ノイバラ山荘

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「マリー・ローランサンとその時代展」@ニューオータニ美術館と旧李王家邸

2012-08-07 20:37:07 | 美術

きれいなトマトをいただきました!
今朝はたっぷりのトマトサラダです。


玄関のホテイアオイが咲きました!


いつのまに蕾が?
昨日見たときには気付きませんでした。

 
すずしげなお花です。

いただいたチケットを無駄にしてはいけないです。
赤坂見附、ニューオータニ美術館にいってまいりました。

「マリー・ローランサンとその時代展」

この美術館のいいところは、
ゆっくりと絵が見られるところです。
ソファーに座り、絵に囲まれて、
とても贅沢な時間を過ごすことができます。

マリー・ローランサンは
何度も展覧会を見たことがあるので、
今回の展示の収穫は
徳永仁臣という画家を知ったことです。

徳永仁臣の作品は滞欧中の「ポンテベッキョ美術館」
「瞑想」の二枚しかありませんでしたが、
画家の技量を知るには十分です。


徳永仁臣(とくなが ひとおみ)
1871(明治4)~1936(昭和11)
明治・大正期の画家

号は柳洲。岡山県出身。
幼少より絵画を好み、1884(M17)松原三五郎の天彩画塾に入門。
1888 上京し、二世五姓田芳柳に入門。
1893 高山市上川家の次女せきと結婚。画塾審美学舎を開設。
1904 萬朝報に入社、相撲演劇部門を担当。
1911(M44)~1914(T3) 渡欧。アカデミー・ジュリアンで
           ジャン・ポール・ローランスに師事。
          帰国後は国民美術協会展、光風会展、
          文展などに出品した。風会会員。
1918(T7) 妻のせきが他界、
1923 関東大震災などで不幸が続き、
   富山市に移住。
   富山画壇の発展に貢献。
   作品は日本画及び肖像画が多くある。
1936(S11) 病没。

この1911から1914の渡欧時に
与謝野夫妻との交友があり、
「萬朝報」1912.10.22に
晶子を描いた挿絵があります。

その後も交流があったようです。
死期近い彼を見舞った晶子の歌。

・語らへばモンパルナスの秋帰る
       我等の友は病むと云へども

ローランサンは1883年(明治22) - 1956年(昭和31)。
もっと新しい感じがしていたのですが、
大正・昭和前期に活躍されたのですね。


ホテルニューオータニの庭は
大名屋敷の庭園だったそうです。

 
以前来たのは秋でしたので、
違う雰囲気でした。

             
お庭の散歩終わり。
玄関に立つと正面に・・。 


ホテルの中から見たときから
気になっていた建物。


なんでしょう?
教会でもなさそうですし。

探検してみることにしました。
高台にあるのでどこから
行ったらいいかわかりません。


階段発見。


鬱蒼と巨木が茂る
清水谷公園というらしいです。


公園のわきを通って。


すごい坂。蝉時雨です。


宿舎のような建物のわきを通ります。

 
ありました、ありました。

 
赤坂プリンスホテルの別館として
利用されていたようです。


旧李王朝東京邸というのですね。


改装しているようです。

 
このような説明が工事外壁に張ってあるのです。


建設当時の外観。

 


中庭。


室内。

 


これ以上の写真はとれないです。
あきらめて帰ります。

後で調べると、赤坂プリンスホテルの解体後の跡地は
再開発されるようで、旧李王家の邸宅も
元のように復元されて見学できるようになるようです。
楽しみです。


蝉時雨の前身。

 
清水谷公園に行ってみます。


すずめちゃんの水浴びです。

 
こんな少しの水がすずめちゃんのオアシスなのです。


萩が咲き始めています。

 
心字池。
湧水があったのかもしれませんが、
今は濁っています。


ここでも水浴び。

 
池をぐるっと回ると。

 
お茶室もありました。

   
蚊に脚を喰われてかゆいです。


みーんみーんじーーー。


ヤブミョウガ。




大久保利通の碑もあります。

 
玉川上水の石枡と木樋。


ふつーの駐車場の土台ですけど、
なんかしっかりした石組です。

 
ホテルニューオータニ前に帰ってきました。
旧李王家邸の隣の赤坂プリンスホテルの
高層ビルも解体されます。
足場が組まれはじめています。
大工事ですね。


赤坂見附駅すぐの釣り堀です。

暑い一日でした・・(・ω・;A

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