Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

夏の松島の写生

2012-08-20 21:05:27 | なんでもあり・ファミリー

子規に習って、松島を写生してみようと思った。が、どうも目前に見える事よりも何十年前のものが見えてしまった。

♫ まつっしぃーまぁあーのぉ さぁあーよぉっ、ずぅーういぃーがんじぃー ほぉーどーぉのっ、
てぇーえらぁわぁーなぁあいぃーとぉーえぇぇぇー ♫ あれわぁあ、え ぇぇーとっ、そぉおーりゃぁー、たぁあいりょーだぁーえぇぇぇー ♫ 
これは、しごとのセンパイMサンの十八番であったな、のんでれば、東北の民謡が必ずでる、ここまでいかないとお開きになどならない。だれかが繋ぐ。
♫ ♫ おっせやぁあ~お~せぇ、お~せぇ やれっ、にいちょろでぇ~、お~せぇ、お~せぇばあ、みいなーとーが、はあ、ちぃーかぁーくうなるう・・・
はぁ~ 三十五たぁーんの 帆をまぁーきぃーあーげてぇー ゆくわあ~、せーんーだぁーい、いぃーしーのまき、(よぉーい、よぉーい、よいとなっ)

ドンドン、みなチョーシが上がり・・・あーそれっそれっと、こっから、秋田オンドになる・・・
(きたかさっさ~~ ほいさっさー、 ほいなっー、どん!) 

 ♫あちためぇーぶづ、はぢぃもり、ハダハダ、男鹿でおがぶりこっ、(あー、それっそーれっ、)
能代春慶、檜山納豆っ、大~館曲げワッパ 、(あー、それっそーれっ、)
あきたの国だば雨っこ降っても唐傘など要らぬぅ、手頃な蕗の葉サラリと差し掛け、さっさと出て行がい~、(あー、それっそーれっ、)
あちたのおなごは、なじょして奇麗ぇだと、聞ぐだげ野暮だべさ、小野の小町の生まれ在所を、おめだぢ、知らねのがぁ?~(あー、それっそーれっ、)・・・このへんまではいいが、しかしこっからが本番・・・

♫ ♫ うぢのじっちゃと、となりのばっちゃま、この世のなごりに、いっぱつぶっぱめた(あー、それっそーれっ、)
イグのイガねの、掛げごえばっかす、そのうぢ、夜が明げだぁ~、(あー、それっそーれっ、それがら、どーした?)(どーにもなんねぇべした・・・、だれか、つぶやく)

   

瑞巌寺ねえ、半世紀振りで入ったような気がする。1歳半の妹がピンクの可愛い服を来てよちよち歩いている。父はコニカS−35で写している。あの年の夏まで一家は平安であった。遠き日の記憶映像、革ケースのカメラは今仏壇の横。きょうは牛タンカレーの腹ごなしのついでで、道なりで瑞巌寺に来てしまった。境内の樹木の下は涼しい。鰻塚から岩窟をまわり近くの食べ物屋を覗いて、修復工事しているふうの本堂へは入らず。あー暑い、あー暑い、帰ろっ、帰ろー、とリュックを背負った妻は、ドンドン行ってしまった。東京に戻るムスメについていったはずだが、34度、暑苦しいし(温度、ひと?)芸術制作の邪魔になると言われ早々に追い出されて来たようだ。先週ムスメが松島で船に乗ってきたというのを深くこころにとどめていたらしく、遊覧船に乗ろうなどと珍しい誘いを十年振りぐらいにするので、こうなったのだった。おたがい、不遇な身の上ですなあ・・・

    

ということで、たすけちゃんの膀胱検査すませて、正午直前松島桟橋へ着く。CCレモンを片手にすぐさま五大堂から島巡りの観光船に乗り込んだ。兎島と鐘島の間を通り、仁王島桂島をぐるっと回って海上17キロ、約50分。松島湾は湾口に大きな浦戸島などがあるので、去年の震災でも大津波の直撃は受けず松島の桟橋近辺は被害もほとんどなかった。穏やかな海だ。そろそろ、はぜ釣りのシーズンになる。おう、大変な数のお供のウミネコですねえ、これは。くちばしが黄色く先端に赤いワンポイント。1時間毎にこうやって遊覧船を追い掛けては、お客のくれる「かっぱえびせん」をキャッチする。取り損ねて海におちたのは、ダイビングして根性で拾う、しょっぱくないのかね?だいじょーぶだ、にゃーにゃー。となって、この頁の先頭の場面にもどる。くどいっ、それがら、どーした?、かえってきて、スイカのあとにまたまたアイス「白熊」を食べていた。(あれじゃシロクマさんになるぜ~、カノジョは。)

コメント
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