釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

金沢八景

2006年11月15日 04時17分45秒 | お散歩日記/東京地名の話
称名寺を出て、海へ向かう。
まず目的地は柴漁港。
そう、蝦蛄(シャコ)の水揚げ日本一の漁港である。
しかしここ一年まったく蝦蛄は捕れないとか。
原因は不明、漁獲高が極端に減ってきたために、漁師さんたちが自主的に禁漁にしているらしい。
当日は休日だったので直売所もお休み、ひっそりとした漁港だった。


柴漁港

柴漁港の隣は海の公園
人工の砂浜だけど規模が大きい。海の向こうには八景島やこれから向かう野島が見える。


遠くに八景島

さて、八景島の名前の由来だが、もちろん「金沢八景」に由来する。
「金沢八景」というと京急線の駅の名前と思っている方も多いと思うが、地名ではなく金沢近辺の景勝八つの総称なのである。
元禄時代に中国明からの僧、心越禅師が能見堂から眺めた景色を、中国宋代の文人画人、宗迪(そうてき)が中国湖南省の瀟水と湘水の二本の川が合流し洞庭湖に注ぐ辺りの景勝八ヶ所を画題に選んだ『瀟湘八景』に習って、景勝八カ所を八編の漢詩『武州能見堂八景詩』に詠ったのが『金沢八景』のはじまりといわれる。
その後、安藤広重の『金沢八景』や京極高門の和歌で知名度が増したようです。

八景といえば日本では琵琶湖の『近江八景』が著名である。これは室町時代末に近江に滞在した公卿の近衛政家が、洞庭湖を琵琶湖に置きかえて和歌八首を詠んだことが始まりだといわれている。

『瀟湘八景』の題材は室町時代に京都の禅宗寺院で絵画や詩文として流行したようである。また、中国では詩や絵画の題材として名高いものである。

このように室町後期から江戸時代にかけて文人や禅僧によって多くの八景が日本に誕生している。もちろん江戸にも『江戸名所八景』や『東都八景』など多くがあるが、そのほとんどは忘れ去られている。
その点『金沢八景』は現在でも名前の残る数少ないものなのである。これもひとえに京急線の駅名に名を残したことにほかならない。

[金沢八景]

前半二文字が地名・後半二文字が現象を現す

洲崎晴嵐(すさき・せいらん)
瀬戸秋月(せと・しゅうげつ)
小泉夜雨(こいずみ・やう)
乙艫帰帆(おっとも・きはん)
稱名晩鐘(しょうみょう・ばんしょう)
平潟落雁(ひらがた・らくがん)
野島夕照(のじま・せきしょう)
内川暮雪(うちかわ・ぼせつ)


稱名は先に訪れた称名寺のこと、野島はこれから向かう野島公園、そして金沢文庫駅近くの湾が平潟湾、平潟湾に面して平潟町・洲崎町があり、そのとなり文庫駅付近が瀬戸である。そしてここ海の公園は、整備される前までは乙艫海岸と呼ばれ、私が中学生のころは千葉県の稲毛と並ぶ潮干狩りの名所でだった。
今は長い年月をかけて整備されて、潮干狩りの名所として復活している。でも心無い人が小型のブルドーザーで根こそぎ貝を持っていく・・・盗むという話も聞く。そこまでしなくても大きな熊手でごっそりとっていく人もいるようで、熊手の大きさや採っていい貝の大きさなど規制されているようだ。

訪れた日は、夏のようなだったので、ビーチバレーやウインドサーフィンの人もたくさんいた。バーベキューやジョギングなどいろいろ楽しそう。バーベキューの残りを狙って湘南名物トンビもたくさん低空飛行。




海の公園を出て、水路を渡って野島公園に向かう。


野島・手前に見えるのが海から平潟湾に通じる水路

遠くから見た時はさほど高く見えなかった野島公園の展望台への道も、いざ階段の下まで来ると険しいものだった。


野島の頂上に登る階段

大汗をかいてやっと展望台に登ると、目の前の東京湾から、対岸の房総半島が手にとるように見える。
振り返るとうっすらと富士山の姿も。


房総半島と浦賀水道。手前は日産の追浜工場。


三浦半島の稜線の向こうには富士山や伊豆の山が見える。

今、歩いてきた海の公園や称名寺も見える。シーサイドラインもよく見える。
称名寺の奥の山側に、金沢八景のもとになった心越禅師のいた能見堂があったわけで、そちらから見てもすばらしい景色だったことは想像できる。この風光明媚な土地が金沢八景を生んだことがよくわかる場所だ。

気持ちのよい風に当たりながら、時間を過ごした。しかし、まだ八景のひとつ「野島夕照」になる時間まではまだ間があったので、残念ながら山を下った。
帰りはなだらかな車道を歩いた。最初からこちらを登ればよかった。

さっき来た道を戻り、水路の橋際にあるシーサイドラインの野島公園駅から金沢八景駅まで一駅乗車することにした。

高いところを走る電車はやっぱり気持ちいいものだ。
子供のようにキョロキョロしているうちに金沢八景に到着した。


シーサイドライン


シーサイドライン金沢八景駅から見た風景

右手に見える小高い山が野島。手前の水辺が平潟湾。
この辺りは、野島や夏島などいくつもの島が浅瀬の入り江に浮かぶ場所であった。
今は多くは埋め立てられているが、水辺と緑が織り成す景色は美しいものがある。

シーサイドラインの金沢八景駅と京急の金沢八景駅は少し離れている。
京急の駅に向かう前に瀬戸神社へ向
かった。


瀬戸神社

この神社は、源頼朝が伊豆の三島大社の大山祇命(オオヤマツミノミコト)を勧請して創建されたといわれている。この神は瀬戸内海の大三島にある大山祇神社でも知られるように海や海運の神様である。当時の金沢(六浦)は関東一帯の物資が水上交通によって運ばれ、ここより鎌倉に運ばれた陸揚げ港だった。そこに水運の神様を祀っているのである。往古の金沢の繁栄がしのばれる場所である。

瀬戸神社から数分で京急金沢文庫駅にいたる。

金沢八景は気分爽快、青空の似合う街歩きだった。
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