ノイバラ山荘

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熱海--③旧日向別邸、創作の家、双柿舎

2015-07-07 17:00:08 | にゃんこの寄り道
この日のメインは旧日向別邸
熱海駅から徒歩10分ほどです。

ずっと来たかったのですが、
土日しか開いていないし、予約が必要なので、
かなわないできました。

世界遺産建築の設計をしたことで有名な
ドイツ人の建築家ブルーノ・タウトが
昭和11年、日向別邸の
地下部分の内装を手掛けたことから、
国の重要文化財に指定されています。

      
着きましたにゃ❤

 
1階母屋部分は写真撮影可なのです。


母屋からはお庭の向こうに海が見えるのです。
初島、遠く大島の島影も見えます。

 
このお庭部分は増築されたものです。
以前はいきなり断崖絶壁だったらしいです。

 
母屋部分の設計も渡辺仁という有名な建築家です。
和光や国立博物館本館、横浜ホテルニューグランド
などの設計をしています。

お庭を支える鉄筋コンクリートの部分は清水組が作ったそうですが、
最初は風抜きとして使われていた地下室部分に
ブルーノ・タウトが内装を手掛けました。


母屋の客室で映像を見ながら説明を受けます。
1時間おきに10名ずつ、
ボランティアガイドの解説をうけながら見学します。
このガイドさんが建築家ですので、
説明も専門的で面白かったです。

  
母屋の中は暗かったです・・。

  
地下は撮影できないのですが、
「海を見る」ことにこだわった設計で、
「桂離宮」を世界に紹介したタウトが
ほれ込んだ日本建築の技巧が凝らされていました。

 
日本の伝統的な建築に敬意を払いつつ、
日本では絶対しないような畳の敷き方をしてあったりして、
不思議な空間になっていました。

ブルーノ・タウト1880~1938(明治13年~昭和13年)のことは
この度、初めて知りました。

なぜその時期にタウトが日本にいたのか?
なぜ著名な建築家なのに、3年にわたる日本滞在の間に
日向別邸以外の建築の仕事がないのか?
日本とタウトの接点を知ると、胸が痛くなります。

ナチスの迫害を逃れて日本に亡命したタウトは来日後、
和紙や竹や漆を用いたシンプルな工芸品を作って、
自ら設計した銀座の店「ミラテス」で販売していました。
そこで日向利兵衛はタウトがデザインした
スタンドに魅了されて購入したそうです。
それが別邸地下室の設計をタウトに
依頼する契機だといわれています。

亡命したものの日本で公職を得られず、
建築の仕事もほとんどできないまま、
トルコに招聘されたのを機に離日。
2年後、イスタンブールで亡くなります。

 
楽しかったです。
もう一度お庭を。

  
いいお家を見せていただきました。


近くのようですので、
池田満寿夫アトリエ「創作の家」にも行くことにしました。

 
ひゃ~、高所恐怖の私は絶対下を見られない階段です。

 
お玄関。

 
お庭。

内部はアトリエとリビング、浴室など
居住部分も公開されていました。


坂をおりて・・。

 
お昼ですにゃ❤
以前、食い倒れで行った「囲炉茶屋」。


まご茶漬けにしました❤
おいし~い❤

 
熱海の街中で豆相人車鉄道のモニュメント発見。
明治29年から明治40年まで熱海~小田原を走っていたようです。
人力で押すなんてすごすぎる~。

 
以前、梅園で会った羊羹屋さん。
ここが本店なんですね。

このあと、双柿舎へ。

 
閉館15分前にすべりこみました。
なにしろ、日曜しか開館していないので、
ラッキーです。


門。会津八一の書による扁額。

 
大急ぎで走り回りました。

      

 筆塚。

 
たつぷり蚊にさされました。

     

 
書庫の屋根。かわせみがいます。

  
坪内逍遥と会津八一。八一が若いです。

        
ああ、忙しかった(・ω・;A 。


タイサンボク。


ハマユウですかにゃ?

 
駅前仲見世通り「キチプラス」で二色しらす丼をいただきました。


基本カフェなので、ムースがおいしい❤


おみやげに買った「さしみかまぼこ」。
初めて食べましたが、
さっぱりとしておいしかったです。

もしもう一度熱海へ行くチャンスがあったら、
伊豆山神社に行ってなぎの木にあいたいです。


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