Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

ハリスおばさんパリへ行く / ポール・ギャリコ

2014-02-23 16:41:55 | 音楽・芸術・文学
ハリスおばさんパリへ行く (fukkan.com)
クリエーター情報なし
ブッキング

 

原題は「FLOWERS FOR MRS.HARRIS」。だけど、インパクトとしては、ナマな感じで日本語訳の方がリアリティがあるな。では、そのハリスおばさんは、いったいぜんたい、なんでパリへなど行ったのかしら。そこで、みたものは、出会ったことは・・・?おしまいはどんなふうに?ハラハラさせられ通しとなるが、温かい人柄が偲ばれるギャラコのお話の進めた方は、なんともすばらしいね。本屋には手に取る気にさえならないのがあふれているが、これは復刻版。いいことだ。それでもすぐ手放す輩がいるのでこっちの手に入るわけで、せっかくだからもっと陽にあててあげてほんとうに復活させたいな。

コックニーというのか、おばさんのお喋りは。だけど、見知らぬ世界、パリの上流社会にとつぜん迷い込んでも、じんせいと自分には自信をもって堂々と。心の底は暖かく、くじけそうになってもいつも陽気に・・・この本の翻訳にえいきょうされて、みょうなところが、ひらがなになってしまった!まあ、いいか。いいおはなしだ。ポセイドンなんかよりもずっと、こちらのほうが、拍手が起きてFINE出るような暖かいいい映画になるだろうに。おばさんは、この何年かあと、ニューヨークにも行ったんだって!お掃除あんなにテキパキやるんでは、カーリングのイギリス代表選手だったのだろか?・・・

おお、おばさん乗ったのBAじゃないか、そのむかしリコンファームしとけなんて言われてドイツの田舎からロンドンに電話して冷や汗、えらいひとがおやまかこやまかわかんなくなったから!でも安心できるヒコーキ会社だな。ムスメもこれで一週間の弾丸旅行とか。

>>>> 「ハリスおばさんパリへ行く ポールギャリコ/ 亀山龍樹訳 fukkan.com ブッキング」より引用

りんごのような赤いほっぺたに、しらがのまじったかみ、いたずらっぽい、いきいきとした小さな目の、こがらなおばさんが、BEA航空のロンドン・パリ間の朝の旅客機に乗りこみ、客室のまどにおでこをぴったりおしつけた。
 ほどなく、この金属製の鳥は、爆音をとどろかせて滑走路をうきあがり、まだくるくるまわっている車輪を胴体に引き入れはじめた。それとともにおばさんの意気も、空高くまいあがったのだった。
 おばさんは、おちつかないでいるものの、おじけついてもいまかった。やっと冒険の旅路につけた。ゆくてには、長いあいだあこがれていたものが待っている。いまこそ、めでたい門出である。おばさんの心はときめいていた。
 
 おばさんは、いくぶんくたびれた。かば色[赤い色をおびた黄色]のあや織りのトップコートにちんまりとくるまり、清潔なうす茶のもめんの手ぶくろをはめて、すりきれたいんちき皮の茶色のハンドバッグをしっかりとだきしめていた。その中には、一ポンド紙幣が十まいーーイギリスから持ち出せる最大の金額ーーと、ロンドン・パリ間の往復切符が一まい、それから五ドル・十ドル・二十ドルのアメリカ紙幣のぶあついたばをゴムバンドでとめたのが、千四百ドルもはいっていた。
 まあ、いまのところ、おばさんのかぶっているみどり色のむぎわら帽だけが、日ごろの。はつらつとしたおばさんににていた。ぼうしのまえのところにくっついている、とっぴょうしもないばらの花が。機体をかたむけて旋回上昇させる、パイロットの手に調子を合わせるかのように、しなやかな茎の先で、あっちへぶらぶら、こっちへぶらぶらゆれていた。

 時間ぎめで、そうじとかたずけものをしにやってくる「おてつだいさん」の、いっぷうかわったサービスをしてもらったことのある、気のきいたロンドンのおくさんならーーいや、イギリス人なら口をそろえてーーすぐに、
「あのぼうしをかぶっている人は、ロンドンのおてつだいさんにきまっていますよ。」
というだろう。まさにそのとおりだった。
 乗客名簿によると、このおばさんはアダ・ハリスーーおばさん自身はロンドンの下町なまりで、いつも、アリスと発音している。住所はロンドンのバタシー区ウィリスガーデンズ五番地。たしかにおてつだいさんで、未亡人だった。
 ハリスおばさんは、ロンドンのおやしき街のイートンスクエアやベルグラビアのお得意さんをまわって、時間ぎめでせっせとはたらいてきた。
 大地からまいあがったこの目のくらむいっしゅんにたどりつくまでのハリスおばさんは、えんえんとうちつづくほねおりを毎日毎日つとめた。いきぬきは、たまに映画をみたり、夜、音楽会へいくのがせいいっぱいだった。

 もう六十ちかうにもなったハリスおばさんが、日ごろ活躍している仕事場は、ごったがえしと、よごれ水と、ちらかしほうだいの世界だった。一日のうちに、六つ七つもあずかっているかぎで、住宅やアパートのドアをあけて、流しにごっそりつみあげてある、よごれた、べとべとするさらやなべ、ごみため、起きっぱなしのしわくちゃのベッド、ぬぎすてたままの衣類などに、いさましくけなげに立ちむかうのである。

 ・・・

 ハリスおばさんは、このような、ひっくりかえった家の中をかたづける。この仕事は、おばさんの身も心もはりきらせ、また生活のかてにもなっていた。これはおばさんが神さまからいただいたお仕事だった。ただ、よごれた場所を清潔にするだけではなかった。ほかのおてつだいさんもそうだが、とくにハリスおばさんは、じぶんのかたづけた家を、いつもほこらしく思った。それに、これはものをつくりだすににたりっぱな仕事だし、むねをはってまんぞくをあじわうことができた。
 ハリスおばさんは、ぶた小屋めいたへやにはいっていって、きれいにせいとんし、ぴかぴかの清潔なへやにかえて去っていく。あくる日やってきて、またまたへやがぶた小屋のようになっていても、おばさんは、これっぽっちもいやな顔はしなかった。一時間三シリングのお礼をもらって、へやをきれいにする。
 このおてつだいの仕事を生きがいにも天職にもしている。小がらなハリスおばさんが、いま、パリゆきの大旅客機の三十人の乗客にまじっているのだった。・・・

・・・

<<<<

今日のお顔、ぼくのお腹の上の、たすけ君はチャーチルみたいな、ではハクちゃんはサッチャー風?チャーチルがご主人だった頃のダウニング街10番地にはネコがぞろぞろ十匹ぐらいいたらしいよ、戦時執務室にも自由に出入りできるネルソン君というのもいて・・・

毎日が猫の日なので、昨日2/22は猫ちゃんの日だったなんて、いろいろあって失念、すまぬ。まあ、これはお礼にギャリコに捧げるのよ。

  


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雪のひとひら / ポール・ギャリコ

2014-02-22 22:31:24 | 音楽・芸術・文学
雪のひとひら (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

 近年には珍しいほど雪が降って庭はいまだに雪の山。冬季五輪のソチはそんなにも雪だらけにはみえないなあ。スノボ/パラレルの竹内さんの大回転の写真の一枚がすばらしい。両手をバランスしての突っ込み、ダイナミックなターンの一瞬。雪か、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」、雪の一生、それとも女の一生・・・訳者の矢川澄子さんのあとがきもすばらしいので、わすれないようにしておこう。こんなことをしていたら、ぼくの生まれた頃の父のことも知ってくれていた、妻のほう今野のおじさんの訃報がはいってきた。元茶畑も会社も大先輩お世話になった、二月という月はなんともいかんな。午前中は淵ちゃん先生に診てもらったが、どう調子は?まあまあ、ということにした。う~ん、H−A1C悪くなったね、ずっと風邪ぬけなくって・・(まあ2ヶ月前の測定だから、まあ、いいか、食べ過ぎ?メランコリー?)、コマとどっか暖かいとこに行ったの?あれもダイエットさせないと、アハハ、この前カガはいいなあ、おくさまが・・・って言ってたよ・・・

<<<< 「雪のひとひら ポール・ギャリコ/矢川澄子訳 新潮文庫」より引用 ・・・・・・:中略

 雪のひとひらは、ある寒い冬の日、地上を何マイルも離れたはるかな空の高みで生まれました。
 灰色の雲が、凍てつくような風に追われて陸地の上を流れていきました。その雲の只中で、このむすめのいのちは芽生えたのでした。
 すべては立てつづけに起ったことでした。はじめはただ、もくもくとしたその雲が、山々の頂をただようているばかりでした。それから雪がふりはじめました。そして、つい一秒まえまでは何物もなかったところを、いま、雪のひとひらとその大勢の兄弟姉妹たちが空からおちつつある、ということになったのです。
 まあ、おちる、おちる、おちる!ゆりかごにでものったように、やさしく風にゆられ、右ヘ左へ、ひらひらと羽のようにふきながされながら、雪のひとひらは、いつのまにか、いままでついぞ見も知らぬ世界にうかびでていました。

 じぶんはいったいいつ生まれたのか、またどのようにして生まれたのか、雪のひとひらには見当もつきませんでした。あたかも、ふかい眠りからさめたときの感じにそっくりでした。ついいましがたまでどこにも存在しなかったこの身、それがいま、こうしてくるくる、するする、すいすい、ずんずん、ひたすら下へ下へとくだってゆくところなのです・・・・
 雪のひとひらはひとりごちしました。「わたしって、いまはここにいる。けれどいったい、もとはどこにいたのだろう。そして、どんなすがたをしていたのだろう。どこからきて、どこへ行くつもりなのだろう。このわたしと、あたりいちめんのおびただしい兄弟姉妹たちをつくったのは、はたして何者だろう。そしてまた、なぜそんなことをしたのだろう?」
 問いかけてもこたえはありませんでした。空では、風がふいても音はしませんし、空そのものが静かなところなのです。地上でさえ、雪がふりはじめるときは、しんとしています。
 あたりを見まわすと、目のとどくかぎりはいちめんに、幾百幾千ともしれぬ雪たちが、おなじようにして舞いおりてゆくところでした。この雪たちもやはり、だまったままでした。
・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

いかなる理由あって、この身は生まれ、地上に送られ、よろこびかつ悲しみ、ある時は幸いを、ある時は憂いを味わったりしたのか。最後にはこうして涯しないわだつみの水面から太陽のもとへと引き上げられて、無に帰すべきものを?
 まことに、神秘のほどはいままでにもまして測り知られず、空しさも大きく思われるのでした。そうです、こうして死すべくして生まれ、無に還るべくして長らえるにすぎないとすれば、感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?

 そのひとは何者か。この身に起ったことどもを、あらかじめそのように起るべく計らったそのひとは?何ゆえにそのように仕組んだのか。この身を唯一無ニのかがやかしい結晶体に仕上げ、空からふうわりと送り出したのは、ただにそのひとの気紛れにすぎなかったのか。それとも、こうしたことすべての裏には、彼女には測り知れない何らかの目的がひそんでいるとでもいうのか?
 そのひとは、結局のところ、雪のひとひらのことをわすれてしまったのか?ひとたびはそのひとの愛をうけた雪のひとひらでした。記憶はたしかでした。あのように、あらゆる災いからたしかに守られているという、ほのぼのと、こころよく、やさしくもなつかしい感じがあったのでした。とはいえ、そのひとは、たちまち彼女に飽いて突放し、おのれの創造になるこの神秘な世界をあてどもなくさまよわせ、さまざまな憂目に会わせたのではなかったか。
 
 海はいまや眼下に遠ざかりました。白熱の太陽は彼女をしっかりととらえていました。いまでは雪のひとひらのすがたかたちも、長年馴染んできた愛らしい透明なしずくではなくなり、しなび、干上りつつありました。まもなく中空に一抹の蒸気がふわりとただようのみで、すべてが消滅することでしょう。
 頭上はるかな高みには、ふわふわした白雲がひとつ浮かんでいました。あれがわたしの行きつくところなのか?雪のひとひらは、自分のいのちのふるさとが雲の中であったことを思い出しました。

 とはいえ、臨終のこのときにあたり、雪のひとひらの思い起こしたことは、それだけにはとどまりませんでした。
 かすみかけた彼女の目のまえに、いましもその全生涯のできごとがくりひろげられたのです。
 まず、雪のひとひらは山の辺にふりつもり、赤い帽子と手袋をした小さな女の子が彼女を橇でひいて通りすぎたのでした。
 それから、村の校長先生そっくりの雪だるまの鼻にされ、通りがかりの人々がその雪だるまを見ては、わらって、憂さ晴らしをしてくれました。
 それから、春がきて、丘をころがりおりて、森蔭のすみれの眠りを目ざめさせました。
 それから、水車めぐりにまきこまれ、粉挽の臼をまわして小麦を粉にし、一人の女に子供や夫のためのパンを焼けるようにもしてやりました。
 それから、なつかしいやさしい一しずくの雨と交わり、彼を愛し、彼とともに湖に入り、生涯の至福の日々をそこですごしました。

・・・・
 鼓動はすこしずつ、すこしずつ弱まってきました。まもなく雪のひとひらは雪のひとひらであることをやめ、宏大な無言の天空の一部、おぼろげにかすむ秋の雲のひとかけにすぎなくなるはずでした。
 けれどもこの終焉のきわに、彼女はいま一度、はるかな昔にはじめて空から舞い降りてきたときに感じとったこととおなじ、あのほのぼのとした、やわらかい、すべてを包み込むようなやさしいものが身のまわりにたちこめるのを感じました。
 それは彼女を甘やかな夢にいざない、おそれを鎮め、全身全霊をよろこびでみたしました。

 こうしてようやくわかりました。そうです、何者が雪のひとひらをつくり、雪のひとひらを見守り、大小を問わずあらゆるものとおなじに始終雪のひとひらをもいつくしみつづけてくれたのか、その究極の神秘は、ついに彼女には解き明かされぬままに終わるのでした。この期に及んではわざわざ知るまでもありませんでした。なぜなら、誰のしわざにせよ何者のゆえにせよ、まもなく雪のひとひら自身がその何者かの一部に帰するさだめであったのです。
 大陽が彼女を頭上の雲の中心にひきずりこむ間際、雪のひとひらの耳にさいごにのこったものは、さながらあたりの天と空いちめんに玲瓏とひびきわたる、なつかしくもやさしいことばでした。ーー 「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」
(了)
>>>

<<<(愛のまなざしのもとにーあとがきに代えてー 矢川澄子(訳者)」より
・・・
美しさといえば、全篇のここかしこにちりばめられた自然描写、情景描写のことごとくが生き生きとした美しさにみちあふれ、主人公雪のひとひらのこころを揺りうごかすとともに、読者であるわたしたちをも深い感動にさそいます。人生最初のあけぼのの壮大なパノラマ、岩走る春のせせらぎの気も狂うばかりのよろこび、湖畔にたわむれる子供たちのはしゃぎ声、その鳶色の脛・・・
 とはいえ、作者ギャリコがこの一篇でえがきだそうとしたものは、はたしてそのような美ばかりだったのでしょうか。美の問題にかこつけて、いまひとつだけいわずもがなの私見をつけ加えさせていただくとすれば、この小説の主題はやはり愛のこと、もしくは美と愛との一致するところにあり、その答えは最後の数行に尽くされていると思うのです。
  臨終の雪にひとひらの耳に、なつかしくもやさしいことばがきこえてきます。 ーー 「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」
 これです。これこそはおそらくこの世でもっとも甘美なささやきではありますまいか。
 ことばそのものは、ごくありふれた、あたりまえの挨拶にすぎないかもしれません。暗い夜道を一人とぼとぼと歩いてきたわが子を迎え入れる父母のことば、戦いに疲れ傷ついて戻った夫をまちうける妻のことばとおなじ、いたわりとねぎらいのことばですが、しかしこれはもちろんことばの上だけにとどまる問題ではありません。原文を知りたいかたのために書き記せば、“Well done, Little Snowflake. Come home to me now," ですが、この Well done が心からいわれるためには、相手のなしてきたことにたいする理解、その辛さ、さびしさ、苦しさを読みとるだけのまなざしが当然なくてはなりますまい。
 苦労ばかりではありません。よろこびもかなしみも、時には人知れず犯した罪でさえも、誰かに打明けてわかってもらったというそのことによってはるかに心救われたためしも数々あるでしょう。逆からいえば、このWell done の一声をどこかに期待できるかぎり、なかなか絶望などということはありえないのでしょう。
・・・>>>

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スノーグース / ポール ギャリコ

2014-02-15 17:56:31 | 音楽・芸術・文学
スノーグース スノーグース
作:ポール・ギャリコ / 絵:アンジェラ・バレット / 訳:片岡 しのぶ出版社:あすなろ書房絵本ナビ

 

ポール・ギャリコの初期の名作「スノーグース」を読む。2007年にアンジェラ・バレットが描いて見事なハードカバーの絵本になった、絵描きはいいなあ、短篇だが埋もれさせてはならない文学作品を復活させてくれた。物語のあらすじなど捜せばすぐわかったような気にはなれるし、表記のサイトでは絵まで少し立読みできる。だけど、こういう本は手もとにおくべきだ。副題は、ダンケルクの物語なのか・・・

チャーチルの回顧録を読んでいたころ連合軍のイタリア奪回までいったが、数万円するはずの稀少本にコーヒーがかぶるという大事故以来数年も放置状態である。フランス・ダンケルクからの英本土への「大部隊の海峡横断による緊急撤退」は、ロンメルも先頭にいたドイツ機甲師団怒濤の進撃の前に唯一の選択肢だったようだ。「This was their finest hour」

>>>「第二次世界大戦(上・下)W・S・チャーチル著/佐藤亮一訳 河出書房新社」より引用
「・・・ われわれは(1940年)5月24日午前11時42分、ダンケルク戦線への攻撃を一時中止せよというドイツ軍の明文電報を傍受した。...28日早朝、ベルギー軍が降伏した。...5月31日と6月1日はダンケルクの最後ではないが絶頂であった。この2日間に13万2千名の兵士が無事にイギリスに上陸したがそのうち三分の一近くは猛烈な空襲と砲撃の中を小舟艇で海岸から引き上げた。...6月4日フランス兵2万6165人がイギリスに上陸した。...6月4日午後2時23分海軍省はフランスの同意を得て「ダイナモ作戦」の完了を発表した。イギリスに上陸したイギリスおよび連合国軍兵士は、33万8千人余りに達した。」
<<<

この短篇「スノーグース」が書かれたのは、その翌年1941年7月。新聞記者もやったギャリコだから、短篇の下敷きになったことが本当にあったのだろうなあ・・・身体のハンディキャップを持つ画家ラヤダーは他人に背を向けて生きて居たが、鳥たちや傷ついた白雁を持ち込んだ少女に心をひらいてゆく。白雁も少女も毎年訪ねて来てくれるようになってきたが、そのころあの戦争は起った。ダンケルクに足止めされた同胞を救いに小さなヨットで出かけ、浜辺から沖の輸送船に大変な數の兵士たちを運ぶ、そして・・・

スノーグース・白雁のような渡り鳥さえ命の恩人のこと、愛してくれたひとのことは、ずっと決して忘れない。動物学者ローレンツ博士の本『ソロモンの指環』にも高々度の空からでも飼い主目がけて一直線に舞い降りる鳥の話があった。出会いから十年、少女は乙女になり・・・男の残したものは、傷ついた白雁を抱いた少女の絵が一枚・・・チャーチルからみれば何十万人、少女と白雁にとってはたったひとりのかけがえのないひと・・・

鳥は自然の中で自由だが、うちの猫は不自由か?二匹とも炬燵でぬくぬくだから、そうも思えない。この大雪の中げんちゃんの犬小屋に忍び寄ろうとしていた三毛猫よりはずっといいじゃないか。かわいそうだから豚肉やドックフードおすそわけしてやったが、いけないことだ、こまったなあ、どこのねこだろう、純野良にしては丸々しすぎているし...さて、こっちとら、そうもヌクヌクしていられず町内会やテレビ組合で土曜日夜は毎週何時間かとられるし今日もいまから。雪もまた降って来てせっかくの雪かきは殆ど徒労に、もういい・・・

 

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トマシーナ ー ポール・ギャリコ

2014-02-13 22:07:24 | ねこちゃん
トマシーナ (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社

 

ジェニィさんのあとは、あたしトマシーナのところに寄ってくれたってわけね。ジェニィがその後どうなったかは、ヒ・ミ・ツだけど、しあわせな結末だったはずよ。はっぴいえんどというバンドがあったわね、カァゼーを~を、あつめてぇ~、でも大瀧さんもどっかへ行ってしまったのね、二月はあんまりいい月じゃないんでしょ、のり坊くん。きょうなんか、おとうさまの命日じゃない、おせんこぐらいあげたの?もういいや、じゃないってば。なごんちゃんに叱られてつまんないのも、いいかげんにしないと・・・あたし、トマシーナの物語いっきによんで、どうだった?

そう!、そうなの、おしまいには、すばらしいひとに変わって行くじゃない、文字だけ読んでも映画観たような気になったでしょ、スコットランド西部、海と森と渓谷とそこで暮らす高地人たち、音楽や、小鳥のさえずりや、ひとたちやけものたちの大騒ぎの声まで聞こえて来て、街で生まれたあたしだけど、I was born in the city ・・・自然と田園はほんとに豊かなものよ。それよりなにより、トマシーナのこのものがたりは、生きとし生けるものの「たましい」のお話なの、これはこころの救済のものがたりなのね・・・Redemption song・・・

あたしが、はじめのほうでした自己紹介みれば、おもな登場人物と登場動物(!)もわかるでしょ、三人組のお友達少年もいたわね、それと肝心な魔女っ子おねえさん。このお話、時は西暦1957年だから、ジェニィからは猫でいうと二世代ぐらい下なの。でもあたしは、時空を超えて、じつは紀元前1957年のエジプト第十二王朝、ブバスティスの猫の女神だったかもしれないことよ・・・スコットランドはテリアたちの生まれ故郷、日本の柴いぬゲンちゃんもこのあいだ雪の中で遊んでたでしょ・・・犬たちって救いがたいほど、能天気なのね・・・ま、それは、どうでもいいわ・・・

>>>>「トマシーナ ポール・ギャリコ/山田蘭訳 創元推理文庫」より引用

 あたしもまた大叔母(ジェニィ)のように、めったにない冒険を経験したの。少なくともあたしの身に起きたのは、このうえなく興味ぶかい不可思議な出来事だったといっていいわね。
これ以上もったいぶるつもりはありません。これは、殺害にまつわる物語なの。
ただ、そこらで読まれている殺しについての本とちがうのはーー 殺されたのが、このあたしだということ。

 そもそも、あたしにこのトマシーナという名がつけられたいきさつも、滑稽ながら許せない勘違いが原因でした。これは、あたしたちが幼いころに雌雄を見分けようとする人間が、あまりにも多く犯しがちな誤りね。グラスゴーに住んでいたマクデューイ家の娘、当時三歳だったメアリ・ルーのもとにもらわれてきたあたしは、最初はトーマスと名づけられたの。やがて、それがまちがいだったことがわかると、家政婦のマッケンジー夫人がさっさとトマシーナと女性形にしてしまいました。あたしが気に入るかどうかなんておかまいなし、おうかがいなんて立ててくれるはずもなく。
 幼いあたしたちの雌雄を見分けるのがどうしてあんなに下手なのか、人間って本当に困ったものね。いいかげんな当てずっぽうはやめて、ちゃんと見ればすむことなのに、ちょっとした手間を省きたがるからそういうことになるの。牡だったらその部分が離れているし、牝だったらぴったりくっついている、それだけのこと。どんなに身体が小さくたって、理屈は同じです。

 獣医のアンドリュー・マクデューイ先生なら、まちがいなく一目で見分けられたはず。でも、あの人は動物のお医者さんとしてはとんでもない変わりもので、愛情も、感傷も、関心も、動物に対しては抱いていないんです。あたしがこの家に来た日からずっと、まともに目を向けてもらったことはなかったけれど、こっちも全然気にしていません。無関心なのはお互いさま、ってことね。

 そのころ住んでいたのは、やはり獣医だった父親からマクデューイ先生に遺された、ダニア・ストリートのだだっ広くて陰気な家でした。一階と二階は事務室や診察室、入院室などがあり、あたしと家族 ーー先生と奥さん、メアリ・ルーは三階と四階に住んでたの。ここの家族は、三人とも赤毛でね。あたしもそうだけど、もうちょっと黄色がかっていて、胸のところに白いぶちがあるんです。でも、誰が見てもすてきなのは、四本の足先と尻尾の先が、おそろいで白くなっているところかしら。見た目や物腰を誉められるのにも、もう慣れっこになってしまったけれど。

 そのときはまだ、生まれて半年しか経っていなかったけれど、メアリ・ルーのお母さんだったアンのことは、いまでもよく覚えています。炉辺の銅鍋のような色の髪をした、美しい女性だったわ。とても明るくて、家の中ではいつも歌をうたっていたから、たとえ雨が降っているときだって、あの家にいてもそれほど暗く陰鬱には感じられなかったの。ひっきりなしにメアリ・ルーを抱っこしてはさんざん甘やかし、内証話ごっこをしてるところは、まるで愛を語り合っているみたいに見えたわね。あの先生がいてさえ、けっして不幸せな一家なんかじゃありませんでした。でも、それも長くは続かなかった。あたしが家にやってきてまもなく、アンは入院していたオウムの病気に感染し、亡くなってしまったから。

 言わせてもらえば、あれはあたしにとってもずいぶんつらい時期ではありました。マッケンジー夫人がいなかったら、あたしはどうなっていたことか。マクデューイ先生はなかば正気を失っているとみんな噂していたけれど、それもまんざら大げさには聞こえなかったくらい。ひどく荒れて周囲に当たりちらしていたうえ、これまで妻に抱いていた愛情を、そのまま娘に振向けたものだから、メアリ・ルーはすくみあがってしまっていたし、それはあたしも同じこと。家に寄りつかず、入院している動物の様子さえ見にいこうとしなくなって何日も経ち、やがてどうしようもなくひどい状況に陥りかけたころ、故郷から先生の旧友が訪ねてきたの。それが、ペディ牧師だったのね。それをきっかけに、いくらかましな状態になってまもなく、大きな変化がありました。

 ペディ牧師とマクデューイ先生は、ふたりがエディンバラ大学に入学する以前からの友だちらしくてーーーあたしの一族とも何匹か顔見知りかもねーー自分の住んでいる町で獣医の診療所が売りに出ているから越してこないかと、牧師は先生を誘いに来たの。
 そんなわけで、マクデューイ先生はグラスゴーの診療所を売り、生まれ育ったダニア・ストリートの家を後にして、アーガイルシャーにあるファイン湾の西岸、ここインヴァレノックの町に移ってきたんです。あたしの身に悲劇が起きたのも、ここでの話。

 そのころメアリ・ルーは六歳、もうじき七歳になろうとしていました。あたしたちが住んでいたのは、アーガイル・レーンの突きあたりから二軒目の家。お隣に住む先生の友人、アンガス・ペディ牧師は、ファンという名のいやらしいパグ犬を飼っていました。ああ、ぞっとする!
 うちは、実際には棟続きの二軒家でした。白塗りの壁に石板葺きの屋根、二階建ての細長い造りで、それぞれの端に立つ背の高い煙突には、たいていカモメがとまっているの。片方にはあたしたちが住み、もう片方はマクデューイ先生の仕事場として、事務室、待合室、診察室、入院室が置かれていました。でも、もちろん診療所のほうには、あたしたちは行ったことはないけれど、けっして来てはいけないと、メアリ・ルーは固く言いつけられていたから。グラスゴーであんなことがあった以上、家族の住む場所に二度と病気の動物を入れまいと、マクデューイ氏は心に誓ってたのね。

 あたし自身ふりかってみて、グラスゴーに比べると、インヴァレノックのほうがはるかに暮らしやすいところだと思います。ファイン湾は、グリーノックの脇を通ってケアンドウにいたるまで、海がぐっと内陸に食いこんだ入江だから、飛びまわるカモメを眺めることも、潮の香りを楽しむことも、浜辺を駆けまわって魚や奇妙な鳥たちを追いかけまわすこともできるのよ。その後ろには暗く恐ろしげな森や渓谷、岩山が広がっていて、狩りをするのにぴったり。グラスゴーでは一度も外に出してもらったことがなかったけれど、ここでは好きなように駆けまわってかまわないの。あたしもたちまち、根っからの高地っ子(ハイランダー)になってしまいました。自分以外のすべてを高みから見下す、それが高地っ子というものなのよ。

 ペット連れの観光客も多いから、マクデューイ先生にとって、夏はいちばん忙しい季節でした。もちろん、たいていは犬だけれど、猫や小鳥のこともあるし、サルが連れて来られたことも一度あったかしら。せっかく休暇にいっしょに来ても、気候が合わなかったり、森の中で何かに噛まれたり刺されたり、たいして強くもないくせに、愚かしくもあたしたち高地っ子に喧嘩をふっかけたり、そんなことがあるたびに、飼い主たちはそのペットを先生のところへ連れてくるの。先生はペットが大嫌いだし、獣医という職業にもうんざりしていたから、こういうことにはほとほと嫌気がさしていたみたい。診療所でそんなペットたちの相手をするよりは、町を出て農場主や小作人とすごすほうが楽しそうでした。

・・・
 メアリ・ルーが飛びぬけて器量よしじゃないなんて言ったのは、よく考えたら礼儀に外れていたかもしれないわね。だってあの娘はあたしのことを、世界で一番器量よしの猫だと思っていてくれたのに。でも普通とはちょっとちがう角度から考えるなら、あの娘もやっぱり飛びぬけて器量よしだったかもしれません。メアリ・ルーはどこにでもいそうな女の子だったけれど、その瞳をのぞきこんでみさえすれば、何か飛びぬけてすばらしいものがこの娘のなかに隠れている、この娘を包んでいるのだということが、あたしにはたしかに伝わってきたから。じっとのぞきこんでいようと思っても、つい目をそらしてしまうような瞳なのよ。まばゆい、このうえなく鮮やかな青でありながら、あの娘が何かあたしに理解できないこと、想像さえつかないことを考えているときには、荒れた日のファイン湾のような暗い色に変わるの。

それを除けば、外見についてはとりたてて何も書くことはありません。つんと上を向いた鼻に、そばかすの散った顔、いつもぎゅっと突き出している下唇、眉とまつげは薄くて、ほとんど見えないくらい。茶色がかった赤い髪は、緑か青のリボンで結び、二本のおさげにしてあります。脚はひょろっと長くて、いつもお腹を突き出しているの。
そうそう、メアリ・ルーのすてきなところといえば、もうひとつ、あのいい匂いがあったわね。マッケンジー夫人がたえず洗濯とアイロンがけに精を出し、あの娘の服や下着の引出しにラヴェンダーの匂い袋を入れていたおかげで、メアリ・ルーからはいつもラヴェンダーの香りがしていたんです。
・・・

>>>>

 

(ほとんど関係ない情景だけど・・・)

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ジェニィ ー ポール・ギャリコ 

2014-02-09 23:27:34 | ねこちゃん

 

ジェニィ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

ポール・ギャリコ『猫語の教科書』のあとは、『ジェニィ』を読んでいた。この小説は、うーん、すばらしい☆☆☆☆☆ 書かれたのは1950年というから、ちょうどぼくの生まれた年だ。もっとはやく読んでいればよかったが、まあ、生きてる間に気づいてよかった。ギャリコ自身も猫がらみの小説のなかで一番のお気に入りだったという。

ジェニィはどこにいってしまったの、最後はどうなってしまうの・・・わからない。アラスジを書く程ヤボなこともないから、ここはジェニィちゃんから、猫の、あの「モミモミ」しぐさについて、猫になってしまったピータ君とともに、教えてもらおう。
 
>>>>『ジェニィ』ポール・ギャリコ/古沢安二郎訳 新潮文庫 より引用
・・・

またあるときピーターは尋ねるのであったーー「ジェニィ、なぜ君は自分が気にいったときとか、楽しい時とか、気が落ちついたときとかに、爪をあんなふうに出したり、引っ込めたりするの?前にもいつか家にいたとき、つまりぼくたちがあの倉庫で暮らしていたとき、君がまるで寝床でもこさえているように、しきりに手を挙げたり、下げたりしているのに気がついたことがあるんだが。ぼくはそんなことはしないね。もっとも、楽しいときはのどを鳴らすけれど・・・」
 ピーターが質問したとき、ジェニィは昇降口のキャンバスのカバーの上に横向きに寝ていたが、やおら顔を上げ、ピータに実に優しい視線を投げてから返事したーー「わかるわ、ピーター。そのこともまた、たとえ姿かたちが猫のようでも、あんたは本当は人間であり、おそらくいつまでもそうだろうと、ということをあたしに教えてくれることの一つなの。でもたぶんあんたにその説明はしてあげられると思うわ。ねえ、ピーター、あたしに何か優しいことを言ってよ」
 そう言われてピーターに考えつくことのできたのは、こういうことばしかなかったーー「おお、ジェニィ、ぼく何から何まで、すっかり猫になれたらいいのに、と思うよーーそうすればもっと君に似てくるかもしらんから・・・」

 ジェニィの顔にいつの間にか、世にも幸福そうな微笑がひろがった。そしてのどをごろごろ鳴らしながら、彼女の白い手は動き出し、まるでパン粉でもこねているように、爪が出たり、はいったりした。
「わかったでしょう?」とジェニィは言う、「楽しいと思うことに関係があるのよ。その原因はあたしたちが子猫で、母猫に乳を飲まされていたころにさかのぼるの。あたしたちははじめのうち、目さえ見えず、ただ触るだけなの。だってはじめて生まれたとき、あたしたちは盲で、目の開くのは数週間経ってからなんですもの。でもあたしたちは触りながら母親の胸に近づき、乳を捜すために、自分たちの体を母親のやわらかい、優しい匂いのする毛の中に埋めてしまうの。そうしているとき、あたしたちは手をそっと上下に動かして、ほしくてたまらない乳がたっぷり出るように手伝うの。たっぷり出ると、あたしたちはのどの奥で、乳が暖かく申し分ないことを感じるの。乳はあたしたちの餓えも渇きもとめてくれるし、あたしたちの心配も欲求もなだめてくれるの。ねえ、ピーター、あたしたちはその瞬間、何とも言えないほど嬉しくて満足なの。とても安心だし、穏やかな気持ちにはなるし、それに・・・そうだわ、まったく仕合せなの。あたしたちは母親といっしょのその瞬間を、決して忘れないの。その気持ちが、それからの先の生涯のあいだ、心に残っているのよ。そしてあとで、大人になってからも長いあいだ、何かのことであたしたちがとても仕合せな気持ちになると、幼いころの、はじめて本当に仕合せだったころを思い出して、あたしたちの手も、足も、爪も、自然にそのころとおなじように、出たりはいったりするのよ。そのことについて説明できることはそれだけ」

ピーターはその話が終わると、しばらく激しい身づくろいをする必要が、自分にあることに気づいた。それがすむと、ジェニィの横たわっているそばに近寄って、彼女の顔の身づくろいをしてやり、やわらかいあごの下と、鼻口部の横に沿ったあたりを、五、六度愛撫してやった。そのことがことばよりもっと多くのことを伝えたはずである。ジェニィは優しくのどをならした。そして彼女の爪はいつもよりせわしなく、出たりはいったりしながら、昇降口のキャンバスのカバーをこねくり回していた。

<<<

ウチの猫。たすけちゃんは、やわらかい毛布などのうえではよく「もみもみ」をしている。玄関前でミャーミャー鳴いていた迷子としてぼくが拾ったのは3ヶ月ぐらいのわんぱく盛りだったから、それまでに十分母親に甘えて育ったのだろう。凛とした性格で抱っこなど嫌いであったが歳とともに膝の上もお気に入りになってきた。かたやハクちゃんは全くモミモミ仕草はしない。交通事故にあい命を落としたノラの母親のそばで鳴いていたらしいのが生後数週間体重500グラム、甘える時間もなかったのだろう・・・きょうは、大雪のあと。車3台を掘り出す(!)のにクタクタとなり、カメラは手元狂って妙なフィルターがかかって白茶のハクちゃんは三毛猫に変身してしまった。ふだんは、女主人にベタベタしている。

 

    

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猫語の教科書

2014-02-01 23:25:13 | ねこちゃん
猫語の教科書 (ちくま文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房

 

< 猫はいいなあ、ごろごろ寝ていられて・・・>朝日新聞の「再読」ーこんなとき こんな本ー 欄に「猫語の教科書 ポール・ギャリコ 灰島かり 訳 スザンヌ・サース写真」の紹介が出ていた。「猫がいかにして愛嬌を振りまき人間を手玉に取っているのか」・・・お正月松の内の頃の記事、あらもう二月かあ。

ポール・ギャリコは、この本の編集者なのでしょうか? ではほんとうの著者はだれでしょう、だれかしら!? 友人の家の玄関前にぶあついタイプ原稿が置いてあってそれがギャリコのところに持ち込まれたという。どうも、写真家ご夫妻のレイ・ショア家にいる猫、ツィツァCicaちゃんが書いたようなのだが、真相はよくわからない。だけど奥様のスザンヌ・サースの撮った写真にしっかりとタイプライターを打っている彼女が写っているから、やはり著作者はツィツァちゃんなのだろうね!?じょうずな話し方は「声を出さないニャーオ」なんだって。ともかくまずはギャリコさんの「編集者の前書き」を拾い読みすれば、

>>>・・・原稿をパラリとながめてみたが、そこでもっと驚く羽目になった。・・・見たこともない暗号かというシロモノだったのだ。

“£YE SUK@NT MUWOQ 
Q Nab8al Dir Kottebs Dra7D abd J1/4nl4dd ca6sB7

When I wad z vety ypung kotteb 9 jad tje mosfortine ti lise mt motjer abd fymd mys4lf akone 9n tje worlf zt tje aye if s9x w44ks. ・・・ ”

・・・私は暗号に興味があり、戦時中には暗号解読にたずさわった経験もある。・・・私は今までに見たどんな型の暗号とも違っていることがわかった。文字と記号がいりまじっているものは解読に手間がかかる。・・・ところが、数ヶ月に、もう一度この暗号を手にしたとき、信じられないことがおきた。最初の文章がすらすら読めたのだ。
・・・タイプライターの一つの文字のまわりを、文字も記号もおかまいなしに叩いたと見える。・・・動物の前足がタイプのキーを叩いたとしたらどうだろう。そうだそれに違いない。aを打とうとしても、前足はあのまわりのqやwやsのキーにも触れてしまうため、どうしてもそのうちのどれかがプリントされてしまうのだ。・・・

題名にあるとおり素晴らしく頭の良い猫が書いたらしい。・・・解読して行った。結果はこんなぐあいだ・・・

猫語の教科書
子猫、のら猫、捨て猫たちに覚えてほしいこと
    XXX著

「まだほんの子猫のとき、母を亡くすという不幸にあって、私は生後六週間で、この世にたったひとり放り出されてしまいました。でも、そこで悲嘆にくれたわけではありません。だって私は頭もいいし、顔だって悪くはないし、気力にあふれ、自信もあったんですもの。それに母は、あの晩悲しい交通事故にあうまえに、たった数週間とはいえ、役に立つことをいろいろと教えておいてくれたのです。」

>>>この本の、「*著者(?)紹介*」より
ポール・ギャリコ Paul Galico  1889年ニューヨークに生まれる。スポーツ・ライターを経て作家へ。ストーリーテラーとして稀にみる才能を持ち、その作品はすでに古典となっているものも多い。代表作に『ポセイドン・アドベンチャー』『雪のひとひら』『ハリスおばさんパリへ行く」など。また、無類の猫好きとしても知られ、猫を主人公とした小説『ジェニィ』、『トマシーナ』は世界中の猫好きから愛されている。1976年、モナコにて没。

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ひとむかし前イグ・ノーベル賞を受賞した犬語翻訳機「バウリンガル」の二匹目のドジョウを狙った(?)「ミャウリンガル」という猫語翻訳機は、電池切れのあと埃をかぶったまま。それは余談として、この本によってとうとう猫の思惑はひととおりわかったつもりとなった。次は『ジェニィ』か、これもタイヘンな小説だなあ。猫好きだった少年ピーター君は、交通事故にあい目覚めれば白い猫に変身してしまっていた!どころか、ノラちゃんになってしまう。すんでのところでやさしい雌猫ジェニーに助けられ・・・猫になってのはじめての食事はネズミ・・・ジェニーから猫としての生き方を学び、そして・・・という物語。ついでに『トマシーナ』『スノーグース』『シャボン玉ピストル大騒動』まで手に入れたがまだツンドク。

さてうちのネコたち、たすけ君の日本語の理解度と会話能力には驚くことも多々。ハクちゃんのほうはマタタビでラリっているの大好きなため分っているのかあやしい。だが境遇とすれば、ツィツァちゃんと全く同じなのだ・・・

  

 

Silent Miaow
クリエーター情報なし
Three Rivers Press
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