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発掘作業-猫バレエの

ブーケを手にして気が付いた。なぜにカーネーションの香りは特別なのか。
それはたぶん、小さい頃のバレエの発表会と結びついているから。
最初に習った教室では、発表会で踊り終わった後、舞台の上で花束が貰えたのだった。まあ、カーネーションを数本束ねてリボンがついているだけの、今でいえばものすごくシンプルなものだけど。
でもひとりひとり、きちんと手渡されて、その後もう一度客席にお辞儀して袖にはけてた。
今のバレエ教室で発表会は頻繁にあるけど、そんな光景は今のところ目にしたことない。
考えてみると凄く貴重な体験だったかな・・・と。そんな粋なはからいをしてくれた先生に、今頃になって感謝(何十年前のことだよ!)

その教室の大先生は豊辺つぎ子先生という。桜台に本部・・・先生のご主人が園長だった幼稚園があって、その建物の体操室?がお稽古場だった。
その建物というのが、およそ変わっていて、中も外もレンガ、外にはツタも這ってた。窓が小さいので中に入ると暗くて洞窟に入るみたいな感覚、
の入口を入ったところに大きな絵が掛かっていた。
暗い背景の中に白いクラシックチュチュをつけたバレリーナの。アラベスクポーズで間違いなく白鳥の湖。
白いチュチュが凄く浮き上がっていて、バレリーナの目はこちらを見ているようだし、圧倒されたものにゃった。
で、よく考えるとその背景の中に石づくりのアーチがあったような気がした。

この間の焼け跡の白鳥の湖の話から、日本初演の白鳥の湖のことをもっと知りたくなっていて、借りていた本に手がかりが。
初演舞台の装置を手掛けたのは藤田嗣治(言い出しっぺの島田廣氏が駆け込んだ先、蘆原英了氏の叔父だった)、というのもそれで知ったのだけど、実際どんな舞台だったのか・・・
本には舞台製作のための下絵のようなものが載っていた。
藤田氏はフランスでバレエ・リュスの舞台も観ていて、それに負けないくらいのものを作ろうとした模様。
実際のところは物資不足で(背景用の布や絵の具も足りなかった・・・orz)完全にはいかなかったみたいだけど。
本の中で、藤田氏は欧州では基本の石づくりの部分(舞台では書き割りだけど)には相当こだわっていた話も載っていた。

ので、バレエ教室にあった絵は日本初演の舞台をモチーフにしたものではなかったかな・・・と思った次第。
隅っこに描いた人のサインもあったような気がするけど、記憶が・・・orz

大先生がいつ桜台を引き払ったのかわからないけれど、その後京都で活躍されていたかもしれない。
日本バレエ協会の第4回舞踊文化功労賞を受賞されてる(他にも有名な先生が一杯・・・久富先生も同年受賞?)

初演の王子の衣裳が独特・・・特に片方だけ縦シマはないだろう~
もしかしてタイツが破けたから、別々のを縫い合わせたんじゃ?、なんて酷い想像もしていたのだけど違った。
バレエ・リュスのS.リファールも履いてた。
ごめん!衣装デザインの方。

画像は新宿書房 「フジタの白鳥 画家藤田嗣治の舞台美術」佐野勝也
より。
藤田嗣治(「白鳥の湖」の舞台装置のための草案)をもとに帝国劇場背景部が製作した「白鳥の湖」 第2・4幕 1946年

横に平べったい不気味な木はロットバルトの現れる場所・・・と関係があった模様。藤田氏のこだわり・・・

あ、初演の演出ではハッピーエンド版・・・王子がロットバルトを倒して、白鳥がみんな人間に戻って朝日を浴びる、だったそうな。
その方が当時は観ている方も嬉しかっただろうな。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
画家の名前は聞いたことがあります。 (さぼ)
2022-09-20 16:03:28
今使われたとしても、森の中の湖の風景として全く違和感のない、美しい絵ですね。
 
 
 
観たかった・・・ (鈴付き猫)
2022-09-20 22:22:51
第一幕も緑がふんだんな綺麗な背景です。石づくりのアーチもありました。でも第一幕と第二幕(第四幕)の分しか布がなくて、第三幕(番組の中でも取り上げられていた出演者の集合写真の背景)は元々あった装置を組み合わせて作ったので、藤田氏の元絵とは大きく違っていたとか。
藤田氏はカタカナで「フジタ」と書いた方が有名かも・・・

今でも結構通用するんじゃないかなー
実物をちょっと観てみたいです。
 
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