Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

Complimenti , Shizuka !

2006-02-24 23:08:53 | Viva Italia
荒川静香さん、おめでとう。
気負わずのびのびと、すばらしい演技でした。Bravissima !
「最高ですよ、びっくりしました。とれたらいいなとチラッと...あとは無心で、まさか金とれるとは、最高のオリンピック。現役として最後のオリンピックと思って臨んだので...」と今日のインタビュー。金メダルの演技、DISKにとったよ。

観客席に、お父さまお母様。ほんとうによかったですね。しーちゃん、すばらしい親孝行だなあ。

「自由演技には、プッチーニの歌劇<トゥーランドット>Turandot。演技後半の見せ場で流れる『誰も寝てはならぬ』(Nessun Dorma)を、世界三大テノールの一人、ルチアーノ・パバロッティ氏が開会式で熱唱していたことを人づてに聞いたという。
『運命を感じた。開会式で歌われた曲で滑れることを幸せに思う』。大会の幕を開けた調べに乗って、伸びやかに舞い、選手生活の集大成を最高の形で飾った。(トリノ時事)より」

あの開会式のすばらしい演出、人文字、ルネサンス、ボッティチェルリ、フェラーリ、ルチアーノ、レノンのイマジン、イタリア選手団などのデザインGiorgio Armani、あの国やはり、伝統と遊び心がすばらしいな!しかもこれ、ぜんぶボクの趣味ですね。

先週イタリア語のマリナ先生がTBCラジオに出てトリノの話。トリノはサヴォイア家の王様、18世紀初頭のヴィットリオ・アメデーオのことなど。
アナの質問「おめでとうは、イタリア語で?」 マリナ先生「そうね、bravo , bravissimo , complimenti かしら...」
放送には入らなかったやりとり。「”残念でしたね”はなんて言うの?」とアナが聞いたら、マリナ先生「イタリアでは誰もそんなこと言いません。あんなすばらしいところで...よくやった!だけでいいのよ」

Ma brava davvero !
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伸びーィ!

2006-02-22 23:12:12 | ねこちゃん
伸びーィ大好きだけど、もう降りたいよ、ママ。
おねィが描いたボクの油絵ちゃんと似てるのかなあ、ハテナ? 
顔のとこ見えないのもいいか。 

ボク拾ってくれたご近所、ノラちゃん3匹外猫にしてちょっと大変らしい。
ボクら猫は、やっぱりうちのなかが一番だろうなあ...
予防注射や去勢、おしっこやらしつけもしてもらわないと、
最後までの面倒見てもらうつもりよボクらは、飼い主は覚悟ね~。

ボクはラッキー、運命ちゅうのも紙一重だね。 
一緒だった兄弟みかんちゃん=虎の助クンはトンペーの先生のとこで
可愛がってもらって、いまじゃずいぶん賢くなったらしいよ。

どれボール追いかけてダブルアクセル、一回半ひねりでもやるか。


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真夜中に寮歌

2006-02-11 02:34:07 | 音楽・芸術・文学

「早春賦」を、岐阜のブルースシンガーむらなが吟で、初めて聞いたヒトだが、
なかなか、新しくて、よし!バックのピアノ、バンドも。
「ネットミュージックストア Mora」から、さっきダウンロード、歌3曲で474円。(だけどコピー禁止とかで、ipodなんかに落とせませんので、まともに聴けません!)

つぎは、しわがれ声でしみじみと、「琵琶湖周航の歌」。

とどめには、ブラスをバックに「何をまた語るべき、あああっ~、さらばぁ~」
「わが身容るるにせまき 国を去らんとすれば...」なのか...

「北帰行」 宇田博作詞・作曲
(旅順高等学校寮歌の原詞五連)

窓は夜露にぬれて
都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり
涙流れてやまず

建大一高旅高
追われ闇をさすらう
汲めど酔わぬ恨みの苦杯
嗟嘆ほすに由なし

富も名誉も恋も
遠きあこがれの日の
淡きのぞみはかなきこころ
恩愛我を去りぬ

わが身容るるにせまき
国を去らんとすれば
せめて名残りの花の小枝
尽きぬ未練の色か

いまは黙して行かん
何をまた語るべき
さらば祖国わがふるさとよ
あすは異郷の旅路




「ゴンドラの唄」は、いまは若い人で歌う人いないのかなあ。
インストルメンタルでJAZZギターの渡辺香津美。これは、i-tuneから購入。真夜中には、これもいいか。

=========
「北帰行 ・小林旭」

(おまけ。関係ないか、でもこれでいいのだ。)
「小林旭 − 北へ」

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ゴンドラの唄によせて

2006-02-09 23:54:03 | 音楽・芸術・文学

「早春賦」の大町の乙女ならいざしらず、
いまどき「恋せよ少女」などとは要らぬ心配、もうガンガンいっちゃうんだからぁ!
これももうすぐ100年前、1915年(大正4)4月。島村抱月から、ヴェネツィア民謡風な劇中歌との依頼を受けた吉井勇は、アンデルセンの「即興詩人」の章句がとっさに浮かびこの詩を書いたという。
松井須磨子は『ハムレット』のオフィーリア、『人形の家』のノラなどで抱月の劇団のスター。『カチューシャ』 『ゴンドラの唄』もヒット。大正8年、『カルメン』公演中、急逝した抱月の後を追う。

『ゴンドラの唄』
作詞 吉井 勇  作曲 中山晋平  唄 松井須磨子

1 いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
  朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
  熱き血潮の 冷えぬ間に
  明日の月日は ないものを

2 いのち短し 恋せよ少女
  いざ手をとりて 彼(か)の舟に
  いざ燃ゆる頬を 君が頬に
  ここには誰れも 来ぬものを

3 いのち短し 恋せよ少女
  波に漂う 舟の様(よ)に
  君が柔手(やわて)を 我が肩に
  ここには人目も 無いものを

4 いのち短し 恋せよ少女
  黒髪の色 褪せぬ間に
  心のほのお 消えぬ間に
  今日はふたたび 来ぬものを

さて、ロレンツォ豪華王の頃のフィレンツェ。 

ボッティチェッリ Sandro Botticelliは、貝に乗って海から出現する美の女神の顔を、シモネッタに似せて描いたという。シモネッタ Simonetta Cattaneo Vespucciとはアメリゴ・ヴェスプッチ Amerigo Vespucciの従兄弟マルコの夫人。結婚前の名はシモネッタ・カッターネオといった。1454年ジェノバの港町ポルト・ヴェーネレ Porto Venere に富商の娘として生まれた。ポルト・ヴェーネレとは「ビーナスの港」。
波間の白い泡から生まれた愛の美神ヴィーナスは、ある春の日、大きな帆立貝に乗って輝くような裸身を波の上に現わした。この美神が最初に漂着したのがポルト・ヴェーネレ Porto Venere であったという。

1475年ロレンツォ イル・マニフィコ Lorenzo de' Medici, detto Lorenzo il Magnifico の下での記念騎馬試合では、優勝した弟ジュリアーノ・デ・メディチ Giuliano de' Mediciにこの日の「美の女王」シモネッタにより冠が授けられた。ジュリアーノの想いを、貞淑なヴェスプッチ家の若妻シモネッタは受け入れようとはしなかった。美人薄命、シモネッタは22歳の若い生涯を閉じる。
ジュリアーノも2年後の1478年4月26日フィレンツェ大聖堂 Cattedrale di Santa Maria del Fioreでのミサの最中に対立していたパッツィ家の刺客の手に倒れた。25歳。

ロレンツォは15世紀イタリア文学を代表する詩人でもあった。
市民の娯楽に意を用い祝祭を盛り上げてフィレンツェの宿痾であった派閥闘争を忘れさせようとした。カーニバルのために書いた詩、「謝肉祭の歌」の冒頭歌はルネサンス文学中の絶唱。「バッカスとアリアドネの勝利の歌」Canti carnacialeschi / VII. Canzona di Baccoとして今日でも愛唱されている。

Quantè
 bella giovinezza,
che si fugge tuttavia !
Chi vuol esser lieto, sia :
di doman non c'e certezza. 

青春はうるわし
されど逃れゆく
楽しみてあれ
明日は定めなきゆえ

塩野七生さんは「わが友マキアベッリ」のなかでロレンツォに触れた箇所で、
この「バッカスの歌」を吉井勇が上田敏あたりから聞き知って「ゴンドラの唄 」にしたと想像しているが...

========================
どっちも好きだなあ...
「ゴンドラの唄 小林旭 」
「ゴンドラの唄 フランク永井」
***********
以下を参考にしました。
「春の戴冠 辻邦生 新潮社 ISBN4-10-314217-0」
「物語 イタリアの歴史2 藤沢道郎著 中公新書 ISBN4-12-101771-4」
「わが友マキアヴェッリ 塩野七生著 中央公論社ISBN4-12-001612-9」
「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」

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「雪の降る街を」

2006-02-08 21:53:29 | 音楽・芸術・文学
早春賦のはずが、今週はまたまた、かなりの雪が降った。
ここ数日、雪にまみれ、ペンギンのようにヨチヨチ歩き...
だから...

「雪の降る街を」
内村直也作詞・中田喜直作曲

雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日かつつまん
温かき幸せのほほえみ

雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る街を
ひとり心に 充ちてくる
この哀しみを この哀しみを
いつの日か解(ほぐ)さん
緑なす春の日のそよ風

雪の降る街を 雪の降る街を
息吹とともに こみあげてくる
雪の降る街を
誰もわからぬ わが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か祈らん
新しき光降る鐘の音

昭和24年(1949)から昭和27年(1952)まで3年間放送されたNHKラジオ放送劇 『えり子とともに』の挿入歌。この歌が入ったのは昭和26年の暮れから。
放送台本が短すぎ時間が余ってしまうため脚本家の内村直也が急遽1番だけ作詞し、中田喜直に作曲を依頼して流した。好評だったため、2番と3番を追加。
最初に歌ったのは女優の南美江、次にフランス帰りの高英男、つづいてダークダックス。
http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/yukinofurumachi.htm より)

山形の鶴岡で生まれたんじゃないんだ、でも、あのイメージ..いいか...
このまえ2006年2月5日(日) 鶴岡音楽祭。 特別ゲスト中田幸子(故中田喜直夫人) 佐藤美枝子(ソプラノ)、吉田浩之(テノール) 工藤俊幸(指揮者)、山形交響楽団

ごんべさん「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」サイトには、
感心しました。バナーもお借りしましたよ。


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早春賦

2006-02-07 22:16:34 | 音楽・芸術・文学
このあいだ「春は名のみの 風の寒さや...」と書いたまま。
いい歌ですね。詩も曲も。

早春賦 作詞:吉丸一昌 作曲:中田 章

1.春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

2.氷解け去り 葦は角ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

3.春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急かるる 胸の思を
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か

作詞の吉丸一昌先生は、大分県北海部郡海添村(現、臼杵市)の生まれ。
熊本、第五高等学校で師夏目漱石と出会う。試験でも下駄はかせてもらったみたい。
東京帝大国文科のころ『修養塾』と称して少年たちと生活を共にし、勉学から衣食住、就職にいたるまで世話をしたり、東京での丁稚奉公や中学に行けない少年のために夜学校を開設するなど少年の育成に力を注ぐ。
明治34年府立三中(現両国高校)教諭、芥川龍之介を教えた...
http://www.fundokin.co.jp/meisho/11/
http://www.coara.or.jp/~myks4/minoru/yosimaru.html


「早春賦」の歌碑が平成12年長野県大町市文化会館前庭に。日本で4基目。
吉丸さんが旧制大町中学の校歌作詞のため訪れた際、春を待つ雪国の心を乙女心に託して書き留めたものだと伝えられている..
http://www.city.omachi.nagano.jp/contents/Contents.asp?CONTENTNO=15

はて、大町の乙女心!? 母は旧制大町高女出身。
仙台市内一人暮らしの母に電話をしたが出ず、心配。寒いのと、白内障手術したため、このところ妹の家にいたみたい。嫁より、娘。
「そうそう、寄付500円とか来てたっけ。なぁにィ、大町中学?男の子と目を合わせてはダメだったのョ、さっと隠れたっけ!去年は女学校の友達ふたりに50年振りで会ったのよ!幸雄あれだったから何も出来なかったけど、もう、みんなヨボヨボねえ~」

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「ツグミの3日間」

2006-02-05 17:58:48 | Viva Italia
春は名のみの風の寒さや...だいたいに2月は一番寒い時期。

部屋の上空のほうは、あったかいなあ、それとも高くて眺めがいいからか、
ボクたすけもハクも本棚の上がお気に入り。毛布の切れっ端も敷いてあるし。
ふだんは年少者にゆずるところが、たすけのえらいところ。
本日はうるさいのが二階、ここでゆっくりしてみた。
降りてきたぜウッセーのが。さてっ、あくびをして、遊んでやるか...

ママはどういうわけか洗濯好きだから、アライグマだね。
だけど、おとといから洗濯機の水道凍っちゃって困ってますね、
あそこの床下の通気口が開いてたからだよ、きっと。

少し時間が過ぎてしまったけど、イタリアでは1月29・30・31日を、
「ツグミの3日間」(i tre giorni della merla)と呼び、1年で一番寒い日々。
イタリアに住んでる若いマンマのブログで教えてもらいましょう。

「...ママツグミは寒さに震えた子ツグミ達を守る為に、
巣を暖かい煙突の近くに移しました。3日間、厳しい寒さが続きました。
3日後にパパツグミが戻ってきた時、家族の姿に気がつきませんでした。
なぜなら、ママツグミと子ツグミ達は煙突の煙で真っ黒になっていたからです。
2月の最初の日、やっと太陽が顔を出しツグミ達が巣から出た時には、
パパまで煤で真っ黒になっていました。
これを境にツグミは、黒い鳥に...」
(http://mammachiki.exblog.jp/ より)
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ヴァーチャル豆まき

2006-02-04 14:16:30 | なんでもあり・ファミリー

 
今年は2月3日が節分。節分は立春・立夏・立秋・立冬の前日、特に立春が1年の初め「節分」といえば春の節分。立春を新年と考えれば節分は大晦日、前年の邪気を全て祓ってしまうための追儺の行事、「豆まき」。

この写真のタイムスタンプは94年とあるから、もう12年一昔前だ。まあ、このころは子どもたちはまだ素直であった。(妻もだ!?)

おにいちゃんは、12年後のこの日は私大受験2日目もう打上げ気分で帰宅は真夜中。
「バカめ、いまからだっつーの」と妻にグチったら
「あなた自分のことばっかりカマけて、ちゃんと話きいてやってないからよっ」

うーん、今年は、どこかに入れるかな。と言ってる場合じゃないか。
ムスメは推薦でいけるよう、いまから祈ろう。この画像を発見されたら肖像権主張で消せというはず。なにせ、インタネットの検索などお手のもの。

まあ、節分には一般的にこういうことをするものだと、もはや、おとぎ話よ、ムスメよ許せ、今となってはヴァーチャルではないか。
このころの犬テツとネコ3匹トラ吉、チャッピ、ピッピも、いなくなってすっかり顔ぶれが変わってしまった。犬猫の命のほうは、あっという間だなあ。

*********
「暦の情報が直ぐに手に入る」 http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0720.htm

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コン声4部合唱

2006-02-03 21:49:29 | ねこちゃん
朝の電車というものは、満員でもキミの悪いぐらいシーンとしている。
やっと乗れて少しバラけて落ち着いたころ目を閉じると、まわりのあちこちの音がはっきり聞こえてきた。今日は、みんな風邪ひいてるのかなあ、
それとも冷えた空気で鼻おかしいの?あちこちでツン、ツン鼻をすする音。

ツッツッ、ツッー、ッツンツン、ズッズー、ツッー、ヅルー、ツッツッ、
どうも十人ぐらいいるなあ?
見ると大体が若い女性だから許すか。いろいろな音色、シブイ低音のオジさんのも混じり、ひっきりなし、ンッ、ンッ、ツッツ、ヅルー...なんとなくススルリズムも調和しハモッてきた!?
ときおり遠くのほうから、ゴッホ、コホッ、エッフォ...咳までも。
これでは、どうもコン声4部合唱。
ヘッドホンからもれた、ズン、チ、チ、チ、チャカ、チャカ、チャカ、ズン、伴奏つき。

ハクちゃん、ハナたれ小僧。慢性鼻炎気味、普段も少しハナをかんでやります。
この日は、ホンモノ合唱のママのマスクを欲しがったので...
皆さん、風邪と鼻炎には気をつけてね~
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