Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

柿の木

2011-11-13 20:24:34 | なんでもあり・ファミリー

 



平核無この品のいい柿が庭の奥の方に一本、玄関まえに会津みしらず、蔵のまえにイシドウとかいう柿。会津みしらず,実をつけすぎて自分の枝を折ってしまうから「身の程知らず」、のばし放題の枝で一本の木に500個ちかく実がついている。88にしておじいちゃん、さすがに下のほうだけ取ってあとは鳥にやるばかり、少し手伝おうかと行ってみた。でも200個全部持ってきてしまった。妻の実家、100年以上たつ木組み土壁、大震災後の修理も手つかず、それよりも・・・



樹の上で赤く大きくまるまると輝く渋柿、寒くなって来たいま頃がつるし時、表面がじんわりと堅い干し柿シメシメうまそうだ。色とカタチよさそうなのに限って上の方だなあ、ノコギリで枝毎落としていいと言われた(剪定がてらか?)それも厄介、こっちが下までたたき落ちるだろう。おっとまた取り損ねて地面で派手に砕け散る、まあ今年はあたり年で腐るほどなってるし。さて高所作業はほどほどに次はどれどれ、昔白州次郎氏配下の水力発電いま干し柿の専門家おじいちゃんのワザを盗んでやろう。おお、ヘタに紐を結ぶための枝をちょこっと残して皮むいて2つづつペアに紐を掛けてか、この基本ユニット(?)が出来ればあとは雨に濡れない陽のあたるところに吊るすと。ハエはタカルヨでも日光で消毒だろ・・・これはねまだ暖かかったからグチャグチャだけどな、これからはいいよ・・・

まあ、柿なんてどうでもいいんだがと、おじいちゃん・・・おばあゃんは抗ガン剤効いてはいるが副作用の湿疹、今日は明るかったので何より。お医者さんは人ごみのなかには行くなと、でも子どもがゴホゴホ咳してても母親はケータイばっか見てるのよ、病院よりよっぽど三越の方が風邪うつらないわ、そうよがまんしないで行けばいいのヨ、この人はまじめだから先生のいうことをちゃんと聞くんだ、がまんというよりあれこれ気にかかることのほんの一部なの、兄のほうもね85でC子さんの介護毎日ご飯作ってやってるのよ茄子炒め喜ぶって、ヘルパーなんてあれは商売ですからな私は要らない自分で出来るから、と思ったが少し考え直しているよ・・・

年とともに思うようにならなくなることが辛いことなのだ。支援のヘルパーもいまのところあまり気に入らない様子。世の中みな、そろそろ老老介護の頃・・・こちらもそろってガタガタ。どっちがシャキとしているかといえば実は親の世代の方なのだ。

この家の90代半ばまで生きたその上の明治生まれのじさま・ばさまは最後まで元気だった、ばさまは原町小、仙台高等女学校(白百合)の先生だから戦前のキャリウーマンどっちにの学校にしろボクの若くして死んだ母親の恩師だっただろう、今日のこの柿も迫力あった趣味人のじさまが会津から取寄せた樹とか。柿は山ほど残っているし、また行くとするか・・・

柿も見栄えするやつは得だね、これは干さないで渋抜きでいくかと、これが50個ちかく。ヘタのところに焼酎35度ほんのちょっとつけレジ袋に日付書いて10日も置けば甘い柿に変身。甘柿のやつは干し柿にはなれないから、渋の方がポテンシャルが上で楽しめるね、それよりも飢饉と災害のつづくわが日本、昔からこういう食べ物はとても大事なものだったのだ。
柿の処理も手際がだんだん良くなり、時に無心に、時にビニール紐の効用やらあれこれ行く末など考えながら延々と2×5×15連=150個も剥いて干したらもう真夜中でクタクタ、何せ干し柿作りなど初体験なのであった。途中でやめて工程!?を残すのがイヤなので、何をやっても深夜作業になるのであった。完了しました。(あとは、柿よ、ちゃんと干し柿になってくれるのだろうね、渋は抜けてくれるのだろうね!?)

 

コメント
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