初めてブログなるものを…

つれづれなるままに、始めてみます。

帰ってきた

2011-03-19 19:13:26 | 日々の暮らし
息子@仙台、帰ってきた。
月曜日に取れた切符は、金曜日の新潟行きバス。新潟からは新幹線で。

まあ、連絡はぼちぼち取れていたのだけれど、顔を見て本当に安心した。

夕べは興奮気味。
二日目は本当に食べるものがなかった。
電気はわりと早く通ったので、その後は米は炊けたが、米しか食ってない。
風呂は当然入っていない。
布団にも寝ていない。(最初は避難所、電気が通ってからは広めの友達の家に集まって、友達泊めるように家から持っていっていたキャンプ用の寝袋生活)

などなど、しゃべりまくる。
撮った写真を見せながら。

海からは離れているので、テレビでやっている津波の心配はなかったが、部屋は本棚が倒れてベッドをつぶしている。(本当に、昼間でよかった)
研究室は壊滅状態、実験装置もめちゃくちゃ。
これが本人かなりショックの様子。(今までのデータがパー、卒論書けない、卒業できるかな。。。)大体いつ復学できるのか。
友達は、とりあえず連絡はとれたが、家がなくなった人も、強盗に襲われそうになった人も。

こういうことは、経験していない私には絶対にわかりきれないだろう。
もっと大変な人がなんて私が言ってもなんの意味もないな。

それでも、米を炊いておにぎり作って、避難所に持っていく窓口に届けたとか、できることはやったらしい。
戻ってくれば、貴重な経験をしたね、と言えるけど。

さて、いつまで家にいるんだろ?
近くの国立大学の図書館は全て使用できる措置がとられた様だけど、勉強するのかな?

とりあえず、今日は、はいてきた泥だらけのスノトレしかないので、靴を買いに行ってた。
そして、ゴールデンスランバーのDVDを借りてきて仙台を懐かしんでるところ。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
また大人になったね (Riss)
2011-03-19 21:30:14
シュウシュウお帰り!
父母の心中も思い合わせると、感慨あらた。
また一回り大きくなってきたのだろうなあ。

押入れに入って騒いでいた頃しか知らないからね、おばさんはさ。

落ち着いて大学に戻る日が早く来るといい
ですね。
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よかったね! (みすず)
2011-03-19 22:33:34
いくら電話やメールは通じていても、実際に顔を見られるのは本当によかったですね。無事でよかった。

都内なのに早稲田は4月いっぱい休校といってるくらいなので、仙台の大学が始まるのはだいぶ先になっちゃうかな。卒論を考えると心配ですよね。

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何はともあれ (じゅんぺい)
2011-03-19 23:12:06
まずはご無事で何よりです。

研究のデータや卒論など、心配事はたくさんあるでしょうけれど、
元気なら取り戻せるものです。
なくなってしまったデータよりも、たくさんの貴重な経験をしたと
胸をはって前向きに乗り越えて欲しいです。
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Unknown (くらら)
2011-03-20 08:06:19
>Riss
中身はあんまり変わらないかもね、あの頃と。
でも、経験はいろいろ積んで、結構頼りになる存在になったかも

>みすず
そうなんだってね、早稲田。
今のところは4月下旬となっているけれど、研究は続行できず、院試はあるの?とか将来いろいろ不安はいっぱいみたい。
まあ、今じゃなくて先を考えられることができるようになったってことでしょうが。

>じゅんぺい
そうよね、元気なら取り戻せる。
私自身、乗り越えなきゃならないことなくこの年まできてしまったので、言っても伝わらないだろうけど。。。
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よかった! (だいあな)
2011-03-20 12:12:02
無事に帰宅できて本当に良かった!
そして、無事だからこそ言える「貴重な体験」だけど、
今後の彼の生き方を変える体験になったのではないかと思います。

仙台の友人が、ようやくライフラインが復旧してきたと夕べ知らせてくれました。
市内中心部は無事だけど、海側の被害は大変なものとか。
大学の再開は先になるでしょうけれど
元気なカラダがあれば、大丈夫だよね。

ともあれ、ゆっくり休んでほしいですね。
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Unknown (くらら)
2011-03-20 23:13:35
>だいあな
こういうときは「医者になりたいと思った」と言うのが王道だと思うのだが、息子は、「ドクターヘリのパイロットになろうと思った」のだそうだ。
いかにも、彼らしい。

今回の経験がどう影響するのかはわからないけど、いろいろ考えることになったのは確か。
残っている友達とも連絡を取りつつ、いろいろ考えている様子です。
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