訪問日:令和6年7月21日(日)
出 発:JR「彦根駅」
到 着:JR「彦根駅」
連日「熱中症警戒アラート」が発令されています。ということで今回は琵琶湖に浮かぶ「竹生島」に渡り、その帰路「彦根城」を見学することにしました。これであれば移動手段のほとんどが交通機関ですので歩く距離も随分短縮できますね。有名な観光地ですので給水・トイレにもまったく困りません。今日の彦根市の最高気温は35.0度。しかもカンカン照りの無風です。
これによって前回の「ドライブ歩紀」のため10回から9回になった琵琶湖一周歩紀も10回に戻りました。
琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)には「今津」「長浜」「彦根」の3つの港から定期観光船が運行されています。今回は最も大阪寄りにある「彦根港」から渡ることにしました。自宅最寄り駅の始発に乗り午前8時、JR「彦根駅」に到着。大阪駅からであれば約1時間40分(1980円)で着きます。歩数計をリセットし今日も元気に出発です。ここは滋賀県彦根市。
そして駅西口6番バス乗り場から観光船の運航会社である「オーミマリン」のシャトルバス(無料)に乗ります。と言っても何とワンボックスのワゴン車でした。お客さんは私の他は女性が3人。港には大きな駐車場があるのでほとんどの方はマイカーで行くようです。出港時間に合わせて午前8時30分発車です。
午前8時40分ころ彦根港に到着したので早速乗船手続きをしました。通常ダイヤであれば1日4便が運航されており、私は第1便である午前9時発の便を予約しました。各便とも往復80分の船旅で、竹生島に80分間滞在した後、彦根港に折り返します。料金は往復で3200円です。詳しくはホームページで。
今回乗った船は「Kirari」(118.65t)。速力20ノット、定員188人です。空席があれば予約なしでも乗れるそうですが、夏休みですのでシャトルバスと合わせてネットで予約しました。予約受付票もメールで来ましたよ。便利な時代になりましたね。
船内の様子です。自販機等はありませんが、空調完備でトイレもあります。
私は2階デッキに座りました。ただほとんど立って写真を撮っていましたね。
野里町歩紀初の「湖上歩紀」です。潮風と違いベタベタしないので風が爽快でした。
海じゃないんですよね。ただ気のせいでしょうか先ほどから潮の香りがします。もしかして私たちが海で嗅いでいる臭いは潮の香りではなく、大量の水(H2O)の臭いなのでしょうか。
船は結構速いですよ。後ろから水上バイクが迫ってきます。
竹生島が見えてきました。竹生島は琵琶湖の北部に位置し、周囲約2km、最高地点197mの無人島で一枚岩の花崗岩でできているそうです。断崖絶壁に囲まれており付近は70mほどの水深だそうですよ。まさに「孤島」ですね。
間もなく上陸です。島はすべて「宝厳(ほうごん)寺」という真言宗豊山派の寺院と「都久夫須麻(つくぶすま)神社」という神社の境内になっており、まさに「神仏が宿る島」です。
観光船を下りてすぐのところに「琵琶湖周航の歌」歌碑が立ちます。
♪ 瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に
いだかれて ねむれ乙女子 やすらけく ♪(4番)
桟橋には無料休憩所と2軒のお土産屋さんがあります。
その先には「券売所」。竹生島は寺社の境内ですので参拝料として600円を納めます。なお自動券売機ですので小銭の用意を。
石段を上って鳥居をくぐります。宝厳寺はかつて「神仏習合」の寺院でした。
鳥居をくぐったところに「瑞祥水」という小さな井戸があります。時代は新しいのですが御本尊大弁才天様の御託宣により平成14年11月に掘られた霊泉です。湖中の小島での難工事だったそうですが1年かけて掘り進み、深さ230mつまり湖底よりも深い岩盤から湧き出ました。「神仏」の力ですね。飲用として持ち帰れるそうです。
この石段は165段あるそうですよ。最近ではパワースポットとして人気を集め「祈りの階段」とも呼ばれています。
石段を上り切れば伽藍が開けます。まず最初に本堂にお参りしましょう。宝厳寺は聖武天皇が天照大御神よりお告げを受け、僧行基を遣わせ神亀元(724)年開基しました。本来の本堂は神仏分離令により、この後参拝する都久夫須麻神社の本殿となったため昭和17年に建てられたそうです。戦時中のことですね。
ご本尊である「弁才天」は「江の島」「宮島」と並ぶ日本三大弁才天の中で最も古いことから「大弁才天」と呼ばれています。多くの天皇や最澄、空海も訪れたそうですよ。
本堂内には「幸せ願いダルマ」。お願いごとを書いたお札を納め、弁才天様に奉納するそうです。
本堂に向かって左には「納経所」。当山は「西国三十三所観音霊場」の第三十番札所であり、ここで御朱印を授けてもらうことができます。行列ができていました。
本堂の前には「五重石塔」。高さは247cm。鎌倉時代に建てられたもので国の重要文化財に指定されています。
宝物殿方向に向かいましょう。
そこには「三重塔」。江戸時代初期に焼失したと言われるものを平成12年5月、約350年ぶりに復元されました。朱色がきれいですね。天然記念物の「トキ」は学名を「ニッポニア・ニッポン」といい漢字では「朱鷺」と書くように、私は「朱色」は日本を表す色だと思っています。
三重塔前には「もちの木」。豊臣秀頼の命を受け、賎ヶ岳合戦で七本槍の一人として名をあげた「片桐且元」により慶長7(1602)年に植えられたものです。宝厳寺は豊臣家とも縁があるようですね。
後ろの小さなお堂は「雨宝堂」。神仏習合の名残で天照大神が降臨されたときのお姿をお祀りしているそうです。
境内の奥には「宝物殿」(入館料300円)。館内には竹生島とかかわりのある美術品などが展示されていますが写真撮影は禁止です。私はクールダウンを兼ねて入館したのですが土足厳禁のためモンベルのシューズを脱ぐのに手間取り、すっかり外観撮影するのを忘れていました。そして館内に空調設備はなく扇風機が2台あるだけでした。宝物殿前の急な階段を下りて行きます。
階段を下りれば「唐門」。唐破風の立派な門です。そして「国宝」です。
隣接する「観音堂」の門として「豊臣秀吉」を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を豊臣秀頼の命により片桐且元が移築しました。先ほどの「もちの木」は、その際の記念樹だそうです。
文献によると極楽門は「大坂城」の極楽橋から移築されたものと伝わります。今も大阪城天守閣の北側にかかる極楽橋には、かつてこんな立派な門が建てられていたのですね。
「観音堂」には西国三十三所の第三十番札所の御本尊である「千手千眼観世音菩薩」が祀られており、国の重要文化財に指定されていますが写真の撮影はできません。御厨子の中に安置されている高さ180cmの観音様はご本尊様である大弁才天とともに秘仏であり、60年に一度ご開扉され次回は2037年だそうです。あと13年待ちましょう。観音堂から続く廊下は「舟廊下」と言われ、これも国の重要文化財です。朝鮮出兵の際、秀吉のご座船として作られた「日本丸」の船櫓を利用して作られたことからそう呼ばれるそうです。
外から眺めるとその様子がよくわかります。桃山建築様式で造られたものだそうです。だから豪華絢爛なんですね。
舟廊下をくぐり抜けます。ここまでが宝厳寺の境内のようです。ここから先は「都久夫須麻神社」の境内になります。「つくぶすま」は「ちくぶしま」の古語であり、雄略期に創始されたと伝わる古社ですが神仏習合時には宝厳寺の別当となり明治の神仏分離令により神社となりました。
主祭神は宗像三女神の一柱である「市杵島比売命」です。宝厳寺の元本堂であった「本殿」は約450年前、豊臣秀吉が伏見桃山城の勅使殿を移転したもので、これも「国宝」です。明治時代、宝厳寺は神仏分離令の「廃仏毀釈」に直面しますが、弁才天と市杵島比売命は「本地垂迹」の関係。各界からの意見もあり廃寺を免れたようです。本来、神様と仏様は仲が良いのです。神仏分離は時の政権による宗教の政治利用。本当に「政治屋」という奴らはろくなことをしませんね。
そして琵琶湖に向かって「竜神拝所」。
琵琶湖に突き出たところに鳥居が立ちます。絶景ポイントです。鳥居があるだけで周りの風景はガラリと変わりますね。
鳥居をくぐれば願い事が叶うという「かわらけ投げ」が楽しめます。
帰路は舟廊下の下にある通路を進みます。急な斜面に建てられているというか、急な斜面を渡るために建てたのですね。
舟廊下の突き当りには観音堂の外観が望めます。。
さらに進めば唐門と観音堂。位置関係が良くわかりますね。
ここからは真下に観光船が停泊する桟橋が見下ろせます。竹生島は島全体が境内ですが、公開されているのはほんの一部なのでゆっくり回っても1時間ほどで一巡できます。島内での滞在時間は80分なので十分時間はあります。ただ御朱印を授かる人は並ばなければなりません。そして高低差が結構ありますよ。
竹生島は船でしか渡れないのでキャパシティーが確保されゆっくりと参拝できました。ちょっと時間があるのでお土産屋さんに寄りましょう。
さあ竹生島を後にします。本当に断崖絶壁に囲まれているんですね。
午前11時に出港し、竹生島をバックに「Kirari」の航跡が見えます。
次回歩く予定の「湖東」。ちょっと霞んでいますが「伊吹山」が見えます。
琵琶湖には3つの島があるのですが、その一つである「多景島」が遠くに見えます。この島も全島が寺院の境内になっている「信仰の島」です。シルエットが「軍艦」のようですね。
彦根の町が見えてきました。
定刻午前11時40分に彦根港到着です。
シャトルバスの運転手さんは「帰りに彦根城での途中下車が可能です」とおっしゃっていましたが、私は「町歩紀」をしたかったのでその旨を運転手さんに伝えキャンセルしました。シャトルバスで来た道を戻り、さざなみ街道の「松原交差点」を横断してさらに進みます。最終的には大きな交差点を左折することになるので左側を歩いていた方が良いでしょう。
この道は「城北通り」といい右はこれから見学する「彦根城」。左はスポーツ公園として立派なスタジアムや野球場があります。ちょうど高校野球の滋賀県大会をしていました。
そしてもうこの辺りは彦根市の中心地なのでたくさんの店が並びます。
「船町交差点」を左に曲がりましょう。時間は。商業施設の一画に「丸亀製麺彦根松原店」がありました。ここで昼食としましょう。
今日は暑いので「冷しぶっかけうどん大(550円)」と「野菜かき揚げ(180円)」を注文しました。
昼時だったため席に着くまで10分ほどかかりましたが、昼食を終え十分にクールダウンした後、午後0時30分出発です。先ほどの船町交差点を地下道で横断すれば右には琵琶湖から続く船溜まりが。「旧彦根港」です。この水路は彦根城の外堀だったのでしょうか。
公園のようになっていますが、最近ではマナーの悪い「バス釣り」マニアによって荒らされているそうです。趣味にも一定のルールがあるということを心得ていないのでしょうね。嘆かわしいことです。(写真と本文は関係ありません。たぶん)
旧彦根港を過ぎ、駐車場の角を右に入れば2~3分で彦根城の中堀に出ます。
かつてこの辺りには中級武士の屋敷が並んでおり、そこには「旧池田屋敷長屋門」があります。
江戸時代に建てられ老朽化していたものを解体修理し、馬屋が復元されています。彦根市の指定文化財として無料で一般公開されています。
中堀に沿って進めばすぐ左に「埋木舎(うもれぎのや)」。江戸幕府の大老「井伊直弼」が青年期を過ごしたところです。(午後0時43分)
後ほどにもお話しするのですが、井伊直弼は14男として生まれ嫡子でもなかったことから到底、彦根藩を継ぐ身分ではありませんでした。そのため17歳から32歳までここで300俵の扶持を受け質素な生活を送っていたそうです。(入館料300円)
しかし腐ることなく自らを「埋もれ木」に例えて詠んだ「世の中をよそに見つつも埋木の埋もれておらむ心なき身は」という句に因み「埋木舎」と名付けたこの簡素な武家屋敷で文武の修練に精進しました。
武芸のほか和歌、能、茶の湯、国学などの文芸に勤しんで過ごしていたところ転機が訪れました。十二代藩主直亮の嗣子・直元が38歳の若さで逝去したことにより、その代わりの嗣子として直弼は十三代彦根藩主に就任したのです。
埋木舎で培った高い教養と人格、卓越した政治手腕により頭角を表し、最後には「桜田門外の変」で水戸藩士により暗殺されますが、ついには江戸幕府の大老として迎え入れられアメリカを相手にわが国を開国へと導きました。
簡素とは言え結構立派な屋敷ですね。
ただ私の個人的な感想では展示物や説明文の看板で埋め尽くされており、肝心の建築様式がわかりづらいなと感じました。
見学を終え、このまま真っ直ぐ中堀に沿って進めば彦根城に出るのですが、一旦先ほどの駐車場角まで戻り右に曲がります。その理由は?そこに「滋賀県護国神社」。全国の都道府県にある戦没者をお祀りする神社があるからです。(午後0時57分)
お参りしましょう。神社には正面から参拝するのが私の流儀です。
駐車場脇にある鳥居から境内を後にします。そこには松並木。彦根城は慶長9(1604)年から20年かけて築城された400年の歴史を有する井伊家14代の居城です。城に参内する者がすべて通る彦根城の中堀に沿って植えられ47本あったことから「いろは松」と呼ばれています。駐車場内には観光センターと公衆トイレがあります。
「佐和口」で中堀を渡ります。正面に見えるのは「佐和口多聞櫓」。
右側部分は明和4(1767)年、火災で類焼したそうですが4年後に再建されました。現在は井伊直弼を顕彰する「開国記念館」として無料公開されています。館内での写真撮影は禁止です。
この辺りは二の丸でぐるりと左に回れば「馬屋」。城郭内に残る馬屋は全国の城でもここだけということで国の重要文化財に指定されています。
城主用など21頭の馬が繋がれていたそうです。
「表門橋」で内堀を渡ります。
正面に「表門券売所」があります。彦根城には3カ所の券売所がありますが、一般的にここが彦根城の入口でしょう。「玄宮園」「彦根城博物館」と合わせた共通チケット(1200円)を購入しました。(午後1時20分)
最初に券売所前にある「彦根城博物館」に入ろうと思ったのですが、あと10分ほどすれば博物館の前に「ひこにゃん」がお目見えするということでしたので待つことにしました。そして10分後。ご存じ「ひこにゃん」。平成19年の「国宝・彦根城築城400年祭」で登場した彦根市のマスコットキャラクターで、平成22年に開催された「第1回ゆるキャラグランプリ」で初代チャンピオンに輝き、ゆるキャラブームの火付け役となりました。
そして今日私は「滝ノ道ゆずる」のTシャツを着て歩いています。以前、私が大阪府箕面市で働いていた時、市民祭りである「箕面まつり」に参加したのですが、その時のスタッフ用Tシャツです。「滝ノ道ゆずる」は箕面市のキャラクターで第2回大会で9位。第3回で10位、第7回では5位に入賞しています。
今日は猛暑のためショーは10分で終わるということでしたので、私も早々に退散しました。そして券売所の前には「彦根城博物館」。彦根藩の政庁であった「表御殿」を彦根市制50周年を記念し、明治時代に取り壊されたものを絵図や古写真などを参考にして昭和62年、元の場所に復元したそうです。入りましょう。そしてクールダウン。
茶器や美術品、刀剣・甲冑などが展示されています。クーラーが効いて涼しいです。
なお館内ではストロボ・三脚を使用した写真撮影は禁止されています。展示物によっては写真撮影自体が禁止されているところもあります。ルールは守りましょう。
井伊家のいわゆるチームカラーは「朱色」だそうです。そのため「井伊の赤備え」と呼ばれています。クールですね。
そして館内の真ん中にドカーンと建つ「能舞台」。家の中に劇場があるようなものですね。シアター様式になっており公演もあるそうです。
寛政12(1800)年に建てられ、表御殿で現存する唯一の建築物です。明治以降、別の場所に移されたものを博物館の建設とともに元の場所に移築復元したそうです。
政庁であるとともに藩主の住まいも兼ねており、ここから先は「木造エリア」という別のエリア。そしてクーラーはありません。これは「御座之御間」。
ここから立派な庭園が眺められます。燈籠などの位置も古絵図などを参考に再現されているそうですよ。
ここは「天光室」という茶室です。日本の知識層にとって「茶道」とはとても重要な嗜みであり、おもてなしなのでしょうね。どこの屋敷にも茶室があります。
藩主の寝室である「御寝之間」も復元されています。
ここは「御亭(おちん)」と呼ばれ、藩主の「くつろぎの間」として建てられたそうです。
景色が眺められるようにと2階建てになっています。
見学を終え午後1時55分、館外へ。表門券売所から城内に入ります。「表門参道」という石段を上ります。城内は50mほどの高低差と約140段の石段があるそうです。外敵から守るためには仕方ありませんね。
石段を上り左に曲がれば「天秤櫓」。この先は「大手門」になっており、大手門と表門に対して左右対称に作られていることから天秤櫓というそうです。「廊下橋」と呼ばれるこの橋は戦時には落とされると伝えられています。彦根城でも有名なスポットですね。
廊下橋をくぐり、振り返ってもう一枚撮りました。
橋をくぐり大手門に抜ける手前を左に入れば「鐘の丸」。何かアトラクションをしているようです。
売店前を通り先ほど下から眺めた廊下橋を渡り天秤櫓をくぐります。
長浜城から移転されたものらしく石垣の土台には築城当時のものと江戸後期の2つの石組が見られるそうです。「これ」と「これ」でしょうか。
内部も公開されていました。なお彦根城は先ほどの彦根城博物館。そして天守をはじめ公開されている建造物はすべて「土足厳禁」です。靴を脱いでビニール袋に入れて見学しなければなりません。着脱の容易な履物で見学しましょう。モンベルのシューズを履いてきた私は苦労しました。
天秤櫓をくぐればさらに石段。お城はこれが良いですね。特に日本の城は西洋や大陸のような広大さはありませんが「ギュッ」と凝縮されている感じがします。海外のお城には行ったことはありませんが。しかしここにも日本の原風景「電線」が。
この石段を上れば左には「時報鐘」。城全体に鐘の音が響くようにと先ほど通った鐘の丸から移築されました。「日本の音風景百選」に選ばれているそうです。「音」や「香り」といった無体物に「格」を授ける風習は外国にもあるのでしょうか。より良い音色にするため鋳造の際にたくさんの小判を混ぜたそうですよ。隣は茶屋になっています。
向かいにそびえるのは「太鼓門櫓」です。国の重要文化財に指定されています。合図用の太鼓が置かれたことからこう呼ばれているそうです。
櫓をくぐれば壁や塀のない高欄付き廊下になっており防御施設の櫓としては珍しいそうですよ。この櫓もいずれかの城から移築されたものです。
また石段を上ります。そしてそこは…。
「本丸」です。昭和27年「国宝」に指定された三層三階の天守がそびえます。国宝であるとともに全国に12しかない「現存天守」のひとつでもあります。(午後2時18分)
この小さな天守に「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」など多様な建築様式が取り入れられています。琵琶湖歩紀の第一回目。大津市内を歩きましたが「大津城」は石碑が残るだけで遺構はまったくありませんでした。この天守は大津城から移築されたと伝わります。こんなところに大津城が残っているのですね。
二層、三層には寺院建築に見られる「花頭窓(かとうまど)」。城郭ファンの高橋英樹さんや歴史ファンのタモリさんもこの「窓」で盛り上がっていましたね。
ただ天守は令和5年12月から令和7年1月まで耐震工事を行っており入場が停止されています。夏休み期間中に限り公開されているので、暑い中わざわざ彦根城にやってきました。延長もあるので詳しくは彦根市のホームページを。
天守に入ります。階段はありません。「梯子」です。ご高齢の方や身体の不自由な方、小さなお子さんを連れた方は厳しいですね。
耐震工事中のため所々このような足場が組まれています。
いくつかの梯子を上り最上層に来ました。眺めは良いのですが金網が張られているので写真を撮ればこんな風になります。
スマホを金網に張り付ければ何とか撮影できました。
ところが二層部分に下りると「インスタ映えスポット」と表示された金網のない窓が2カ所ありました。
「砦」「要塞」「軍司令部」「行政府」「私邸」「官邸」。そして今では「観光施設」と姿を変えていく「城」。しかしここからの眺めは変わらないのでしょうね。全国各地での天守再建がそれを脈々と引き継いでいるのでしょう。
上ったのだから仕方ありませんね。梯子を下ります。
天守から出ればすぐ向かいに「着見(つきみ)台」という展望台がありました。かつて着見櫓という二層の櫓があったそうです。表御殿(彦根城博物館)からJR彦根駅方向を望みます。(午後2時47分)
天守から案内表示に従って「西の丸」に向かいます。西の丸の北西角には「三重櫓」。国の重要文化財に指定されています。先日の大雨でこの西側にある「米蔵水門石垣」が崩落したそうです。四国松山城でも大きな被害がありましたね。日本は熱帯気候になり雨期に入ったのでしょうか。
ここも内部が一般公開されていました。靴を脱いで中に入ります。立派な梁木ですね。
櫓の先には深い「堀切」があり城の裏を守る要衝です。
そして位置的に琵琶湖を監視する役目を担っていたようです。
三重櫓の先には養老4(710)年、近江の国司藤原房前(ふささき)が彦根寺を建立。金の亀に乗った観音像を安置したという「観音台」があり、そのため今ではここの行政名称は「滋賀県彦根市金亀」となっているのですが、道が荒れていることから通行禁止になっているようなので引き返しました。「残念」
案内表示に従い「黒門・玄宮園」方向に進みます。
ここは天守の真下。彦根城天守は「附櫓」「多聞櫓」も付設し、軍事的機能も優れているそうですよ。お城って軍事施設でありながら本当に素晴らしい芸術作品ですね。
天守下の石垣があまりにも「格好よかった」ので撮影しました。
「黒門山道」と呼ばれる石段を下ります。
「黒門券売所」から有料エリアを出て「黒門橋」で内堀を渡りましょう。(午後3時9分)
右に進み「玄宮園」の入口には「井伊直弼生誕地」の碑。
この後ろには「楽々園」という庭園があり無料公開されています。この門の右から入って行きます。
ここは延宝5年(1677)年、4代「井伊直興」によって造営されたと伝わります。「隠居所」として使用され13代「井伊直弼」もここで隠居していた11代「井伊直中」の14男として生まれました。だからここが井伊直弼生誕地なのです。直中は隠居の身でありながら随分たくさんの子どもを作ったんですね。「羨まし~い」。庭園は枯山水ですが全然枯れていませんね。
書院(大広間)や地震の間(茶室)が外から見学できます。
その先に「玄宮園」。共通チケットなので「西券売所」から入ります。ここは先ほど訪れた楽々園の後庭として造営されました。元々は「松原内湖」という内湖だったそうです。(午後3時16分)
この庭園は「池泉回遊式庭園」といい池にいくつかの島を配し、それを橋で結んで回遊を楽しむものです。
天守を借景とするなど贅を尽くした庭ですね。
ここは「鳳翔台」という茶室。貴族のように舟遊びに興じていたようです。
隣は茶屋になっています。
後しばらく庭園を回遊します。
庭園の端には「復元水田」。「なぜ庭園に水田が?」と思いましたが、説明文によるとかつて大名が所有する庭園には当たり前のように水田や畑があったそうです。
園内を回遊し「東券売所」から出ましょう。内堀では屋形船が運航されているようです。(午後3時26分)
駐車場を過ぎ金亀児童公園の隅には「井伊直弼大老像」。
そのまま進んで行けば城内を一周し、最初の馬屋前に戻ります。(午後3時33分)
内堀に沿って歩きます。間もなくゴールです。
大手前駐車場に出れば内堀から外れ左に進みます。その先には「旧西郷屋敷長屋門」。市の指定文化財に指定されていますが内部は公開されていません。
真っ直ぐ進み「京橋口」で中堀を渡ります。ここは彦根城のお堀で最も直線距離が長い所でしょうか。
正面は「夢京橋キャッスルロード」という道に続きますが、ここは「琵琶湖一周歩紀7」で訪れます。
左に曲がり中堀に沿って進みましょう。
中堀に沿って90度曲がればそこには「旧鈴木屋敷長屋門」。これも市指定文化財ですが内部は非公開です。
そのまま進めば護国神社の駐車場に出ます。時間は午後3時45分、約2時間45分かけて見学したんですね。ちょっと暑いので5分ほど休憩します。
「護国神社前交差点」から「駅前お城通り」というそのまんまのネーミングの通りをゴールに向かってラストスパートです。
すぐ左には「彦根市役所」。彦根市は人口約11万人。歴史的な町ですが市街地化は結構進んでいます。
「世界遺産」。それはそれで良いかもしれませんが、文化的な事業でありながらイデオロギーやナショナリズムを前面に出してくる国もあります。国宝で十分じゃないですか。
午後4時ちょうど本日のゴール「彦根駅」に到着しました。駅前には井伊家20代当主で彦根藩初代藩主の「井伊直政公之像」。この駅は東海道本線。また近江鉄道というローカル私鉄線の始発駅でもあります。午後4時22分の電車に乗ります。
本日の歩紀「16520歩」(11.23km)。お城や神社仏閣は丹念に見学すれば歩数が伸びますね。結構高低差もありますし。足腰がしっかりしているうちに歩きましょう。そして熱中症対策も。因みに今日は竹生島でも彦根城でもアシナガバチの威嚇を受けました。クマは出ませんが注意して下さい。
今日は「鉄胡セット」(税込1080円)。南蛮揚げサラダ付きをアテに「生中」(580円)で「かんぱ~い」。あとは鉄火巻き&胡瓜巻き+ミニうどんの炭水化物+炭水化物で締め。
今日の地酒は竹生島のお土産屋さんで買いました。前回「奥琵琶湖」で海津の町を歩いた時、営業時間前だったので素通りした吉田酒造さんの「竹生嶋」(400円)。神様、仏様の力を借りてブログの編集をします。
出 発:JR「彦根駅」
到 着:JR「彦根駅」
連日「熱中症警戒アラート」が発令されています。ということで今回は琵琶湖に浮かぶ「竹生島」に渡り、その帰路「彦根城」を見学することにしました。これであれば移動手段のほとんどが交通機関ですので歩く距離も随分短縮できますね。有名な観光地ですので給水・トイレにもまったく困りません。今日の彦根市の最高気温は35.0度。しかもカンカン照りの無風です。
これによって前回の「ドライブ歩紀」のため10回から9回になった琵琶湖一周歩紀も10回に戻りました。
琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)には「今津」「長浜」「彦根」の3つの港から定期観光船が運行されています。今回は最も大阪寄りにある「彦根港」から渡ることにしました。自宅最寄り駅の始発に乗り午前8時、JR「彦根駅」に到着。大阪駅からであれば約1時間40分(1980円)で着きます。歩数計をリセットし今日も元気に出発です。ここは滋賀県彦根市。
そして駅西口6番バス乗り場から観光船の運航会社である「オーミマリン」のシャトルバス(無料)に乗ります。と言っても何とワンボックスのワゴン車でした。お客さんは私の他は女性が3人。港には大きな駐車場があるのでほとんどの方はマイカーで行くようです。出港時間に合わせて午前8時30分発車です。
午前8時40分ころ彦根港に到着したので早速乗船手続きをしました。通常ダイヤであれば1日4便が運航されており、私は第1便である午前9時発の便を予約しました。各便とも往復80分の船旅で、竹生島に80分間滞在した後、彦根港に折り返します。料金は往復で3200円です。詳しくはホームページで。
今回乗った船は「Kirari」(118.65t)。速力20ノット、定員188人です。空席があれば予約なしでも乗れるそうですが、夏休みですのでシャトルバスと合わせてネットで予約しました。予約受付票もメールで来ましたよ。便利な時代になりましたね。
船内の様子です。自販機等はありませんが、空調完備でトイレもあります。
私は2階デッキに座りました。ただほとんど立って写真を撮っていましたね。
野里町歩紀初の「湖上歩紀」です。潮風と違いベタベタしないので風が爽快でした。
海じゃないんですよね。ただ気のせいでしょうか先ほどから潮の香りがします。もしかして私たちが海で嗅いでいる臭いは潮の香りではなく、大量の水(H2O)の臭いなのでしょうか。
船は結構速いですよ。後ろから水上バイクが迫ってきます。
竹生島が見えてきました。竹生島は琵琶湖の北部に位置し、周囲約2km、最高地点197mの無人島で一枚岩の花崗岩でできているそうです。断崖絶壁に囲まれており付近は70mほどの水深だそうですよ。まさに「孤島」ですね。
間もなく上陸です。島はすべて「宝厳(ほうごん)寺」という真言宗豊山派の寺院と「都久夫須麻(つくぶすま)神社」という神社の境内になっており、まさに「神仏が宿る島」です。
観光船を下りてすぐのところに「琵琶湖周航の歌」歌碑が立ちます。
♪ 瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に
いだかれて ねむれ乙女子 やすらけく ♪(4番)
桟橋には無料休憩所と2軒のお土産屋さんがあります。
その先には「券売所」。竹生島は寺社の境内ですので参拝料として600円を納めます。なお自動券売機ですので小銭の用意を。
石段を上って鳥居をくぐります。宝厳寺はかつて「神仏習合」の寺院でした。
鳥居をくぐったところに「瑞祥水」という小さな井戸があります。時代は新しいのですが御本尊大弁才天様の御託宣により平成14年11月に掘られた霊泉です。湖中の小島での難工事だったそうですが1年かけて掘り進み、深さ230mつまり湖底よりも深い岩盤から湧き出ました。「神仏」の力ですね。飲用として持ち帰れるそうです。
この石段は165段あるそうですよ。最近ではパワースポットとして人気を集め「祈りの階段」とも呼ばれています。
石段を上り切れば伽藍が開けます。まず最初に本堂にお参りしましょう。宝厳寺は聖武天皇が天照大御神よりお告げを受け、僧行基を遣わせ神亀元(724)年開基しました。本来の本堂は神仏分離令により、この後参拝する都久夫須麻神社の本殿となったため昭和17年に建てられたそうです。戦時中のことですね。
ご本尊である「弁才天」は「江の島」「宮島」と並ぶ日本三大弁才天の中で最も古いことから「大弁才天」と呼ばれています。多くの天皇や最澄、空海も訪れたそうですよ。
本堂内には「幸せ願いダルマ」。お願いごとを書いたお札を納め、弁才天様に奉納するそうです。
本堂に向かって左には「納経所」。当山は「西国三十三所観音霊場」の第三十番札所であり、ここで御朱印を授けてもらうことができます。行列ができていました。
本堂の前には「五重石塔」。高さは247cm。鎌倉時代に建てられたもので国の重要文化財に指定されています。
宝物殿方向に向かいましょう。
そこには「三重塔」。江戸時代初期に焼失したと言われるものを平成12年5月、約350年ぶりに復元されました。朱色がきれいですね。天然記念物の「トキ」は学名を「ニッポニア・ニッポン」といい漢字では「朱鷺」と書くように、私は「朱色」は日本を表す色だと思っています。
三重塔前には「もちの木」。豊臣秀頼の命を受け、賎ヶ岳合戦で七本槍の一人として名をあげた「片桐且元」により慶長7(1602)年に植えられたものです。宝厳寺は豊臣家とも縁があるようですね。
後ろの小さなお堂は「雨宝堂」。神仏習合の名残で天照大神が降臨されたときのお姿をお祀りしているそうです。
境内の奥には「宝物殿」(入館料300円)。館内には竹生島とかかわりのある美術品などが展示されていますが写真撮影は禁止です。私はクールダウンを兼ねて入館したのですが土足厳禁のためモンベルのシューズを脱ぐのに手間取り、すっかり外観撮影するのを忘れていました。そして館内に空調設備はなく扇風機が2台あるだけでした。宝物殿前の急な階段を下りて行きます。
階段を下りれば「唐門」。唐破風の立派な門です。そして「国宝」です。
隣接する「観音堂」の門として「豊臣秀吉」を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を豊臣秀頼の命により片桐且元が移築しました。先ほどの「もちの木」は、その際の記念樹だそうです。
文献によると極楽門は「大坂城」の極楽橋から移築されたものと伝わります。今も大阪城天守閣の北側にかかる極楽橋には、かつてこんな立派な門が建てられていたのですね。
「観音堂」には西国三十三所の第三十番札所の御本尊である「千手千眼観世音菩薩」が祀られており、国の重要文化財に指定されていますが写真の撮影はできません。御厨子の中に安置されている高さ180cmの観音様はご本尊様である大弁才天とともに秘仏であり、60年に一度ご開扉され次回は2037年だそうです。あと13年待ちましょう。観音堂から続く廊下は「舟廊下」と言われ、これも国の重要文化財です。朝鮮出兵の際、秀吉のご座船として作られた「日本丸」の船櫓を利用して作られたことからそう呼ばれるそうです。
外から眺めるとその様子がよくわかります。桃山建築様式で造られたものだそうです。だから豪華絢爛なんですね。
舟廊下をくぐり抜けます。ここまでが宝厳寺の境内のようです。ここから先は「都久夫須麻神社」の境内になります。「つくぶすま」は「ちくぶしま」の古語であり、雄略期に創始されたと伝わる古社ですが神仏習合時には宝厳寺の別当となり明治の神仏分離令により神社となりました。
主祭神は宗像三女神の一柱である「市杵島比売命」です。宝厳寺の元本堂であった「本殿」は約450年前、豊臣秀吉が伏見桃山城の勅使殿を移転したもので、これも「国宝」です。明治時代、宝厳寺は神仏分離令の「廃仏毀釈」に直面しますが、弁才天と市杵島比売命は「本地垂迹」の関係。各界からの意見もあり廃寺を免れたようです。本来、神様と仏様は仲が良いのです。神仏分離は時の政権による宗教の政治利用。本当に「政治屋」という奴らはろくなことをしませんね。
そして琵琶湖に向かって「竜神拝所」。
琵琶湖に突き出たところに鳥居が立ちます。絶景ポイントです。鳥居があるだけで周りの風景はガラリと変わりますね。
鳥居をくぐれば願い事が叶うという「かわらけ投げ」が楽しめます。
帰路は舟廊下の下にある通路を進みます。急な斜面に建てられているというか、急な斜面を渡るために建てたのですね。
舟廊下の突き当りには観音堂の外観が望めます。。
さらに進めば唐門と観音堂。位置関係が良くわかりますね。
ここからは真下に観光船が停泊する桟橋が見下ろせます。竹生島は島全体が境内ですが、公開されているのはほんの一部なのでゆっくり回っても1時間ほどで一巡できます。島内での滞在時間は80分なので十分時間はあります。ただ御朱印を授かる人は並ばなければなりません。そして高低差が結構ありますよ。
竹生島は船でしか渡れないのでキャパシティーが確保されゆっくりと参拝できました。ちょっと時間があるのでお土産屋さんに寄りましょう。
さあ竹生島を後にします。本当に断崖絶壁に囲まれているんですね。
午前11時に出港し、竹生島をバックに「Kirari」の航跡が見えます。
次回歩く予定の「湖東」。ちょっと霞んでいますが「伊吹山」が見えます。
琵琶湖には3つの島があるのですが、その一つである「多景島」が遠くに見えます。この島も全島が寺院の境内になっている「信仰の島」です。シルエットが「軍艦」のようですね。
彦根の町が見えてきました。
定刻午前11時40分に彦根港到着です。
シャトルバスの運転手さんは「帰りに彦根城での途中下車が可能です」とおっしゃっていましたが、私は「町歩紀」をしたかったのでその旨を運転手さんに伝えキャンセルしました。シャトルバスで来た道を戻り、さざなみ街道の「松原交差点」を横断してさらに進みます。最終的には大きな交差点を左折することになるので左側を歩いていた方が良いでしょう。
この道は「城北通り」といい右はこれから見学する「彦根城」。左はスポーツ公園として立派なスタジアムや野球場があります。ちょうど高校野球の滋賀県大会をしていました。
そしてもうこの辺りは彦根市の中心地なのでたくさんの店が並びます。
「船町交差点」を左に曲がりましょう。時間は。商業施設の一画に「丸亀製麺彦根松原店」がありました。ここで昼食としましょう。
今日は暑いので「冷しぶっかけうどん大(550円)」と「野菜かき揚げ(180円)」を注文しました。
昼時だったため席に着くまで10分ほどかかりましたが、昼食を終え十分にクールダウンした後、午後0時30分出発です。先ほどの船町交差点を地下道で横断すれば右には琵琶湖から続く船溜まりが。「旧彦根港」です。この水路は彦根城の外堀だったのでしょうか。
公園のようになっていますが、最近ではマナーの悪い「バス釣り」マニアによって荒らされているそうです。趣味にも一定のルールがあるということを心得ていないのでしょうね。嘆かわしいことです。(写真と本文は関係ありません。たぶん)
旧彦根港を過ぎ、駐車場の角を右に入れば2~3分で彦根城の中堀に出ます。
かつてこの辺りには中級武士の屋敷が並んでおり、そこには「旧池田屋敷長屋門」があります。
江戸時代に建てられ老朽化していたものを解体修理し、馬屋が復元されています。彦根市の指定文化財として無料で一般公開されています。
中堀に沿って進めばすぐ左に「埋木舎(うもれぎのや)」。江戸幕府の大老「井伊直弼」が青年期を過ごしたところです。(午後0時43分)
後ほどにもお話しするのですが、井伊直弼は14男として生まれ嫡子でもなかったことから到底、彦根藩を継ぐ身分ではありませんでした。そのため17歳から32歳までここで300俵の扶持を受け質素な生活を送っていたそうです。(入館料300円)
しかし腐ることなく自らを「埋もれ木」に例えて詠んだ「世の中をよそに見つつも埋木の埋もれておらむ心なき身は」という句に因み「埋木舎」と名付けたこの簡素な武家屋敷で文武の修練に精進しました。
武芸のほか和歌、能、茶の湯、国学などの文芸に勤しんで過ごしていたところ転機が訪れました。十二代藩主直亮の嗣子・直元が38歳の若さで逝去したことにより、その代わりの嗣子として直弼は十三代彦根藩主に就任したのです。
埋木舎で培った高い教養と人格、卓越した政治手腕により頭角を表し、最後には「桜田門外の変」で水戸藩士により暗殺されますが、ついには江戸幕府の大老として迎え入れられアメリカを相手にわが国を開国へと導きました。
簡素とは言え結構立派な屋敷ですね。
ただ私の個人的な感想では展示物や説明文の看板で埋め尽くされており、肝心の建築様式がわかりづらいなと感じました。
見学を終え、このまま真っ直ぐ中堀に沿って進めば彦根城に出るのですが、一旦先ほどの駐車場角まで戻り右に曲がります。その理由は?そこに「滋賀県護国神社」。全国の都道府県にある戦没者をお祀りする神社があるからです。(午後0時57分)
お参りしましょう。神社には正面から参拝するのが私の流儀です。
駐車場脇にある鳥居から境内を後にします。そこには松並木。彦根城は慶長9(1604)年から20年かけて築城された400年の歴史を有する井伊家14代の居城です。城に参内する者がすべて通る彦根城の中堀に沿って植えられ47本あったことから「いろは松」と呼ばれています。駐車場内には観光センターと公衆トイレがあります。
「佐和口」で中堀を渡ります。正面に見えるのは「佐和口多聞櫓」。
右側部分は明和4(1767)年、火災で類焼したそうですが4年後に再建されました。現在は井伊直弼を顕彰する「開国記念館」として無料公開されています。館内での写真撮影は禁止です。
この辺りは二の丸でぐるりと左に回れば「馬屋」。城郭内に残る馬屋は全国の城でもここだけということで国の重要文化財に指定されています。
城主用など21頭の馬が繋がれていたそうです。
「表門橋」で内堀を渡ります。
正面に「表門券売所」があります。彦根城には3カ所の券売所がありますが、一般的にここが彦根城の入口でしょう。「玄宮園」「彦根城博物館」と合わせた共通チケット(1200円)を購入しました。(午後1時20分)
最初に券売所前にある「彦根城博物館」に入ろうと思ったのですが、あと10分ほどすれば博物館の前に「ひこにゃん」がお目見えするということでしたので待つことにしました。そして10分後。ご存じ「ひこにゃん」。平成19年の「国宝・彦根城築城400年祭」で登場した彦根市のマスコットキャラクターで、平成22年に開催された「第1回ゆるキャラグランプリ」で初代チャンピオンに輝き、ゆるキャラブームの火付け役となりました。
そして今日私は「滝ノ道ゆずる」のTシャツを着て歩いています。以前、私が大阪府箕面市で働いていた時、市民祭りである「箕面まつり」に参加したのですが、その時のスタッフ用Tシャツです。「滝ノ道ゆずる」は箕面市のキャラクターで第2回大会で9位。第3回で10位、第7回では5位に入賞しています。
今日は猛暑のためショーは10分で終わるということでしたので、私も早々に退散しました。そして券売所の前には「彦根城博物館」。彦根藩の政庁であった「表御殿」を彦根市制50周年を記念し、明治時代に取り壊されたものを絵図や古写真などを参考にして昭和62年、元の場所に復元したそうです。入りましょう。そしてクールダウン。
茶器や美術品、刀剣・甲冑などが展示されています。クーラーが効いて涼しいです。
なお館内ではストロボ・三脚を使用した写真撮影は禁止されています。展示物によっては写真撮影自体が禁止されているところもあります。ルールは守りましょう。
井伊家のいわゆるチームカラーは「朱色」だそうです。そのため「井伊の赤備え」と呼ばれています。クールですね。
そして館内の真ん中にドカーンと建つ「能舞台」。家の中に劇場があるようなものですね。シアター様式になっており公演もあるそうです。
寛政12(1800)年に建てられ、表御殿で現存する唯一の建築物です。明治以降、別の場所に移されたものを博物館の建設とともに元の場所に移築復元したそうです。
政庁であるとともに藩主の住まいも兼ねており、ここから先は「木造エリア」という別のエリア。そしてクーラーはありません。これは「御座之御間」。
ここから立派な庭園が眺められます。燈籠などの位置も古絵図などを参考に再現されているそうですよ。
ここは「天光室」という茶室です。日本の知識層にとって「茶道」とはとても重要な嗜みであり、おもてなしなのでしょうね。どこの屋敷にも茶室があります。
藩主の寝室である「御寝之間」も復元されています。
ここは「御亭(おちん)」と呼ばれ、藩主の「くつろぎの間」として建てられたそうです。
景色が眺められるようにと2階建てになっています。
見学を終え午後1時55分、館外へ。表門券売所から城内に入ります。「表門参道」という石段を上ります。城内は50mほどの高低差と約140段の石段があるそうです。外敵から守るためには仕方ありませんね。
石段を上り左に曲がれば「天秤櫓」。この先は「大手門」になっており、大手門と表門に対して左右対称に作られていることから天秤櫓というそうです。「廊下橋」と呼ばれるこの橋は戦時には落とされると伝えられています。彦根城でも有名なスポットですね。
廊下橋をくぐり、振り返ってもう一枚撮りました。
橋をくぐり大手門に抜ける手前を左に入れば「鐘の丸」。何かアトラクションをしているようです。
売店前を通り先ほど下から眺めた廊下橋を渡り天秤櫓をくぐります。
長浜城から移転されたものらしく石垣の土台には築城当時のものと江戸後期の2つの石組が見られるそうです。「これ」と「これ」でしょうか。
内部も公開されていました。なお彦根城は先ほどの彦根城博物館。そして天守をはじめ公開されている建造物はすべて「土足厳禁」です。靴を脱いでビニール袋に入れて見学しなければなりません。着脱の容易な履物で見学しましょう。モンベルのシューズを履いてきた私は苦労しました。
天秤櫓をくぐればさらに石段。お城はこれが良いですね。特に日本の城は西洋や大陸のような広大さはありませんが「ギュッ」と凝縮されている感じがします。海外のお城には行ったことはありませんが。しかしここにも日本の原風景「電線」が。
この石段を上れば左には「時報鐘」。城全体に鐘の音が響くようにと先ほど通った鐘の丸から移築されました。「日本の音風景百選」に選ばれているそうです。「音」や「香り」といった無体物に「格」を授ける風習は外国にもあるのでしょうか。より良い音色にするため鋳造の際にたくさんの小判を混ぜたそうですよ。隣は茶屋になっています。
向かいにそびえるのは「太鼓門櫓」です。国の重要文化財に指定されています。合図用の太鼓が置かれたことからこう呼ばれているそうです。
櫓をくぐれば壁や塀のない高欄付き廊下になっており防御施設の櫓としては珍しいそうですよ。この櫓もいずれかの城から移築されたものです。
また石段を上ります。そしてそこは…。
「本丸」です。昭和27年「国宝」に指定された三層三階の天守がそびえます。国宝であるとともに全国に12しかない「現存天守」のひとつでもあります。(午後2時18分)
この小さな天守に「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」など多様な建築様式が取り入れられています。琵琶湖歩紀の第一回目。大津市内を歩きましたが「大津城」は石碑が残るだけで遺構はまったくありませんでした。この天守は大津城から移築されたと伝わります。こんなところに大津城が残っているのですね。
二層、三層には寺院建築に見られる「花頭窓(かとうまど)」。城郭ファンの高橋英樹さんや歴史ファンのタモリさんもこの「窓」で盛り上がっていましたね。
ただ天守は令和5年12月から令和7年1月まで耐震工事を行っており入場が停止されています。夏休み期間中に限り公開されているので、暑い中わざわざ彦根城にやってきました。延長もあるので詳しくは彦根市のホームページを。
天守に入ります。階段はありません。「梯子」です。ご高齢の方や身体の不自由な方、小さなお子さんを連れた方は厳しいですね。
耐震工事中のため所々このような足場が組まれています。
いくつかの梯子を上り最上層に来ました。眺めは良いのですが金網が張られているので写真を撮ればこんな風になります。
スマホを金網に張り付ければ何とか撮影できました。
ところが二層部分に下りると「インスタ映えスポット」と表示された金網のない窓が2カ所ありました。
「砦」「要塞」「軍司令部」「行政府」「私邸」「官邸」。そして今では「観光施設」と姿を変えていく「城」。しかしここからの眺めは変わらないのでしょうね。全国各地での天守再建がそれを脈々と引き継いでいるのでしょう。
上ったのだから仕方ありませんね。梯子を下ります。
天守から出ればすぐ向かいに「着見(つきみ)台」という展望台がありました。かつて着見櫓という二層の櫓があったそうです。表御殿(彦根城博物館)からJR彦根駅方向を望みます。(午後2時47分)
天守から案内表示に従って「西の丸」に向かいます。西の丸の北西角には「三重櫓」。国の重要文化財に指定されています。先日の大雨でこの西側にある「米蔵水門石垣」が崩落したそうです。四国松山城でも大きな被害がありましたね。日本は熱帯気候になり雨期に入ったのでしょうか。
ここも内部が一般公開されていました。靴を脱いで中に入ります。立派な梁木ですね。
櫓の先には深い「堀切」があり城の裏を守る要衝です。
そして位置的に琵琶湖を監視する役目を担っていたようです。
三重櫓の先には養老4(710)年、近江の国司藤原房前(ふささき)が彦根寺を建立。金の亀に乗った観音像を安置したという「観音台」があり、そのため今ではここの行政名称は「滋賀県彦根市金亀」となっているのですが、道が荒れていることから通行禁止になっているようなので引き返しました。「残念」
案内表示に従い「黒門・玄宮園」方向に進みます。
ここは天守の真下。彦根城天守は「附櫓」「多聞櫓」も付設し、軍事的機能も優れているそうですよ。お城って軍事施設でありながら本当に素晴らしい芸術作品ですね。
天守下の石垣があまりにも「格好よかった」ので撮影しました。
「黒門山道」と呼ばれる石段を下ります。
「黒門券売所」から有料エリアを出て「黒門橋」で内堀を渡りましょう。(午後3時9分)
右に進み「玄宮園」の入口には「井伊直弼生誕地」の碑。
この後ろには「楽々園」という庭園があり無料公開されています。この門の右から入って行きます。
ここは延宝5年(1677)年、4代「井伊直興」によって造営されたと伝わります。「隠居所」として使用され13代「井伊直弼」もここで隠居していた11代「井伊直中」の14男として生まれました。だからここが井伊直弼生誕地なのです。直中は隠居の身でありながら随分たくさんの子どもを作ったんですね。「羨まし~い」。庭園は枯山水ですが全然枯れていませんね。
書院(大広間)や地震の間(茶室)が外から見学できます。
その先に「玄宮園」。共通チケットなので「西券売所」から入ります。ここは先ほど訪れた楽々園の後庭として造営されました。元々は「松原内湖」という内湖だったそうです。(午後3時16分)
この庭園は「池泉回遊式庭園」といい池にいくつかの島を配し、それを橋で結んで回遊を楽しむものです。
天守を借景とするなど贅を尽くした庭ですね。
ここは「鳳翔台」という茶室。貴族のように舟遊びに興じていたようです。
隣は茶屋になっています。
後しばらく庭園を回遊します。
庭園の端には「復元水田」。「なぜ庭園に水田が?」と思いましたが、説明文によるとかつて大名が所有する庭園には当たり前のように水田や畑があったそうです。
園内を回遊し「東券売所」から出ましょう。内堀では屋形船が運航されているようです。(午後3時26分)
駐車場を過ぎ金亀児童公園の隅には「井伊直弼大老像」。
そのまま進んで行けば城内を一周し、最初の馬屋前に戻ります。(午後3時33分)
内堀に沿って歩きます。間もなくゴールです。
大手前駐車場に出れば内堀から外れ左に進みます。その先には「旧西郷屋敷長屋門」。市の指定文化財に指定されていますが内部は公開されていません。
真っ直ぐ進み「京橋口」で中堀を渡ります。ここは彦根城のお堀で最も直線距離が長い所でしょうか。
正面は「夢京橋キャッスルロード」という道に続きますが、ここは「琵琶湖一周歩紀7」で訪れます。
左に曲がり中堀に沿って進みましょう。
中堀に沿って90度曲がればそこには「旧鈴木屋敷長屋門」。これも市指定文化財ですが内部は非公開です。
そのまま進めば護国神社の駐車場に出ます。時間は午後3時45分、約2時間45分かけて見学したんですね。ちょっと暑いので5分ほど休憩します。
「護国神社前交差点」から「駅前お城通り」というそのまんまのネーミングの通りをゴールに向かってラストスパートです。
すぐ左には「彦根市役所」。彦根市は人口約11万人。歴史的な町ですが市街地化は結構進んでいます。
「世界遺産」。それはそれで良いかもしれませんが、文化的な事業でありながらイデオロギーやナショナリズムを前面に出してくる国もあります。国宝で十分じゃないですか。
午後4時ちょうど本日のゴール「彦根駅」に到着しました。駅前には井伊家20代当主で彦根藩初代藩主の「井伊直政公之像」。この駅は東海道本線。また近江鉄道というローカル私鉄線の始発駅でもあります。午後4時22分の電車に乗ります。
本日の歩紀「16520歩」(11.23km)。お城や神社仏閣は丹念に見学すれば歩数が伸びますね。結構高低差もありますし。足腰がしっかりしているうちに歩きましょう。そして熱中症対策も。因みに今日は竹生島でも彦根城でもアシナガバチの威嚇を受けました。クマは出ませんが注意して下さい。
今日は「鉄胡セット」(税込1080円)。南蛮揚げサラダ付きをアテに「生中」(580円)で「かんぱ~い」。あとは鉄火巻き&胡瓜巻き+ミニうどんの炭水化物+炭水化物で締め。
今日の地酒は竹生島のお土産屋さんで買いました。前回「奥琵琶湖」で海津の町を歩いた時、営業時間前だったので素通りした吉田酒造さんの「竹生嶋」(400円)。神様、仏様の力を借りてブログの編集をします。