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若いころ、「一生モノ」というのはブランド品を買うときの自分への言い訳でした。
ところが骨董にめざめてからは、新たに購入したりもらったりするもののほとんどが一生モノになってきました。
人間の一生というのが案外短いものであるということに、気づき始めてきたということかも知れません。
どんな物を買っても、これが自分にとって最後の財布であったり手袋だったりするかもしれないと意識します。
この玉じゃくしはまちがいなしに昭和のもの。
持ち手のあせかかったチープな花模様も懐かしい。
もういつ燃えないごみとして捨ててもいいくらいのものですが、たぶんこれも一生モノになるだろうと思います。
Francfrancや無印のおしゃれなのも持っているのですが、お鍋に入れっぱなしにしても熱くならないところや、おみそを濾すときのキレなど、これ以上のものはありません。
それに、モノは古くなると命を持つんですよね。
いらないものをどんどん処分して、残ったモノたちと残りの人生を生きていくことになるだろうと思うのです。
そんなふうに思うと、なかなかモノを買うのに慎重になったりします。
そして、どちらかといえば記憶にしか残らないようなものの方にお金を使うようになってきたかなと思います。
ところが骨董にめざめてからは、新たに購入したりもらったりするもののほとんどが一生モノになってきました。
人間の一生というのが案外短いものであるということに、気づき始めてきたということかも知れません。
どんな物を買っても、これが自分にとって最後の財布であったり手袋だったりするかもしれないと意識します。
この玉じゃくしはまちがいなしに昭和のもの。
持ち手のあせかかったチープな花模様も懐かしい。
もういつ燃えないごみとして捨ててもいいくらいのものですが、たぶんこれも一生モノになるだろうと思います。
Francfrancや無印のおしゃれなのも持っているのですが、お鍋に入れっぱなしにしても熱くならないところや、おみそを濾すときのキレなど、これ以上のものはありません。
それに、モノは古くなると命を持つんですよね。
いらないものをどんどん処分して、残ったモノたちと残りの人生を生きていくことになるだろうと思うのです。
そんなふうに思うと、なかなかモノを買うのに慎重になったりします。
そして、どちらかといえば記憶にしか残らないようなものの方にお金を使うようになってきたかなと思います。
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