなら良いが。
         
 


おじさん7人で岩手県を廻って来ました。第二弾[釜石~大船渡~玉山金山(玉乃湯)]

2012-09-18 20:47:42 | Weblog
 8月29日(水曜日) 
 本来、見に行きたい遠野を通り越し、国道283号線の新しい方の道路を走り、結構長い”滝観洞トンネル”から”新仙人トンネル”を抜けて釜石市に入り、そのまま進むとJR釜石駅前を通り港に直行。6月に気仙沼を廻った時と比べると街中も活気を感じた。港で車を降りて波頭らしいところに下りたら、堤防と海の高さがあまり変わらず、かなりの地盤沈下で”これで潮が満ちて来たらどうなるのだろう”これが毎日?と思うと怖くなる。
      JR釜石駅          港に企業の壁に       釜石港(ここも建物)   地盤沈下で水位が越えて来そう    残った建物
    
 釜石でも6月に感じた様な事を感じながら、9月11日で切り倒される陸前高田の一本松を見に行こうとなり、石澤氏の運転で先に進み、釜石の部分は車内からの写真になります。
                     港の建物の残骸                        まだ瓦礫がかなり残って     釜石大観音
    
   国道脇に仮設住宅           線路が           廃坑の小学校      三陸鉄道南リアス式線の線路
   
 運転してくれている石澤氏が首都圏で3店舗のモスバーガーを経営しており、10年以上前に首都圏のスーパーバイザーだった方が13年前に陸前高田で独立し、「1年半前の津波で店がすべて流されてしまい、半年後に大船渡で新しく店を出したので少しの時間で良いから顔を出したい」と言うので、釜石をあまり見ずに通り越して来たのだが、国道45号線から無料の有料道路に入り、大船渡ICで下りて45号を少し戻った処のモスバーガー大船渡店へ。全く連絡をして来た訳でもないので、コーヒー1敗飲んで、陸前高田は明日にしようと思っていたが、偶然奥さんが店に居らっして、挨拶しながら、御主人は法事で息子さんと実家に行っているとの事だったが、奥さんが当日の事を話してくれ、皆がビックリ。
 ≪震災時、御夫婦で大船渡に居られ、津波警報は出ていたが、店と従業員が心配で、車で陸前高田に走り、一本松の直ぐ近くに有った店に、津波が迫っていたけれど、店に2方向から入り従業員が退避しているのを確認して、慌てて車に乗り込もうとして直ぐ前の海を見たら、”真っ黒い壁”が襲ってきて、廻りに車が居ないのでフルスピードで逃げながら、後ろを振り返ったら、自分達の店が、廻りの車が津波に飲み込まれて行くのが目に入り、只々逃げるだけだった。生きた心地はしなかったがどうにか命は助かった。本当にラッキーだった。その後、モスバーガーの本部や他の皆さんの好意で、モスバーガの創業者:桜田慧氏の生誕の地に半年後に新しい店を開かせて頂いた。≫
  モスバーガー大船渡店    大沢オーナー夫人     入口前で記念写真   「創業者桜田慧氏生誕地」記念碑
   
 途中で、大沢オーナーとも連絡が取れ、石澤氏と話していたが、今回の旅行に際し、ボランティアで”震災ガイド”をしてくれると聞いていたので、釜石と陸前高田の観光物産館に申し込んだけれど「29日は予約で一杯です」と両方断られていたが、奥さんから実際の貴重なお話を聞かせて頂いて有り難かったけれど、”本当に辛い思いをされたんだ”とかなりのショックで、言葉が出なかった。飲み込まれた店も、1か月前に改装オープンさせたばかりだったそうだ。
 モスを出たのが、5時半になってしまい、今日の宿泊所に直行する事にして、持ち込みのお酒と食べ物を「酒のロッキー」で買い、大船渡ICから無料の有料道路に乗り、通岡ICで下り、竹岡方面に走る。宿泊先の電話番号をナビに登録して走ったのだが山の中を走っていたら、行き止まり。もう暗くなりだしたので、遅れる連絡をしておいた宿泊所に電話を入れ、場所を確認してもらったら、曲がる場所を間違えたらしく、一度、国道340号線まで戻り、「鉛筆見たいな看板」を曲がる様に言われ、皆で細長い看板を探しながら走り、見つけた時には”有った!!”そこからも暗い山道を10分以上。”この登り坂で良いの?”と思い出したところで、「玉乃湯」の標識が出てきて、「この道で良い」と一安心。それから5分位で、急に明かりが着いた施設が暗闇の中から見えた。「玉乃湯」は【玉山金山】の中に有る温泉施設。
≪気仙大金鉱の中心主山で、天平年間(734年)僧行基に発見されて以来、数々の歴史的役割を果たし今日に至っている。天平勝宝四年(752)に開眼供養された奈良東大寺、大仏鋳造の黄金献上を始め、平泉藤原三代の荘厳華麗なる殿堂造営、小松三位平重盛お唐土育王山への黄金千三百両の寄進、更には、治承四年(1180)兵火によりて、焼失した東大寺復興資金など、玉山金山を中心とした気仙の産金によるところ大である。≫
                        「玉乃湯」全景                                     到着した管理棟内     
    
 「霊泉 玉乃湯」に着いたのが6時半。30分以上遅れてしまった。駐車場には他に5台の車が駐車しており、施設としてもかなりの収容力が有りそう。施設も留守番の方しか残っておらず、おじさんが案内してくれ、食事の前にまず風呂。沸かし湯ではあるが、入り易い温泉だった。
 宿泊棟と管理棟を繋ぐ通路       宿泊部屋           風呂場
  
 食事は”仕出し弁当”だったが、前もって注文しておいた、地場産の鮮魚盛り合わせを二台に盛ってもらい、ご飯やみそ汁は暖かいのを出してくれた。
    料理は仕出し弁当                 別注の地場産鮮魚                     風呂上りで落ち着いて食事を
    
 今回の計画時、釜石~陸前高田の間で、宿泊所をインターネットで探したが、海岸線の施設は、殆ど全滅。如何しようか?と思っていた時に、出て来たのがここ。良い宿泊所に泊まれたのではないかと思う。皆も喜んでくれた。その後、部屋に帰ってから又、飲み会が。最後は草野さん達で、何時になったんだろう。


おじさん7人で岩手県を廻って来ました。第一弾(東京~新花巻~遠野)

2012-09-16 22:01:45 | Weblog
 8月29日(水曜日)
 旧「村さ来」首都圏オーナー会の役員の方達で造られている『おじさんの会』(現在、村さ来を経営している方は一人もいない)。カミさんが亡くなってから参加させて貰っているが、今回は自分が幹事。当初は「会津に行きたい」という人がおり、何処を廻って、何処に泊まろうかと思っていたが、「やっぱり、震災を見に行きたい」という意見で、企画をし、参加不参加の返事を取った時点で、8人の内7人参加。高田馬場のJRで7人分の切符(レンタカーを一緒に頼むと、乗車券1割引、指定券2割引になる)を買い、スケジュール表と一緒に各自に送付。6月に茨城を含め東北6県を廻って来たので、一部(平泉)ダブってしまう地区も有るけれど、重なる所は写真を撮っておりませんので宜しくお願い致します。
 東京駅発8:56(はやて19号)で4人。大宮駅から3人乗ってきて合計7人に。大宮からすでに飲みだす人もおり、3人席を向かい合わせにしてワイワイ・ガヤガヤ。仙台で(やまびこ53号)に乗り換えて新花巻駅着11:40。
      東京駅で         大宮駅から全員揃う       仙台駅で乗り換え       こっちの方が狭い?        新花巻駅着
    
 新花巻駅で8人乗りのレンタカーを借り出発。駅舎から左前方に見える丘の様な所に有る「宮沢賢二記念館」へ10分かからない。
 駅レンタカーで”いざ出発” ”注文の多い料理店”「山猫軒」 「山猫軒」の売店看板     「さわやかトイレ」      「宮沢賢二記念館」入口
    
  庭の街燈(センサー)   「よだかの星」碑      入口の「猫の事務所                       「宮沢賢二記念館」館内
     
                    「宮沢賢二記念館」館内                        「阿修羅像」   「猫の事務所」の原稿   ベランダからの北上川
     
 館内で写真を撮っていたが、ベランダに出る前に”撮影禁止”の貼り紙に気が付いた。入る時から貼り紙が目につかなかったので、遠慮しながら撮っていたが、申しわけありませんでした。
北上川に架かる「銀河大橋」 ベランダに「南極の石」     「珪化木」        「宮沢賢二童話コーナー」       敷地内の蔵
    
 後が詰まっているので、早々に記念館を出て国道283号線を遠野方面に向かうと、途中の”道の駅みやもり”に道路上を釜石線の線路が通る”宮守川橋梁(通称:めがね橋)”があり、そこまで行って食事にする事に。
  車内から宮守川橋梁   ”めがね橋”を潜ると道の駅 永遠の日本のふる里 遠野    2両編成の”釜石線”の車両が”めがね橋”を走る
    
 道の駅で、料理の出来るのを待っている時に、偶々貼られている時刻表を見てみたら、めがね橋を間もなく釜石線の電車が通る(13時50分)というので、慌てて写真を撮りに走った。タイミングが良かった。食事は”わさび冷麺”を頼んでみたが、”わさび”は”キムチ”には味で勝てない。 親の名前を継いだという”とんぼ玉八五郎”三の作品を見させてもらい、お土産に購入。
        「とんぼ玉八五郎」             「わさび冷麺」    ”めがね橋”の昔の橋梁
   
 道の駅を後にし、国道283号線を進むと、遠野駅の一つ手前の”綾織駅の先から猿ヶ石川を渡って国道396号線を進み「南部曲り家千葉家」住宅を見学に。
   「南部曲り家千葉家」     急な坂を登って      土蔵(左)と主屋(右)      庭の中に「稲荷社」が       主屋へ
    
               主屋と庭                                         主屋内部
   
    展示室2          展示室3               展示室           展示室            邸内に立派な「稲荷社」が       参拝
     
      カド             石蔵               土蔵             主屋”勝手口”         白いキキョウ    土蔵を外から囲む     
     
 殆ど人の動きがなく、自分達7人以外夫婦の観光客が一組だけ、以前カミさんと来た時にはもっと観光客が多かった様な気がする。今来た国道396号線を綾織まで戻って遠野市内に入る。「とおの昔話村」の駐車場に車を止めて、自由行動。自分は2軒の郵便局と、市内の古い建物の写真を撮って歩く事に。
 「とおの昔話村」駐車場から    「遠野昔話資料館」       「とおの昔話村」入口    「ネズミの嫁入り」  資料館内の木彫   「河童」
    
    お食事処「伊藤家」       「蔵の道広場」へ         「菊池設計」             薬局            「智恩寺」        「増田旅館」    
     
      「内田書店」            「南部屋」             「八百源」        「コミュニティーカフェ」      「料理茶屋 あべ家」
    
  街中の消火栓    「北日本銀行 遠野支店」    何屋か分からない         「旅館 福山荘」        「菓子舗 仙壹屋」
    
 地図を見ながら(遠野新町局)と(遠野局)へ寄らせて貰い、結構写真も撮って駐車場に戻ると、既に皆で待っていてくれた。自分は昔、カミさんと来た時に”遠野”を好きになったのは、街中ではなく、トウモロコシ・ホップ等の植わっている段差のある畑の景色が気に入ったので、時間がもっとあれば郊外も走ってみたかったが、今回は、この先が目的なので、先を急ぐ事に。この後の、釜石からの話は、次にさせて頂きました。







「屋形船」に始めて乗って来ました。

2012-09-11 20:56:38 | Weblog
 8月26日(日曜日)
 先日、昔っからの友人から誘われて、6月に「高田馬場社交飲食業組合」へ入会しました。本来は、地域の「料飲組合」に入る積りでいたが、何処に本部が有るのかも分からなかった。
先日「津むら」へ飲みに行った時に、今回の企画を聞き、”行って見様か?”。
 当日は、高田馬場の「BIG BOX」角の交番前で4時半待ち合わせ。地下鉄東西線で「浦安駅」下車。久し振りに駅前に下りたが、殆ど変っていない。京葉線の舞浜駅が出来る前は、デズニーランドへ行くには、ここからバスターミナルまで歩いて、バスに乗ったので、その途中に有った「村さ来」も凄い繁盛店だった。
 浦安駅前で参加者の集合を確認して葛西橋通りから浦安橋東詰の屋形船の船溜まりまで歩く。
       浦安駅前           駅前で集合           浦安橋の夕景       浦安橋東詰で信号待ち   旧江戸川に突き当り迎えが
    
 「旧江戸川」の東詰に有る船溜まりから屋形船に舳先の方から頭に気を付けながら乗り込み。川の向うは中州になっている妙見島。席は決まっている様で、自分は進行方向から見ると左舷になる。船の幅はかなり余裕が有る。
 当代島の船溜まり    左は妙見島・右が当代島      乗り込み          宜しく        屋形船「第十七吉久」
    
 頭に気を付けて(舳先から)    屋形船内(右側)        屋形船(左側)                 決まった席に座って
    
 出発前に、テーブル上に”刺身の舟盛り””ローストビーフ””巻き寿し””漬物””瓶ビール”等が並び、どうゆう料理が並ぶのか?が一番の興味だったので、”マーこんな物か”と確認。出航と同時に、会長・幹事さんからの挨拶が有り、全員で乾杯。
     刺身の舟盛り       ローストビーフ・枝豆     巻き寿し・漬物・瓶ビール       幹事の挨拶         全員で乾杯
    
 留まっていた方向からUターンして旧江戸川の河口を目指して東京都と千葉県の境を滑る様に進むと、夕景に薄らと富士山も見え、葛西臨海公園の大観覧車や鳥類園のドーム方の建物、左舷には東京デズニーランドの建物が見えて来て、葛西臨海公園を真近に見える場所に停泊。
     対岸の妙見島      右舷に東京スカイツリー   葛西臨海公園の大観覧車      舞浜大橋を潜ると    東京デズニーランドの建物が
    
  東京スカイツリー        葛西臨海公園         ”汐風の広場”         大観覧車         水辺ライン乗り場      デズニーランドと屋形船
     
     船尾の厨房で揚げた”てんぷら”の揚げ立てを       デズニーランドの夜景      近くを屋形船が通る    隣の”ケイちゃん”が大人気
    
 屋形船は、葛西臨海公園の置きに停泊したまま一切動かず、船内は”カラオケ大会”のみ。お客さんも一緒に乗っているらしいが、皆、歌の好きな人ばかり、自分は廻りの景色(夜景)の方に興味が有り、一切歌わなかった。屋形船は3時間なので、9時近くになってやっと帰港へ動き出す。
    大観覧車     大観覧車と鳥籠            船内はズーっと”カラオケ大会”        帰る途中のデズニーランド  右舷の窓越しにデズニー
     
 船宿からのお土産        幹事挨拶         船頭さんへお礼       女性幹事からの挨拶             三本締めでお開きに         
     
 海の上は流石に涼しく、暑い最中の屋形船だったが気持ち良かった。只、もっと動くのかと思っていたので、葛西臨海公園の直ぐ前に停泊したまま約2時間半。飲んで、カラオケ大会なら、誰かの店でやれば良い。一度経験したから”もう良いか”。

オリンピックメダリストの銀座パレードを見に行ったつもりが・・・。

2012-09-10 21:27:55 | Weblog
 8月20日(月曜日)
 今日は先日終った「ロンドンオリンピック」のメダリストの”銀座パレード”(11時から)が催されるのを名目に、廻っていない銀座地区の郵便局の”風景印”を貰いに行く事にして家を出る(夜は有楽町駅ガード下で飲み会)。出がけにテレビでパレードの計画をやっていたので、確認して家を出たが、後から考えると”方向間違い”をしていたみたい。
 高田馬場で金融機関などに寄っていた為、日本橋で乗り換えて銀座駅に着いたら丁度15分過ぎており、「パレードは、ただ今この真上の四丁目交差点を通過しております」との放送が有り、七丁目方面に出れば良かったのを、逆に一丁目に進んでいるものと思い、松屋の所に出様としたら、階段は一方通行だったので、松屋銀座店の中を抜け様としたが、歩けない様な状況で、やっとの事で銀座通りに出たら、銀座通りが人だらけ。暫く待ったが動きがないので近くの方にお聞きしたら「もう通り過ぎました」との話し。全く逆だった。今から八丁目へ動いても間に合わないので、パレードを見る事はあきらめる事に。
    松屋前の銀座通り      一丁目方向の人混み        二・三丁目の間      有楽町方面を  (三原橋交差点から)  歌舞伎座方面
    
 通過した後でもこの状態。平日の月曜日なのに銀座界隈は人・人・人。結局50万人の人出だったそうだ。郵便局の”風景印”を集めに廻る事にして、昭和通りを歩き、歩道橋を渡って(七丁目の郵便局)へ。
       昭和通りを     7・8丁目の間の通り   カレッタ汐留ビル      「東京吉兆」勝手口   銀座局脇の踏切信号機 新尾張橋と朝日新聞
     
 「東京吉兆」の裏を歩き、郵便だけの(銀座局)へ行くのに”銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機”の脇の細い道を入る。局を抜けると、昔は尾張徳川家の下屋敷の跡だったらしく、そこに架かる”新尾張橋”を渡り、朝日新聞の本社の中を抜けて、築地市場に入り、昭和初期と思われる建物二階にある(築地中央局)へ。その後、始めて二階の通路を晴海通りの方へ歩いてみた。
    築地市場青果部へ    一番奥のビル2階へ    築地中央局       2階の通路      金融機関も      各社の事務所も  
      
「魚類部仲卸店舗」の屋根     2階通路から下へ        「鮮魚荷捌場入口」     荷捌場から「勝鬨橋」を      荷捌場の動く堤防     
    
 「村さ来本社」が築地の加ト吉ビルに有った時、昼食を食べに来た築地市場厚生会館内の「魚四季」の前を通り、以前は「おさかな普及センター資料館」で小さな水族館だったのに、覗いてみたら空っぽ。勝鬨橋西詰から晴海通りを渡り、築地に来ているのに、ここに来たら「かつ平」で”ロース定食」を食べなければ帰れない。1時を過ぎていたが、丁度カウンターが空いていたので座って、マスターやお母さんと話す。昨日の天皇皇后様が出席した「富岡八幡宮」の祭礼の話を色々と聞かせて頂いた。昼食後、(中央湊局)へ行くのに、築地から明石町を歩くも、この辺りには”緑青”のふいた住宅や店舗が多く見られる。「水炊きの治作」前には”月島の渡し”の表示板が。
    「勝鬨橋」西詰        築地6-12-3(陶器店)      築地7-12-3      築地7-12-3(中央食品)     築地7-14-7(亀屋)    水炊き「治作」入口
     
 聖路加ガーデンの所から「明石町河岸公園」に入り、隅田川沿いに歩く。丁度「水辺ライン」も通った。テラスを歩き、佃大橋を潜り、途中から岡に上がり、「鉄砲洲稲荷神社」へ参拝してから(中央湊局)へ。
  聖路加ガーデン      「明石町河岸公園」     「東京水辺ライン」乗り場      「東京水辺ライン」     湊3-15-4「泉酒店」の看板    「汐見地蔵尊」
     
「鉄砲洲児童公園」の徒渉池     「鉄砲洲稲荷神社」          「拝殿」              「神楽殿」             「社務所」
    
 新大橋通りを渡ると、角に古い建物が建っており「正金アパート」と読める。(新富二局)から(中央八丁堀局)へ寄り、八重洲地下街を歩いて貯金・保険と郵便が離れて置かれている(八重洲地下街局)へ寄り、(日本橋通り局)という局を探したが、統合されていた。この後(京橋局)(銀座一局)(銀座三局)と廻り、隣にある「宝珠稲荷神社」へ参拝して今日の予定は終了。有楽町ガード下での「文祥堂月曜会」へ出席。
      正金アパート            割烹店        新富1-7-8のプレート 宝橋袂に「宝地蔵尊」 昭和通りから八重洲方向    「宝珠稲荷神社」
     
 風景印:10局。5時間。17,457歩。の目的のパレードが見れなかった散歩でした。
帰宅後にビデオを撮っておいた「メダリストパレード」から写真を載せさせて貰いました。現場で見ている雰囲気が大事だと思った。
   パレード開始        4丁目から8丁目方面へ     6丁目の松坂屋前      5・6丁目の間の観客        ビルの窓からも
    
      ビルの中から       工事現場の方達も                          パレード参加者
    
                                        パレード参加者
    
                                        パレード参加者
    
                      パレード参加者                        パレード後のインタビュー
    
 

「風景印」を貰いに千代田区を歩きました。

2012-09-05 19:34:47 | Weblog
 8月17日(金曜日)
 久し振りに都心の風景印を貰いに歩いて見様と家を出る。高田馬場から地下鉄東西線で大手町中央改札で下車。改札を出て左折し、地下通路を歩いてD1出口から外に出ると外堀に沿った国道1号線になる。明治生命館の前の植え込みで殺虫剤を撒いている人がいたので「何ですか?」とお聞きしたら「毛虫が大量に発生して、ビルの壁を這ったりするので」との事。重要文化財に指定されている「明治生命館」の入口や街燈を写し、弱った虫を可哀そうだが写して(富士ビル内局)から(第一生命ビル内局)にはロビーに「復興と成長」の額が。
     明治生命館入口    明治生命館の街燈 殺虫剤で弱ったコオロギ   弱った毛虫    第一生命ビル(武田双龍書) ラジオ・ニッポン放送
     
 ラジオ・ニッポン放送の前からJR有楽町駅前に。西口は読売ホールがビッグカメラになって何年になるのか?。西口から東口へガードを潜ると、
   JR有楽町駅西口         ビックカメラ    有楽町中央架道橋                西口から東口へ
    
 昼間の有楽町は久し振り。(東京交通会館内局)に寄り、高速に沿って西武別館を廻り込むと「朝日新聞記念会館」入口が有り、今度入ってみる事に。
  東口に昔からの店が残る     JR有楽町駅中央口      東京交通会館と丸井   西武別館通路スペース 朝日新聞記念会館
    
 丁度14時になっており、「有楽町マリオン」の仕掛け時計が動き出したので、終わるまで(約4分)写真を撮ってみた。
表面の時計が上がって 鼓隊が廻って出てくる  鼓隊の一体を    そろそろ終わりに   回転しながら入る   上から時計が下りて   4分間で終わった
      
 「有楽町マリオン」前の晴海通りを渡り、「ニュートウキョウ」の脇道に入り、ガード下飲食街を抜けて
   晴海通り(銀座方面)       横道を入る      ラクチョウビル                          ガード下飲食店      
     
 ガードを抜け、帝国ホテルに向かう。ガード下の飲食店を
ガード沿いの百日紅    JRガード下       「ジェーエス レネップ」     「くつろぎの里 庄や」      帝国ホテル方面を       山下橋架道橋
     
 4月に「文祥堂創業100周年記念OB謝恩会」に来た(帝国ホテル内局)へ寄り、ロビーを抜けて日比谷通りを渡って「日比谷公園」へ入ると、今日・明日に掛けての「盆踊り」の準備がされていた。
   東京宝塚ビル      帝国ホテル     ロビーの”ひまわり”   「日比谷公園」へ入る         「盆踊り」の櫓        噴水の周りで踊る?
     
      埴輪二体             松本楼          首掛けイチョウ      馬の水飲み       鶴の噴水            四阿
     
 「日比谷公園」を抜け、官庁街へ入り、(霞が関局)へ寄り、(高裁内局)に入る時は”持ち物検査”をされ、隣は明治の面影を残す「東京地方裁判所」だと思っていた建物が現在「法務省」の建物になっていた。写真は撮りにくかったがどうにか3枚を繋げて見た。
                        「法務省」建物                        街路樹の”栃の木”       警視庁         皇居「桜田門」
     
 (法務省内局)に入るには、記名・身分証提示しないと入れないが、風景印を頂いてから中の「ドトール」でゆっくりコーヒータイム。法務省ビルを出て、先程行った(霞が関局)の入って居る農林水産省前に47都道府県の県花がガードレイルにタイル貼りされている。霞が関2丁目交差点を渡ると経済産業省の角に「脱原発テント」が常設されており、皆さん頑張ってくれている。(千代田霞が関局・日本郵政)から、向かいの三年坂を上って、霞が関ビルに入るが、建った当時は”日本一のオフィスビル”と言われていたが、今では全く目立たなくなってしまった。裏から入り、エスカレーターで3階の(霞が関ビル内局)へ寄り、裏から出て、突き当りの高速道路手前を左折、内閣府下の交差点を国会議事堂方面に渡ると、渡った処で警察官に止められ、「どちらへ行かれますか?」。「国会議事堂内の郵便局に行きたいのですが」と答えたら、「この道は制限しておりますので申し訳ありませんが廻って頂けますか?」と言われ、クレームを言ったら、上司の方が出て来られ「毎週金曜日は”デモの日”になっているので警護していますが、どうぞそのままお通り下さい」と言われ、総理大臣公邸前の坂を登って行き、写真を撮るのも警察官に断ってからにした。
  和歌山県のうめ       「脱原発テント」      「総理公邸」の2階部分    毎週金曜にはデモの日       デモの参加者      
    
 国会議事堂の参議院側の(国会内局)へ寄ったのが5時10分前。最高裁判所内局へ行こうと思ったが、一度入った時に、結構歩いたので、間に合いそうもなく、自由民主党のビルの前を通って平河町の交差点を渡り(都道府県会館内局)を最後に廻る。5時内に間に合った。 
    国会議事堂
 
 風景印:11局。4時間。12,924歩の風景印散歩でした。今日も暑かった。 

孫の誕生日「井の頭自然文化園」へ。

2012-08-27 21:26:15 | Weblog
 8月13日(月曜日)
 今日は長男の次女の碧(10歳)の誕生日。吉祥寺駅南口の「31アイスクリーム」前で11時に待ち合わせ。長女の美紗(12歳・中一)と二人で少し遅れて到着。まずは3人でアイスクリームを。
誕生祝に何が欲しいのか聞いていなかったので、「何処へ、何を買いに行くのか?」と聞いたら、「ヨドバシカメラで髪の毛を、カールにしたり、ストレートにしたりするのを買いたい」と。10歳になって、始めて”女”らしい物が欲しくなったみたい。3人で探したら直ぐに分かり、色を決めて購入。「美紗も欲しい物があれば探してきな」と言ったら、学校で流行っているのか”リップクリーム”。お腹が減っているので「何を食べようか」というと、返事は「うどんかそば」「ジジこの裏にうどん屋さんが有るよ」というので讃岐うどんの店に入り「ぶっかけ」を。先月の半ばから「糖質制限食」の減量(ヘモグロビンa1cの数値を減らす為に)を行っているので、今日食べたアイスクリームもウドンも本来は食べてはダメな食物だが、今日は特別。
 食事を終えて、「時間が有るみたいなので、どっかへ行くか?。自然文化園に”リス”でも見に行く?」と聞いたら、「”花子さん”も見れるネ」という事になり、『井の頭自然文化園』へ。小学生以下と都内在住・在学の中学生は無料。中学生は生徒手帳持参となっているけど、学校名をきちんと伝えれば無料で入れた。
     「自然文化園」に入る手前に放し飼いのチャボが
  
 「自然文化園」に入った途端、「モルモットのふれあいコーナー」が有り、二人してとっかえひっかえ違うモルモットを抱いてきて全く動く気配がないので、「ジジは他の写真を撮って来るからここに居なさい」と声を掛けて写真を撮って歩く。
「モルモットふれあいコーナー」   自分で水を          このまま持って帰りそう                     全く動く気配なし  
     
   「モルモット飼育室」      タテガミヤマアラシ        メンフクロウ     チャーン(キジ)       カイウサギ      ニホンノウサギ
     
 歩いていたら、カピパラが2頭居り、孫達に教えに行ってやったら、「本当に?いつ来たの?」昨年のプレゼントは「カピパラの抱き枕」だったし、その後埼玉県の「こども動物自然公園」へカピパラが温泉に入って居るのを見に行った位で、大のカピパラファン。やっと腰を上げてカピパラを見に。
    カピパラ      だれてるアライグマ     マーラ         ハクビシン         ニホンシカ           ニホンカモシカ
     
   コールダックで餌を      「カピパラが居るよ」        アカキツネ       ワシミミズク        アナグマ            タヌキ
     
 アジアゾウの”花子”を見に。ほぼ自分と同じ年の65歳。日本に居るゾウの中では最年長。以前も見たが、いつ来ても同じ動きしかしていない。痩せてしまって可哀そう。「熱帯鳥温室」の前に行ったら「アオノリューゼツランが咲きました」という表示と折れた枝が置いてあり、堀の向こうに「リューエツラン」が。
   アジアゾウの”花子”              花子の歯                      ”アオノリューゼツラン2が咲きました 
     
「熱帯鳥温室」に入る。
    サイチョウ       ソデグロバト     カンムリエボシドリ      セイケイ      フサホロホロチョウ    ショウジョウトキ   アンデスブロンズトキ   
      
    オウギバト     サル山のアカゲザルの親子 毛繕い                    「リスの小径」                      可愛いよ
      
    クルミを      暑いので木の上に何匹も      フクロウ        オオコノハズク        オナガの顔          トラツグミ     
      
    ベニマシコ          ウソ         タンチョウ
  
 ゆっくり廻っている間に4時を過ぎる位になってしまい、北口まで送って(自転車で帰る)店に。