Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

ゴンドラの唄によせて

2006-02-09 23:54:03 | 音楽・芸術・文学

「早春賦」の大町の乙女ならいざしらず、
いまどき「恋せよ少女」などとは要らぬ心配、もうガンガンいっちゃうんだからぁ!
これももうすぐ100年前、1915年(大正4)4月。島村抱月から、ヴェネツィア民謡風な劇中歌との依頼を受けた吉井勇は、アンデルセンの「即興詩人」の章句がとっさに浮かびこの詩を書いたという。
松井須磨子は『ハムレット』のオフィーリア、『人形の家』のノラなどで抱月の劇団のスター。『カチューシャ』 『ゴンドラの唄』もヒット。大正8年、『カルメン』公演中、急逝した抱月の後を追う。

『ゴンドラの唄』
作詞 吉井 勇  作曲 中山晋平  唄 松井須磨子

1 いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
  朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
  熱き血潮の 冷えぬ間に
  明日の月日は ないものを

2 いのち短し 恋せよ少女
  いざ手をとりて 彼(か)の舟に
  いざ燃ゆる頬を 君が頬に
  ここには誰れも 来ぬものを

3 いのち短し 恋せよ少女
  波に漂う 舟の様(よ)に
  君が柔手(やわて)を 我が肩に
  ここには人目も 無いものを

4 いのち短し 恋せよ少女
  黒髪の色 褪せぬ間に
  心のほのお 消えぬ間に
  今日はふたたび 来ぬものを

さて、ロレンツォ豪華王の頃のフィレンツェ。 

ボッティチェッリ Sandro Botticelliは、貝に乗って海から出現する美の女神の顔を、シモネッタに似せて描いたという。シモネッタ Simonetta Cattaneo Vespucciとはアメリゴ・ヴェスプッチ Amerigo Vespucciの従兄弟マルコの夫人。結婚前の名はシモネッタ・カッターネオといった。1454年ジェノバの港町ポルト・ヴェーネレ Porto Venere に富商の娘として生まれた。ポルト・ヴェーネレとは「ビーナスの港」。
波間の白い泡から生まれた愛の美神ヴィーナスは、ある春の日、大きな帆立貝に乗って輝くような裸身を波の上に現わした。この美神が最初に漂着したのがポルト・ヴェーネレ Porto Venere であったという。

1475年ロレンツォ イル・マニフィコ Lorenzo de' Medici, detto Lorenzo il Magnifico の下での記念騎馬試合では、優勝した弟ジュリアーノ・デ・メディチ Giuliano de' Mediciにこの日の「美の女王」シモネッタにより冠が授けられた。ジュリアーノの想いを、貞淑なヴェスプッチ家の若妻シモネッタは受け入れようとはしなかった。美人薄命、シモネッタは22歳の若い生涯を閉じる。
ジュリアーノも2年後の1478年4月26日フィレンツェ大聖堂 Cattedrale di Santa Maria del Fioreでのミサの最中に対立していたパッツィ家の刺客の手に倒れた。25歳。

ロレンツォは15世紀イタリア文学を代表する詩人でもあった。
市民の娯楽に意を用い祝祭を盛り上げてフィレンツェの宿痾であった派閥闘争を忘れさせようとした。カーニバルのために書いた詩、「謝肉祭の歌」の冒頭歌はルネサンス文学中の絶唱。「バッカスとアリアドネの勝利の歌」Canti carnacialeschi / VII. Canzona di Baccoとして今日でも愛唱されている。

Quantè
 bella giovinezza,
che si fugge tuttavia !
Chi vuol esser lieto, sia :
di doman non c'e certezza. 

青春はうるわし
されど逃れゆく
楽しみてあれ
明日は定めなきゆえ

塩野七生さんは「わが友マキアベッリ」のなかでロレンツォに触れた箇所で、
この「バッカスの歌」を吉井勇が上田敏あたりから聞き知って「ゴンドラの唄 」にしたと想像しているが...

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どっちも好きだなあ...
「ゴンドラの唄 小林旭 」
「ゴンドラの唄 フランク永井」
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以下を参考にしました。
「春の戴冠 辻邦生 新潮社 ISBN4-10-314217-0」
「物語 イタリアの歴史2 藤沢道郎著 中公新書 ISBN4-12-101771-4」
「わが友マキアヴェッリ 塩野七生著 中央公論社ISBN4-12-001612-9」
「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」

コメント (2)
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